特集●転換の時代

壊れ始めた介護保険と老後生活

シルバー・パワーの可能性を考える(その1)

大阪市立大学創造都市研究科教員 水野 博達

はじめに

「介護の社会化」への願いを込めた介護保険は、制度実施から15年が経過した。その変貌した姿を直視すると、この制度が終息に向かって壊れ始めたことがわかる。目を高齢者の生活全体に転じれば、老後生活が崩壊していく実相が浮かびあがる。しかし、この日本の超高齢社会の現実に目を凝らしてみると、新しい可能性が確実に広がっていることも見て取れる。もちろん、この可能性を主体的に現実の力に変え、社会変革に結び付ける営為なしには、未来を拓くことはできないことも確かだ。

1、中高年を巻き込む貧困の逆連鎖と介護現場の疲弊

昨年、藤田孝典著の『下流老人』(朝日新書)が売れ出すと、週刊誌も「1億総老後崩壊」の現実について書き立て、よく似たタイトルの本が次々と本屋に並んだ。

現在、高齢者の生活を支えているのは、公的年金である。高齢者世帯の所得の約70%を年金が支えており、世帯の総所得の100%が年金である高齢者世帯は60%以上となっている。現役時代の所得の50%以上を保障すると言われて来た老後生活の支柱の年金、それはどうなるのか。

政府が年金基金を「運用益を増やす」という理由で大々的に株などの金融商品に手を出すようになって来た。実際には、金融市場で利益を得ることよりも、株価を維持し、景気減退の実相を隠してアベノミクスの破綻を覆い隠す政治的な目的のために年金基金が投入されている。結果として、損失の方が多くなるであろう。ただでさえ年金の支給額が下がっていくのに、その上、カジノ的金融市場で年金基金が失われていけば、いったいどうなるのか。

日本の高度経済成長と共に生きてきた団塊の世代は、自分の親世代の生活を支えるとともに、自分の子どもである団塊ジュニア世代を支えざるを得ない世帯が多い。バブルが弾けた後、不安定な仕事に就くしかなく非正規職員率が70%とも言われる就職氷河期の就職難民となった子どもたちの支えである。

人びとの老後生活の破綻が確実に押し寄せているが、実は、それだけではない。親の介護責任を引き受ける(引き受けざるを得ない)中高年世代の経済的な困窮や家族問題が、再現しているからだ。親の生活圏と子の生活圏を大きく分離して来た高度成長の結果、「遠距離介護」を強いられる中高年世代が増加し、遠距離介護で済まなくなれば、親もとに移住する必要も生まれ、中高年家族の別居・移転が起こる。また、介護の長期化は、介護を担う者の失職にも繋がる。

親の貧困が、子ども世代の貧困に連鎖する事態は、すでに実証的な数値をもとに、多くの機会に語られて来た。しかし、親の介護問題が重なり、団塊の次の世代である40歳代後半からの中高年を巻き込む貧困の連鎖も一方で深刻になっている。まだ、具体的な調査や統計数値はないが、職場や地域で、耳を澄まし、目を凝らせば、遠距離介護など親の介護責任が現役稼働世代に重くのしかかっている実例に、すぐ行き当たるはずである。

地方も都市も介護サービスの量・質がともに足りなくなっている。2014年の介護保険法の改定によって、介護サービスの提供に制限が加わるとともに、3年後までに、介護度の低い高齢者への介護サービスは、介護保険から切り離され、各地方・地域の「生活支援・地域総合支援事業」などの名称で行われる互助的・ボランティア的な事業・活動に移されることになる。こうして、地域の自治や人と人の繋がり・助け合いの機運と力がなくなっているもとで、「地域力の再生」が求められているのだ。既に貧困層は介護サービスから排除され始めており、これからさらに介護難民が大量に生まれ、その波が広がっていくであろう。

一方、介護の社会化を担っている介護労働の現場では、深刻な事態が続いている。政府は、「介護職員の退職ゼロを目指す」として介護職員の処遇改善の予算をくんでいるが、依然として介護の現場では、「募集しても人は来ない。採用してもすぐ辞められる」という介護人材の欠乏状態は改善のきざしすら見えてこない。小規模のデイサービスやヘルパー事業所だけでなく、規模の大きい特養ホーム等の入所施設の職員も、そして管理者も、毎日、利用者へきちんとしたサービスを提供するのに四苦八苦している。「欠勤者が出たので夜勤を代わった。」「人がいないからヘルパーを派遣できない」・・・。頻繁に起こる緊急事態で緊張と疲労が重なる。職員・管理者は、毎日、業務を回すのに疲れてきっていて「事業の先が見えな~い」といった嘆きは、止まらない。介護の現場は疲弊し、かつてのような夢を持つことができない状態である。

2025年までは、介護が必要になる75歳以上の高齢者は増加するが、それ以降は増加が止まる。働き手もいない。だから、介護事業に投資しても収益が見通せないと、事業から撤退する民間業者も生まれている。一度は注目された「介護市場」から、多くの民間資本と小規模の事業者は、敗退・撤退し始めているのだ。しかし、他方で、アジアから安価な介護人材を導入することで事業を拡大しようとする家政婦や清掃などの家事請負・派遣業者の動きもある。介護・家事を外国からの安価な移住労働者に担わせようとする動きである。日本の家庭・家族、地域などの基層社会を作り変える新しい動きである。

2、家族・家庭責任に再帰する「介護の社会化」

介護現場の現状改善のために介護報酬を上げ、人件費を上げればいいのか。今日まで来れば、問題は、そう簡単ではない。

日本の介護保険制度の成立過程から今日までを振り返り、「介護の社会化」とは何であったのかを問うてみることが必要である。【注1】介護の必要な当事者である高齢者自身が求めた「介護の社会化」であったのか、と。

「社会化」を求めたのは、介護の責任を負わされていた女たち(妻であったり、娘であったり等)が中心であったことは明らかである。その強い要求によって、介護を家族・家庭責任(女の役割り)から社会的責任へと組み換える「介護保険」が出来上がっていったと見てよいであろう。

親あるいは親族・縁者の介護に責任を負わされる者(その多くは女たち)は、介護を必要とする者達(夫、親、祖父母、あるいは、子ども等)の当り前に生き、ケアされる権利が社会的に認知されていなかった結果、家族・親族関係という私的な関係の空間の中で、いつ終わるとも知れない<苦役>に引き込まれることになった。社会関係から切り離され、孤立させられている<介護を必要とする者達>のその社会的位置に、介護する者も、同じ様に追い込められ、追い落されていく。

「なぜ私が看なければならないのか」という葛藤を持ちながら、仕事を辞め、学業をあきらめ、あるいは、結婚や自分の進路をあきらめて、自らの意志でもあったかのように思い定める以外にない状況に追い込まれ、社会関係から徐々に切断されていく。いわく「介護地獄」への転落である。このあたりのことは、介護保険法制定の遥か以前から言われて来たことである。【注2】

2000年4月の介護保険制度の開始によって、多くの人(女)たちは、「介護地獄」から一定の解放を得ることができた。しかし、それから15年が経つ今日、介護保険制度の行き詰りによって、介護が家庭・家族責任へと回帰し、身寄りのない低所得層の周辺から「介護難民」という現象が広がり始めている。

改めて、我々が求めた「介護の社会化」とは何であったのか?

それは、介護を求める当事者の声に耳を傾けて生みだされたものではなかったと言えるであろう。当事者の要求、当事者の生きる権利を尊重して作られた「介護の社会化」ではなかった。つまり、介護保険制度は、近代社会において労働やその他の社会的役割を果たすべき現役の「稼働人口」が、高齢者などの介護によってその役割が削がれ、その能力を発揮できず、また、家庭問題などの社会不安を引き起こすことを回避する社会政策であったと。さらにいえば、死に至る過程を確実に歩み始めた、あるいは、他者へ依存してしか生きていけない人達の尊厳を土台に構築された制度ではなかった、と言えるのではないか。

3、<介護責任の免責装置>としての介護保険

介護保険制度は、その法改正で「尊厳を支える」ことを明確にしており、その原理において、家族支援のためではなく、被保険者が要介護状態という「保険事故」に遭っている場合にのみ介護サービスが給付される制度である。だから、高齢当事者中心の制度であるという反論が起こるかも知れない。

しかし、現実には、ある人が介護の必要な状態になった時、それが「保険事故」か、否かを問わず、家族や親類などの「親密圏」にある者(あるいは、それらに代わる地方自治体)が、その要介護者のケアを誰かが、何らかの手段・方法で、そのケアの責任を負うことになる。その責任の一部を<介護サービス>に委ねる制度として介護保険は機能する。つまり、被介護者の介護を受ける権利を担保するということより、家族・親族(あるいは、それらに代わる地方自治体)の介護責任を保険制度に移転する制度である。

要介護認定システムは、基本的には被介護当事者の意思や意向を考慮せず、国が定めたスケールに高齢者の状態をあてはめて、被保険者の心身の状態を分析し、要介護度を判定する。当該の被介護当事者の意思を反映できるのは、ケアプラン作成の段階であるが、事実上、そこでも、その当該地域で提供できるサービスの種類、質・量による制限と限定が介在し、また、多くは、その受けるサービスの内容は、家族・親族の都合に左右される。

やはり、介護保険制度は、介護される者の生きる権利、あるいは、介護を受ける権利よりも、その家族と親密圏にある者、そして当該基礎自治体のいわば<介護責任免責の装置>として機能していたのである。【注3】だから、国によって作られた、この<介護責任免責の装置>としての介護保険が機能不全となれば、介護は再び家庭・家族へと回帰して来る。今回の国・厚生労働者主導による介護保険法の改定がもたらしているのは、介護・高齢者問題に対する新しい形での家庭・家族責任であり、地域(コミュニティー)責任であるといえる。

もし、他者へ依存してしか生きていけない人達の権利と尊厳を尊重することをこの国の為政者が重視していたら、介護労働者への低い労働条件と賃金を押しつけて済ますことはできなかったはずである。介護人材が欠乏し、劣化すれば、被介護者の生きていく権利を適切に保障することはできないからである。言い換えれば、介護労働への社会的認知を高める必要性をこの社会の構成員である国民の中で、理解が広がっていたとするならば、今、起こっている介護人材の量的質的欠乏状態は、起こり得なかった話であろう。

すなわち、現に進行している介護人材の量的質的欠乏は、介護保険制度が、他者へ依存してしか生きていけない人達の権利と尊厳を土台に構築された制度ではなかったことを傍証しているのである。

4、近代の<自立>と<依存>を考える

ところで、1980年代から、日本でもノーマリゼーションの考え方が、障碍者解放運動の広がりとともに普及するようになった。障碍があっても、病気であっても、あるいは、高齢であっても誰もが人間らしく生きる権利があり、その人らしい生き方をしていくことは当たり前のことであると主張されて来た。とりわけ、「青い芝の会」は、生産第1主義、効率優先主義によって、障碍者が社会から排除されていることを告発し、障碍者の生きる当然の権利実現を求めて活動を展開した。

こうした考え方は、高齢者施策にも大きな影響を与えた。人里離れた山奥に設置された特別養護老人ホームの在り方は、ノーマリゼーションの考え方と相いれない。施設収容主義から、住み慣れた地域で生き続けることを可能にする在宅サービスの充実が介護保険制度導入の時点でも、施策として語られた。また、その人らしい生き方・生活を支えるという考え方は、介護の現場で、従来の介護の在り方を改革する指針ともなり、認知症高齢者のための新しい介護方法・メソッドや技術が開発されていった。

しかし、高齢者介護・高齢者施策の中心をなす介護保険制度、ひっきょう「介護の社会化」の15年の間の施策が辿り着いた地点は、これまで述べたような危機的状態である。

世界的にみても、第2次大戦後から1970年代中葉まで、発展して来た人権や共生等の虐げられている人々の生きる権利を発展させる思想と政策は、この間、足踏みを強いられて来た。新自由主義の政治的・思想的な潮流とそのグローバルな経済的展開が各国を席巻することによって、押し戻され、解体される攻撃に直面した。大きな政府から小さな政府へ、つまり、規制緩和・市場主義による公共性の否定であり、自己責任というイデオロギーによる万人による万人の競争である。人権思想の抑圧は、こうした新自由主義の登場によってもたらされて来たことは、周知のことであろう。

ここでは、新自由主義の問題を超えて考えねばならいのは、<自立>と<依存>の問題である。

近代は、自立した(賢明な)人間の平等な権利の相互尊重に基づく、自由な契約関係として構想されてきた。しかし、エヴァ・フェダー・キティは次のように言う。

「平等な個人の集合としての社会を構想することは、乳児や子ども期、高齢期や病気の時、障碍を抱えるときなどを覆い隠してしまう。依存者である間は、社会的協働が生む財産を獲得するための平等のもとで競争に参入することはどうしても不利な立場に置かれる。また、依存者をケアする人たちも、自分に頼りきっている人をケアするために自分の利益をひとまずわきに置かねばならないから、ハンディキャップがある状態で社会的な財の獲得競争に参加せざるをえない」(エヴァ、2010、10頁)と。【注4】

人間は、一生涯自立し、自己決定して生きていけるわけではない。誰もが他者への依存なしには生きられない。近代は、その出産・育児、病人のケア・介護、死にゆく人のケア・介護などの「ケア」を家庭内の私的な(ドメスティックな)<シャドウワーク>に押し込めておいて、平等な権利の相互尊重に基づく、自由な契約関係として構想して来た。それは、人間存在の実像を正しく映していない。その結果、近代の思想と生産・消費・社会生活の在り方が、人間の持続的存在の不可欠な条件を掘り崩していくことを十分予知できなかった。現在の少子高齢社会は、その一つの結果でもある。

人間とは、自然と社会に依存しあった存在である。この社会は、単に個人の集合体ではない。ところが、近代は、その相互依存の輪を断ち切って、(神との関係や封建的身分関係を切断するだけではなく)人間(男)が世界(自然と社会)から自立・自尊することを夢見た一時代であった。超少子高齢社会の到来は、近代の成長神話がもたらした結果である以上、自然との共生を含めた社会の構想へと転成しなければならない。

人間とは、人類とは、他の哺乳類と比較しても、生物的にも極めて弱い存在であり、その個体維持と種の保存を厳しい自然環境の中で、集団的協働によってやっと確保してきた存在であった。こうした人類史の視点からも、今日、近代が夢みた人間の自立・自尊の実像を直視し、近代の<自立>の対極にあった<依存>に焦点をあてた人間社会の構想が求められるのである。

この考え方を主体化し、具体化する可能性を持つ世代が、今、登場しつつある。

かつて介護の社会化を求め、介護保険法の中にも取り入れられた「自立支援」の考え方に賛同した世代の多くが、介護を受ける側の年齢に到達した。続いて、戦後民主教育を受けた団塊の世代が65歳以上となった。他者に依存することなしに生き、生活できなくなった。人口のかなりの部分が、他者に依存することによって、自らの生を担保することが必要になったのである。私は、ここに未来社会への希望を見出したいのである。まさに、ピンチは新しいチャンスをもたらす!と。

5 高齢者介護にとって<死>の意味

同じ依存者へのケアであるとしても、子どもに対するケアと高齢者に対するケアを一律に論じることはできない。一般的に言えば、子どもに対するケアは、子どもの成長と共に歩むことであり、高齢者のケアは、死に至る道程を共にするという違いがある。だから、高齢者ケア、介護の問題を考える時、人の<死>という問題から逃げることはできないのである。

前節で、近代は、自然との相互依存の輪を断ち切って、人間(男)が世界(自然と社会)から自立・自尊することを夢見た一時代であった、と述べた。そこで(神との関係や封建的身分関係を切断するだけではなく)と補足的に述べた問題に関わることが、近代社会における<死>の社会的位置と意味である。

封建時代から近代を分ける一つの大きな指標は、宗教問題である。人類史の中で、宗教は、世界の誕生から人の生・死に関わる全てのことを差配して来た。他方、近代の医療の発達は、かつては「神の思し召し」「あの世からのお迎え」「寿命」などとしてきた病気・負傷から死を遠ざけ、回避させる力となった。死の床の脇には、かつては、宗教者が主役の位置を占めたが、近代は、いつの間にか、医療従事者が第1の位置を占め、死の宣告(死亡診断)は、医師の職責となった。宗教者は、2番手、3番手の位置に退いたのである。

医療は、人間を病苦から解放し、死を遠ざけ、回避させる技術と思想、管理体系を積み上げてきた。医療にとって、死は敗北となり、人々の日常生活(家庭・地域・職場)から、死は遠ざけられ、また、出産も多くは、家庭・地域から、病院へと移動した。日常生活は、自立した人びとの自由な契約関係として<市場原理>によってコントロールされる領域へと組み換えられた。この結果、治療も出産も、結婚・出産も、そして死・葬儀も、市場論理が浸透することになり、貨幣価格で換算される<サービス>へと変換されて来た。つまり、人間の生・死の意味や価値が日常生活の中では、見えないし、考えられないものとなり、日頃は、隠されていて、人々の心から忘れられたものとなっているのだ。

介護労働者や家族内介護者が、その苦行・苦役の辛さにもかかわらず、他方では「介護から得られる喜び」を語る。【注5】それは、端的に言えば、現代社会では、日頃は、隠されていて、人びと(自分の、家族の、友人・縁者の)の意識からは忘却されている人間の生と死の、生きていることの、人生の意味・価値を思い知らされることの驚きであり、感動であった。言葉を換えて言えば、死に至る道程を共にする高齢者介護を真に「社会化」するということは、市場原理に基づく「介護サービス」を超えて、人間存在の尊厳を日常生活とこの社会に再構築・再獲得していくことであると言える。

死や出産を家庭や地域から取り上げられた今日のコミュニティーの在り方を捉え返す営為なしに、地域が真に社会の基層として再生することはできない。日本では、介護保険制度崩壊の後始末として構想されている新「地域総合支援事業」が、新しい「サービス市場」の開発と資本の利益囲い込みの機会になりかねない現状を見据えなければならないことは、もはや言うまでもない。

家族・家庭を開き、地域の人々と繋がり、自然と人間の関係を見直すことが求められている。それは、自然を破壊しつくした感のある都市では、日本でも、中国や韓国などの東アジアでも至難の業となるであろう。しかし、人間存在の尊厳、すなわち、かつて宗教が主導した生命(=生死)への畏敬の念を高齢者介護の課題を通して地域から一歩一歩築き直しいく営為が大切であろう。

結びにかえて

団塊の世代を含めた高齢者が自らの生を全うする上で、介護保険の危機的状況や老後生活の崩壊現象の問題を考えざるを得なくなった。言い換えれば、自らの個人的な人生の問題が社会的・政治的な制度の課題(介護保険、年金、健康保険、税制、あるいは、住宅問題や住民自治等)と交叉し、また、類的な普遍性を持った<人間の尊厳>を日常生活の場では忘却させられてきた戦後社会の精神生活の問題に直面するのだ。問われている問題にどう回答を得られるか。次回には、できる限り具体的な問いを設定し、読者と共に検討していきたい。

【注1】介護保険の15年の推移については、水野博達、2015、『介護保険と階層化・格差化する高齢者』(明石書店)を参照されたい。

【注2】その代表的著書の一つ:春日キスヨ、2000、『家族の条件~豊かさのなかの孤独』(岩波現代文庫)

【注3】介護保険法が、行政にとって<介護責任免責の装置>として機能したとは、以下のことである。
本来、住民に対する社会保障・社会福祉について行政はその責務を負う責任と権限がある。老人に対しては「老人福祉法」がそれらの国・地方政府の責務を規定している。つまり、介護保険法より「老人福祉法」が「上位法」であるはずである。しかし、介護保険法制定後は、介護保険制度の優先利用ということで、行政が持っている措置権限を行使せず、ケアマネージャや特養ホームなどに困難事例を押しつけることが多くなった。この15年で、高齢者福祉担当部門の行政職員の中では、「老人福祉法」に依拠して仕事をしたという自覚・認識を持っている者は少なく、老人福祉法の存在すら忘れている者が多いようだ。

【注4】エヴァ・フェダー・キティ、岡野八代+牟田和恵監訳、2010、『愛の労働あるいは依存とケアの正義論』(白澤社)

【注5】介護の意味や喜びを語っている最近の出版書籍2つを紹介しておく。
  高齢社会をよくする女性の会・樋口恵子、2015、『介護 老いと向き合って』(ミネルヴァ書房)
  六車由美、2015、『介護民俗学へようこそ!』(新潮社)

みずの・ひろみち

名古屋市出身。関西学院大学文学部退学、労組書記、団体職員、フリーランスのルポライター、部落解放同盟矢田支部書記などを経験しその後、社会福祉法人の 設立にかかわり、特別養護老人ホームの施設長など福祉事業に従事。また、大阪市立大学大学院創造都市研究科を1期生として修了。現在、同研究科の特任准教授。大阪の小規模福祉施設や中国南京市の高齢者福祉事業との連携・交流事業を推進。また、2012年に「橋下現象」研究会を仲間と立ち上げた。著書に『介護保険と階層化・格差化する高齢者─人は生きてきたようにしか死ねないのか』(明石書店)。

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