特集●混迷する世界を読む

欧州は新世代ポピュリストの大陸なのか

「選択肢のない時代」で選択する責任

北海学園大学教授 松尾 秀哉

戦後史の大転換か2016年

2016年は世界中に衝撃が走った年だった。それを象徴するのがトランプ大統領の当選である。戦後世界の自由と民主主義の擁護者であったアメリカにおいて、「移民を排除せよ」など差別的発言を繰り返し「自国第一主義」を主張する、政治的キャリアのない候補が大統領に当選した。さらに、西欧においてはイギリスが欧州連合からの離脱を国民投票で決定した。これも移民受け入れや安全保障を争点とした「自国第一主義」の顕れとみなすことができ、戦後の和解の象徴と捉えられてきた欧州連合を破壊する行動として受け止められた。2016年はその意味で戦後史の大転換期であった。

そして今年2017年はヨーロッパの至るところで重要な選挙が予定されている。3月にはオランダで国政選挙が行われた。4月から5月にかけてはフランスで大統領選挙が、秋にはドイツの連邦議会選挙がある。アメリカやイギリスほど目立ってはいないが、すでにフィンランド、ノルウェー、スイス、ベルギーなどでいわゆる「ポピュリズム」といわれる政党が政権に関与している。アメリカから欧州に至るこれらの勢力を同じように括っていることに一抹の違和感を覚えるが、それでも2016年の衝撃が持続的なものなのか、そしてかつては「福祉と人権の大陸」と呼ばれ、戦後和解の象徴であった西欧が一転「ポピュリズムの大陸」と化してしまうのかが注目されていることも否定できない。

執筆時点(2017年4月27日)ではフランス大統領選(決選投票)の結果を加味することはできないが、本稿は予備的な考察として、ポピュリズムとは何か、そしてなぜ支持されているのかという点を主に考察したい。そして、3月のオランダ選挙、フランス大統領選(第一回投票)の結果を踏まえて、今後の展望を述べていきたい。

ポピュリズムとは

ポピュリズムとは元来19世紀末のアメリカの「人民党」の政治運動と理念を指すとされ、その後帝政ロシアにおける農民運動や、南米の権威主義運動と体制を指す語としても当てられてきた。定義のはっきりしない用語であるが、本稿では特に現代の西欧に台頭しているポピュリズムに限定し、「工業化と都市化を経た欧米の自由民主政の理念と体制における『不満と不安』の政治的表現」とする中谷義和の定義を採用しておきたい。つまり人びとの現状の生活と政治に対する不満と不安を煽り、現状を批判して支持を獲得する勢力である。

その批判は、主に以下の三つに集約される。第一に妥協的で不透明な現状の民主政治に対する批判、第二に、不透明な政治に対して説明責任を果たさない既成の政党と、誰が最後の決定を下したかがわからなくなる複雑な政治・行政の制度に対する批判、最後に、移民や外国人労働者に代表される「外集団」に対する攻撃と、それを受け入れている西欧の多文化主義政策に対する批判である。

もう少し具体的に説明すると、例えば筆者が専門としているベルギーでは、合意型民主主義という政治スタイルが伝統的に定着している。これは、国内の民族・言語による亀裂が存在しているため、単純に多数決で政策を決定する民主主義ではなく、マイノリティの利益を配慮し、相互に話し合い「妥協」して落としどころを見いだす民主政治のスタイルである。これは政策決定過程から「誰も排除することのない」政治であり、アメリカの政治評論家であるギルバート・ドクトロウによれば、民族対立で苛まれる「ベルギーをつなぎとめる糊の役割」を果たしてきた。

しかし、選挙公約に掲げていた政策を「妥協」すると公の場では批判されるため、その話し合いは常に「密室」で行われる。これはえてして政治腐敗の温床となり「政治が不透明」だと批判される。また少数派の利益を擁護すれば、当然のことながら多数派には不満が蓄積し、「単純な多数決であるべきだ」と批判される。こうしてポピュリズム政党は有権者たちの現状に対する不満を代弁する。

新世代ポピュリズムの台頭

ただし、例えばベルギーで代表的なポピュリズム政党とされるフラームス・ベラングにせよ、今注目されているフランスの国民戦線にせよ、その起源は古く1970年代から80年代に遡る。当時は、多民族から成るベルギーにおける「フランデレン[オランダ語系民族]の独立」、「ベルギー分裂」などの過激な現状批判と改革を打ち出してはいたものの、党勢は今ほど目立たなかった。これらの政党が勢いを増したのは、1980年代末に西欧各地で生じたムスリム系移民に対する差別と反差別という社会的論争を土台にして、急進的に「移民排斥」を掲げた1990年代である。現実味のない「分裂」よりも、目に見える「移民の増加」を争点化したのである。

当時、これらの政党は、ナチスを彷彿とさせる過激な言葉で移民排斥を訴え、「極右」と呼ばれていたことが多いと記憶する。この勢いはおおよそ2000年代まで持続するが、西欧は当時主に福祉国家研究者の間で「福祉と人権の大陸」と呼ばれていた。ベルギーでも1994年に「極右政党」の移民に対する差別発言が人権侵害に当たると法的に問題になり、既成政党が「一切極右とは連携しない」という協定を結ぶなど、その台頭の阻止に努めた。そのため、現在ほど政権に肉薄ないし政権を奪取するほどの勢力にはならなかったのである。

もし以上の「極右」を「旧世代のポピュリズム」と呼ぶなら、現在、西欧の至るところで台頭しているのは「新世代のポピュリズム」である。フランスでは、マリーヌ・ルペンが率いる「国民戦線」、ベルギーであれば新フランデレン同盟(N-VA)等が挙がるだろう。

特に新世代ポピュリズム政党が現在掲げる争点は主に移民問題と経済・財政問題である。立ち位置や表現は各国で幅があるが、その背景には、リーマン・ショック以降長く続いた経済危機とイスラム国によるテロがある。すなわち機に乗じて、「人権の大陸」であった西欧で安全保障の危機を移民の問題と読み替え、さらに左派勢力がかつての「福祉国家モデル」を打ち出せずに硬直化するなかで、緊縮政策を打ち出せる「戦略的柔軟性」が大きい(松尾2017)。

そもそも現状に不満を抱いた有権者の投票行動は、政党のキャンペーンに大きく左右されやすいと言われている。今西欧は、多発するテロの脅威と経済危機という直接的な社会・政治不安によって先が見えない状況にある。ベルギーの政治学者マーク・ホーハらによれば、このような状況において人びとの投票の決定は「現実よりも感覚が重要」になる。この中でポピュリズム政党は「感覚」に訴える争点を見いだし、次々と「感覚」に訴える言葉を繰り出していった。

しかしながら、今年3月のオランダの総選挙では、ヘールト・ウィルデルスを党首とする自由党が勝利するのではないかとの見込みもあったが、ルッテ前政権率いる自由民主党が勝利し、第2党に留まった。ルッテ首相は「英国のEU離脱、米国の大統領選と続いてきた悪いポピュリズムの終わりだ」と述べた。この数年欧州政治に影響してきた新世代ポピュリズム勢力は失速しつつあるのだろうか。

新世代ポピュリズムに対する支持低下?

オランダの隣国ベルギーを例にすると、前回(2014年5月)選挙時に32%の得票率で圧勝し連立与党に加わったポピュリズム政党N-VAは、2017年4月の世論調査で26.3%へと低下している。同様の傾向は、排外主義を掲げ、ベルギーにおける典型的なポピュリスト政党として扱われているフラームス・ベラングにおいても見られ、テロの後は排外主義的な言説が支持され13.9%と率を上げたが、現在は7.8%(2017年4月)に落としている。

西欧全体でも、いわゆる右派ポピュリスト政党に対する支持は低下しているといわれる。ご関心のある向きはFACEBOOKで調べていただければお分かりになるだろうが、例えば、ドイツのメディアによる調査にもとづいて、欧州議員かつイギリスとの離脱交渉委員の一人であるベルギーの元首相ヒー・ヴェルホフスタットは「朗報」と銘打って、「トランプ現象」以降、EU加盟国全体ではポピュリズム政党に対する支持が2ポイント落ちているとSNSで発信している。フランス大統領選も、まだ予断を許さないが、ルペン候補は第一位通過ではなかった。メディアの予想を大きくはずさなかった。第一報では、マクロン候補の優勢が伝えられている。

では、オランダを始めとするポピュリズムに対する支持の低下は継続的、一層進むとみていいだろうか。ルペン氏が大統領に選出されることはないのだろうか。現状では、その判断はやや時期尚早のように思う。というのも、新世代ポピュリズム政党の支持の源泉である不安や不満を引き起こしている経済(雇用や格差)問題や安全保障上の問題が解消されたとは言い切れないからである。

また、先日のオランダにおける自由党は「第一党ではなかった」というだけで、今なお第2党の地位にあり、しかも勝利した自由民主党は、ウィルデルスの主張の一部を受け入れて反移民政策を打ち出している。このように「既成政党の政策がポピュリズム政党に近づいていく」ことはしばしば指摘されるが、そうなればむしろ国全体がポピュリズムへ傾倒しているように映る。影響力は否めない。

今ヨーロッパはまるで道に迷って悩む迷子のようである。今後の展望にもかかわることなので、紙幅の制限はあるが、次節では、この点をもう少し歴史的、マクロに議論したい。

迷子のヨーロッパ

わずか世界の面積の三%ほどの小さなヨーロッパ(2017年4月時点の現EU加盟国の面積。イギリス含む)は、20年ほど前までは私たちにとって憧れの地だった。特に英仏を始めとする西欧諸国はデモクラシーの発祥の地であり、お手本だった。また第二次世界大戦の惨禍から復興して経済を立て直し、しかもむきだしの資本主義に流されることなく、福祉国家体制を確立してきた。同時に仏独の対立を超越すべく、欧州統合という未曽有の大実験を成功裏に進めてきた。他の多くの地域や国が西欧に倣った。

しかし、サブプライム・ローンの破綻に引き続き、ギリシアに端を発する財政危機。シリアから到来する数多くの難民。それらの対応をめぐる各国の足並みの乱れ。そのなかでドイツが圧倒的に存在感を強め、東に行けば、ウクライナ周辺で、そしてシリアをめぐる攻防のなかで、ロシアの単独行動が目を引く。またフランスやベルギーで多発した自爆テロ事件は、「多文化の共存」というヨーロッパ社会の矜持を揺るがしている。

こうしたなかでイギリスは欧州連合からの離脱を決断し、フランスを始めとする他の西欧諸国では反移民や反EU、自国中心主義を掲げる勢力が一定の支持を集めてきた。ドイツ、フランス、ロシア、イギリス……。第二次世界大戦後、「和解」を旗印に共に歩んできたヨーロッパが大きく方向転換しているように映る。論壇の声も様々で、「もうEUは瓦解する」(E.トッド)という論調が巷にあふれ、他方で「たとえイギリスが離脱したとしても、EUは存続しているではないか」(臼井陽一郎)と反駁するものも登場している。

第二次世界大戦の反省から「和解」の道を歩み始めた西欧諸国だが、その代名詞である福祉国家体制は、冷戦終結後、グローバル化の進展のなかで、邪魔者扱いされるようになっていった。ベルリンの壁崩壊を機に高らかに自由民主主義の勝利が宣言されたが、それは選択肢の喪失をも意味した。私たちは自由主義と民主主義だけが是とされる世界で生きていくことになったのである。

しばらく勝利の歓喜に浸った後、私たちが直面したのは猛烈な、休む間もない経済競争だった。激しい競争にさらされて、次第に私たちは疲れ果ててしまった。疲れたときは誰もが他者への配慮を欠いてしまう。「自分が勝つこと」だけに執着する。その結果、国を勝利に導ける強いリーダーが支持されるようになってきた。これが今の西欧である。フランス大統領選の第一回投票を見ても、「反グローバリズム」を掲げる勢力はルペンだけではなく、それらの得票率を加算すれば50%に近くなるという分析も流れて始めている。今の欧州は、あたかも道に迷った迷子のように、道に迷って心細くなりながら、はたと立ち止まって歩んできた道を振り返り、「どこで曲がったか」と、自分の立ち位置を判断しようとしているときのようだ。

この競争一辺倒の、そして「形骸化していても民主主義であれば正しい」とする閉塞感を打破しない限り、ポピュリズム政党に対する支持の低下は一時的と見るべきだろう。では、私たちはどうすべきだろうか。

展望――堕落した民主主義と闘うのは有権者

人びとは競争の中で疲れている。さらに今なお様々な内外の脅威にさらされている。誰もが自分の身を守ることに必至だ。だからマリーヌ・ルペンが大統領になる可能性は最後まで否定できないし、たとえ負けても「感染」力を持ちうるだろうし、批判者としての存在意義は残る。

テロや財政危機、その再建策としての緊縮財政政策が余儀なくされているなかで、脅威の中で有権者に「感覚」に左右されることなく確固たる政治的態度を採れということ自体、酷かもしれない。しかし、不満と不安のなかで「感覚」に押し流される限り――離脱を問う国民投票直後のイギリス国民や、トランプ大統領が決まった後のアメリカ国民のように――思わぬ結果が出て、国民自身が驚き、後悔することも起こるだろう。 

実はベルギーなど西欧の小国では、しばしばポピュリズム政党の「成功の犠牲」論が言われる。これは、ポピュリズム政党がいずれもある程度の支持を得ると、政策決定に関与するようになり、従来掲げてきた単一争点を留保せざるをえないため支持を失うことが多く、失速する現象を指す。先のベルギーのN-VAの失速も、この現象の一端として把握できるかもしれない。

つまり、たとえポピュリズム政党が政治的に影響力をもったとしても、次のカードを切れるのもまた有権者なのである。たとえいったんポピュリズム政党が政権に食い込んでもまっとうな政治の担い手たりうるか判断したうえで、「成功の犠牲」に追い込むことができる。

新自由主義的競争にさらされ続けてきた私たちが、どこまで走っても先行きが見えず、疲れ果てて不安になり「自分が一番大切」という気持ちに押しつぶされることも時には仕方あるまい。しかし安易な言葉に泳がされて不安を助長する時代を作るのか、それともこの不安定な時代を止めようとするのか。水島治郎はデモクラシーとポピュリズムの関係について「影のようについてくる」と引用していたが、そうであれば、最後の選択は有権者に委ねられているということになるだろう。試されているのは私たちだ。重要な試金石が目の前にある。

「…こんにちの民主主義にとっての脅威は、民主主義的な理想を体系的に否定する包括的なイデオロギーではない。脅威はポピュリズム――民主主義の最高次の理想(「人民に統治させよ!」)の履行を約束する、民主主義の堕落した形態――である」(ミュラー2017,9)。この堕落した民主主義を是としてはなるまい。(2017年4月25日記)

追記 フランス大統領選(決選投票)の結果については本稿で考慮できなかったので、次号で改めて考察の機会をいただきたい。

参考文献(主要なもの)

・中谷義和(2017)「ポピュリズムの政治空間」、中谷義和・川村仁子・高橋進・松下冽編『ポピュリズムのグローバル化を問う 揺らぐ民主主義のゆくえ』、法律文化社。

・松尾秀哉(2017b)「多極共存の国ベルギーの『苦悩』とポピュリズム」、日本国際問題研究所『国際問題』、No.660, 2017年4月号、36-43ページ。

・水島治郎(2016)『ポピュリズムとは何か 民衆主義の敵か、改革の希望か』、中公新書。

・ミュラー、ヤン=ヴェルナー、板橋拓己訳(2017)『ポピュリズムとは何か』、岩波。

まつお・ひでや

1965年愛知県生まれ。一橋大学社会学部卒業後、東邦ガス(株)、(株)東海メディカルプロダクツ勤務を経て、2007年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。聖学院大学政治経済学部准教授などを経て、14年より北海学園大学法学部教授。専門は比較政治、西欧政治史。著書に『物語 ベルギーの歴史』(中公新書)など。

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