特集●歴史の転換点に立つ

世紀の転換期と安倍「資産食い潰し」政権

英・米・日の投票結果への考察から

日本女子大学教授・本誌代表編集委員 住沢 博紀

1.本来の21世紀の到来:GゼロかG4か

2016年7月、日本では参議院選挙をめぐり、「改憲勢力」が3分の2を獲得するか否かが争点となった。ただし安倍政権は「改憲隠し」の選挙戦を行ったので、これはもっぱら野党「統一候補」の論点となった。かろうじて選挙ではその実現を阻んだが、無所属議員の自民入党により、結果として「改憲勢力」は3分の2以上となった。ただ私たちはこの選挙結果に、悲観も絶望もしない。日本政治に限定すれば、その原因ははっきりしているからである。

第1に、90年代政治改革のテーマは、「政権交代のある民主主義」であった。その核心は選挙制度改革ではなく、自民党に対抗できる国民政党の形成であった。つまり民主党というプロジェクトこそ、90年代からの政治改革の核心であった。周知にように、それは2009年鳩山政権として実現し、短期間で瓦解した。今回の参議院選挙に向け、維新の党を吸収する形で民進党が成立し、さらに選挙戦では共産党を含む野党4党の「統一候補」を擁立した。しかしそれらは「民主党プロジェクト」にとって代わるものではない。私たちは現段階では、何のプロジェクトも持っていない。対抗プロジェクトの存在しないところでは、与党の安定的な勝利は自明でもある。

第2に、安倍政権は、それまでの政権の資産を食い潰すことによって継続している。政党助成金と首相官邸の権限強化は、官邸強権政治とでもいうべき政治手法をうみだした。野田政権時に与野党合意で決めた「(消費増)税と社会保障の一体改革」を2度も延期した。律儀に正統的な金融政策を維持してきた白川日銀の資産を、円安誘導と株高を導く黒田「異次元の金融政策」により、アベノミクスの成果として利用した。しかし安倍政権の「資産の食い潰し」も限界に達しており先行きは暗い。ここで現状打開のため「改憲」に逃げ込むなら、その政治的混乱のコストは莫大なものになる。この日本の問題は、3節でもう一度扱う。 

2016年7月で大事なことは、参議院選挙でも都知事選挙でもない。6月23日、イギリスの国民投票によるEU離脱派の勝利と、7月アメリカ共和党大会によるトランプ大統領候補指名のほうが、世界にとっても、日本にとっても決定的に大きな出来事である。本来の21世紀が徐々に姿を現しつつあるといってもいいかもしれない。両方とも、19世紀、20世紀の覇権国家、アングロサクソン圏で生じていることに注目しなければならない。

1989/1991年、ベルリンの壁崩壊から東欧革命を経てソ連の解体まで、イギリスの歴史家、エリック・ホブズボームは『両極端の時代:短い20世紀』(1994年、邦訳『20世紀の歴史―極端な時代』(三省堂 1996)と名付けた。1914年第一次世界大戦勃発から1991年ソ連の解体まで、戦争・革命と繁栄の両極端の時代として20世を描いたわけである。しかし現在からいえることは、1991年は20世紀の終焉ではあっても、21世紀の始まりではなかった。

1990年のフセインのクウェート侵攻と、アメリカを軸とする多国籍軍のイラク反攻(湾岸戦争)、2001年9月11日のアメリカへの同時多発テロに対する、2003年アメリカなどの有志軍によるイラク侵攻、この二つの湾岸戦争にみられるアメリカの圧倒的な軍事力は、アメリカの「1極支配」の時代の到来を予測させた。しかしブッシュのイラク侵攻は間もなく終結を見通せない戦いとなり、また2008年リーマンショックは、金融資本主義におけるアメリカの支配構造を揺るがせるものであった。

リーマンショクから8年、それはEU諸国や日本に飛び火し、事態はより深刻になった。これまでの西側先進諸国G7に対して、新興経済諸国BRICs(ブラジル・ロシア・中国・インド)や、G7とBRICs諸国にトルコ、サウジアラビア・南アフリカ・メキシコなどを加えたG20のグループが グローバルな課題を協議する機会も増大した。

またこの間に中国が世界第2の経済大国となり、世界経済の中での存在感を着実に増大させるとともに、プーチンの権威主義的体制のもと復活したロシアとともに、上海条約機構というインドを含めたユーラシア大陸の新しい国際組織を築きつつある。また2015年6月には、中国の提起に上海条約機構の諸国や、イギリスを皮切りにEU諸国も加わった、アジアインフラ投資銀行AIIBが発足した。

中東問題は、かつてはイスラエルとパレスチナ難民の問題が中心であったが、現在ではシリア難民や、イランの国際復帰とイスラム世界での影響力の増大が課題となっている。

こうした21世紀像は、例えば「21世紀は陸と海の戦い」(水野和夫)というカール・シュミットの「陸と海と―世界史的―考察」に示唆を得た議論に表れている。もし「陸」の一つにEU・ドイツが登場するなら、帝政時代の軍国主義、ヒトラーのナチズム支配と異なり、歴史上初めて自由民主主義体制の下でのリーダー国としてのドイツが誕生することになる。あるいは、『「Gゼロ」後の世界―主導国なき時代の勝者はだれか』(イアン・ブレマー、日本経済新聞出版社 2012)において、アメリカ主導の体制が終結しつつある現在、その次のグローバル体制は米中のG2協力体制か、それとも第2の冷戦かが提起される。

しかしここでは、Gゼロか、G2か、あるいはインドの台頭や(中国の1990年代からの発展を振り返ると十分考えられる)イスラム世界の復活などを含むG4となるのかを論じることはできない。それではあまりに未来予測になる。大事なことは、こうした本来の21世紀の始まりに対して、19世紀・20世紀の世界秩序を担ってきた英米の自由主義と資本主義、あるいは自由民主主義体制と金融資本主義は、どのようなポジションを占めるのかということである。そしてイギリスのEU離脱と、アメリカ共和党のトランプ大統領候補の選出は、この自由民主主義体制の変容を示唆しているように見える。

2.デモクラシーVs.グローバル化という構図の意味

21世紀に入り、EU諸国やイギリス、アメリカ、日本など戦後の西欧自由民主義体制を担ってきた国々では、政治不信、政府不信、デモクラシーの機能不全が渦巻いている。日本は例外的に安定しているように見えるが、つい3年半前までそうではなかったし、安倍政権も「戦後資産の食い潰し」で時間を稼いでいるに過ぎない。社会的格差の拡大や社会分裂、多民族社会化に伴う国民意識の動揺などがその背景にある。突き詰めていえば、一国的デモクラシーの立脚する政治の力が、グローバル経済の前に無力化されているといってもよい。

こうした戦後自由民主義体制の変容を考察する場合、しばしばコーリン・クラウチの『ポスト・デモクラシー』(2003、邦訳『ポスト・デモクラシー 格差拡大の政策を生み政治構造』清灯社 2007)が引用されてきた。ポスト・デモクラシーとは、福祉国家に代表されるデモクラシーの黄金時代に比して、その衰退、あるいは少数の政治エリートと大企業が、労働組合や大衆の自立した力を無力化し、管理・支配する時代ともいえる。しかしこの議論だけでは、保守も含め既成政党が大きな挑戦を受け、ナショナリズムに立脚するポピュリズムの台頭を説明するには不十分である。そこでもう一つの対概念である、ナショナル/ポスト・ナショナルを加え、4つのマトリクスを作成してみた。

これはイギリスのEU離脱投票を受け、EU政治とデモクラシーの関連を考察することから生まれたものである。本来は、近く出版予定の八木紀一郎ほか編『欧州統合と社会経済イノベーション』への所収論文「危機の中の欧州政治と地域政策の変容」の執筆過程で、一国的デモクラシーとEUの「民主主義の赤字」の関連、さらには欧州社会党など「第3の道」政治がなぜグローバル資本主義に無力であったのか、などの研究テーマを考察する過程で生まれたものである。ここではEU諸国ではなく、英・米のアングロサクソン諸国に変えてある。この4つのマトリクスによって、20世紀後半から21世紀への西欧デモクラシーの変容と、左翼主義・ナショナルなポピュリズムの政治的・歴史的ポジションがかなり説明できるのではないだろうか。そして3節で安倍政権の分析にもこの図式を用いると、日本の「特殊性」=危機的状況がより理解できる。

表1 英米の21世紀グローバル時代の政党配置の規定要因

  デモクラシー ポスト・デモクラシー
ナショナル 1

ニューディールからネオリベラルへ
(民主党Vs.共和党)

福祉国家から新保守主義へ
(労働党Vs.保守党)

2 ネオ・リベラル/第3の道
民主社会主義
ナショナル・ポピュリズム
ポスト・ナショナル 3 英EC加盟(1973) 4 グローバル自由主義
TPP・TTIP
G20、多様な資本主義とインクルシーブな成長
NAFTA(1994)

出所:著者作成

 

ここで議論はポスト・デモクラシーの時代に限定しよう。アメリカもイギリスも、クリントン―オバマ民主党、ブレア労働党と中道左派=第3の道政治を追求した。これはグローバル化とネオ・リベラルの台頭に対する妥協的政策であり、経済政策や企業の競争力強化には成功したが、結果として金融資本主義の支配と格差拡大に加担することになった。また保守派も、共和党はネオコンやティー・パーティなどの過激保守グループ、あるいはイギリスではEU離脱派などを党内に抱えながらも、主流派は中道右派としてグローバルな自由民主主義体制の維持や自由貿易の拡大を推進した。こうして、アメリカもイギリスも、主流派はTPP(環太平洋経済連携)やTTIP(環大西洋貿易・投資協定)を進めてきた。

ところがこうした進歩・保守の主流派に対して、それぞれ批判的なグループと大衆的な反対派運動が沸き起こった。イギリス労働党では、左派コービンが党首に選出され、ドイツ社民党や欧州議会議長のシュルツが進めるEUとアメリカのTTIP締結に反対した。労働党左派のEU政策への批判が、今回の国民投票でのEU離脱に一役買ったともいえる。また民主党大統領予備選挙では、バーニー・サンダースが若者の圧倒的な支持を集めた(クリントンの1685万票に対して1317万票、これは最近の大統領選総得票数1億3000万票の10%にあたる)。彼は無党派地方政治家から出発した筋金入りの「民主的社会主義者」であり、NAFTAが雇用や人々の生活にもたらした負の側面から、強固なTPP反対派となっている。『バーニー・サンダース自伝』(大月書店 2016年)を読めば、無党派市民議員が改革政策の提起と妥協による実現により、市長、下院議員、上院議員と着実に影響力を増大させていったことがわかる。残念ながら日本にはこうした市民派議員はいなかった。

英国保守党では、EUを批判するファラージは早くも1992年保守党を脱党し、翌年、EU離脱を掲げる独立党UKIPを設立する。彼はナショナル・ポピュリズムとでもいうべきポジションを獲得し、保守党内EU離脱派と連動して、キャメロン首相への大きな対抗勢力となった。アメリカ共和党では、白人ピューリタニズム原理主義に支持基盤を見出すティー・パーティは、党内では多数派になりつつあったが、新しいタイプのナショナル・ポピュリスト(「アメリカ第一」)のトランプに、いとも簡単に敗北した。

米英の左派は、マトリクス4ではG20による国際協調主義や、EUが掲げる「格差や排除のないインクルシーブ経済成長」を支援するかもしれない。しかしそれは現実には残念ながら、EUの「社会的ヨーロッパ」と同様に理念的なスローガンで終わっている。これに対して保守急進派は、マトリクス3のナショナル・ポピュリズムと、マトリクス4のグローバル自由主義(要するに市場原理主義)の結合という最悪の結果を生み出す恐れがある。イギリス保守党の離脱派は、EUを離脱して束縛のない自由貿易体制を主張したように、トランプもアメリカの利益があればもちろん自由貿易の推進者となる。一見、ナショナルな政治の復権のように見えるが、国内的にも国際的にも、相互協力や社会的公正といった自由民主主義体制の基本的価値を否定するシステムとなる。つまりもし米英がこうした政権の選択をするなら、自ら築き上げてきた歴史的な自由民主主義体制を否定することになる。日本ではどうなるだろうか。

3.日本の選択:戦後資産の食い潰しか、それとも世界への貢献か

日本政治の特徴は、プロジェクト民主党の失敗により、ポスト・デモクラシーの政党配置が成立せず、ネオナショナリズムに立つ官邸主導型一党支配の構造となっている。つまり主流派を形成する政権交代可能な政党は存在しない。その結果、野党は分散しており、保守やネオ・リベラルに近い都市型ポピュリズム(みんなの党、日本維新の会、大阪維新の会など)と民進党・共産党の協力にたつ反自民立憲連合という未分化な政党配置になっている。反自民立憲連合が政権交代可能な対抗政党に発展する可能性はまずありえない。民進党側では改憲派を含む強い保守陣営が存在し、日本共産党側でもイタリア共産党の民主党への転換といったレベルの歴史的大転換を決断する環境と条件にないからである。

もう一つの日本の特色は、主体的なポスト・ナショナルのポジションが存在しないことである。G7・G8やG20も、本来ならポスト・ナショナルな時代の新しいグローバリズムの理念を掲げ、現実政治を構想する場であるが、日本ではそれはオリンピック同様にナショナルな国威発揚の場でしかない。かろうじて1990年代には、プロジェクト民主党と連携した東アジア共同体構想が一つの選択肢でありえたが、その政治勢力はまだ弱かった。2009年、鳩山民主党が改めて東アジア共同体を外交の新指針として提示したとき、日本を主要アクターとする時代は終わっていた。

その結果TPP交渉に際して、この協定を批判的に検証する主流派勢力は存在しない。原理的反対派は存在するが、農協攻撃をはじめ政権の個別的な「あめとむち」政策により、沈黙させられるかささやかな妥協で済まされる。つまりTPPは、アメリカ主導のグローバル自由主義の導入で終わる可能性が高い。

表2 日本の21世紀グローバル時代の政党配置の規定要因

  デモクラシー ポスト・デモクラシー
ナショナル 1 55年体制(官僚主導型政党政治)保守Vs.革新(1985)
政治改革・プロジェクト民主党
2 官邸主導型一党支配(ネオナショナリズム)
解釈改憲(集団的安全保障の一部承認)
日米安保新指標(1997)
G7から G8へ(共通の価値観)
都市型ポピュリズム
反自民立憲連合
G20(多様な制度と価値観)
ポスト・ナショナル 3 プラザ合意(1985) 4 TPP(アメリカ主導のグローバル自由主義)
東アジア共同体(日・中・韓+ASEAN) RCEP+APEC

出所:著者作成

また安全保障に関しても大きなリスクを抱えている。ヨーロッパはイギリスがEUから離脱しようがしまいが、NATO体制は存続しており大きな問題はない。二度の帝国主義国間の戦争を経て、現在のヨーロッパで安全保障への不安はない。独仏間の争いは解消され、裏庭のバルカン半島の民族紛争も何とか解決に向かっている。後は遠く離れたウクライナでのロシアとの紛争であるが、緊張を孕みつつも対話の場は双方ともに準備している。

東アジアは異なる。日本の満州・中国侵略と中国の抗日統一戦線、ベトナム戦争とアメリカの敗北など、民族独立闘争は終結した。しかし大国間の武力紛争は、朝鮮戦争という代理戦争を経てまだ停戦状態が続いているに過ぎない。昨年の安保関連法案により、自衛隊が朝鮮半島有事の際に米軍と行動を共にする事態が生じれば、その程度のいかんにかかわらず、戦後日本が築きあげてきた平和主義という貴重な遺産が消滅することになる。

日本国憲法の根本的な構造は、国民主権や基本的人権の部分は自明として、憲法9条の平和主義と象徴天皇制に特色がある。その両者とも2016年には再検討が迫られている。安倍自民党をめぐる現在の政党配置を、参議院選挙があったので参議院選挙を通して考察してみよう。参議院選挙は衆議院選挙よりもその都度の政治状況に過剰に反応しているので、わかりやすい面もある。

表3は、1998年、自社さ連立を解消した橋本自民党政権から、先日の2016年7月選挙までの参議院選挙の自民党得票の推移である。公明票を除くため比例区で見ている。基礎票2000万前後で推移する衆議院選挙に比べて、ここでは変動はかなりある。しかしその変動の説明は可能である。1998年、まだ自民党への不信感が根強い時代に、金融危機や有力者の復党の影響を見誤った橋本内閣は、この選挙により辞職を迫られた。2001年は小泉ブームであり、「自民党をぶっ壊す」旗印にして最高の得票を得た。これに対して、2004年、2007年は、自由党など反自民党勢力が民主党に一元化されてゆくプロセスであり、自民党は1600万票代まで落ちる。2010年以後は、逆にみんなの党や日本維新の会などネオ・リベラル派やナショナル・ポピュリズム、つまり保守・右翼政党が得票率を伸ばす時代である。自民党の得票は、こうしたポピュリズムの得票数に左右される。

表3.参議院選挙比例区結果1998~2016

選挙年自民党得票数得票率投票率
199814,128,71925.17%58.84%
200121,114,72738.57%56.44%
200416,797,68630.03%56.57%
200716,544,67128.08%58.64%
201014,071,67124.07%57.92%
201318,460,33534.68%52.61%
201620,114,78835.91%54.70%

出所:総務省HP、参議院選挙結果

しかし全体を通して大事なことは、得票率を考慮すると自民党は小泉ブームの時代ですら、絶対得票率(得票率×投票率)では21,77%の支持しか得ていないわけである。それ以外は20%以下、つまり有権者の5人に一人の投票によって安定多数を得ているにすぎない。これもポスト・デモクラシーの時代の特徴でもある。

冒頭にも掲げたように、安倍政権の一見した安定性は、それまでの政権の資産や戦後日本の資産に依拠している。安倍首相が最終目的とする憲法9条の改正にしても、戦後日本が9条を遵守する平和国家であったという「政治的資産」によって可能になるというパラドクスが存在する。そうした資産を食い潰して安倍政権は存続している。その結果、日本の優良な資産は痩せ細り近い将来に、もはや安倍政権が利用できるものはなくなる。しかし東アジアの安全保障を考えても、そうした危機的状況になってからでは遅く、戦後70年間の平和主義の資産を、国際貢献に使用する道を探さなければならない。

そのためには表2の、ポスト・デモクラシーの政党配置を根本的に変えなければならない。現在では、アベノミクス、ネオ・リベラル、ネオ・ナショナリズムの信奉者は多いが、欧米諸国の例を見ても、その限界や弊害が明らかになるにつれ、批判者が多数派になる。左派の批判者を結集させる方法は、アメリカの大統領選を戦った、バーニー・サンダースの政治スタイルと活動が参考になるだろう。私たちは左派のポピュリストを必要としているのではない。地域から出発する、誠実で有能な政治家が選挙民との約束を果たしていくなら、その過程や活動を通して左派のポピュリストが生まれるのである。

すみざわ・ひろき

1948年生まれ。京都大学法学部卒業の後、フランクフルト大学で博士号取得。現在、日本女子大学教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。

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