最低賃金制度と闘いの変遷史
元連合大阪副会長・大阪府最賃審議会委員
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論 壇

最低賃金制度と闘いの変遷史

「生活保護を上回る」最低賃金へ―民主党の功績

元連合大阪副会長・大阪府最賃審議会委員 要 宏輝


はじめに

1.最低賃金制度とは何か

(1)最低賃金法 (3)地域別最低賃 

(2)最低賃金制度 (4)産業別最低賃金(特定最低賃金)

2.最低賃金決定の歴史

(1)前史

(2)「59年法」の時代(1959~1968年):業者間協定を中心とした最低賃金決定

(3)「68年法」の時代(1968~2008年):審議会方式による最低賃金決定の普及拡大

(4)「07年法」の時代(2008~):生活保護との乖離解消にむけての最低賃金決定

3.最低賃金の決定の仕組みと最賃審議の実務

(1)委員の仕事は「法律を作ること」

(2)1978~2006年:「第4表=目安」に緊縛された最賃審議

(3)2007年~現在:「生活保護水準=目安」に基づく最賃審議

(4)専門部会の制約と限界

(5)「夏の陣」=地域別最低賃金と「秋の陣」=産業別最低賃金(特定最低賃金)


はじめに

最低賃金(最賃)制度の発足当初、最低賃金(最賃)の適用対象者は家計補助労働、つまり主婦パートや学生アルバイトだったが、90年代以降の不況で雇用構造が一変、正社員から派遣や有期契約への置き替えが急速に進み、働く人の三分の一が非正規に代わり、一家の大黒柱や新卒者までも最賃水準で働く。格差が社会問題化し、最賃の底上げが求められるようになった。2007年、抜本改正された最低賃金法は「生活保護との整合性に配慮する」と明記。2010年には民主党政権下で、「早期に全国最低額を800円とし、20年までに平均で1000円を目指す」と労使代表が合意した。政権の政策意思、法規制で文字どおり「桁違い」の最賃引き上げが2007年以降、実現している。社会問題化している格差の是正に最賃が威力を発揮することは望ましい。一方で、20年までに最賃1000円の目標達成はおぼつかなく、国際水準(先進国は1000円以上)からはまだまだ低い。

1.最低賃金制度とは何か

(1)最低賃金法

最低賃金法は、「賃金の最低額を保障することにより、労働条件の改善を図り、もって、労働者の生活の安定、労働力の質的向上及び事業の公正な競争の確保に資するとともに、国民経済の健全な発展の寄与することを目的」(第1条)として1959年に制定された。当時、最低賃金の決定方式は、業者間協定方式(9条、10条方式)、労働協約方式(11条方式)、最低賃金審議会方式(16条方式)の三つだったが、ILO26号条約違反の回避と最賃の適用対象を拡大するための1968年改正(第9・10条廃止)、2007年改正(「生活保護との整合性に配慮」等を盛り込む)を経て、最低賃金審議会方式(16条方式)のみとなった。

(2)最低賃金制度

最低賃金制度は最低賃金法に基づき、国が賃金の最低限度額を定め、使用者はその最低限度額以上の賃金を支払わなければならない制度で、労働者保護の見地から、当事者間の自由な交渉賃金を一定水準以上に保つための法的強制力(罰金)を伴う下限規制である。現行の最低賃金は、地域別最低賃金=地域最賃と産業別最低賃金(特定最低賃金)=産別最賃の2種類が定められている。前者はナショナルミニマムの実現、後者は団体交渉のないところの労使交渉の補完のためとされる。

地域別最低賃金がナショナルミニマムを目指すというなら都道府県別の設定は細分化がすぎる。アメリカの一つの州程度の面積の日本では全国一律最賃制も否定すべきでない。また地域最賃を上回る産業最賃はもはや最低賃金ではなく、一種の「標準賃金」ではないか。同一産業内の公正競争を担保するためという割には、これまた都道府県別に細分化されている。川一つ、山一つ隔てて、その最賃額が違う。このような「二層制」は、最賃法1条(…賃金の最低額を保障することにより…)に違反するとする使用者側の主張、そして「産別最賃廃止論」に与する学者も存在する。

(3)地域別最低賃金

地域別最低賃金の決定基準は「労働者が健康で文化的な最低限度の生活を営むことができるよう、生活保護に係る施策との整合性に配慮」(第9条の3)するものとし、「地域における労働者の生計費及び賃金並びに通常の事業の賃金支払能力を考慮して定めなければならない」(第9条の2)とされており、パートタイマー・アルバイトなどの区別なく、都道府県内のすべての使用者及び労働者(適用労働者約5000万人)に適用され、派遣労働者は派遣先の地域別最低賃金が適用される。ただし、精神・身体障害者、試用期間中の者など、一部の労働者については、都道府県労働局長の許可を受けることで個別に最低賃金を減額する特例が認められている。

最低賃金の対象となる賃金は、毎月支払われる基本的な賃金に限られ、臨時に支払われる賃金、賞与など1か月を超える期間ごとに支払われる賃金、残業・休日・深夜手当、精皆勤手当、通勤手当、家族手当は対象から除外される。

地域別最低賃金と産業別最低賃金(特定最低賃金)の両方が適用される場合は、金額の高い方が適用されることとなり、地域別最低賃金を下回った場合は罰金50万円、産業別最低賃金を下回った場合は罰金30万円(労基法24条違反)が科される。

(4)産業別最低賃金(特定最低賃金)

また最低賃金法では産業別に最低賃金を定める特定最低賃金制度が設けられている。産業別最低賃金(産別最賃)とも呼ばれる。対象は基幹的労働者。地域別最低賃金がたとえば70歳以上の高齢者にも適用されるのに対し、産別最賃は15~65歳までの労働者が対象とされる。産別最賃があるのは、2010年10月現在、全国で250件(適用労働者数約400万人)。このうち、249件は各都道府県の特定の産業に設けられているが、残る1件の全国非金属鉱業では全国単位で最低賃金を定めており、唯一、真の産別最賃の事例だ。

産別最賃は特定の産業に対し、関係労使もしくはその一方が公正競争確保のために申し出て、地域別最低賃金より高い額の最低賃金を定める必要性があると認められると設定されることになっている。その必要性要件は「地域最賃との格差の存在」であるが、2007年以降の地域最賃の大幅な引き上げにより、著しく接近して「格差なし」の状況をきたし、「2011特定(産業別)最低賃金審議状況一覧」(連合労働条件局)をみると、廃止:3件、改定申出なし(できず):31件、据え置き:4件と驚くべき事態となっている。使用者側の産業別最低賃金(特定最低賃金)の廃止論が勢いを増しかねない、危機的状況だ。

2.最低賃金決定の歴史

(1)前史

1919年(大正8年)大日本労働総同盟8回大会で最低賃金制の確立が運動方針化され、翌年第一回メーデーで初めて要求に。・・・1947年労働基準法(28~31条)によって最低賃金委員会の設立の道が開かれ、1950年、中央賃金審議会(中賃)設置。1957年、中賃は最低賃金決定に関して①業者間協定、②その地域拡張、③労働協約の地域拡張、④審議会による決定の四方式とする答申をした。1959年、中賃答申の①=9条、②=10条、③=11条、④=16条を法文化した最低賃金法が成立。

(2)「59年法」の時代(1959~1968年):業者間協定を中心とした最低賃金決定(9・10条)

業者間協定を中心とした「59年法」は、最低賃金の決定について労使が等しく関与することを求めたILO26号条約(最低賃金決定制度の創設に関する条約、1971.4.29批准)に適合していないという問題を抱えており、適用拡大に限界があった。労使同数・同権の要件を欠落させた「ニセ最賃」としての批判も強かったが、ILO26号条約抵触問題は、次の「68年法」によって解消される。

(3)「68年法」の時代(1968~2008年):審議会方式による最低賃金の普及拡大

1)労働協約に基づく最低賃金(いわゆる労働協約拡張方式、旧11条)と審議会方式による最低賃金決定(いわゆる審議会方式、旧16条)の二本建てとなった。労働組合は全国全産業一律最低賃金制度の制定を求めたので、「68年法」の付帯決議のなかには、同制度の結論を出すように政府は努力すべきであると書き込まれた。これに対応して1970年、「今後における最賃制度のあり方について」という答申がなされ、労働省は、この70年答申に基づいて「最低賃金の年次推進計画」を策定、5カ年をへて、宮城県最低賃金の決定・公示(1976年1月)をもって、すべての都道府県に地域別最低賃金が設定されることとなった。

2)1977年、「1978年度より毎年、47都道府県をいくつかのランクに分け、最低賃金額の改定について目安を作成し、これを地方最低賃金審議会に提示する」との答申がなされ、翌1978年から、いわゆる「目安」制度がスタートとした。爾来、2006年までの推移をみる限り、全国的な最低賃金の格差は縮小し、最低賃金の水準が平準化されてきたとされる。しかし、実態は生活保護水準以下の「低位平準化」であった。

3)なぜ、実効性のある最低賃金にならなかったのか。実際の地域別最低賃金の決定は、中央最低賃金審議会(中賃)の「目安」によって規定され、地方最低賃金審議会(地賃)の自主性発揮を縛ってきた。その「目安」は第4表「一般労働者及びパートタイム労働者の賃金上昇率」<*>によって決められてきた。

<*>第4表「一般労働者及びパートタイム労働者の賃金上昇率」の調査対象は30人未満の、僅かに4000の小規模事業所、春闘後の6月度賃金が対前年比で何%上がったかを調査、7月初め、結果発表といった手順で毎年行われてきた。賃金格差の大きなわが国では、低賃金層の類似労働者として中小・零細企業の賃金改定状況が重要な参考資料となっているためである。この間の審議において労使の意見が一致しない状態が続いているなかで、出されてきた目安の公益見解は第4表の引上げ幅で決定されてきた。この第4表の問題点は、正規労働者とパートなどの非正規労働者を一緒くたに集計した数値で、賃金を上げなくて済む部分と上げなくてはどうにも生活が維持できない部分が一緒くたにされていることである。

「目安は、各府県の『低賃金層の平均状態』を前提とし、全国的な整合性を配慮して描かれた最賃水準を示すものである。したがって、目安は地賃の審議決定を拘束するものではない」(1977年3月29日中賃報告「了解事項」)とされてきた。

中賃目安の問題点をあげれば、①目安は、各府県の「低賃金層の平均状態」<*>を前提にした水準であるため、きわめて低い水準であること。生計費要因を充足し、組織労働者の賃上げ状況を参考にした水準とは言いがたい。

<*>大阪労働局では、毎年実施する「最低賃金に関する実態調査」の、事業所規模100人未満の、時間当たり賃金の第一・20分位~第一・10分位の数値で代替していた。現行最賃額の対「第一・20分位比率」は毎年、95%前後で推移していた。つまり比率が100%に近づけば引き上げは抑制されるので、最賃額は第一・20分位の実態賃金の水準を超えることはなかった。

目安は、「地賃の審議決定を拘束するものではない」といいながらも、長年にわたり、結果として拘束してきた。大阪では目安制度発足以来の1999年までの21年間、「目安上積み」はなく、地賃の自主性発揮はみられなかった。③目安制度の趣旨に反し、公労使の一致(合意)による目安提示は制度発足当初のわずか2回(78・80年)あるのみで、81年以降、目安は、変則的な「公益委員見解」として出されてきた。

また、日本の最低賃金法の規定にも問題点がある。最低賃金の決定三要素<*>として「最低賃金は、労働者の生計費、類似労働者の賃金及び通常の事業の賃金支払能力<*>を考慮して定められなければならない」としているが、日本の最賃の決定基準はグローバル・スタンダードに合致しておらず、開発途上国のレベルである。

<*>ILO「最低賃金に関する総合調査報告書」(1992)をみると、最低賃金の決定(改訂)の基準としては、①労働者のニーズ(を満たすのに必要な所得=生計費)、②比較可能な類似労働者の賃金、③使用者の支払い能力、④経済発展の必要性、の四つである。④の基準は、最低賃金をマクロ経済政策の主要な手段として考える国において用いられる。各決定基準の重要度、解釈に関わる議論を調整しながら最低賃金が決定されている。

日本の場合は、131号条約(開発途上にある国を特に考慮した最低賃金決定に関する条約、1971.4.29批准)に掲げられている決定基準に拠っているとされるが、131号条約では、①労働者世帯(単身者ではない)の賃金の一般的水準、②その生計費、③社会保障給付、④他の社会的集団の生活水準などを考慮すべきとしている。ILO26号条約・30号勧告、99号条約・89号勧告では、最賃決定基準として、第一に生計費原則を優先的に強調し、次いで類似の労働者(組織十分にしてかつ有効なる団体協約の締結せられたる組織労働者)の賃金水準としている。日本の最賃法のいう「支払能力規定」はない。当局が「支払能力」基準を規定することはまれであり、最低賃金の支払能力を推定する手段として、現行最低賃金の遵守状況(注:未満率、違反率など)が用いられる。

<*>「通常の事業」とは赤字経営で倒産しそうな事業でなく、普通の企業のこと。「通常の事業の支払い能力」を量るものとして労働局が用意するものは、①現行最低賃金を下回る「未満率」、②工業指数・大型小売店販売額、③賃上げ凍結企業の割合(大阪市信用金庫調べ)、④企業倒産状況、などの数値である。それらの数値は直接かつ十全に支払能力を判定するものではない。筆者は、審議の場で、支払能力に対応できない「最高賃金」ならいざ知らず、「支払能力のない最低賃金」など言い訳にもならない、言語矛盾・形容矛盾であると反駁し、電気・水道代などと同じように支払えないなら、その企業は市場から退場してもらうしかないと一蹴してきた。

4)一般賃金水準に比較して、地域別最低賃金水準が相対的に低下した。また年間1800時間労働した場合、パートタイム労働者の課税標準額を下回り、70歳単身高齢者の生活保護基準並みである(95年全員協議会労働側提出文書)。地域別最低賃金水準は、一般賃金の36%、パートの時給の75%水準(2001年)で、きわめて低い水準で推移している。

2002年の「目安に関する公益委員見解」は、目安制度のあり方と併せて地域別最低賃金の金額水準のあり方を含めた検討に着手すべきであると提起した。デフレのなかで目安制度が機能しなくなり、2002年の「ゼロ改定」を契機に、連合は最賃改定の取り組みを「上げ幅」論から「あるべき水準」論へ切り換え、新たな最賃闘争をスタートさせていくとした。

(4)「07年法」の時代(2007年~):生活保護との乖離解消に向けての最低賃金決定

1)最賃制とは、一定の賃金以下で雇用することを法律によって禁止する制度

最賃制の具体的形態としては、①最賃を法で定める方式(国会方式)、②最賃を三者構成の審議会で決め、厚生労働大臣が認可、公布する方式(審議会方式)、③労働協約で決められた企業内最賃を未組織労働者にまで、法(最賃法11条、労組法17・18条)によって保障する方式(労働協約の一般的拡張方式)の3つがあるが、周知のように広く行われているのは②の審議会方式である。

2)画期としての2007年

2007年5月、通常国会で最低賃金法の改正案の審議が始まり、法改正の主なポイントは、①地域最賃の決定基準に生活保護との整合性を加える、②障害者等については減額率を定めて適用する、③最賃違反の罰則を2万円以下から50万円以下に改定する、④派遣労働者は派遣元でなく派遣先地域の最賃を適用する、等である。最低賃金見直しは、産業別最賃廃止を念頭においた2003年の閣議決定が出発点であったが、法改正案は低賃金労働者の増大のなかでセーフティネットとしての地域最賃の機能向上を眼目としたもの、はからずも産別最賃も残されることとなった。この法案は同年秋の臨時国会以降の審議(そして改正決定)となったが、現実の中賃目安をめぐる動きは、7月の参院選の思惑もあって予想外の展開となった。

7月13日、中賃(中央最賃審議会)の今年の初会合が開かれ、ここで厚生労働省(案)は、従来の方法(第4表の30人未満の賃金引上率を基準とする)とは異なる方法として次の四案を提示した。それは、①正社員などの「一般労働者」が受け取る所定内給与に対する最低賃金の比率(2006年度は37.2%)を過去最高の37.7%か、それを上回る38.2%に引き上げる方法。これによると、13円あるいは23円の最低賃金引き上げとなる。②最低賃金と、高卒初任給の平均の八割、または小規模企業の女性労働者の高卒初任給で最も低い水準との差を縮小する方法。これによると、29円あるいは34円の引き上げとなる。③小規模企業の一般労働者の賃金の中央値の半分にする方法。これによると14円の引き上げとなる。④労働生産性の伸びを今後5年間で1.5倍にする、という政府計画に沿って引き上げる方法。これによると15円の引き上げとなる。・・・というものである(2007年7月14日付日経新聞)。

その後、開催された中賃の目安小委員会では、労働者側委員は時間額50円の引き上げを主張し、使用者側委員は「急激な引き上げは中小企業への影響が大きすぎる」と反論し、ほぼ前年並の5円の引き上げにとどめることを主張した。そして、これまで通り「公労使」合意のないままに、8月10日、公益見解の目安「Aランク19円・・・Dランク6~7円」が提示された。そして、都道府県の地賃の審議でほぼ目安額どおりで改定された。

日本の「格差拡大」は低所得層の所得低下によって引き起こされているといわれる。最低賃金制度の見直しが、新自由主義的改革の「本丸」である経済財政諮問会議(2001年1月発足)の「労働ビッグバン」のなかで提言されたのも皮肉な話だ。参院選のさなかで目安論議が様変わりし、予想外の目安額提示となったが、生活保護との格差解消にはほど遠く、さらに49円(全国平均)の引き上げが必要だった。参院選で勝利した民主党案は、全国一律の最低賃金を800円とし、改定最賃法施行後3年間で地域ごとに上乗せし全国平均で1000円にするべきだと主張していた。以降、最賃審議が大きく様変わりする。

3)2008年~

最賃審議は2007年から様変わりし、「07年法」が2008年7月1日に施行された。…2000年代以降のデフレ状況において最低賃金の水準が据え置かれ、さらには引き下げが議論される状況になった。第4表の「低い」賃金上昇率が目安とされ、水準そのものについて議論のない最低賃金決定の矛盾が顕在化することとなった。そのため、「07年法」において、安全網としての最低賃金という考え方が確認され、最低賃金の水準に関して、最低賃金と生活保護の整合性<*>に配慮することが盛り込まれた。整合性に配慮するとは「最賃が生活保護を下回ってはならないということ」(厚労大臣答弁)であり、最低賃金が生活保護基準を上回るべきとする政策意図は明らかであった。

そして、「07年法」以降、全国平均で前年比10円超の引き上げが続いた。2011年度は東日本大震災による企業業績悪化が考慮され、7円にとどまった。この時点で、まだ生活保護水準を下回っているのは神奈川、北海道,宮城の3県になっていた。ところが、2012年7月10日、厚生労働省は、2011年度最賃額が2010年度生活保護水準を下回る逆転現象が11都道府県で発生していると発表した(先の3道県に加えて、青森・埼玉・千葉・東京・京都・大阪・兵庫・広島の8都府県)。

最低賃金と比較される生活保護基準は、日常生活費にあたる生活扶助基準額と生活保護受給者の実際の家賃(住宅扶助の実績値)の合計であるが、住宅扶助の実績値と(生活扶助基準に含まれる)冬季加算の実績値が毎年変動するためだ。最低賃金と生活保護水準は「いたちごっこ」の状態だ。

また、最低賃金より、生活保護基準の地域格差が大きいために、生活保護基準に合わせる形で最低賃金の整合性を図れば、最低賃金の地域格差が拡大する。事実、2007年度以降、地域別最低賃金の格差は急激に拡大している。

<*>最賃と整合の対象となる生活保護基準は、①生活扶助基準(1類費(年齢別)+2類費(世帯別)+期末一時扶助費)の級地別人口による加重平均に住宅扶助の実績値を加えたもの。②生活扶助基準(1類費(年齢別)+2類費(世帯別)+期末一時扶助費)は12~19歳の単身世帯である。③生活扶助基準は冬季加算を含めて算出。

3. 最低賃金の決定の仕組みと最賃審議の実務

(1)委員の仕事は「法律を作ること」

実際の最低賃金額の決定までの手順は、中央最賃審議会(中賃)で全国をA、B、C、Dの4ランクに区分し、それぞれの「引き上げ目安額」を示し、地方最賃審議会(地賃)はこれを参考に答申する方法によっていた。地賃は公益、使用者代表、労働者代表の各5名(大阪6名)、計15名(大阪18名)の委員で構成されている。法律では「使用者、労働者委員ともに推薦により」とあるが、実際は業界団体の専務とか、産別組合の書記長で、年度が変わり、人が変わっても、次もその職にあるものが委員となる、いわゆる「指定席」だ。公益委員の選定は当局によってなされる。が、特定の企業や産業に利害関係を有しないことが求められる。会長は大学教授のケースが多い。筆者の関わった、大阪の地賃会長も大学の経済学の教授だった。その会長の口癖が、「委員の皆さんは、法律を作る仕事をなさっているのだから」。つまりはお上(厚労省)の範疇を逸脱しないよう、釘をさしていたのだ。罰則を伴う最賃額を作る審議が準立法行為という意味ではまさに「法律を作る」仕事と言えなくもない。

(2)1978~2006年:「第4表=目安」に緊縛された最賃審議

この時代の最賃審議は1円~2円単位の攻防で、「労多くして益少なし」だった。最低賃金が賃金そのものではなくて、賃金決定上の下限規制であることからすれば、1円刻みの決定は奇異である(パートの募集広告を見ても明らかなように、時間給ならば5円、10円刻みであろう)。近年、提示された目安で、特徴的なものは、2001年:史上最低の38円(日額)/2002年:史上初の「提示なし」(据え置き)/2003年:史上初のゼロ円(据え置き)。その他の年はプラスの額表示であるが、その金額は年によって異なっている。

地賃で目安内容の適否をめぐり、使用者委員(使側)と労働者委員(労側)の両者で激しい議論が始まる。たとえば使側は目安額どおりの意向を主張し、デフレ最悪期の2002~2004年にあっては、最賃の据え置きにとどまらず、引き下げを主張し(最賃の引き下げはILO131号条約違反であるが)、労側は「目安プラス○円」を主張する。両者並行して審議がストップすることもままある。しかし、「たかが一円」「所詮は他人=未組織労働者の賃金」と思ってしまえば負け。使側の委員が経営者や業界団体の「団体屋さん」であれば帰属する団体の立場もあってその姿勢が強硬だ。資料や指数にもとづく議論から、最後はメンツの争いになってしまう。

最賃の改定申出は労働団体が行うのが常だから、最賃専門部会の審議は「公・労会議」から始まり、次いで「公・使会議」の順で行われ、部会長(公益委員)が労・使の見解・主張の聞き取りを行う。労・使の差が埋まれば、部会長の仲裁で「全会一致」を図り、仲裁が不調になれば採決、「労働者側反対」か「使用者側反対」で答申内容が決定される。その後は事務局が答申から公示、発効に至る手続きに入る。

産業別最低賃金(特定最低賃金)の改定は地域別最低賃金以上に「労使合意」が追求される。結果、地域別最低賃金の採決以上に「全会一致」が増える。

(3)2007年~現在:「生活保護水準=目安」に基づく最賃審議

前年度2006年の改定で、各種指標が「ダントツ」で超Aランクとされてきた東京の地域最賃が大幅に見直され、実に55円も引き上げられた(大阪は4円の引き上げ)。

2007年の中賃「目安小委員会」では、労働者委員は時間額50円の引き上げを主張し、使用者委員は「急激な引き上げは中小企業への影響が大きすぎる」と反論し、ほぼ前年並の5円の引き上げにとどめることを主張した。そして、これまで通り「公労使」合意のないままに、8月10日、公益見解の目安「Aランク19円・・・Dランク6~7円」が提示された。そして、2007年度の引き上げ額は全国加重平均で14円と大きく上昇した。「第4表」から離れ、「桁違い」の目安提示が行われたこと、そして引き上げ額が二桁の大台に乗ったことは、これも「史上初」の出来事だ。「第4表」に立脚すれば概ね5円となるところだった。

2008年目安の上げ幅は「Aランクで15円・・・Dランク7円」、そして引き上げ額は全国加重平均で16円だった。

最賃審議会の調査審議の有様が一変した。目安は、長年にわたって緊縛されてきた「第四表」の賃金引き上げ率から離れ、目安額決定は生活保護水準との開差にシフトした。「第4表」の賃金引き上げ率は芳しくなかった(2008年0.8%、リーマンショック後の2009年-0.2%、2010年-0.1%、2011年0%)が、目安決定の基調は維持されたので、新しい地域別最低賃金を決定する専門部会、審議会の採決では、「使用者側全員反対(●印)」「使用者側一部反対(☆印)」がC・Dランクの県を中心に急増した(47都道府県のうち23、2011年)。それにしても、審議会はかくも当局の政策意思(2007年「成長力底上げ戦略推進会議」<*>)や法規制(「07年法」)に左右されるものか、改めて驚く。この最低賃金法の改正は、数少ない民主党政権の功績のなかでも白眉の「功」である。

<*>財界代表ではあるが、伊藤忠商事丹羽会長曰く、「最低賃金が労働者の生活安定を保障する最低限の賃金水準を意味するのであれば、算定根拠は労働者の生計費に絞るのが筋ではないか。事業主の支払能力に配慮して決定するということであれば、最低生活水準以下の生活を労働者に強いることになる」。誠に至言である。2007年の中賃審議の時点では最賃法の改正に至っていなかったが、柳沢厚生労働大臣(当時)は、生活保護との整合性を図るとした事実認識に立って審議するよう、中賃に強く要請し、その方針に沿って金額も決定された。

(4)専門部会の制約と限界

労使委員が丁々発止、しのぎを削る地域別最低賃金専門部会・産業別最低賃金専門部会の開催日程は三日、予備日1~2日を入れても最大5日(5回)しかない。予算で運営されており、すべての専門部会が予備日を使えば、委員手当の支払いで予算オーバーになってしまう。それ以上に懸念されるのは発行日がずれ込み、適用労働者が不利益をこうむることだ。それらの制約で最賃審議は「無制限一本勝負」ではない。最終的には採決で決せられ、公益が労・使のいずれかに同調し、採決が「公・労賛成」か「公・使賛成」かで、決せられる。

調査審議の時間的な限界等は、関係労使委員の運用参与の手続きのなかで克服するしかない。労働側委員メンバーには賃金論や統計活用の専門家が最低一人は必要だ。(労働委員会でも同じだが)ノンポリ委員・名誉職委員だけでは、学者・弁護士などの公益委員や事務局には太刀打ちできず、「先生」「先生」と言われながらも、その実は軽くあしらわれている。運用参与の場は、関係労使の申し立て(16条の4)、関係労使の専門部会の設置(25条1・2)、関係労使の意見聴取(25条5)、関係労使の異議申出・意見提出(11条)などがある。

とりわけ、産別最賃専門部会では「労使合意」が優先要件とされるので、当該産業の労使委員が審議の場以外でも合意形成にむけた調整を行うことが肝要だ。

調査審議の問題点は予算や時間だけではない。公益委員のなかには「中立・公正」を著しく欠き、強権的な審議指揮を行う「不都合」な会長や専門部会長が居るケースもある。労働委員会では労働側委員が「×印」を記して不信任できる((労働組合法第19条3項「公益委員は使用者委員及び労働者委員の同意を得て、都道府県知事が任命する」)が、最賃審議会では不信任手続きはないので、労働局長に強く抗議申入れしておけば、「不信任」の公益委員を再任用しない形で事実上の更迭が行われる。

(5)「夏の陣」=地域別最低賃金と「秋の陣」=産業別最低賃金(特定最低賃金)

7月上旬、中賃目安の「公益見解」の提示を受け、各都道府県労働局長の地賃への諮問がなされる。この諮問をスタートに10月1日発効に向けての地域最賃の決定の手続きは「夏の陣」といわれるが、その実質審議は7~8月上旬の間、ホットでタイトな期間である。審議・採決(専門部会⇒総会)を経て、8月上旬に労働局長へ答申、答申要旨の公示、異議の申出、総会での決定、決定の公示、そして10月1日発効(大阪は9月末発効)。

地域最賃の答申が出た直後から、産別最賃の「秋の陣」が始まる。大阪の場合は、9つの産別最賃を3グループに分け、8月上旬から9月末にかけてグループ別に調査審議し、答申を決定し、10月末と11月末の発効日を目指す。

<参考文献>

・厚生労働省労働基準局賃金時間課編「最低賃金決定要覧」(暦年、労働調査会)

・中央最賃審議会「海外視察結果報告」(1995年)

・吉村励著「最低賃金制読本」(1978年、日本評論社)

・要宏輝著「正義の労働運動ふたたび」(2007年、アットワークス)

・石田光男/願興寺晧之編「講座現代の社会政策3 労働市場・労使関係・労働法」(2009年、明石書店)

・最低賃金を引上げる会「最低賃金で1か月暮らしてみました」(2009年、亜紀書房)

・駒村康平編「最低所得保障」(2010年、岩波書店)

・埋橋孝文・連合総合生活開発研究所編「参加と連帯のセーフティネット」(2010年、ミネルヴァ書房)


かなめ・ひろあき

1944年香川県生まれ。横浜市立大学卒業。総評全国金属労組大阪地方本部に入り、91年書記長、金属機械労組大阪地本書記長から99年連合大阪専従副会長。93~03年大阪地方最賃審議会委員。99年~08年大阪府労働委員会労働者委員。著書に『倒産労働運動―大失業時代の生き方、闘い方』(柘植書房)、『大阪社会労働運動史第6巻』(共著・有斐閣)、『正義の労働運動ふたたび』(アットワークス)。