特集●"働かせ方改革"を撃つ

待ってても、あるべき法の秩序は実現しない

働き方改革による労働時間規制の緩和をめぐって

法政大学キャリアデザイン学部教授 上西 充子

はじめに

この文章は、若い方に向けて書きたい。この「季刊・現代の理論DIGITAL」では、随分と異質な文章になると思う。けれど、若い方に向けた文章を、というのが編集側の要望でもあるので、難しい課題だと思いつつ、書いてみる。

取り上げたいのは、いま国会に提出されている働き方改革関連法案による労働時間規制の緩和策、具体的には、裁量労働制の拡大(あとで述べるように、これは法案から削除された)と、高度プロフェッショナル制度の創設(これはまだ、法案に残っている)だ。

けれども、いきなりその話からはじめず、少し回り道をしたいと思う。あなたにとって、法とは何か、労働法はどういう意味を持つか、この機会に、それを考えてみていただければと思う。

誰かが何とかしてくれる?

あなたは法治国家としての日本を、どういうものと思っているだろうか。基本的には、漠然とした信頼を寄せているのではないだろうか。

その信頼は、社会の安定のためには、大切なことだ。うっかり時の政権の意向に合わない発言をしたり行動を取ったりしたら、連れていかれて、何をされるかわからない――そんな戦前のような社会の中で、おびえながら生きなければならないとしたら、つらすぎる。法を犯すようなことをしない限りは、国家が自分と敵対したり、自分をつぶしにかかったりはしない、そう思っているのではないかと思う。

ただ、その信頼が、過剰ではないかと思うことがある。私は大学の授業で、こういう趣旨の学生のコメントを受け取ったことがある。「ブラック企業問題が話題になってから、もう何年も経つのに、なぜブラック企業はなくならないのか」――あなたはどう思うだろう。なぜ社会問題化しているのに、根絶には至らないのか。

あるいは、アルバイトのトラブルを取り上げた授業の中で、ユニオン(一人でも入れる労働組合)の方をゲストに迎え、問題解決事例を語っていただいたあとで、こういう趣旨のコメントを学生からもらったことがある。「困ったことがあれば、ユニオンに相談すればよいのだということがわかりました」「ユニオンに相談したら、問題なく解決してくれるのだろうか。あとで職場の人間関係がぎくしゃくすることはないのだろうか」――あなたはこれらの声を、どう受け止めるだろう。

「ブラック企業」はなぜなくならないのかという学生の声と、ユニオンは問題を円満に解決してくれるのだろうかという学生の声。それらに共通するのは、「誰か大人が、ちゃんと問題は解決してくれるはずだ」という思いだろう。それは社会への信頼の思いではある。けれど、過剰な信頼だ。

法の秩序は勝手には実現しない

別の例を考えてみて欲しい。あなたの家の前に、違法駐車の車が居座っている状態を考えてみよう。明らかに違法な駐車だ。けれど、「違法だ!」と思ったところで、警察が勝手に動いてくれるわけではない。「違法駐車された」と自分で通報しなければ、状況は変化しない。そして「違法駐車された」と通報することは、一定のリスクを伴う。「警察に通報なんか、しやがって」と、違法駐車した車の持ち主が、あなたに逆ギレしてくるかもしれない。あなたの家の前に違法駐車されたのだから、あなたの家は相手に知られている。逆恨みされても、逃げ場はない。さあ、どうする?

そういう難しい選択に迫られる事態に至らないように、あらかじめ周知啓発しておいてほしい、と思うかもしれない。「違法駐車禁止」の掲示を貼っておいてほしい、と。同様の声はアルバイトのトラブルについて解説した授業でも見られた。「何が違法であるのか、もっと広く周知してほしい」「こういう話は初めて聞いた。この授業のような機会を、もっと広めて欲しい」――さて、あなたはどう思うだろう。

「ちょっと、人に頼りすぎかも」と思わないだろうか。確かに労働法に関する教育は、誰でも受けられるようにした方がいい。けれど、以前と違って、今は厚生労働省も「知って役立つ労働法」というわかりやすい冊子を作ったり、「確かめよう労働条件」というサイトを作ったり、それなりにがんばっている。新聞記事も、労働問題を取り上げている。ネットでも、信頼できる情報は、うまく探せばたどり着ける。「おかしい」と思ったら、調べる手段はある。

けれどたぶん、もっと周知してほしいと願っている学生は、周知そのものを願っているというよりも、周知されることによってトラブルが起こらないことを、そして自分がトラブルに巻き込まれないことを、願っていたのではないかと思う。だが、それは無理というものだ。

問題解決のよりどころとしての法

学校の中でいじめや暴言や暴力があったように、あるいは先生による無視やえこひいきがあったように、大人の世界でも、会社という組織の中でも、おかしなことはいろいろある。大人になったからといって、働いているからといって、急にみんなが立派な人間として振る舞うようになるわけではない。そして、法の秩序は勝手には実現しないし、警察や労働基準監督官はすべての問題に対して、頼まれもしないのに介入して解決してくれるわけではない。

つまり、まともな社会が維持されるためには、私たち自身が、まともな社会が維持されるように努力していくしかないのだ。最初にあげた例でいえば、「ブラック企業」で不当な扱いを受けた労働者が、団体交渉で問題への対処を求めたり、街宣活動や記者会見で不当性を訴えたり、証拠を集めて労働基準監督署に申告したり、弁護士と共に裁判で損害賠償を求めたり、そういう動きがあって初めて、1つ1つの問題が解決されていく。そしてそれが報じられることによって、他の労働者がみずからの状況を改善しようと動き出す。そのような動きが連鎖してはじめて、経営者たちは、社会的なリスクを考えて、不当な扱いを自制するようになる。そうやって、徐々に社会は「まとも」になっていく。そのために、私たちは、問題に巻き込まれた当事者として、その問題の解決のために、一定のリスクを背負いつつ、向き合って対処していかなければならない。何のリスクも負わずに、何の手間もかけずに、誰かが円満に問題を解決してくれるわけではない。

ただし、その問題解決の際に、力になってくれるものがある。それが法だ。「これは違法だ」と指摘することによって、問題の改善を求めることができる。違法なまま相手がなおも居直ろうとしたら、こちらには様々にとりうる手段がある。

つまり、法があることによって、おのずと秩序がたもたれるわけではないが、法があることによって、秩序のある状態を求めることができる。法は、問題解決のよりどころとなるのだ。

労働法は岩盤規制か

では、その法が変えられると、どうなるか。労働法は、歴史的に、使用者による労働者の酷使を防ぐために作られてきた。労働者が命と健康を守りつつ働けるように、そして次世代を生み育てることができるだけの賃金と生活時間が確保されるように、労働時間や賃金の最低基準を定め、労働者が数の力で使用者と対抗できるように、団結の権利や団体交渉の権利を認め、問題が起こったときに労働者がみずからそれに対処できるための手段も提供してきた。

その労働法を、安倍首相は「岩盤規制」とみなしている。「岩盤規制」と呼ぶことによって、それを「打ち破らなければならないもの」と位置づけている。

2018年1月29日の衆議院予算委員会で、立憲民主党の長妻昭議員は、労働法制を「岩盤規制」ととらえる安倍首相の労働法制観は間違っていると指摘した。規制を強めるべきところは強めて、ゆとりのある働き方ができるようにする、そうしてこそ、高い付加価値を生み出す働き方もできるのだ、と長妻議員は主張した。それに対し、安倍首相は、こう反論した。  

「その岩盤規制に穴をあけるには、やはり内閣総理大臣が先頭に立たなければ穴はあかないわけでありますから、その考え方を変えるつもりはありません」

安倍首相は、一切、長妻議員の指摘に耳を傾けようとしていない。「岩盤」には穴をあけなければいけないと考えている。その安倍首相が今、進めようとしているのが、「働き方改革」だ。つまり、働き方改革とは、警戒しなければならない動きなのだ。「岩盤」に穴をあけるということは、働く者を守る法に、穴をあけるということだからだ。

では、どう穴をあけようとしているのか。働き方改革関連法案でねらわれていたのは、裁量労働制の拡大と、高度プロフェッショナル制度(高プロ)の創設だった。

裁量労働制の拡大は断念された

このうち、裁量労働制の拡大は、法案提出前の2月28日深夜から3月1日未明にかけての安倍首相と与党幹部の会合で、断念された。このままでは国会審議が持たない、という判断だった。

裁量労働制の方が普通の働き方より労働時間が短いというデータに問題があった、という話題がニュースに流れていたのを聞いたことがあるだろうか。安倍首相が国会答弁に用いたあのデータに問題があることが国会とニュースで大きく取り上げられ、安倍政権のねらいは、つまずいたのだった。

それまでは、長時間労働の是正のために時間外労働に罰則つきの上限規制を設けるのだ、それが働き方改革だ、という体裁で安倍政権は働き方改革をPRしてきた。そのPRは結構うまくいっていた。そのときには法案の中に裁量労働制の拡大が含まれていることは、隠されていた。けれどもその、隠されていた裁量労働制をめぐって、ねつ造されたデータで国会答弁を行い、野党の質疑をかわそうとしてきた、その策略が明るみに出されて世論も警戒するようになった、そういう経緯で法案からの削除に至ったのだ(注1)。

この裁量労働制は「みなし労働時間制」の一種で、実際の残業時間にかかわらず、あらかじめ決めた「みなし労働時間」に対して賃金を支払う制度だ。「みなし労働時間」が8時間と決められていれば、実際は10時間働いていても、2時間分の残業代は出ない。そのかわり、効率よく仕事を済ませて6時間の勤務で退社しても8時間分の給与はもらえるはずだ。けれども、どれだけの仕事を命じるか、どれだけの高い成果を要求するかは使用者しだいなので、早く仕事を終えて帰ろうとしても、追加の仕事を求められたら断れない。また、たくさん仕事があったり、高い成果を求められたりしていたら、「残業代が出ないから残業したくない」と思っても、残業しなければ仕事はとうてい終わらない状態に陥ってしまう。そして実際に長時間の残業をしても、それまでなら請求できた残業代が裁量労働制だと請求できない。逆に経営者の側は、残業代を払わずに、長時間の労働を求めることができてしまう。

「裁量」という言葉からは「自由に働ける」イメージがある裁量労働制だが、上にみたように、実際は使用者が残業代を払わずに都合よく働かせることができる制度だ。日本労働弁護団はこれを「定額働かせ放題」と呼んでいる。スマホの定額使い放題プランのようなものだ。

実際にこの裁量労働制が適用された労働者も、仕事量が少ない場合は不満がないものの、仕事量が多い場合には強い不満を示している。厚生労働省が労働政策研究・研修機構に要請して実施した2013年のアンケート調査の自由記述結果が最近になって公開されたが、そこには、「業務量が多くなり、労働時間も増え、裁量の範囲を超えている」「会社が違法残業を合法化する手段として導入している様に感じる」など、強い不満が記されていた(注2)。

ねらわれていたのは、違法の合法化

この裁量労働制は、使用者が残業代節約のために都合よく使うことがないよう、適用範囲が法によって狭く限定されていた。その範囲が、法改正によって広げられようとしていたのだ。データ問題のごたごたでつまずかなければ、世の中の関心をひかないままに、時間外労働の上限規制などと抱き合わせにすることによって法改正が強行されていたかもしれない。そうなれば、法人相手の営業職などに、幅広くこの裁量労働制が広がる可能性があった(なお、今回は法案から削除されたが、改めて法改正によって拡大がねらわれる可能性は高い)。

なぜ、そのような拡大をねらっていたのだろう。「会社が違法残業を合法化する手段として導入している様に感じる」という先の自由記述の声に、そのねらいが適切にあらわれている。

営業職では、実態として、残業代相当の手当が一定額で支払われている場合がある。その多くは違法なのだが、労働者が労働法をよく知らないことや、仕方がないとあきらめていることなどから、違法がまかり通っている。ただし、違法なままだと、いざというときに残業代を請求されたり、訴えられたりするリスクがある。

けれども、同じ営業職を裁量労働制に移行させることができれば、同じだけの人件費で、同じ働き方をさせることが、合法的にできる。裁量労働制の適用範囲を拡大したいという経済界の意向の背景には、この違法状態を合法化するねらいがあったと考えられる(注3)。労働者が問題解決のよりどころとする法そのものを、変えてしまえばよい、という発想だ。

高プロ制度は労働時間規制の対象外

裁量労働制の拡大は働き方改革関連法案から削除されたものの、高プロの創設は法案に含まれたまま、4月6日に国会に法案が提出された。まだ審議は始まっていないが、4月末の審議入りがねらわれているようだ。

この高プロは、「みなし労働時間制」による裁量労働制よりもさらに徹底的に、労働者を労働法の保護から外そうとするものだ。最低限の労働条件を定めた労働基準法のうち、労働時間規制に関わる部分(第4章)を、ほぼ丸ごと適用除外としてしまう。「適用除外」にするとは、高プロの労働者については、その労働法を守った働かせ方をしなくてもよい、ということだ。

労働基準法には、1日8時間を超えて労働させてはならないという規定があるが、それを守らなくてもよい。1日8時間を超える時間外労働をさせる場合には労働者の代表と三六協定を結んでその協定の範囲内の残業しか行わせることはできないが、それも守らなくてよい。1日8時間を超える労働に対して、割増賃金を支払う必要もない。深夜(夜10時~朝5時)の割増賃金も、法定休日(週に1回)に働かせる場合の割増賃金も、支払う必要がない。労働時間が6時間を超える場合には少なくとも45分、8時間を超える場合には少なくとも1時間の休憩時間を与えなければならないという規定も、守らなくてよい。それらの労働基準法の規制を「適用除外」とできるかわりに、年間104日以上かつ4週4日以上の休日を与えなければならないという別の規定が定められている。

このように様々な労働基準法の規定を「適用除外」にするのは、柔軟な働き方を実現するため、とされている。時間に縛られず自律的に働きたい労働者の意欲と能力を十分に発揮してもらうための法改正だ、と。しかし、これも違法状態の合法化だ。裁量労働制だと深夜割増や休日割増の支払いは必要だが、その支払い義務もなくしてしまいたい、というのが本音だろう。

さて、もしあなたがこの働き方の対象となったら、あなたの働き方はどうなるだろうか。

昼食を食べたら賃金減額?

この高プロは、2015年にも国会に提出されていた。その時にその法案は「残業代ゼロ法案」と呼ばれていた。確かに高プロだと、残業しても残業代が出なくなる。しかし、そもそも、残業という概念がなくなるのだ。この点が裁量労働制とは異なる。裁量労働制の場合、「みなし労働時間」が9時間であれば、法定労働時間である8時間を上回る1時間分は、残業代の支払いが必要になる。実際は10時間働いても「みなし労働時間」が9時間であれば、9時間分の給与しか出ないが、しかし、法定労働時間と残業(法定時間外労働)という考え方は、裁量労働制の場合は残っている。深夜割増と休日割増の支払いも必要だ。しかし、高プロの場合はそうではない。

高プロの場合、1日の労働時間について、8時間という基準がそもそもなくなる。8時間までが法定労働時間で、そのあとは法定時間外労働、という区切りがなくなる。一方で、裁量労働制の場合には一応あることになっている時間配分の裁量権も、高プロには、ない。すると恐ろしいことだが、毎日、朝は9時に来て夜は午前2時まで休憩なしに働け、といった命令も、違法ではなくなる。それを就業規則とすることも、今の法案を見る限りは、違法ではない。通常の労働時間制であれば、就業規則で定める労働時間は、法定労働時間を超えることはできないが、残業という概念がなくなるとは、それも可能になってしまうということなのだ。

現実には労働者は、昼食も夕食もとらずに働き続けることは不可能だし、午前2時に退社して朝9時にまた出社するという毎日を続けるのも不可能だ。けれど、それを就業規則として定めてしまうことはできる。さらに恐ろしいことに、その就業規則に従えない労働者の賃金を減額することも、理論上はできるようになってしまう。佐々木亮弁護士が試算しているのだが、法案の規定を超えない範囲でめいっぱい働かせた場合、高プロの労働者の賃金は時給換算で1,716円になる。そこから、昼食休憩1時間につき1,716円減額、24時間まとめて休めば、4万円以上減額…といったことが可能になってしまうのだ(注4)。

さすがにそんなことをねらった法改正ではないのだろう。けれど今の法改正案だとそんなことも可能になってしまう。法の規定の適用除外が可能になる、というのは、そんなふうに想像を超える状況を招き寄せてしまうのだ。そして、もしそんなことをする経営者が出てきたとき、「それは違法だ」と言える状況は、もはや、存在しない。

自分を守るよりどころである法がなくなったら

この文章の最初の方で、法はいざというときの問題解決のよりどころになると書いた。そのよりどころをなくしてしまおう、というのが高プロだ。年収要件が設けられるので(予定としては1,075万円以上)、「あなたは関係ありませんよ」と言わんばかりの取り上げ方になっているが、そのような取り上げ方じたいが、「問題のある法改正だということで注目されたくない」という姿勢の表れだろう(ちなみに経団連のもともとの構想では年収400万円以上が対象なので、一度制度ができれば年収要件は次第に下げられていくことは自明だ)。対象職種も法律が成立したあとで省令で決めるとされているが、どんな職種が対象になるかも決まっていないまま法の成立を許してしまうことは、危なっかしすぎる。

しかし、推進側は法改正されたときにそんな危険な状況に労働者が陥るということは、決して語らない。「今のあなたの働き方は不自由だよね」とささやきかけてくる。「ダラダラ残業する人が残業代をたくさんもらうのはおかしいよね」とか、「ホワイトカラーの仕事は時間ではなく成果で評価されるべきだよね」とか、「せっかく仕事に打ち込んでいるのに会社が夜10時には完全消灯とか言って追い出しにかかるのは嫌だよね」とか、「長時間労働の是正といっても結局、人件費を節約したいだけで、持ち帰り残業になるだけだよね」とか。あなたが「そうだよ、まったく(怒)」と思いそうなことを、ささやきかけてくる。

けれど、もしそういう不満があるなら、それは社内の就業規則とか賃金体系とか、あるいは仕事の分担の在り方とか、そういうものの問題ではないのか。また、労働法に制約されている面があるとしても、その場合に必要なのは、規制の撤廃ではなく、実態に即した別の形の規制ではないのか。そう考えてみた方がいい。

車を運転する場合を考えてみよう。歩行者がいるわけでもないのに、40キロの速度制限を守らなければいけないのは面倒だ。車も人もいない交差点で、赤信号だからと停車しなければいけないのも、ばからしい。そんな規制がなければ、もっとスムーズに運転ができて早く目的地に着くのに。そう思うこともあるだろう。けれど、だからといって速度制限も信号も撤廃してしまったら、どうなるか。時速100キロや120キロで暴走する車が出てきても、誰も取り締まれなくなる。そんな車と衝突するかもしれないと思うと、危なっかしくて交差点も渡れない。かといって、おたおたしていると、後続の車とぶつかってしまうかもしれない。誰もが必死で神経を集中させて運転しなければならなくなる――そんなことは誰も願っていなかったのに。

規制がなくなるとは、そういうことだ。本当は、現状が不便なら、40キロの速度制限を50キロに緩和するとか、夜間は押しボタン式の信号に切り替えるとか、規制のあり方を変えることが議論されるべきなのだ。

にもかかわらず、あたかも規制はすべて問題であり、すべて撤廃されるべきであるかのようにみなす。そのような議論がいかに乱暴かは、わかるだろう。にもかかわらず、

「その岩盤規制に穴をあけるには、やはり内閣総理大臣が先頭に立たなければ穴はあかないわけでありますからその考え方を変えるつもりはありません」

というのが、労働法制の改正に臨む安倍首相の姿勢なのだ。危なすぎる。

法改正は、あなたの問題

まとめよう。現実に、不払い残業のような違法状態は、残念ながら横行している。そして、それを経営者は合法化したがっている。違法なままだと、リスクがあるからだ。では労働者にとって、違法な現状が法改正によって合法化されたとしても、状況は同じだろうか。

同じではない。違法状態が合法化されれば、現状はもはや「違法」ではなくなる。法があれば「違法だ」として、その現状を正すことはできたのに、法の規定がなくなれば、その現状を「あるべき形」に改善する手段を失う。そして今、違法であることがわかっていて不払い残業を強いているような経営者は、それが合法になれば、より堂々と、より長時間の労働を強いるようになるだろう。40キロの速度制限の道路を50キロで走る車は、40キロという速度制限を意識しているが、速度制限がなければ平気で時速80キロや100キロで走るようになりかねない。それと同じだ。

だから法改正とは、まさにあなたの今の働き方に直結する問題なのだと考えてほしい。「どうせ労働法なんか、守られていないから」と、無関心にならないでほしい。労働法があれば、力を合わせれば、その労働法をよりどころにして、より適正な働かせ方を求めていくことができる。けれどその労働法が改正され、法の規定が失われてしまえば、もはや法を手がかりに現状を改善することもできなくなる。一方で経営者は、堂々と、あなたに無茶な働き方を強いることができるようになる。

裁量労働制の拡大は、データ問題が広くテレビなどでも取り上げられたことによって、「定額働かせ放題」になる危険性が広く知られ、世論調査でも反対の割合が高い結果となり、法案から削除された。いくら与党に数の力があっても、世論の強い反対があれば、国会審議でごまかし続けて強行採決によって法の成立を図るということは、できない。裁量労働制の法案からの削除という事実が、そのことを示している。

労働法が改正されようとしている、そのことに対するあなたの無関心やあきらめは、あなたの首を絞めることにつながる。どうか、関心をもってほしい。


(注1)裁量労働制のデータ問題をめぐっては、筆者が2月21日の衆議院予算委員会の公述人意見陳述で下記の通り問題を指摘したので、ご覧いただきたい。

「データ比較問題からみた政策決定プロセスのゆがみ:裁量労働制の拡大は撤回を(公述人意見陳述)」 (Yahoo! ニュース 個人 2018年2月21日)

(注2)調査は労働政策研究・研修機構(JILPT)の「裁量労働制等の労働時間制度に関する調査結果労働者調査結果」(調査シリーズNo.125、2014年5月)。この自由記述結果が、長妻昭議員の求めにより、2018年4月16日に、JILPTのホームページで公開された。

(注3)詳しくは、今野晴貴・嶋﨑量編『裁量労働制はなぜ危険か』(岩波ブックレット、2018年)の第2章「裁量労働制とは何か」(嶋﨑量)を参照。

(注4)佐々木亮「高プロ制度は地獄の入り口~ High-pro system is the gate to hell~」(Yahoo! ニュース 個人 2018年4月10日)

うえにし・みつこ

1965年生まれ。東京大学大学院経済学研究科第二種博士課程単位取得中退。日本労働研究機構(現在の労働政策研究・研修機構)研究員を経て、2003年より法政大学教員。単著論文に「職業安定法改正による求人トラブル対策と今後の課題」(『季刊・労働者の権利』322号、2018年1月)、共著に石田眞・浅倉むつ子・上西充子『大学生のためのアルバイト・就活トラブルQ&A』(旬報社、2017年)など。

特集●“働かせ改革”を撃つ

第15号 記事一覧

ページの
トップへ