連載●池明観日記─第6回

韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート

池 明観 (チ・ミョンクヮン)

―2010年続き―

低いものへと平準化するのではない。みんなを引き上げながら平準化しなければなるまい。白黒と論理的に区分するのではなく、人間とは過誤を通して成長するものだと思わねばならない。古い時代の企業と組合ではなく、利益を引き上げながら、利資の増大をはかりながら分配の道をさぐらねばならないであろう。民衆の善意を漠然と期待しながら事に当たることは間違いではなかろうか。かつての日本航空は分配することに集中して赤字へと転落したといわれているではないか。日本は韓国に対してウォン貨の切り上げを求めているという。対立するよりは協力する道をさがして状況を克服しようとしなければならない。中国に対してもそのような姿勢でなければならない。ここで北東アジア共同体が問題にならざるをえない。競争しながら協調するということは絶えず調整しあうことを必要とするであろう。それが人間がともに平和に生きて行くということであろうかと思うのである。

日中韓が発展するとすれば日本はいかにすべきであろうか。アメリカを中心とした経済圏のように日本を中心とした経済圏も考えうるのではなかろうか。これから日本はより金融と流通業に向かうこともありうるかもしれない。また高度な技術に集中する道もあるであろう。教育、特にアジアに向けて開放された教育が必要になるのではなかろうか。経済が活発な所に後進国の若い人たちは集まってくるだろう。今の状況では彼らが使う共通語は英語にならざるをえないかもしれない。日本語の間で日本はアメリカのような役割を担う存在を目ざさねばならないのではなかろうか。日本はそういうことを考えながら悩みつつも自ら成長発展する道をさぐらなければならないのではなかろうと思うのである。(2010年11月16日)

 

これからは国家間においてほとんど戦争はありえないものと私は考える。経済的な面においてこのようにおたがいがからんでいるので、戦争などありえないであろう。核兵器の時代には戦争で誰も生き残ることができないという単純な前提の下で、われわれは暮らしているではないか。戦争をすれば敵という相手だけでなく自分も崩れる。それよりももっと重要な問題がある。いまは他の国を植民地として支配しながら生きて行くことなどできるであろうか。友誼を確かめあいながら友として共に生きて行かなければならない他の国が存在するだけではないか。国家間でも国家内におけると同様に他を支配する時代は過ぎてしまった。歴史の進歩とはそういうものではないか。歴史の進歩によって人間の善意がますます求められるのである。

昨日、北朝鮮が延坪島(ヨンピョンド)に向けて砲弾を発射したということは、軍事的戦争を始めたものとは考えられない。われわれも彼らも自分の生き方を相手に強要することなどできないものといえよう。分断された民族として、もとのように共に暮らして生きたいと思う。しかし分断された痛みをいだいている世代がだんだんなくなって行く。今やただ漠然と統一を回復しなければと思っているような気がする。何よりも北が閉ざされているために窮屈だと思っているといえるかもしれない。分断65年でわれわれの心情もそのように変ってしまったといえば、何かしら悲しくならざるをえない。(2010年11月27日)

 

朴正煕(パクチョンヒ)政権に対する肯定的な評価が少なくないということを聞くにつけいろいろと考えるようになる。歴史を継承するという時には、過去の些少なこと、いやその当時においては重要であったことでも振るい落として、今日の視点において継承するものであるといわねばならない。それで朴正煕は経済発展の礎を築いた人であると称しその業績を評価するというのであろう。彼が生きていた当時にはその権力が目の前で不正と迫害を加えてくるのに国民が激しく憤っていたのであったが。

今日われわれの観点はいまだに国際関係においては優勝劣敗という図式で生き残りを図り、進んでは他を支配するという今までの生き方から抜け出てはいないのではなかろうかと思われる。現実においては戦争はありえないし、相互協力によってのみ発展することができるという状況であるにもかかわらずである。先へと進んで行く現実を追いかけて行くのに当惑しているのがわれわれの意識であるといわざるをえない。

先日北が延坪島に砲撃を加え4名の死者を出した事件とは、どのような性格を持っているものであろうか。北朝鮮は日中韓が友好的に発展を共にするという状況をかき乱し、彼らの存在を認識させ、そして北東アジアの不安定な状況をいっそうかき立て長びかせることを目ざしたのではなかろうか。中国とロシアを北東アジアの状況に引きずりこんで自分の方に加担させることをもっとも重要な目標にしているのであろう。中国はいまだに日本との領土紛争と北朝鮮のことを利用してこの地域の危機をあおり、中国国内における民衆の不満にはけ口を与えようとしていたのではなかろうか。

歴史はこのような紆余曲折をへながら進んで行くものである。北朝鮮はもちろん中国の体制も長い目で見ればもっと修正されざるをえないであろう。国民の台頭と独裁的権力の排除というのが歴史の進んで行く方向であるといわざるをえないのではなかろうか。経済の発展を求めるとすれば、そのような道は避けられないであろう。北側の延坪島攻撃を否定隠蔽しながら事態を収拾しようとする中国の態度が、どうして国際的に容認されようか。ロシアの方は右往左往しているように見える。そこで中国はパキスタンに対して大々的な経済援助を提供するということで人気をえようとしているが、歴史がそのような計略ですまされるにはあまりに発展しているといわねばならないのではなかろうか。

恐ろしいほどの言論の発展、相互依存的な経済への展開、そして交通と交流の目ざましい発展と、あまりにも大きな、そして急速な進歩ではないか。北朝鮮はこのすべてに対して自らを閉ざしている。そしてそこには法による支配などはありえないという現実である。(2010年12月20日)

―2011年―
≫エジプトの革命を見ながら≪

エジプトの革命の渦巻きを見ながら、韓国の現代史が経験しなければならなかった1960年の4・19革命、1979年朴正煕の死、そして1987年の6 月抗争などを考えるようになる。エジプトの革命は歴史的に見れば韓国における4・19になぞらえられるであろう。そのような動きがチュニジアなどアフリカ全域に広まるような思いがしてならない。トインビーが1975年にアメリカのコンコードに起きた銃声が何回も地球を回るといったが、いまもその回転が続いているといわねばなるまい。現代的な平和が世界的に可能になるまで廻るのであろう。そうなればなるほど世界の問題をかつての主権国家間の競争とか戦争という手段とは異なる関係をもって論ずるようになってくるのではなかろうか。

アメリカが世界史をあやつる状況が続いている。アメリカはヨーロッパの白人世界を代表するものといっていいであろう。エジプトでも軍部が台頭してきたが、韓国における1980年前後のような状況が現れてきたと思われる。韓国では朴正煕の体制が全斗煥(チョンドファン)の登場を可能にし、1988年に至ってようやく名ばかりの民主社会が可能になったではないか。その間韓国の政治に対するアメリカの関与が続いた。これからもそのような白人の世界支配という歴史は継続するものと思える。

日本がナンバー・ワンだとおだてられた時代が続いたが、いまは中国がアメリカにつぐナンバー・ワンであるという。そうしながら間もなくアメリカも追い越すだろうとさえいわれる。それはアメリカの世界支配の体制の下で日本がおだてられていた頃の状況とあまりにも似ているもののように思われる。このような状況の下でどの国も生きて行き、生き残らねばならない。このような歴史は誰かが、ある国、ある勢力かがまるで背後において操っているかのように思える。このような歴史に適応しながらも自己の国家利益を手にすること、またそのような歴史を超えて世界史と民族史を展望することをなしえなければならないのではなかろうか。

私は北朝鮮が進んでいる道は実に不安なものであると考える。彼らは党指導部には絶対に誤りはないという立場ではないか。彼らは他人に向けても世界に向けても自分たちの“無謬説”を主張する。自分の国民を飢餓の中に放置しておいたままにである。他人に対して物乞いをしながら自分は偉大であるとみせびらかそうとするわけだが、南のこの国にはこのような北の姿勢を擁護する人々も少なくない。1947年私が北を離れようとする時、そのような独裁の“無謬説”は流行し始め、それに寄生しようとする勢力が形成されつつあり良心的で有能な人物がだんだんと消えつつあったことが、いまも忘れられない。

その時は暴力的思考を受け入れると出世の道さえ与えてくれた。しかしそれは利用しようとする時だけであって、相手はもう不必要だと判断すると、それまで隠されてきた面をあばき出しては苛酷な粛清と追放に処した。その社会では金日成、金正日のこのような企みのなかで生き残ったごく少数の群だけが頭をもたげていた。その社会ではそのような忠誠心を示さなければそのほとんどが残忍な形で名もなく消えて行く。あの数人以外には人間として生きて行くことなど許されず記憶されることもないのではないか。

社会主義という理念がそのように堕落しうるという哀しい物語である。そのような体制がただ物理的な力でそのまま続くのである。そこにはそれを制御し修正する牽制勢力など存在しえない。時間がたてばたつほどその社会はますます悪化するだけである。人間のことがらなのにこれほど残忍で悲しいことがあろうか。理想を追求しながらも、常に与えられたことを諦念で受け入れる謙虚な知性が求められるといおうか。これこそこの人間世界を生きる知恵ではなかろうかと思わざるをえない。急ぎながらも待つこと。これがキリスト教の人生であるとカール・バルトは言ったではないか。

≫民族主義を超えて≪

歴史はカントの用語を使えば“物自体”(Ding an sich)であるというべきではなかろうかと思うのである。それはわれわれの把握を超えて存在する。歴史不可知論とでもいおうか。それは時間が過ぎされば過ぎるほどそれ自体をあらわにする。それにもかかわらず歴史は究極的に不可知の世界である。それ故に歴史は目に見ない手によって導かれるというのである。朴正煕という存在も歴史に従ってその様相とそれに対する評価を異にするようになるのではないか。

しかし歴史とはその時代自体による判断がもっとも正当性を担うのであると私は考える。いわば朴正煕に対する判断は、彼の死の日である。1979年10月26日を中心とした判断がもっとも正しいものであると私は考えるのである。彼に対する評価が多少でも異なってきたとすれば、それはわれわれの過去に対する忘却症と現実に対する嫌悪感という批判意識との間に起こって来る過去に対する美化というわれわれの想像力が編み出したものに過ぎないであろう。昨日は美しく今日は唾棄したいものと思うのである。

昨日は、われわれが観念と化して、胸にひめるべき美しい詩であり、今日はわれわれが痛みをもって耐えて行かねばならない苦難に満ちた散文である。それでこそわれわれは現実を生きて行くことができる。過去はロマンに変えて置いてこそ現実に対する批判の根拠となりうるのではないか。われわれの歴史意識というものはそのような作用をするものではないかと思うのである。そのようにしてわれわれはこの人生を生きて行くのだ。ロマン主義者として現実主義者として生きて行くのだ。過ぎ去った日々をロマン化しながら、今日迫ってくる痛みを全身をもって耐えて行こうとするのだ。(2011年3月25日)

韓国に統一優先論者すなわち“先統一後民主化”という流れが残っているということは興味あることであるといわねばなるまい。そういいながら彼らは反米的な傾向をおびるのである。これは終戦後、解放直後から流れてきた傾向であったではないか。私は北の体制に批判的で、北から南へと南下した者として南の韓国では疎外されがちであった。考えて見れば終戦後南において統一優先の発想をしてきた人々が、いかに受難を耐え抜かねばならなかったことか。彼らが多くの犠牲を払わねばならなかったことを忘れることができない。

しかし今日においては彼らもほとんど自由に発言することができるようになった。だから民主主義といえるのである。ヤスパースとアレントはドイツに向かって統一ではなく自由が優先するといった。彼らは何よりもナチスを体験したからであった。いま多くの人びとが日本統治時代のことよりも李承晩体制と朴正煕軍事専制などを経験しながら犠牲になった人々のことを記憶している。日本統治も南北分断下の北朝鮮も経験しないまま、民主主義体制になってくる途上において経験した痛みのことのみを記憶している人びとが増えているわけである。このように歴史的経験を異にしている人びとが共に生きているという問題を深く掘り下げてみる必要があろう。(2011年4月8日)

ハンナ・アレントとカール・ヤスパース(Hannah Arendt,Karl Jaspers; Corespondence, 1906-1975/1883-1969)について。アレントの夫ハインリヒ・ブリュッヒャー(Heinrich Blucher)がヤスパースに送った書簡(1960年10月4日付、P.399以下)はとても興味深いといわねばなるまい。民族主義は資本主義、社会主義、種族主義、帝国主義と同じように危険であるといった。それらの傾向はややもすれば複合して現れがちであった。このために戦後においても国家を超えた連合は可能でなかった。そのような政治的スローガンによって自由は抑圧され、方々に独裁者がはびこったが、特に新生国などではそれが横暴をきわめたではないか。それでこの頃自由なきナショナリズムーそのようなものがアフリカで崩れているのではないか。わが国の北部においてもそれが最後の橋頭堡のように残っており、中国にもまだその遺産が残っていて北朝鮮を支え擁護しているのではなかろうか。

ヤスパースはブリュッヒャーの手紙に深く感動してナショナリズムは至る所に現れている悪魔(devil)であるとさえいった。われわれが日本統治下において心に刻んでいたのは民族独立の美しいナショナリズムである。しかし終戦後そのナショナリズムにつきまとった危険性を、特に北朝鮮ではそれが反動的、反歴史的に独裁三代を擁護する政治的陰謀として現れていることを考えざるをえない。

ナショナリズムが日本統治下にあった時代においてまとっていた後光は今やほんとうに解体されねばなるまい。かつての植民地保有国をおおっていたナショナリズムは、まだ日本のような国にも残っているであろう。しかし、多くの人びとがそれを超えてつき進もうと模索している、この世界史の方向にわれわれは共感しなければなるまい。ほんとうに中国や日本においてナショナリズムを強化したく思うような傾向には批判と抵抗をあびせなければなるまい。(2011年4月9日)

民族主義(nationalism)ということばがなんとうつろに聞こえてくるのであろうか。しかし侵略者たちがそのことばを口にしながら踏みこんできた時、民族を守ろうとしてそれを叫んだ時のことを思うと民族主義ということばはなんと血のにじんでいるような悲しくも美しいことばであったことだろうか。しかし今は民族主義といえば、言い過ぎかもしれないが、ナチスが口にしたようなものの気がしてくるといおうか。時代によって同じことばでもただよわすかおりが違ってくるのであろうか。今は北東アジアの平和を口にする時代である。

プラトンは『法律』においてつぎのよういわざるをえなかったではないか。

「実際に世の多くの人びとが平和と呼ぶものはただ名目のみでかえってすべての国々はすべての国々を相手にいつでも宣戦布告なき戦いの中にまきこまれているということが自然に適した存在方式であるといわねばならない」

そこでプラトンは「公的には万人が万人に対してまた私的には各自が自己自身に対して敵(polemios)である」といった。それでほんとうに実に多くの思想家たちが戦争、敵対関係、敵意を問題にし、“中にいる敵”そして“外にいる敵”を論じなければならなかった。

そして核兵器の時代に入って来て、アイロニカルにもわれわれは人間共滅の危機を感じながら平和を問題とせざるをえなくなった。一方地球は狭くなったといってたがいに物を交換し繁栄を追求しながらである。

このような状況の中で今までの思想はおしなべて戦争と対立の中で生み出された思想というならば、今は平和の中での生活のために求める思想といわねばなるまい。そのために神学にしても今日の神学はカール・バルトのように戦争を前にして考えた神学ではない。このことはすべての思想の領域に該当することではなかろうか。21世紀の新しい思想の地平といおうか。それは私と敵ではなくわれわれ人類というのが核心をなされなければならない。そのように考えるならば、朝鮮半島においても南と北とがともに今までいかに異なった発想の場に置かれていたかと反省せざるをえない。今やわれわれの南北問題も過去とは異なった歴史の場に置かれていると認識しなければなるまい。対日関係についても同様なことがいえるのである。そのために今度の日本の東北地方の地震災害に対する韓国の対応という問題も今までの国家的次元を超えていたと私は考える。今までわれわれ韓国人が日本人に援助の手を差し伸べると考えたことが果たしてあったのだろうか。

歴史におけるこのような新しい方向を今日の政治が志向して歩むことができるだろうか。改革的方向は常に市民の間で芽吹き出すものであるというべきではなかろうか。そのような新しい市民意識が芽生えつつあるとすれば、古い政治形態はもろいものであり、新しい歴史的方向からやってくる挑戦に当惑するようになるかもしれない。それで私は今度の地震によって日本は反動化するのではないかと問いかける韓国側のマスコミの質問に対して、ノーを口にしながら、日本はそのような反歴史的な道をたどるはずがないと答えた。そして今度の地震の被害に対して世界的に伸びている救援の手は歴史の新しい方向を促している目に見えない手ではなかろうかと答えたのであった。(2011年4月14日) 

(続く)

池明観(チ・ミョンクワン)

1924年平安北道定州(現北朝鮮)生まれ。ソウル大学で宗教哲学を専攻。朴正煕政権下で言論面から独裁に抵抗した月刊誌『思想界』編集主幹をつとめた。1972年来日。74年から東京女子大客員教授、その後同大現代文化学部教授をつとめるかたわら、『韓国からの通信』を執筆。93年に韓国に帰国し、翰林大学日本学研究所所長をつとめる。98年から金大中政権の下で韓日文化交流の礎を築く。主要著作『TK生の時代と「いま」―東アジアの平和と共存への道』(一葉社)、『韓国と韓国人―哲学者の歴史文化ノート』(アドニス書房)、『池明観自伝―境界線を超える旅』(岩波書店)、『韓国現代史―1905年から現代まで』『韓国文化史』(いずれも明石書店)、『「韓国からの通信」の時代―「危機の15年」を日韓のジャーナリズムはいかに戦ったか』(影書房)

池明観さん日記連載にあたって 現代の理論編集委員会

この連載「韓国の現代史とは何か―終末に向けての政治ノート」は、池明観さんが2008年から2014年にかけて綴ったものです。TK生の筆名で池明観さんが1970年代~80年年代に書いた『韓国からの通信』は雑誌『世界』(岩波書店)に長期連載され、日本社会に大きな衝撃と影響を与えました。このノートは、折々の政治・社会情勢を片方に見ながら、他方でその時々、読みついだ文学作品、あるいは政治・歴史にかかわる書籍・論文を参照しながら、韓国の歴史や民主化、北朝鮮問題、東アジア共同体の可能性などを欧米の歴史・政治と比較しながら考察を加えています。

今回縁あって、本誌『現代の理論』は、著者・池明観さんからこの原稿の公表・出版についての依頼を受けました。第12号から連載記事として公開しております。同時に出版の可能性を追求しています。この原稿の出版について関心のある出版社は、編集委員会までご連絡ください。

  

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