特集●日本を問う沖縄の民意

辺野古新基地の背後で進む危険な構想

南西諸島の軍事要塞化、専守防衛超え対中国軍事対決へ

ジャーナリスト 前田 哲男

1.「辺野古問題の奥」にあるもの

「世界一危険な飛行場」=普天間飛行場の返還が日米間で合意されて、4月で23年経った。しかし、当時「5~7年以内」と決められた期限はいまだ実現していない。理由は、日本政府が沖縄県民に受けいれられない「辺野古新基地」建設を断念しようとしないからだ。

2月24日、沖縄県あげて実施された「辺野古米軍基地建設のための埋立ての賛否を問う県民投票」は、一部自治体の非協力(投票事務にかかる予算を削除したこと)により、妥協案(選択肢に「賛成」・「反対」とともに「どちらでもない」を付加する)という曲折を織りこみながらも、結果は、懸念された事態――投票数が投票資格者の総数の4分の1に達しないときは無効となる――を率・数ともに軽がるとうわまわって、「埋め立て反対」が43万4273票(71.74%)という圧倒的な民意により、この問題についての是非を決着させた。

「埋め立て反対」を掲げ当選した玉城デニー知事は、投票結果をうけ、

「政府は、辺野古の埋め立てを決して認めないという断固たる民意を真正面から受け止め、『辺野古が唯一』という方針を見直し、工事を中止するとともに、普天間飛行場の一日も早い閉鎖・返還に向け、県との対話に応じるよう、強く求める」とのべた。

いっぽうの安倍首相は、表面上「今回の県民投票の結果を真摯に受け止め」る、としながらも、

「日米が普天間基地の全面返還に合意してから20年以上、実現されていない。これ以上先送りすることはできない。これまでも長年にわたって県民と対話を重ねてきたが、これからもご理解をいただけるよう全力で県民との対話を続けていきたい」と、投票結果に左右されない民意黙殺の姿勢を変えようとせず、じっさい、投票翌日にも新基地予定地への土砂投入が続行された。

首相の受けとめは、民意無視ばかりか憲法軽視にもつながるものである。

日本国憲法第95条は、「一の地方公共団体のみに適用される特別法は、法律の定めるところにより、その地方公共団体の住民の投票においてその過半数の同意を得なければ、国会は、これを制定することができない」とさだめている。

この憲法規定により、「広島平和記念都市建設法」(1949年)、「長崎国際文化都市建設法」(同年)、「横浜国際港都市建設法」(1950年)、「旧軍港都市転換法」(横須賀・呉・舞鶴・佐世保が対象 1950年)などの特別法が、それぞれ自治体の「住民投票」によって制定された。

とくに「軍転法」は、旧軍港施設を地元自治体に無償または時価より安い価格で譲渡する法律として、旧海軍の「軍港都市」であった4市の戦後再建に大きく貢献した。同法はなお有効なので、いつの日か、米軍が横須賀・佐世保基地から撤退するときがくれば、両市では自治体と市民の「民意」が優先される。このように「住民投票」は、いまも実質性を担保されているである。

しかし、沖縄の場合はちがった。

たしかに(形式的にみれば)「辺野古新基地建設」は、憲法にいう「特別法」の要件に該当するものでないのかもしれない。そもそも「普天間飛行場返還」が「日米両政府の合意」(SACO報告 1996年)による決定であったからだ。その後、代替施設として県内・名護市に「辺野古新基地」計画が浮上したが、憲法95条にもとづく「住民投票」には付されなかった(憲法規定からは異常なことだが)。そうした経緯をふまえると、辺野古の場合「特別法」の要件を満たさないので、住民投票に付託する必要がないとの言い抜けはできる。安倍政権はその立場をとった。

だが、それはあくまで立法上の不備ないし不作為――第1に、「沖縄返還協定」(1972年)に「軍転法」の原則が明記されなかった(同協定第2条は「安保条約の適用」、第3条は「基地の使用」であり、95条に触れていない)こと,第2に、そのような(戦争で奪われた土地を返すのに、住民の意向も聞かず、べつの土地を提供するという)日本政府の対米追従姿勢――に帰せられる。だから、安倍政権が「唯一の選択肢」として辺野古を強調するたびに、それはただちに憲法にさだめる「一の地方公共団体のみに適用される」権力行使の理不尽な例としてはねかえってこざるをえない。だから「県民投票」は、憲法95条を「代行」したものとして尊重されるべきである。

その結果が(名護市民のみならず)沖縄県全体の意思として、かくも明確になったかぎりは、県民の意思にしたがうのが民主主義の原則というべきだ。憲法95条と「軍転法」との比較において、最低限、そう主張できる。

にもかかわらず、政府は、県民投票の結果を無視して工事継続に固執するばかりか、さらなる工期延長(その後あかるみにでた「軟弱地盤問題」を考えずとも最低3年8か月)と建設費増大(最終的に2兆円以上とされる)に顧慮することなく、日々、大浦湾への土砂投入をつづけている。この、異様とさえいえる安倍政権の居直りようは、たんに「普天間の代替基地」や「沖縄海兵隊の抑止力」維持といった説明だけで納得できるものではない。

まして、「辺野古新基地」をとりまく周辺状況が――日・米・中角逐の場、および日・米による軍事対抗策により――刻々変化している実情に照らすと、なおさら「辺野古ありき」に執着しつづける背後には、「辺野古のみ」にとどまらない理由があると推測できる。

そこで本稿では、「辺野古新基地そのもの」を凝視する視点から一歩はなれ、「南西諸島の軍事化・要塞化」という見地に立って、現在、沖縄をふくむ南西諸島で進行している軍事基地づくりの実情を巨視的に見ていくことにする。そうすれば、(辺野古を〈台風の目〉とする)沖縄にどのような役割が課されつつあるかを理解できるはずである。

以下の分析は、いま〈政治的焦点〉としてある辺野古新基地問題を、「南西諸島」というひろがりのなかに付置して、そこで進行中の〈軍事的意図〉――奄美大島~沖縄~先島・八重山諸島へとつらなる〈基地の鎖・海の壁〉の形成――に注目しつつ、その全体像をさぐろうとするものである。いわば〈辺野古問題の鳥観図〉といったものを提示してみたい。

2.〈槍の穂先〉となる「南西諸島防衛ライン」

辺野古がある沖縄島を〈鳥の目〉でながめると、文字どおり「沖の縄」にふさわしい島々のつながり――鹿児島県から沖縄県にいたる南西諸島の配列――が見てとれる。

「南西諸島」とは、「薩南諸島」(奄美諸島)と「琉球諸島」を総称していう。薩南諸島には鹿児島県に属する種子島、屋久島、奄美諸島などがあり、いっぽうの琉球諸島は、沖縄諸島(沖縄本島など)、先島諸島(宮古島、下地島など)、八重山諸島(石垣島、与那国島など)からなる。

鹿児島・那覇間は直線距離で682キロ、那覇と宮古島間300キロ、石垣島間は469キロ。さらに西側にある与那国島までいれると「南西諸島」は全長1200キロをこえ、本州1500キロにほぼ匹敵する長大さとなる。それら〈島の連鎖〉が九州南部と台湾とのあいだにつらなり、太平洋と東シナ海、黄海を分断するかたちで散在しているのである。島々のあいだにひろがる海は、「国際海峡・水道」(国連海洋法条約)として開放されており、(軍艦もふくめ)通過・通航行権がみとめられる。

〈島の鎖の奥〉には、中国の名だたる港湾都市(同時に海軍の拠点でもある)青海 、上海、大連、寧波 などが所在している。中国の海運と海軍(および航空機)は、南西諸島の公海水道を抜けずに太平洋に出ることはできない。

この地勢状況を一瞥すると、冷戦期(ソ連が日米共通の想定敵国であったころ)、日本列島が、日本海と三海峡(対馬・津軽・宗谷)によってソ連極東部を扼す位置にあった地理的条件に乗じ、「三海峡封鎖」作戦を構えながらソ連太平洋艦隊の外洋進出に対抗、封じこめていた状況と比定できる。その1980年代と同様の〈封鎖の試み・海の牙づくり〉が、いま、南西諸島において(中国に向け)再現されようとしているのである。そのことと「辺野古問題」は無関係ではない。

具体的な動きをみよう。新年度をひかえた3月末、奄美大島と宮古島に発足した新部隊を報じる自衛隊の準機関紙『朝雲』(3月28日付)掲載記事――「陸上自衛隊は南西諸島への新たな駐・分屯地の開設など、3月26日付で大規模な部隊新・改変を行った。『創隊以来の大改革』と位置付ける組織改革の一環で、島嶼防衛態勢を強化するため、鹿児島・奄美大島に奄美駐屯地と瀬戸内分屯地を、沖縄・宮古島に宮古島駐屯地をそれぞれ開庁、警備隊などを配置した。また、4師団(福岡)には機動力を高めた「偵察戦闘大隊」を、8師団(北熊本)には、中域用無人偵察機を装備した「情報隊」を新編、西方の偵察・情報収集能力を強化した」。

記事はつづけて、「奄美警備隊」――奄美駐屯地(隊員350人)と瀬戸内分屯地(210人)――が熊本・第8師団隷下となり、地対艦ミサイル(SSM)部隊と中距離地対空ミサイル(中SAM)部隊から編制されること、また宮古海峡に面した「宮古警備隊」(現在380人)は将来800人規模に増員され、SSM、中SAMを装備するとつたえ、そのうえで岩屋防衛大臣の「(これで)南西諸島の守りの空白地帯が埋まる」との談話を引いている(宮古島駐屯地では、住民に「造らない」と説明してきた弾薬庫が設置していたことがわかり、抗議を受け島外に搬出された)。

それでも、『朝雲』記事は事実の一部にすぎない。

奄美大島、宮古島にくわえ、種子島そばの馬毛島(鹿児島県西之表市)には米軍艦載機の陸上発着訓練場(FCLP)設置に向けた交渉が進行中で、実現すると空自F-35も滑走路を使うことになる。また、八重山諸島・石垣島でも地対艦・地対空ミサイル部隊(約600人)の設置が予定されている。さらに、台湾と指呼の間(約100キロ)にある最西端の与那国島には2016年以降、「沿岸監視隊」(160人)がすでに活動中だ。おなじ年、沖縄本島の空自F-15戦闘機部隊も「第9航空団」に増勢され、40機1500人体制になった(年間離発着回数1万回以上)。

こうみていくと、全長1200キロ余の南西諸島づたいに(鹿児島県から見て)馬毛島、奄美大島(2か所)、沖縄本島~石垣島~宮古島~与那国島をむすぶ自衛隊基地ネットワークが形成されつつあるさまを見てとれる。新設部隊の装備にしめされているように、配備目的が(中国海軍を想定した)「通峡阻止」――〈海の関所〉構築――にあるのは明白だ。同時に、上級司令部が第4師団や第8師団であることからもわかるとおり、たんなる〈警備隊=離島守備隊〉にとどまらず、縦深性をもつ攻勢的意図も透けてみえる。沖縄米軍の〈前衛と後衛〉にあたるとみてよい。

その象徴的存在が長崎県佐世保市に2018年開隊した「水陸機動団」である。〈日本版海兵隊〉とも称されるこの部隊は、沖縄米海兵隊とおなじ装備(水陸両用戦闘車、エアクッション型揚陸艇)をもち、テニアン島やカリフォルニア州でティルトローター輸送機オスプレイを〈足〉にして共同訓練をひんぱんにおこなっている。同型オスプレイは陸上自衛隊が導入を予定し佐賀空港に配備される計画なので、実現すれば、佐世保の水陸機動団は、「佐賀空港基地」を足場に南西諸島まで一気に進出できる〈長い足〉をもつこととなる。普天間基地に配備されたオスプレイの(西日本全域にわたる)行動をみれば容易に想像がつく。

したがって、南西諸島に新設された部隊は、「離島防衛」や「空白地帯を埋める」任務にとどまらず、九州の自衛隊基地を策源地とし、沖縄米軍と策応する〈攻撃発起部隊〉としての役割もになえる。そこから判断しても、南西諸島への新部隊設置は、「中国脅威論」に正面から対峙する自衛隊の新配置といえ、かつて、北―「ソ連の脅威」に置かれていた戦略重心が「南―中国」へと転換したことを実態として示した布陣、とみなせる。「辺野古新基地」建設もまた、こうした大きな流れと軌を一にした――日米共同の作戦基地基盤として――運用が想定されているのだろう。

3.「新大綱」で放棄された「専守防衛」

以上の部隊新編を、防衛政策の基本文書――昨年12月18日閣議決定された「防衛計画の大網」および19年度から調達がはじまる「中期防衛力整備計画」――と照合し、さらに、日米間の軍・軍連携として合意ずみの「新ガイドライン」(日米防衛協力のための指針 2015年)と突きあわせながら分析すると、自衛隊・米軍の作戦計画のレベルにまでおよんでいる内実が確認できる。

そこで角度を変え、それら文書の内容を点検してみよう。

「防衛計画の大網」は、おおむね10年を展望する自衛隊の長期運用方針だが、新大綱では「多次元統合防衛力」なる方向が打ちだされた。「策定の趣旨」に、

「今後の防衛力の強化に当たっては…従来の延長線上ではない真に必要な防衛力を構築するため、防衛力の質及び量を必要かつ十分に確保していく必要がある」、また、「従来とは抜本的に異なる速度で変革を図っていく必要がある」とある(強調部引用者 以下同)。

このように「新大綱」は、「従来の防衛力からの脱却」を強調し、「宇宙・サイバー・電磁波領域」と(「宇宙の平和利用原則」を破棄して)垂直分野への進出を宣言するとともに、水平面においても「自由で開かれたインド太平洋というビジョン」という新概念を打ちだし――「領域横断(クロス・ドメイン)作戦により個別の領域における能力が劣勢である場合にもこれを克服し、わが国の防衛を全うできるものとする」――従来にない広大な地域・海域への進出が予告された。「領域横断(クロス・ドメイン)作戦」が中国海空軍を念頭に置いたものであるのはいうまでもない。また「個別の領域」が南西諸島を指していることも(以下の記述により)明瞭である。

「大綱」は、「各国の動向」の筆頭に中国を挙げる(前大綱までは「北朝鮮」だった)。

「(中国の)軍事能力の強化は、周辺地域への他国の軍事力の接近・展開を阻止し、当該地域での軍事活動を阻害する軍事能力、いわゆる『接近阻止/領域拒否』(A2/AD)能力の強化や、より遠方での作戦遂行能力の構築につながるものである」と指摘しつつ、

そのうえで「こうした中国の軍事動向等については、国防政策や軍事力の不透明性ともあいまって、我が国を含む地域と国際社会の安全保障上の強い懸念となっており、今後も強い関心を持って注視していく必要がある」と警戒心をあらわにする。そして「特に沖縄については、安全保障上極めて重要な位置にあり、米軍の駐留が日米同盟の抑止力に大きく寄与している」と述べ、(間接的にだが)辺野古新基地の果たすべき役割も示唆されている。

こうした観点から「領域横断(クロス・ドメイン)作戦」が提起され、「島嶼部を含む我が国に対する攻撃への対応」が位置づけられるのである。そこでは、

「島嶼部を含む我が国への攻撃に対しては、必要な部隊を迅速に機動・展開させ、海上優勢・航空優勢を確保しつつ、侵攻部隊の接近・上陸を阻止する。海上優勢・航空優勢が困難な状況になった場合でも、侵攻部隊の脅威の外から、その接近・上陸を阻止する。万が一占拠された場合には、あらゆる措置を講じて奪回する」と記され、「陸上自衛隊の体制」の節には、

「水陸機動団等の機動運用部隊による艦艇と連動した活動や各種の訓練・演習といった平素からの常時継続的な機動、自衛隊配備の空白地帯となっている島嶼部への部隊配備、海上自衛隊及び航空自衛隊とのネットワーク化の確立等により、抑止力・対処力の強化を図る」と記されている。

このような「自由で開かれたインド太平洋」と「領域横断」からなる「多次元統合防衛力」が、もはや「専守防衛」とまったくかけ離れた〈自衛隊の将来図〉であることは疑いようがない。

それを踏まえ、2019年度から5年間にわたる兵器調達計画――「中期防衛力整備計画」――をみると「基幹部隊の見直し等」の節に、昨年創設された水陸機動団1個連隊にくわえ、

「1個水陸機動連隊の新編等により強化された水陸機動団が、艦艇と連携した活動や各種の訓練・演習といった平素からの常時継続的な機動を行うことにより、抑止力・対処力の強化を図る。また、引き続き、初動を担任する警備部隊、地対空誘導弾部隊及び地対艦誘導弾部隊の新編等を行い、南西地域の島嶼部の部隊の態勢を強化する。さらに、島嶼部等に対する侵攻に対処し得るよう、島嶼防衛用高速滑空弾部隊の新編に向け必要な措置を講ずる」と展望している。

さきに見た奄美大島、宮古島、石垣島に発足した新部隊がその前触れにあたる。これら部隊は「スタンドオフ防衛能力」を装備するとされる。スタンドオフ能力とは、相手国の目標上空に侵入することなく遠隔距離から敵基地を攻撃できる兵器能力をいう。

そうした能力は、これまで「先制攻撃」や「敵基地攻撃」にあたるとして「憲法上保持しえない」とされてきた。それが「新大綱」では、「相手方の脅威圏の外から対処可能なスタンド・オフ・ミサイル(JSM、JASSM及びLRASM)」を整備、と明記され、保有が解禁されたばかりか、「島嶼防衛用高速滑空弾、新たな島嶼防衛用対艦誘導弾及び超音速誘導弾の研究開発を推進する」と、新兵器開発にまで言及されているのである。また「島嶼防衛」を口実に、新型ミサイルのほかにも「戦闘車両輸送艦」(LSV)、汎用揚陸艇(LCU)など「大規模輸送を効率的に実施できる船舶」の調達計画も「中期防」に記載された。

これらの新部隊配置と装備を、もはや「専守防衛」の枠ぐみで説明することはできない。〈尖閣諸島防衛〉にしては大がかりに過ぎる。また、中国に対抗する軍事力展開であるのはたしかだとしても、真のねらいが〈離島=尖閣防衛〉を超えたところにあると判断せざるをえない。それを解く鍵が「日米ガイドライン」に書かれている。そこに、南シナ海をふくむ「インド太平洋」が最終ターゲットだと明示された。「新大網」や「中期防」に「インド太平洋」という協力区域が出現した理由もそこに由来する。

4.「15年ガイドライン」で、さらに進む〈日米一体化〉

「日米防衛協力のための指針」(通称「ガイドライン」)とは、日米安保協力にもとづく「軍・軍連携」、いわば〈ウォー・マニュアル〉として機能すべくつくられた(制服組への)「指針」をいう。これまで3度合意され、最新のものが「戦争法」制定と同年に合意された2015年版である(内閣の行政事務として処理され国会承認を要さない)。

まず「三つのガイドライン」の組み立て――冒頭に置かれた「指針の目的」――を見ておこう。

●1978年ガイドライン

Ⅰ.侵略を未然に防止するための態勢
Ⅱ.日本に対する武力攻撃に際しての対処行動等
Ⅲ.日本以外の極東における事態で日本の安全に重要な影響を与える場合の日米間の協力

●1997年ガイドライン

Ⅰ.平素から行う協力
Ⅱ.日本に対する武力攻撃に際しての対処行動等
Ⅲ.日本周辺地域における事態で日本の平和と安全に重要な影響を与える場合(周辺事態)の協力
Ⅳ.指針の下で行われる効果的な防衛協力のための日米共同の取組み

●2015年ガイドライン

・切れ目のない、力強い、柔軟かつ実効的な日米共同の対応
・日米両政府の国家安全保障政策間の相乗効果
・政府一体となっての同盟としての取り組み
・地域及び他のパートナー並びに国際機関との協力
・日米同盟のグローバルな性格

以上の比較から明瞭なように、78年と97年ガイドラインでは、「未然・平素」「日本有事」「周辺有事」の三段構えで日米協力のありかたが区分されていた。これにたいし2015年版は区分なしの並列表記となった。その理由は、「Ⅰ.防衛協力と指針の目的」冒頭にかかげられた記述で説明されている(下線 引用者)。

「平時から緊急事態までのいかなる状況においても日本の平和及び安全を確保するため、また、アジア太平洋地域及びこれを越えた地域が安定し、平和で安定したものとなるよう、日米両国間の安全保障及び防衛協力は、次の事項を強調する」。こう前置きして、前記各項目が列挙されるのである。つまり、日米安保協力における〈平・戦時の境界〉と〈地理的制約〉を取りはらい、並列表記としたうえで、日米の軍・軍連携が確認されたとわかる。

この基本認識――つづめていえば、「切れ目がなく、米軍・自衛隊の相乗効果を追求し、グローバルな日米共同の対応」――のもとの軍・軍連携が、15年ガイドラインをつらぬく基調となった。それにより日米軍事協力は、それまであった平時・有事の区分、日本領域・領域外協力の地理的線引きが消滅し、「日米同盟のグローバルな性格」と「アジア太平洋地域及びこれを越えた地域」におよぶ〈オールラウンド型〉に変貌、結果、「インド太平洋」までふくむ軍・軍連携のマニュアルとなったのである。

ガイドラインに領導され(また、その忠実な反映)が「大綱」「中期防」、そして「南西諸島防衛ライン」がとなって奄美から沖縄周辺に現実化している現状は、指摘するまでもない。これにより、従来「盾と槍」の比喩でかたられてきた自衛隊と米軍の連携が〈槍と槍一体のもの〉となったと理解できる。辺野古新基地は、その結節点に位置づけられる(当然、日米共同使用となる)。

また、ガイドラインには「海上安全保障」というあらたな節が3か所も出てくる。最初の「日本の平和及び安全の切れ目のない確保」にはつぎのように書かれている。

「日米両政府は、航行の自由を含む国際法に基づく海洋秩序を維持するための措置に関し、相互に緊密に協力する。自衛隊および米軍は…訓練・演習を通じた海洋における日米両国のプレゼンスの維持及び強化等の様々な取組において協力する」

また、「領域横断的な作戦」という協力項目も出現した。

「自衛隊及び米軍は、日本に対する武力攻撃を排除し及び更なる攻撃を抑止するため、領域横断的な作戦を実施する。これらの作戦は、複数の領域を横断して同時に効果を達成することを目的とする」、「自衛隊及び米軍の特殊作戦部隊は、作戦実施中、適切に協力する」

これらの一端は、すでに米原子力空母艦隊と海上自衛隊の空母型護衛艦「かが」「ひゅうが」などによる「共同巡航訓練」、そのもとでの「米艦護衛」という名称で日常的に実施されている。その主要な場が「南西諸島」の位置する東シナ海、そしてさらに奥にある南シナ海~インド洋なのである。島づたいに形成される米・自衛隊基地ネットワークは、〈槍の穂先〉として機能すべく想定されているのであろう。

際限なく拡大する〈安倍安保〉を(現実の動きに軍事テキストを重ねながら)追跡していくと、この小文では果てそうにない。「辺野古問題」も埋没してしまいそうだ。

だが正確にいえば、辺野古から遠ざかるのでなく、そこに発する軍事戦略の展開なのであり、また、ブーメランのように辺野古新基地へと舞いもどってくる帰結の論理でもある。冒頭、辺野古を〈台風の目〉と形容したのは、そのような〈ネットワークの中心〉になるという意味にほかならない。辺野古および沖縄周辺に造成中の「南西諸島防衛ライン」の形成を分析していくと、辺野古新基地⇒南西諸島防衛ライン⇒対中国軍事対決の、わかちがたい構図が浮かびあがる。

安倍政権は「県民投票」の結果を、なぜ歯牙にもかけようとしないのか? 「土砂投入」と同時進行する奄美大島、宮古島、石垣島への新部隊設置を、なぜ、メディアは同一視野に収め報道しないのか? それは「専守防衛」と無縁のものではないか? そうした問題意識から――事実の片方にある、中国の軍事動向についての分析と評価(および当然なすべき安全保障のべつのありかた=オールタナティブの提起)は捨象したが――本稿を書いた。

5.「島尾敏雄の体験」にまなぶ

むすびに、「南西諸島と戦争」のテーマに触発され、歴史をさかのぼると、忘れ得ないひとりの人物の名が思いおこされる。『死の棘』の著者・島尾敏雄だ。そこで、奄美諸島の 加計呂麻島で――アジア太平洋戦争末期の日々を――「震洋艇」特攻隊長の任にあって極限状態を生きた島尾の体験をふりかえってみたい。もし、南西諸島を武力で守ろうとするならば、たとえ、自爆兵器・震洋艇が「高速滑空弾」や「地対艦誘導弾」に代わろうとも、兵士と住民を待ち受ける運命はおなじだろうと思えるからである。それと似た愚が、同一の場所を舞台に進行しているからには、泉下の島尾も黙していられないはずと察せられる。

1944年、本土侵攻の米軍にそなえ日本海軍は、奄美諸島~沖縄にかけての南西諸島に、艇=震洋と名づけられた230キロ爆弾搭載、艇長5メートルのボートを多数配備した。12隻からなる第18震洋隊隊長が学徒出陣兵の海軍中尉・島尾敏雄だった。着任したかれの目に映った加計呂麻島の印象――

「基地は、南海の島かげに奥深く眠るが如くに横たわる、山上湖ともまごうおだやかな自然のままの入江であって、浮標ひとつ用意されてはいなかった。澄み切った入江の青い海は、両岸の樹木の影を深々と写し、古代さながらの清らかな静けさに満ちていた。私はどれほどそこに基地の施設など作らずにいつまでもそのままにそっとして置きたい思いにかられたことか。しかし既に特攻隊に基地として定められた以上、両岸の樹木は次々と伐採され、兵舎が建てられ、特攻艇の格納庫としての三十メートルも奥行きのある横穴が、十二個も掘削されなければならなかったのだ」(『魚雷艇学生』1985年より)

「南海の島かげ」に基地をつくる光景が、いま、辺野古はじめ奄美大島や宮古島、石垣島でくりかえされていることを忘れまい。そして過ぎた「沖縄戦」で住民がなめた悲惨さも、併せて想起されねばならない。

島尾は生きのびた。『死の棘』とならぶ代表作『出発は遂に訪れず』(1964年)の書きだし――

「もし出発しないなら、その日もおなじふだんの日と変るはずがない。一年余のあいだ死支度をしたあげく、八月十三日の夕方防備隊の司令官から特攻戦発動の信令を受けとり、遂に最期の日が来たことを知らされて、こころにもからだにも死装束をまとったが、発進の合図はいっこうにかからぬまま足ぶみをしていたから、近づいて来た死は、はたとその歩みを止めた」

島尾隊が〈出発〉しなかった理由は、8月13日の「御前会議」で降伏が決定されたからだ。

しかし、それよりまえに南西諸島の島と海は、「戦艦大和」の海没(徳之島西方)、また、おびただしい特攻機の墜落、不時着地となっていた。「沖縄戦」では10数万人の住民が惨死した。

南西諸島は、文字どおり「本土防衛の捨て石」とされ、おびただしい流血を強いられたのだった。その歴史を思い返せば、ふたたびよみがえりつつある「南西諸島防衛ライン」が――たとえ戦う相手と兵器に変わりがあろうとも――そこに住む人びとに、おなじ結果をもたらすことはたしかであろう。

そのような想起からも、「辺野古新基地反対」の県民投票を、「よみがえる過去」と対峙する「未来への警告」として受けとめたい。

まえだ・てつお

1938年、福岡県生まれ。長崎放送記者をへてフリージャーナリスト(軍事・核・太平洋問題など)。東京国際大学教授、沖縄大学客員教授も務めた。著書に『日本防衛新論』(1982年現代の理論社)、『国会審議から防衛を読み解く』(編著03年三省堂)、『戦略爆撃の思想―ゲルニカ・重慶・広島 』(06年凱風社)、『自衛隊 変容のゆくえ』(07年岩波新書)、『9条で政治を変える 平和基本法』『「従属」から「自立」へ 日米安保を変える』(08、09年、いずれも高文研)、『自衛隊のジレンマ―3・11震災後の分水嶺』(11年現代書館)、『フクシマと沖縄―「国策の被害者」生み出す構造を問う』(2012年、高文研)など多数。『世界』18年11月号に「安倍軍拡の行方」を寄稿。

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