コラム/ある視角

なぜ愛媛県知事は文書を公開したのか

加計学園関連文書公開をめぐる地元の困惑と不安

松山大学教授 市川 虎彦

前号で、愛媛県の中村時広知事を「全国的に無名である」と書いたとたん、テレビの全国ニュースや新聞の一面などに、中村知事が何度も登場するようになってしまった。それというのも周知のように、参議院の要請に従う形で愛媛県が加計学園に関する文章を提出したためである。それは、愛媛県や今治市の関係者と官邸で面談したという記憶はないといっていた柳瀬元首相秘書官と県職員との面談の記録であった。その文書の中には、すでに2015年の段階で、安倍首相が加計孝太郎理事長と面会し、その際に獣医学部の計画についての説明を受けたという記載があったのである。

これに対して安倍首相は、加計理事長と面会した事実はないと重ねて言明した。首相が嘘を言っているのか、愛媛県の文章が誤りなのかという話になったときに、加計学園側が「当時の担当者が実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えてしまった」と、唖然とするような発表をしたというのが、これまでの経緯である。

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中村知事が言う「愛媛県側に嘘をつく理由は何もない」というのは、たしかにうなずける話である。中村知事は、それでも県や市の職員と面談した記憶がないとする柳瀬氏の姿勢を批判し、県庁に保管してあった柳瀬氏の名刺を公開するなどして、その都度マスコミに露出した。こうした一連の過程をみるにつけ、県職員が備忘録として作成したという愛媛県文書の信憑性は高いといわざるを得ない。

ということで、中村知事の一連の行動に、愛媛県民はこぞって拍手喝采かというと、そうでもないようなのだ。愛媛県民の大方の反応は、なぜ知事は国に敵対するかのようなふるまいをするのかという「困惑」なのである。愛媛県の場合、基地問題をめぐって国と対峙する沖縄県とは異なる。獣医学部の進出は県として要望してきたことであり、その開設は歓迎すべきことのはずなのにというわけである。

そこで、なぜ中村知事が文書の公開に踏み切ったのかということに関して、様々なことが県民の間でささやかれることになった。私の聞いた範囲では、大別して4つの説に分類できる。①選挙説、②自己顕示欲説、③怨念説、④野党説である。

愛媛県では、今年の年末に愛媛県知事選挙と松山市長選が予定されている。前号の一文でもふれたことではあるけれど、中村知事の政治経歴をふりかえってみたい。中村知事は、1993年7月の総選挙で愛媛1区に日本新党公認で初当選している。小選挙区制が導入された1996年の総選挙では、中村は新進党から立候補し、自民現職の関谷勝嗣に惜敗した。自他ともに認める保守王国の愛媛県で小選挙区を勝ち抜くのは難しいとの判断に傾いた中村は、松山市長選に打って出て、自民推薦の現職を破り当選を果たす。その後中村市長は、加戸守行知事の辞任表明を受けて行われた2010年12月の愛媛県知事選に立候補し、当選を果たした。中村が松山市長を辞任して県知事選に立候補したため、同時に松山市長選も行われることになった。中村は自らの後継候補として、まったく政治経歴のない民放地方局アナウンサーの野志克仁を立てた。地元の飲食店探訪番組を担当していて知名度だけはあった野志が、自民党系候補を制し、こちらも首尾よく当選した。こうした経緯から野志市長は、中村知事の「傀儡」「操り人形」という見られ方を市民からされている。

知事、市長共に3回目の選挙が近づいてきているため、今回の文書公開を「選挙目当てのパフォーマンスだろう」という言い方をする市民が多くいる。実際、自民党としては、知事と市長の椅子を奪還したいと常々考えている。そのため、わかりやすい説明ではある。しかし自民党が、中村に勝てる候補を見いだせずにいるというのも事実であり、あえて選挙を考えて事を起こす必要もないところではある。保守系の人たちは、中村の行動に対して「バカなことをしたものだ」という反応であり、「次の選挙から中村を応援しない」と言い出している人たちもいるという話である。選挙のことを考えたら、むしろ負の効果の方が大きいのかもしれない。

「選挙目当て」と同じくらいよく聞いたのが、「目立ちたいんだろう」という声である。政治家を志す人間は、多かれ少なかれ自己顕示欲の強い人たちなのではあろう。引っ込み思案では、商売にならない。その中でも中村知事が「目立ちたがり屋」視されるのは、愛媛マラソンに参加したり、台湾のサイクリング・イベントで走行したりといった私的ともいえる活動で話題を提供するからである。またトップセールスと称して、台湾やシンガポールで愛媛県産品の宣伝をする姿が、テレビのローカルニュースによく流されている。こうしたことが積み重なって、出たがり、目立ちたがり、という印象を県民に強く与えている。開学前に様々な報道にさらされた獣医学部は、ふたを開けてみると入試倍率も好調で、予定通りに開学することができた、もう大丈夫という時機を見計らってスタンドプレーに出たという解釈である。

今回も備忘録を残した県庁職員本人ではなく、中村知事自身が国会で証言すると宣言していた。こんなところを捉えて、「テレビに映りたいだけだろう」というような声がでてくるのである。それにしても、自己顕示欲だけであのような行為にでるものであろうか。

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ということで、一部でささやかれているのが怨念説である。怨念とは、誰に対する怨念か。それは、愛媛1区選出の代議士である塩崎恭久前厚生労働相への、である。田舎の選挙ではよくある話で、中村―塩崎は親の代(中村時雄―塩崎潤)からの愛媛1区の競争相手である。現在に至っては、中村時広と塩崎恭久が犬猿の仲であるということは、地元では知らない人がいないほど有名な話となっている。私は、何人かの地元の事情通とみられる人に不仲のきっかけとなる出来事は何だったのか、聞いてみたことがある。はっきりした理由を指摘する人は誰もいず、結局のところ「どちらも目立ちたがり屋の似たもの同士だから、そりが合わないのだろう」という解説に落ち着くのであった。<

そして、一方の中村が国政復帰を果たせず地方政治家でくすぶっているのに対し、片や塩崎は安倍首相のオトモダチで、第1次安倍内閣で官房長官、第2次安倍内閣で厚労相と日の当たる場所を歩んでいる。彼我の差から、安倍内閣に対して一泡吹かせてやろうという気になっても不思議はない、という説である。しかし、現在閣外にいる塩崎前厚労相自身は、まったく傷がつかない。それで意趣返しになるのか、という疑問が生じる。

野党説は、中村の場合、出自が非自民なので、野党系からの要請に応じる気になったという、あまりひねりのない説である。この先に、国政復帰を狙って全国的に名を売ろうとしたのではないか、あるいは石破政権成立にかけたのではないか、といううがった見方を付け加える人もいた。ここまで行くと、憶測が憶測を呼ぶという形である。

どれが真実なのかはわからない。また、人間の行為だから、いくつかの理由が複合しているのかもしれない。こうした中村知事の真意に対する様々な憶測とは別に、この間、一番よく聞いたのは、「あんなことして、愛媛に国からの予算がつかなくなるんじゃないか」と心配する声である。この種の言葉は、国の予算が云々というところから縁遠いところで生活している学生ですら口にしていたことである。すでに、実際に影響が出ていると話す人もいる。また伊方原発の件で、中村知事が経産省を訪問した際、経産大臣が対応しなかったことを捉えて、前年度よりも経産省の対応の水準が下がっているとの見方を示す県内マスコミもあった。

中村知事は、この7月6日・7日に発生した西日本豪雨災害に対する国への支援要請という思わぬ形で安倍首相と面会する機会をもった。広島・岡山・愛媛の3県で特に大きな被害が出る中、愛媛県に特別警報が発令されたのは、広島県・岡山県に遅れること1日半後の8日朝であった。すでに土砂災害や肱川の氾濫が起こった後のことである。愛媛では、政府がわざと愛媛県にだけ特別警報の発令を遅らしたなどという、被害妄想的な自虐ネタまで生まれる始末である。

ところで、市職員を愛媛県職員と同席させたはずの今治市では、この期に及んで菅良二市長が、市の関連文書の公開を拒んでいる。信じられないかもしれないが、松山においてさえ、この菅市長の姿勢こそ地方首長のあらまほしき姿だと「評価」する声が多いのである。国と喧嘩していいことなんて1つもないというような、地方人の現実的で打算的な冷めた考えが垣間みえる。

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さて、最近、今治市の西隣の西条市の職員の人たちと調査の打ち合わせで会う機会があった。話のついでに中村知事の行為について、どのように思うのか尋ねてみた。彼らは、「利得の面でいえばマイナスの要素があるかもしれないけれど、正しい行動だったと思う」と述べていた。周囲でも、そのように言う人が多いとのことであった。「松山あたりとは反応が違いますね」というと、「土地柄ですかね」と返された。

西条・新居浜は、距離的に県庁から離れている、工業都市として自立している、伝統的に労組が強くリベラル色が濃い(昔風にいうと「愛媛における革新の牙城」)、というような要素がある。「土地柄」とは、そうしたことを指すと思われる。

昨夏を思い起こしてみたい。7月の都議選で自民党は歴史的惨敗を喫し、森友・加計問題で安倍内閣の支持率は急落して不支持が大きく上回る状態であり、内閣の命運にかかわるところまで追い込まれていた。そこで党利党略(あそこまでいくと「個利個略」か)の総選挙に打って出られ、自民党に勝利を許してしまったわけである。総選挙の自民党圧勝の中に隠れてしまったが、実は愛媛3区では希望の党公認だった白石洋一氏(現国民党)が、自民党候補に勝利し、しかも比例復活すら許さなかったのである。

中村知事の行動を支持していた西条市の人ですら、「国や今治市は、絶対に本当のことを言わないから、どうにもならないのですがね」とも述べていた。中村知事の思惑が奈辺にあったかはわからない。しかし、この一撃があとあと安倍内閣に対してボディブローのように効いていくことを、今は願うばかりである。

いちかわ・とらひこ

1962年信州生まれ。一橋大学大学院社会学研究科を経て松山大学へ。現在人文学部教授。地域社会学、政治社会学専攻。主要著書に『保守優位県の都市政治』(晃洋書房)など。

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