この一冊

『我が家に来た脱走兵~一九六八年のある日から』(小山帥人著/東方出版/2020.2/1500円+税)

ベトナム戦争脱走兵の幻想と真実~深い傷を抱えながら

「てにておラジオ」運営・『追伸』同人 津田 正夫

『我が家に来た脱走兵~一九六八年のある日から』

『我が家に来た脱走兵~一九六八年のある日から』(小山師人著/東方出版/2020.2/1500円+税)

『我が家に来た脱走兵~一九六八年のある日から~』(東方出版)は、元NHKカメラマン小山帥人が、ベトナム戦争中の米軍から脱走した若いアメリカ兵をかくまった1968年3月の四日間と、その後48年を経て、彼との再会をはたした劇的ないきさつを、淡々と記したものだ。後輩である僕は、最初は敬意をもって、途中からは衝撃に囚われながら、一気に読んだ。

脱走当時19歳だったアメリカ海軍水兵フィリップ・A・キャリコート(キャル)は、横須賀で停泊中の軍艦から脱走し、ベトナム戦争に反対していた日本の市民団体「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民文化団体連合)に連絡する。小山の家をはじめ各地で転々と匿われ、他の5人の脱走兵たちと北海道で合流して、サスペンス映画さながらにソ連に渡る。さらに逃れたスウェーデンで、平和な居場所と恋人を得て落ち着いたかに見えながら、アメリカの家族との葛藤もあって、その後の人生はさらに苦痛に満ちたものとなっていく。ベトナムに送られた若者たちの<戦争>は、まだ終わっていないとの感が強く漂う。

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NHK大阪で働いていた当時25歳の小山は、信頼する先輩から頼まれて、1968年3月2日から5日まで、母と住む京都の自宅にキャルを預かった。ベ平連とともに脱走兵を助けたジャテック(反戦脱走米兵援助日本技術委員会)からは、「一切メモは取るな」と指示されていたものの、プロのカメラマンだった小山は、メモを取る代わりに本人の同意を得て、16ミリフィルムを回していた。また、お母さん・さよさんが残した小さな日記があった。3月2日の欄に「ヒミツ」と書かれてあり、前日にはカーテンを買い、掃除をし、錦市場などで買い物をしたことも記されていたという。

すき焼きを食べるキャルが映像に写っている。「フォークで肉を突き刺している。母が箸でシラタキを掬いとり、キャルの小鉢に入れている。うしろには石油ストーブがたかれていて、ネコがそばにいる。食事が終わって、キャルは横になり、ネコにマイクを向けて語りかける。“ミャーオ。カメラが回っているよ。君は俳優だぞ。マイクもあるぞ、さあ、なにか言えよ”。そのうち、アルコールが入ったようで、キャルは鉢巻きをして、なにかやるぞというジェスチャーをし、中国語と称して、インチキ言葉を話す。」

「シェークスピアのせりふを朗読したキャルに対して、演劇に関心があると見たぼくの母は、お芝居をしようと提案した。母は戦前から大阪や京都で新劇の女優をしていた。彼女はベトナムの農婦となり、米兵であるキャルに“殺された息子を返せ!”と抗議する演技をした。キャルの胸ぐらをつかまえて激しく揺する母に対して、キャルはとまどった様子で、なんとか母を静止するだけだった。」キャルは“戦場で自分の両脇にいた同僚たちが死傷した”ショックを語った。四日後、キャルは他の人に引き取られた。

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それから47年。2015年1月、小山は龍谷大学の学生らが運営する「町家シネマ」での上映を頼まれ、ベトナム戦争終戦40周年でもあったことから、学生への解説を兼ねてこの映像を見せた。戦争を身近に知らない学生たちの感想も新鮮だが、同席した毎日放送の津村健夫ディレクターが、この映像を使って“キャルの47年”を訪ねるドキュメンタリーを作りたいという話になった。

さまざまなリサーチを重ねて、今はカリフォルニアのサンタクルーズに住んでいるキャルを探し当てて、“会いたい”という手紙を書く。まさに奇跡のようにキャルからの返信が届いて、小山は毎日放送の取材クルーとともにアメリカに行き、6月16日、キャルと会うことができた。

半世紀を経ての感動的な再会の様子を、ぜひ本で読んでほしいが、小山が持参した映像を見ながら、当時の思い出や、反米宣伝に使われたソ連での生活、スウェーデンで出会ったやさしいアンナとの恋と結婚、アメリカへのキャルの帰国のいきさつなどを語りあった。小山が撮った当時の映像も含めたドキュメンタリーは、『映像15・我が家にやってきた脱走兵』として8月30日に放送された(15年度文化庁芸術祭テレビドキュメンタリー部門の最優秀賞)。

しかし、アメリカでの劇的再会とそのドキュメンタリーでは語られなかった、いくつもの重い事実があったと、この本は明かす。例えば、『ディア・ハンター』はじめ何本かのベトナム戦争映画にも描かれているような、帰還兵に特有のアルコールや麻薬への深い依存が、長らくキャルを苦しめていた。また戦争のPTSD(心的外傷後ストレス障害)によって、通常の精神状態とはいえなかったキャルが、使えない銃を持って銀行強盗を引き起こし、15歳の少女に取り押さえられたという事実も、「英雄的脱走兵」という僕のイメージを絶していた。

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本のタイトルからだけだと、脱走兵たちの生死を賭けた決断、劇的で過酷な人生、それらを支えた無数の日本の市民たちの献身などが想像される。これまでに『となりに脱走兵がいた時代』(思想の科学社)をはじめ何冊か似た本もある。しかしこの本の狙いは、主人公の“勇気ある行動”を称えることや、サポーターたちの苦労話ではない。この本は、戦場に送り込まれた平凡な若者の、途方もなく絶望的で破滅的な世界と、危険な脱走兵を受け容れた普通の日本人家族の、日常感覚での交流をありのままに描いている。

そしてもう一つの控えめな主題は、小山が“ベトナム反戦”という大義の中で預かり、当時の同じ若者として共感や友情を前提としつつも、キャルと過ごした中で抱いた“小さな疑問や違和感”を大切にし、「英雄としてのキャル」「被害者としてのキャル」の虚構を少しずつ払い落としていく過程だ。微妙でていねいな対話をへる中で、「等身大のキャルの真実」が、やっと見えてきたことにある。中でも、何より僕が受けた衝撃は、“両脇の戦友が戦闘で死傷した、というのは嘘だった”というキャルの告白だった。

僕も長く報道番組のディレクターとして働いてきて、誰でもカメラを向けられた時に“都合のいい真実”や“テレビ用の美談”を語りがちになるということは、十分承知している。テレビや大衆は、“真実”や“美談”を求めており、撮られる方もそれを演じてみたりするものだ。しかし、キャルは半世紀をへてやっと“あれは嘘だった。お詫びしたい。48年を経て、親友に真実を話せることが嬉しい。自由な気分だ”と告白する。小山もそれを複雑な思いで受け止めつつ、「48年間の疑問や、わだかまりが溶けていった」という場面を、僕は震えるような気持で読んだ。

軍や国家という重い格子から脱走するには、命がけの決断を必要とするが、“命がけの決断をした英雄という幻想”からの脱走には、キャルも小山も、さらに半世紀を要したのであり、僕もかつてはその幻想を疑わず、彼を追い込んだ一人だったのだ。

アメリカ国防総省によれば、ベトナム戦争中の1971年だけで33,094人、イラク戦争中の2005年には3,456人が脱走したという。日本の自衛隊では、イラク戦争期間中の03年から09年までに自殺した隊員は29人。うち4人はイラク派遣が直接の原因だったとされ、03年から09年にインド洋で行われた給油活動では、自殺と認定された隊員は25人だという。闇はまだまだ深い。

つだ・まさお

1943年、金沢市生まれ。1966年、京都大学卒業後NHK入局。福井・岐阜・名古屋・東京などで、主として報道番組の企画・制作に従事。1995年から東邦学園短大、02~15年、立命館大学産業社会学部教授。市民のメディア参加に関する研究・実践にかかわる。市民メディア全国交流協議会世話人。近年、岐阜市のコミュニティFMを使った市民による放送局「てにておラジオ」を運営。同人誌『追伸』(風媒社)同人。主な著書・共著に、『ドキュメント「みなさまのNHK」~公共放送の現場から』(2016年現代書館)、『ネット時代のパブリック・アクセス』(2011年世界思想社)、『谷中村村長・茂呂近助~末裔たちの足尾鉱毒事件』(2001年随想舎)、『長良川河口堰』(1991年技術と人間)など。

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