若者と希望
大学非常勤講師
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最終更新日 2014/05/01

最新号・目次

若者と希望

問うべきは〈核災〉と〈いのち〉の選別

大学非常勤講師 米田 祐介

女はそうやって産み

産みつづけてきたのに その産道は

ついに原子力発電所までつづいていたのか

         (高良留美子「産む」より)


巨大な、あまりにも巨大な東日本大震災発生後、被災地には、いやぼくらの国には二つの線がひかれた。一つは、津波が到達した土地と、到達しなかった土地を仕切る線。もう一つは、原発事故によって拡散した放射性物質が検出される土地と、そうではない土地である。

二つ目の線は、地図にはない。いわば〈核災社会〉の到来を示す線である。〈核災〉とは、〈核爆弾〉と原子力発電いや〈核発電〉は同根であるとする意識から発せられた南相馬市の詩人・若松丈太郎の言葉であり、それは「単なる事故として当事者だけにとどまらないで、空間的にも時間的にも広範囲に影響を及ぼす〈核による構造的な人災〉」として定義される(『福島核災棄民』 コールサック社、2012年)。〈核災〉によってもたらされたこの目に見えない線は、もっといえば、「生きさせるか、死のなかに廃棄するか」(フーコー)の「切れ目」ですらあろう。そしてこの「切れ目」はけっして平等にはひかれない。女性や子ども、老人、そして障害者たちに対して一層苛烈である。

2011年7月9日、『毎日新聞』は「原発悲観 南相馬市の93歳女性 お墓にひなんします」と大きく報じた。あの日、拳を強く握りしめたのはぼくだけではあるまい。小学校5年生の女の子(福島市)は、なぜ叫ばなければならなかったのか。「わたしは、子供産めますか? わたしは、何さいまで生きられますか?」と。

また、いわき市に住むある女性は語る。「朝起きるとね、3月11日以降、朝、手がこんなになってるんです(握った両拳を差し出して見せながら)。グーにして。朝その手を……やっぱり何かしら気にしてるのか、いろいろなこと考えてるので、手をこう、朝、解きほぐすっていうか、そういう感じから、一日がスタートしますね」(岩上安身 『百人百話 第1集』三一書房、2012年)。

いまや、福島では災害関連死が直接死をうわまわったことはぼくらの記憶に新しい。だが他方で、〈収束〉にむかわせるすさまじい勢いが被災地を追いつめている。「がんばろう、東北」「がんばろう、福島」のかけ声はどこへいった。

福島市の詩人・和合亮一はいう。「この震災を経て、私たち日本人にはいくつもの川が生まれた。それは温度差と呼ばれるものであり、露わになった日本の社会の真相そのものである。……川を越えるには橋が必要であろう。しかしこれら頼みたい架橋については、あまり期待できそうにない。こちらから橋を架けるしかないのか。被災地から川の向こうへと、言葉の橋を」(『ふるさとをあきらめない』新潮社、2012年)。3.11以降、和合は被災地から遠くまで、川の向こうのずっと遠くまで詩の礫を放ち続けた。


 放射能が降っています。静かな静かな夜です。

 私たちはここに生まれた。

 福島を私たちが信じなければ、誰が信じる。


*     *     *

もっと聴こう、もっと、もっと。被災地からの怒りと悲しみの言葉を、語りを、沈黙を。福島市に住む30代の女性は語る。「第一原発事故発生の前に生まれた子どものケアはできる。でも内部被曝している私には、胎児のケアはできないから……もう妊娠はあきらめた」。またある20代の女性は吐き捨てる。「なんかさ、私たち、モルモットみたいだよね。……バカにするなって言いたい。私は子どもを産んでやる」(小宮純一「東日本大震災下の子どもと女性(3)」『Sexuality』56 、エイデル研究所、2012年)。

〈核災〉により飛散した放射性物質は、否応なく「無実の場」めがけて襲いかかった。生の側にとどまった福島の女性たちは、産むか否かという苦悩のなかで不安を生きている。周囲の視線にさらされ恐怖を生きている。そして、わずかとはいえ、いわば「切れ目」の極北で人知れず中絶を選んだ女性たちがいた。声をあげることもなく、ただ沈黙が横たわるなかで。


 その産道は/ついに原子力発電所までつづいていたのか


もとより彼女たちの「不安」が「障害児が産まれるから」というものであるのなら、それが倫理的に許容しうる女性の自己決定なのか、という大きな課題がそこにはあるが、だがこれだけは、はっきりと言えるだろう。誰が、何の資格で、女たちの、母たちの悲しみを裁けるのか、と。〈核災〉による放射性物質の拡散は、否応のない暴力でしかない。いまや、〈いのち〉の係留点は、深く、深く、傷つけられた。

こうした事態に追い打ちをかけるかのごとく、2013年4月から「新型出生前診断」なるものが開始された。簡易、安全、99%という言葉が飛びかい、わずか20ccの採血によって「リスク」を回避できるという。チェルノブイリの〈核災〉では、ベラルーシで、約5年後を一つのピークとして、先天異常の赤ちゃんが産まれたということをきいたことがある。ぼくらの国の権力は、「新型」を通じて、何を〈収束〉させるつもりなのか。この開始の時期は偶然か。見えない恐怖を、見えないうちに、見えなくさせようとはしていまいか。いや深読みか。

一方、ウルリッヒ・ベックがいちはやく言葉を放ったように、福島が教えてくれるのは、むしろ、極めて「可能性の低い」出来事でも起こることがあるという基本的な洞察であり、被災当事者のみならず、ぼくらは、まさにリスク社会のただなかにいることを、〈核災〉によって実感させられ、確率的存在(東浩紀)に変えられてしまった。

いまや、リスク回避は至上命題である。こうしたなか、「新型出生前診断」の「99%」は何を幻惑させるだろうか。たんてきに、障害児が産まれてくることは、リスクなのか。いや、そうではあるまい。ぼくらは、〈核災〉と「新型」が「切れ目」の極北でじつは共犯関係にあることを見逃してはならないであろう。「単なる事故として当事者だけにとどまらないで、空間的にも時間的にも広範囲に影響を及ぼす〈核による構造的な人災〉」と若松の定義をひいた所以だ。

いま、かつての、堤愛子の言葉が思い出される。「『障害児』として生れるはずだった子が、胎児診断によって中絶されていくことも、『健常児』として生れるはずだった子が放射能で『障害児』とされていくことも、どちらも『人間の科学技術によって、ありのままの生命を否定している』という点で、共通しているのではないだろうか」(『わいわいがやがや 女たちの反原発』労働教育センター、1989年)。

そうだ、「核技術」という意味では、出生前診断というバイオテクノロジーも〈核発電〉や〈核爆弾〉と同根ではなかろうか。核の影とは、ものみな歴史の影である。繰り返し、なんどでも引こう。


 その産道は/ついに原子力発電所までつづいていたのか


*     *     *

だが他方、ぼくらは知っている。凛々しく乱れた女たち、母たちの闘いを。原発事故後、真っ先に行動したのは、政府でもなければ、東京電力でもない。女/母たちだった。「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」をはじめ、全国に「子どもを守る会」が発足。経産省前で行われた「福島の女たちの座り込み」はまたたくまに「全国の女たちの座り込み」へと発展した。権力は、彼女たちを〈魔女〉の二文字で呼ぶだろうか。いな、ぼくは女/母たちの闘いにこそ、〈希望〉の二文字をみる。

いま、『現代の理論』が再刊するという。震災後、いちはやく余震が続くなか緊急特集をくみ、災害が、女性や子ども、老人、あらゆる周縁に追い込まれている人たちに対して苛烈に襲いかかることを巻頭言で発信したのは、ほかならぬ本誌であったはずだ。女たち、母たちの運動がそうであったように、本誌もまた、核の光が幻の光であったことを白日のもとにさらし続けた。

三度目の3.11を境に、自然の光まぶしく、春のくつ音が鳴り響いている。自然が人工の光に決別を告げている。本誌が自然の光の側から、地図にない「切れ目」を問い続け、凛々しく乱れることを切に祈る。最後に、詩人・大泉その枝の「幻の力」をひきたい。


 今、確証をもって云えることがある

 もうこれ以上

 誰かが犠牲になって創られた光などいらない


まいた・ゆうすけ

1980年青森県生まれ。関東学院大学・東京電機大学非常勤講師。著書に、『歴史知と近代の光景』(共著、社会評論社、2014年)、『日本海沿いの町 直江津往還――文学と近代からみた頸城野』(共著、同、2013年)、『現代文明の哲学的考察』(共著、同、2010年)、『マルクスの構想力――疎外論の射程』(共著、同、2010年)がある。