特集●転換の時代

ミャンマー民主化促進への現状と課題

民主国家建設へマンディラの偉業を想う

前ITUCミャンマー事務所長 中嶋 滋

はじめに

3月末、昨年11月の総選挙で圧勝したNLD(国民民主連盟)が、実質アウンサンスーチー党首(以下、スーチー氏)主導の新政権を樹立した。それによってミャンマーの民主化が一層促進されるであろうとの期待が高まっている。しかし、上下院ともに絶対過半数(非選挙の軍人議席を含め)を占めるNLDではあるが、憲法上「保障」されている数々の国軍の優位性の前に、民主化促進を目指す政権運営の困難さの大きさに今更ながら気づかされている状況に置かれている。 

その最も象徴的な事柄は、スーチー氏に大統領就任資格なしという憲法規定(59条 f 項、家族に外国籍を持つ者がいる者は資格なしとされていて、氏の場合は2人の息子がイギリス国籍)の存在とそれがもたらしている現実である。国民の圧倒的な支持を得て選挙に大勝した党の党首が自らが望む地位につけないという他国では考えられない事態が起こっている。それが大きな阻害要因になって、「平服の下に軍服が透けて見える」と言われた「擬似民政」から「民政」への移行は、今のところ順調なものとは言い難い。

また、民主化の基盤形成に欠くことができない労働組合運動についても、ネウィン将軍によるクーデター(1962年)と「ビルマ式社会主義」導入以降50年にわたって禁止・弾圧されてきた負の歴史の影響と、「擬似民政」下での国際労働基準に明白に違反する非常に厳しい強制登録制度などの制約とが強く作用し、早急に解決せねばならない課題が山積していて、民主化促進に貢献する役割を十分に果たし得ていない状況下にある。労組組織率は極めて低い水準に止まり、活動も未だ十分とはいえず、労働組合運動は漸く緒についたばかりの段階にあるといえる。

以下、2015年12月から3年間余り滞在し見聞した経験を踏まえ、政治および労働組合運動の現状を概観しつつ民主化の促進に向けたミャンマーの課題について考えてみる。

民主政権樹立をめぐる動向と課題

1)頓挫したスーチー大統領

昨年11月8日に実施された総選挙での「地滑り的」な大勝後、スーチーNLD党首は、12月2日にテインセイン大統領ならびにミンアウンライン国軍最高司令官と、引き続き12月4日に旧軍政ナンバー1のタンシュエ将軍と会談した。それらの会談を通じて、政権移行が円滑に実施されることが期待された。特に、「スーチー嫌い」として知られ軍政のトップとして君臨した19年間に都合3回延べ15年間にわたり「自宅監禁」したタンシュエ将軍が、彼女を「次の国の指導者」として認め「国の発展に努力するならば全面的に支持する」と表明したことは、憲法の規定を超えて氏の大統領就任の可能性を示したと受け止められた。

スーチー氏の大統領就任の道を開くために「特別措置」が検討されたと言われている。憲法改正には国会議員の3/4以上の賛成での発議と国民投票での過半数の賛成が必要とされるが、それをテインセイン政権が任期切れになる3月末までに実施し新政権樹立に間に合わせることは不可能なことから、憲法59条f 項を暫定執行停止する特別法を議決しスーチー氏に就任資格を与えようとしたのだという。この実現に向けて国軍側との間で水面下の交渉が繰り広げられたが合意に至らず、スーチー氏の大統領就任の道は閉ざされた。マスコミ報道では、幾つかの州・管区の首長(大統領の任命)を確保し続けたいとする国軍側の要求をNLD側が受け入れなかったことが決裂の原因だったと、いわれている。その他にも、憲法上規定されている国軍の優先事項を削るNLD側の主張が拒絶されたとの観測もあった。この間の経過は一切公開されておらず、情報は極めて限定的で憶測の域を出ないものが多い。こうした非透明性はミャンマーの「特性」の一つだが、その克服は民主化促進に欠かせない課題だ。

2)大統領選出のシステムと結果

ミャンマーの大統領選出システムは、上院の民選議員、下院の民選議員、上下院の軍人議員の3グループから選ばれた3人の候補者(議員である必要はない)から上下院全議員による選挙で選出するというもので、1位が大統領、2・3位が副大統領となる。総選挙の結果から、上下院の民選議員グループからの2人の候補者はNLDが推す人となり、そのどちらかが大統領になるのは確実で、問題は国軍が占める副大統領にどのような人物がなるかだった。

大統領に選出されたのは、予想通りNLDが推した候補者(下院民選議員グループ推薦で非議員のティンチョー氏)であった。氏は、スーチー氏から最も厚い信頼を寄せられているNLD幹部で、妻はNLD所属の国会議員だ。上院民選議員グループが推した候補者はヘンリーバンティーユ氏で、第二副大統領となった。氏は、チン出身のクリスチャンで、少数民族問題と宗教問題に配慮した人選だとも言われている。

軍人議員グループ推薦で第一副大統領になったのは、ミンスエ氏であった。氏は、旧軍政トップのタンシュエ氏側近の元中将で強硬派とみられている人物だ。ミンスエ氏の政権内での立ち位置は、スーチー氏率いるNLDと国軍との政治的距離を反映するわけで、政権の安定的な運営に大きな影響を及ぼすことになる。その地位に強硬派と言われるミンスエ氏を据えた国軍側の意図は、総選挙直後に期待された対話を通じた平和的な政権移行プロセスに国軍の優位を死守する強い態度で臨むとの政治決断の表れであろうか。

3)スーチー氏の「姿勢」と「国家顧問」就任

スーチー氏は、総選挙で圧勝した後自らを「大統領を超える存在」と公言してきた。「すべてを私が決める」、「首脳会議も私が出る」、その場合「大統領は私の隣に座らせる」などと記者会見でもあらわにし、政権を主導する立場を強調してきた。それに対し「民主的でない」、「独裁的だ」などとの批判もある。NLD支持者の中にも政治的影響を危惧する声が少なくない。一方で、選挙で圧勝した政党の党首が大統領になれないことがおかしいのであって、おかしな状況をもたらしている憲法を早急に改正すべきなのだという擁護論も強い。しかし憲法改正の見通しは全く立っていない。

国軍は自らが主導して策定した憲法で様々な優位性を確保している。その中で最も重要な事項の一つが「国家非常事態」時の国軍最高司令官による全権掌握である。「国家非常事態」の判断は、国防安全保障評議会で審議・決定されるが、その構成は11名からなる。大統領、副大統領(2)、国軍最高司令官、国軍最高副司令官、上院議長、下院議長、国防大臣、内務大臣、国境大臣、外務大臣の11名だ。この内、副大統領の1名、正副の国軍最高司令官、国防、内務、国境の3大臣の計6名は国軍によって選ばれるので、どんな場合でも国軍側が多数を占める構造になっている。

そうした中、政治的な主導権を確保するため、NLDは大統領以下すべての閣僚と省庁に助言できる「国家顧問」という憲法に規定されていないポストを設け、スーチー氏が就任することとした。当然、国軍は猛反発し審議拒否で臨んだが、NLDは数で押し切り強行決定した。これによって、スーチー氏の政権運営の主導的地位が確保されたが、NLDと国軍との対立は先鋭化し、今後の政権運営に暗い影を落としている。

新政権発足時、従来の31省庁を21に大統領府大臣も6人から1人に減らすなど機構改革を行い、スーチー氏自身は大統領府大臣、外務大臣、教育大臣、電力エネルギー大臣の重要4大臣を兼任することになった。先に触れたが、国防、内務、国境の3大臣は国軍最高司令官の指名に基づく任命であるから、21閣僚のうちNLD側の意思によって決定できるポストは18であり、そのうちの4をスーチー氏が占めたことはNLDの人材不足の表れであるとの見方もある。

しかし政治的基盤強化に向けたと思われる閣僚任命もなされている。宗教文化大臣にスーチー氏の盟友と言われるシュエマン前下院議長に近い国軍の元将校が、民族大臣にはモン民族党副党首が、それぞれ就任しておりNLDが独占しているわけではない。シュエマン氏は旧軍政のNo,3で総選挙前までは当時の与党USDPの総裁であった人物で国軍内に少なからぬ影響力を保持していると言われる。モン民族党副党首の登用は少数民族への配慮の表れであることは明らかだ。

4)国民の期待と新政権の課題

国民の多くが寄せたNLDへの期待は、円滑な政権移行と民主化の促進、それを通じた少数民族問題解決を含めた国の平和的統一、経済発展と国民生活の向上を実現することである。国軍と少数民族武装部隊との武力衝突は、暫定停戦協定が結ばれることによって大方収まってはいるが、完全に終息しているわけではない。総選挙においても下院7選挙区で選挙実施ができなかったことにも示されたように、依然として武力衝突の危機が存在し続けている地域があるのだ。少数民族の自治の確保と国の安定的な統一を平和的に成し遂げていくことは、イギリス植民地時代から引き継がれている国のあり方をも問う重要課題だが、これまで軍事政権が続けてきた武力鎮圧を基本とした対応からの抜本的転換を意味するわけで、その具体的な推進の有り様はNLD政権の存在意義を問うものとなる。

かつて、1960年代前半まで、ラングーン(現代のヤンゴン)は東南アジアで最も繁栄した都市であった。それを知るヤンゴン市民は、半世紀の長きにわたった軍事独裁がもたらした停滞のダメージの甚大さを、バンコク、シンガポール、クアラランプールの発展と市民生活水準の向上との比較から、思い知らされている。タイをはじめとする近隣諸国への数百万人の移民労働者(海外出稼ぎ労働者)の存在は、貧しさから脱しようとあえぐミャンマー国民の現状を如実に表している。野党国会議員時代にタイ側の国境の町を訪れたスーチー氏は、熱狂的に彼女を迎えたミャンマーからの出稼ぎ労働者を前に、皆が国内で豊かに暮らせるように経済発展を実現すると演説し万雷の拍手を浴びた。政権の座に着いた彼女に、そのことを実現してほしいという出稼ぎ労働者たちの熱い期待が注がれている。この思いに応えられなければ、期待は幻滅に変わる。期待の大きさが幻滅の深さにつながりかねないことを、NLDは承知しているはずだ。

ミャンマーの経済は「クローニー」に牛耳られていると言われている。「クローニー」とは将軍たちの親族・縁者たちによる利権集団を指すが、それらが「財閥」化して銀行・航空業・ホテル業・建設業などを広範に展開している。それらの存在と活動は、50年以上続いた軍政によってつくり出された支配構造にしっかりと組み込まれていて一朝一夕には改革できない盤石なものとなっている。しかし、国軍と結びついた利権構造の破壊と産業民主化のチャレンジを続けることは、新政権の重要課題だ。加えて急速に拡大しつつある外国資本投資の問題もある。資金調達のために出資比率を49%に抑えることを改め「青空天井」としたことがもたらす影響も考慮せねばならない。「本格的製造業」のミャンマーへの進出が目前に迫っている状況にあるだけに、新政権の経済政策が国民生活本位に立案・実施されるかどうかが問われる。

5)マンデラの偉業を想起すべき

ミャンマーでのNLDと国軍の対立状況を見るにつけ、南アフリカに於けるマンデラ大統領と人種隔離政策(アパルトヘイト)をとり撤廃運動を徹底して弾圧した白人政権最後の大統領デクラーク氏のことを思い起こさざるをえない。「黒人国家ではなく全国民による民主国家の建設」をめざすとして、デクラーク氏を副大統領に迎え、旧来の対立を克服しつつ民主国家建設を進めたマンデラ大統領の偉業の意義を考えミャンマーでの適応に思いをいたすのだ。1994年の南ア総選挙に選挙監視団の一員として状況の一端を見た感覚から言うと、ミャンマーの総選挙よりもはるかに激しい暴力的敵対があった。選挙期間中にANC(アフリカ民族会議)の候補者が爆弾テロで殺されるのを間近に見た。そういうこともあったにもかかわらず、総選挙直後にマンデラとデクラークの提携が実現した。驚きであったが、新生南ア建設の意義の大きさがなさしめたのであろうと思う。

時代状況も地政学的環境も異なるから単純にアナロジーすることはできないことは承知しているが、NLDおよび国軍にマンデラの偉業を想起し活かしてほしいと思うのだ。長期的な視点からの新生民主国家建設に向け、民主主義・平和・全民族の自治と参加・国民生活向上をキーワードに非妥協的な対立を乗り越えた建設的対話とそれに基づく具体的施策の実施を求めたい。

労働組合運動の現状と課題

1)未だ揺籃期:低組織率の背景

民主主義の社会的基盤として必要不可欠な民主的労働組合運動が、ミャンマーにおいては未だ緒に就いたばかりで、いわば揺籃期にある状況だ。労働組合活動が国内で合法的に展開可能になったのが実質2012年からで3年余経過したに過ぎない。合法化されたものの労働組合は極めて低い組織率に止まっていて、社会集団としての存在意義を示し得ていない。他の多くの国と異なりミャンマーでは就労人口の65%を占める自作農(耕作地10エーカー以下)にも労組結成権が認められている。それを含めても低組織率状況は深刻である。その主な要因は以下のようなものである。

① まず指摘しなければならないのは、厳しい強制的登録制度下におかれていることである。基礎労働組合は企業・事業所ごとに30人以上の労働者を結集して組織される。農民の場合、村落ごとに30人以上の参加を得て結成される。また30人に満たない小規模事業所の場合、同一地域内で同一産業分野の労働者とともに30人以上で組織化ができる。タウンシップ段階の組織は、同一タウンシップ内の同一産業分野の基礎労働組合が集まり結成される。そのタウンシップ段階の組織が集まって結成されるのが州・管区レベルの組織だ。この場合も同一州・管区内で同一産業分野でなければならない。それらが集まり全国レベルの産業別労組連盟(Federation)を結成できる。タウンシップ段階以上の組織は、いずれも同一産業労働者の10%以上を結集していなければならない。そして、産業別労働組合を結集した労組総連合(Confederation)= ナショナルセンターの結成となる。これらの条件を満たした登録労組でなければ活動してはならないとされている。違反すれば解散、責任者への罰則もある。

② 50年間にわたる労組活動禁止がもたらした弊害も大きい。継承される経験がない。また軍政は社会科学関係書の発行を許さなかったから、書物から学び取る機会もなかった。労組活動の基礎的環境が損なわれていたのだ。これらの弊害は未だに影響を与え続けている。

③ 人々の弾圧への恐怖も深刻な問題だ。軍政当局による民主化運動への弾圧、特に88民主化闘争への過酷な弾圧の記憶は「社会的トラウマ」となっており、人々に組合運動への参加を躊躇させている。

④ 加えて「擬似民政」当局と民間企業使用者の反労組活動の姿勢と対応である。国軍のコントロール下に置かれた政府当局の対応は極めて厳しく、各省庁職員の労組組織化は全く進んでいない。労働組合を結成しただけで執行部全員解雇を強行したり、ストライキに参加した労働者を全員解雇したりする事例も珍しくはなく、民間企業使用者側の反労組攻撃は凄まじい。

⑤ 政府当局の国際労働基準無視・違反も指摘しておかねばならない。ミャンマー政府は、度重なるILOからの是正勧告にもかかわらず強制労働違反を改善しなかった故にILO史上初の憲章に基づく制裁決議を受けた。これへの反省がなされているとは思えない姿勢がとり続けられている。

このような数多くの制約があって、労組組織化は極めて困難である。現状の推定組織率は1%未満である。縫製業などの工場労働者、鉄道を中心の交運労働者、鉱山労働者などが労働組合の組織化を進めているが、公務・公共部門はほとんど組織がなされていない。国及び地方政府の公務、医療・福祉、水道、清掃、郵便、テレコム、教育などの分野の労組はほとんどない。労働関係諸法規の未整備、劣悪な労働行政、それらを覆う人治の弊害と汚職など因習が蔓延る社会実情が、その背景にあることも見逃してはならない。

2)日本の労組支援による活動家養成など

組織化の促進、雇用安定・賃金労働条件の向上、労組の社会的影響力の拡大を目指して、ITUC-AP(国際労働組合総連合会アジア太平洋組織)や連合および連合構成組織の支援の下、労組活動家養成を目指してのセミナーやワークショップが実施されている。

UAゼンセン、JAMが継続的に講師をミャンマーに派遣し、労組活動の基礎知識、労組の民主的運営、要求討議や団体交渉の進め方、労働協約の締結と活用、ストライキ権の意義と行使などについて、参加型で実践的な講座が持たれている。清掃労働者の労組への結集に向けても、東京清掃労組メンバーの協力で労働講座が実施されている。また農民組合の組織拡大と農業技術の向上に向けた研修会も、NPO(アジア社会文化交流センター)の協力を得て実施されている。日教組の支援の下で教育施設改善と「教育と教師に関する国際基準(ILO/UNESCO合同勧告他)」の普及活動に取り組んでいる。

それらとともに述べておかねばならないのは、労組活動の故に解雇された活動家への支援活動の展開である。具体的な活動としては、布袋を作成し日本の労組に買い上げてもらい復職闘争と生活支援の資金とするものだ。労組活動の故の解雇者は「危険人物」として使用者側に回状がまわされ再就職ができない状況がつくりだされている。

3)労働関係法と労働行政の抜本改正に向けて

以上述べた労組活動をめぐる現状を打破するためには、労働関係諸法規の体系的で抜本的な改正と整備が必要である。現行の労働関係諸法規は、イギリス植民地時代に適用されたインド法を基本的に継承し、部分的に弥縫的な改正を施したものが主で現在に至っている。その内容は国際労働基準から大きく乖離している。その改正に向け、米、日、デンマークの3国政府とEUさらにILOがミャンマー政府と合意し、「ミャンマーにおける基本的労働権および慣行促進イニシアチブ」を発足させた。NLDが主導する新政権は、3者構成のメカニズム確立と機能化を図って「イニシアチブ」の促進に積極的に関わり、早急に体系的で抜本的な改正の成果を上げるべき位置にいる。国民生活に直結し民主化促進の重要課題であるからだ。

当然ながら「イニシアチブ」に積極的な意見反映することが労働組合運動に強く求められている。ITUC唯一の加盟組合であるCTUM(ミャンマー労働組合総連合)が労働者の意見を集約しナショナルセンターとして3者構成メカニズムを通じ求められる役割を果たしうることが問われている。

むすび

政治と労働組合運動の現状を概観してミャンマーの民主化促進の課題を考えてみた。情報不足もあり不十分なものにとどまったが、現状の一端を伝え検討すべき課題について考える切っ掛けを提供できたのではないかと思う。

平和達成と自治を基盤とした全民族参加と国家統一の促進の課題にしても、経済発展と国民生活水準の向上の課題にしても、それらの基盤であり一体的に促進すべき民主化をめぐる様々な課題にしても、50年の長きにわたった軍政がつくりあげた支配構造を一つひとつ突き崩していかなければ達成できる課題ではない。一朝一夕に実現できるといった幻想は抱くべきではないとつくづく思う。

紹介した活動家養成講座などこれまで取り組んできた経緯を踏まえ、日本の労働組合に息の長い連帯支援活動の継続が求められている。特に解雇された労組活動家への支援は、生活維持に直結しているだけに継続が必須だ。労組大会や集会などの資料袋は組合員一人ひとりが手にするわけで、国際連帯支援活動の草の根レベルからの推進に資するものになる。

最後に強調したいのは、ミャンマーにおける教育改革の重要性である。軍政の教育に対する基本姿勢が「民は愚かに保て」ということではなかろうが、その内容も水準も劣悪極まりない。民主化促進のためにも最重要視すべき課題だ。この課題への連帯支援活動の強化に貢献していきたいという思いに駆られている。

なかじま・しげる

早稲田大学法学部卒業。1969年に全日本自治団体労働組合(自治労)に入る。自治労中央執行委員・国際局長を経て1999年より連合常任中央執行委員・総合国際局長。2004年にILO労働側理事に就任。2012年12月より2015年12月までITUC(国際労働組合総連合会)ミャンマー事務所長を務める。

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