コラム/四国発

与野党対決の最前線・総選挙香川1区

「パーマ屋のせがれ」対「四国のメディア王」

松山大学教授 市川 虎彦

1.小川淳也と玉木雄一郎

自他ともに認める保守王国四国に、2人の非自民党国会議員がいる。香川1区の小川淳也と香川2区の玉木雄一郎である。2人は、四国では早くからよく知られた存在であった。四国では自民党以外の政党の国会議員が珍しいことに加えて、同じような経歴の同年代の若手国会議員だったからである。2人とも香川県で最も難関の高校である高松高校から東京大学に進み、小川は自治省(現総務省)に、玉木は大蔵省(現財務省)に入省した。

母集団である国会議員は美形度が著しく低いため、両人そろって「イケメン議員」ということに、四国ではなっている。選挙区が隣接していて、同じ民主(民進)党所属だったので、2人のポスターが並べて貼ってあるのを何度も目にしたものである。東大卒の高級官僚出身若手イケメン議員2人が1つの県にいるというのは、全国的にもほとんどないのでないだろうか。

2人とも1度の落選を経験してから、その後は当選を重ねている。衆議院議員初当選は、小川の方が1回早く、2005年のことである。この時、小川34歳。玉木の初当選は政権交代選挙となった2009年の衆院選で、玉木40歳のときであった。

表1 小川淳也・玉木雄一郎の衆院選獲得票数の推移

投票日小川淳也玉木雄一郎
当落獲得票数惜敗率当落獲得票数惜敗率
2003年11月9日6293979.37%
2005年9月11日比例復活9146188.29%7017769.62%
2009年8月30日109618109863
2012年12月16日比例復活6311475.06%79153
2014年12月14日比例復活6581088.79%78797
2017年10月22日比例復活7938397.32%82345

政権交代による鳩山由紀夫内閣で、総務省出身の小川は総務大臣政務官に抜擢され、順調な政治家人生を歩みだす。暗転するのは2012年以後である。自民党の壁に阻まれ、小川は比例復活での当選に甘んじ続ける。一方の玉木は、民主党への大逆風の中、小選挙区での当選を勝ち取る。この選挙の後、民主党副幹事長に起用されると、メディアへの露出も増え、9月の民進党代表選挙に立候補するに至る(当選したのは蓮舫)。当選回数で1回多い小川よりも玉木の方が、全国的知名度でも党内ポストでも、あきらかに上をいくようになる。その後、玉木は希望の党代表、国民民主党代表として今日に至っている。

2.「なぜ君は総理大臣になれないのか」の衝撃

小川淳也は政治家として、いつしか玉木に先を越されてしまった感があった。その小川が、2020年、一躍注目の人となった。小川の政治家人生を追った記録映画が、異例のヒット作品となったからである。その映画は、大島新監督「きみはなぜ総理大臣になれないのか」である。大島監督の妻が高松高校卒ということで、小川の2003年衆院選立候補からカメラを入れ、取材を重ねてきたのだという。

私はこの映画の存在を、高松西インターを降りたところにあるうどん店に置いてあったチラシで知った。保守王国の中の保守王国愛媛では上映されない可能性を考え、新型コロナ禍で遠隔授業になったため香川県の実家に帰っていた大学の同僚と、わざわざ高松市まで観に出かけた。映画館は、小川の地元ということもあって、平日の昼間だというのに席がけっこう埋まっていた。

映画は期待を上回る出来栄えであった。理想の実現を求めて政治の世界に入ったはいいけれども、選挙の壁、党内的出世の壁にぶつかり、さらには政界再編の波に翻弄される政治家の現実が映し出される。よくこんなところまでカメラが入れたなと思うような小川の肉声を拾う場面もあれば、有権者に小川が罵倒される場面も挿入される。キネマ旬報ベストテン文化映画部門1位に選出されたのも納得の作品である。

一緒に見た同僚は眼に涙を浮かべていた。子育て期終盤に入り、気をもむことも多い彼は、小川一家の家族愛に打たれたのだそうである。たしかに、小川のために選挙活動に勤しむ両親、小さなころの思い出話をする一方で「娘です」のたすきがけでビラ配りをする娘たち、国会議員の家とは思えない質素な部屋で手料理を出す妻など、随所に小川の政治活動にまきこまれる家族の姿がはさまれ、小川の人柄を間接的に伝えている。コッポラ監督の「ゴッドファーザー」がマフィア一家の家族の絆を描くことによって、単なるギャングの抗争映画を超える不朽の名作となったことを思い起こさせる。

しかし、ほんとうにこんな代議士がいるのであろうか。記録映画とはいえ、そこは作品である以上、演出、美化があり、格好よく描きすぎているのではないかと思い、小川をよく知る太田あゆみ高松市議に人物像を聞いてみると、「映画のままの人です」との即答であった。

松原耕二司会のBS-TBS「報道1930」では、随分好意的に「なぜ君」を扱っていた。また、これをきっかけに小川のメディア出演も増えた。関連本(注1)までが刊行される勢いで、小川の全国的な知名度はあきらかに上がった。私の周りでも、小川に対する期待が一気に高まった。

3.平井3代

この小川の前に立ちはだかるのが、3代にわたって国会議員を務める平井一族である。高松では、「平井王国」という表現を何度か聞いた。初代の平井太郎は、1950年から参議院議員連続4期当選で、、副議長などを務めている。そのかたわら、地元香川で西日本放送会長、社長として事業を展開した。高松駅から栗林公園まで片側3車線の中央通りという高松市を象徴する道路が走っている。この中央分離帯には楠の並木があり、建設省などが制定した「日本の道100選」にも選ばれている。高齢の市民の中には、「太郎さんが楠を植えた」と語る人がいた。平井家の土台を築いたのが太郎である。

2代目の平井卓志は、太郎の女婿である。太郎死去にともなうので当選して以降、参院連続5回当選を果たし、労働大臣として入閣している。また、太郎同様、西日本放送社長、社長を務めている。

そして小川と香川1区で相まみえているのが3代目の平井卓也である。平井卓也は1958年生まれで、香川大学教育学部付属高松小学校・中学校で学んでいる。同じ小中学校に同時期在学していた人の話では、「みんな、(卓也の)お祖父さんが国会議員だということは知っていたが、特に目立つ存在ではなかった」とのことである。その後、高松第一高校を経て上智大に進んだ。岸田文雄首相、麻生太郎自民党副総裁、安倍晋三元首相、岸信夫防衛相、福田達夫総務会長などなど、2世議員、3世議員となると、地方選出の代議士といえども、東京で育ち、東京の学校を卒業している者が増える中、平井卓也の場合、一家が香川県で事業展開しているためか、高校まで地元の学校を卒業している。

平井卓也が初めて衆院選に挑んだのは、初の小選挙区比例代表並立制となったの総選挙である。この時は新進党公認で立候補し落選を喫する。つづく2000年の総選挙において無所属で立候補し初当選を飾る。その後自民党に入党し、連続7回当選中である。初入閣は2018年で、第4次安倍改造内閣で内閣府特命担当大臣に就任した。再入閣が記憶に新しい菅義偉内閣でのデジタル改革担当大臣である。9月1日にデジタル庁が発足すると、初代デジタル大臣に就任している。

昔の地方選出の自民党代議士の家業というと、池田隼人、竹下登、井出一太郎などに代表されるように造り酒屋が目立った。平井一族の事業は、中核に地方新聞と地方放送局をもつのが特徴であり、これがまた現代的でもある。平井卓也は、自称「四国のメディア王」である。一方で政治家としては、IT関連企業未公開株売り抜け問題、NEC恫喝問題、NTT接待問題と、胡散臭い話が絶えない。ということで、「四国のベルルスコーニ」の尊称を奉りたいところである。

今日、地方紙はどこも販売部数の減少に悩んでいる。そこで部数拡大のための宣伝として購読申込票付きの無料新聞が配布されることがある。「四国新聞」は、9月のデジタル庁発足を報じる新聞をお試しとしてバラまいたらしい。初代デジタル相は平井卓也である。こうなると、「四国新聞」の宣伝なのか、平井卓也の宣伝なのか、わからない。この手のことを大都市圏では「見え透いた手口」「あざといやり口」といい、四国では「一石二鳥」と呼ぶ。また今年10月に入って、高松市内の高校の授業で「なぜ君」を生徒に視聴させた教員がいたことが問題となった。このような出来事は、「四国新聞」による小川攻撃の格好の材料となってしまう。

香川のメディアを抑えているのに加えて、土建関係や商店主など、祖父以来の平井支持の固定票は厚い。しかし、前回選挙で2千票余りの差に迫られている上に、小川を主人公にした映画の公開である。今回ばかりは平井陣営の危機感も強いようである。これまではなかった期日前投票への駆り出し指令が、平井周辺の業界に出ているとのことであった。お目付け役がおり、動員令に沿った活動をしたことを示さないとまずい、とは関係者の弁である。

4.小川陣営の明と暗

香川1区・2区に関しては、堤英敬・森道哉による政治学の専門研究が発表されている(注2)。浮動票の多い1区での小川の選挙活動は、街頭演説や対話集会など有権者と直接接する直接動員型中心だという。農村的色彩が濃くなる2区での玉木の選挙活動は、直接動員型に加え、農業団体や商工関連団体からの支持を調達しようとする間接動員型も併用しているとされる。こうした玉木の選挙活動が野党にもかかわらず成立する背景には、祖父がかつての地区農協の幹部であったことや、大平正芳首相の娘婿で旧香川2区選出の代議士だった森田一の支援を受けたことが挙げられている。1区よりも農村的で保守地盤が厚い2区で、玉木が安定的に小選挙区で当選していけるのは、このような保守層への浸透によるものと考えられる。

玉木とよく似た経歴の小川は、この家族的背景が異なる。自ら「パーマ屋のせがれ」というように、実家は美容院である。地盤もカバンもなく、0からの出発であった。しかし、母親の友人などを中心に熱烈な小川支持者の集まりである「じゅんじゅん会」を中核とし、映画の影響もあってNPOで活動している女性層が新たに小川支援の輪に加わっていると聞いた。

今回、小川は次の立憲民主党の党首選出馬を公約に掲げて立候補している。それには、小選挙区での当選が絶対条件になる。これまでのような比例復活では、党首選への立候補などおぼつかない。昨年からの追い風に乗って、小選挙区で当選を果たしたいところである。

しかしその一方で、民主党の県議会議員で小川の選対事務局長を務めてきた山本悟史が国民民主党に去った。「なぜ君」にもその姿が映し出されていた岡野朱理子県議は、2019年県議選で当選した直後、なんと自民党に加わる。さらに、かつての盟友である玉木の議員秘書経験者で、小川と面識がある町川順子が、維新の会公認候補として公示直前に香川1区での立候補を表明する。与野党1対1の対決構図を崩し、間接的に自民党を利することが危惧される。これでは「ゴッドファーザー」は「ゴッドファーザー」でも、次々と身内から離反されて孤独と苦悩の色を深めていくマイケルの姿を描いた「ゴッドファーザーPARTⅡ」である。

5.中選挙区制と小選挙区制

中選挙区制時代の香川県は、高松市と東讃の1区と丸亀市を中心とした中讃・西讃の2区に分かれていて、それぞれ定数3であった。香川1区は、自民党結党後の1959年の総選挙以降、常に自民党2議席・社会党1議席を分け合っていた。野党第1党の社会党は香川にかぎらず、地方の3人区、4人区で複数の候補者を擁立することがなかった。自民党の批判票の受け皿として1議席を確保できる地位に安住していたといえる。社会党は、政権交代を目指す意欲も能力もなく、あらかじめ負け続けることが決まっていたわけである。政権交代が可能な制度として、小選挙区制が導入された所以である。

小選挙区制は、多様な国民の意見を少数の政党に集約する仕組みである。それゆえ、ここ3回の総選挙は、野党分裂の影響もあって、国民の支持をはるかに上回る過大な議席を自民党が獲得していた。一方で自民党にとっての小選挙区制は、有能だけれども地盤を世襲できない者を選挙区事情で迎え入れられなくしている。

中選挙区制であったら、玉木は保守系無所属で立ち、その後自民党議員として活躍していた可能性が高い。自民党としても新しい血を入れて新陳代謝することが容易であったわけである。小選挙区制ゆえに、自民党は親伝来の選挙基盤を受け継いで当選回数を順調に重ねられる世襲議員主導の政党になってしまっている。

そうした自民党に対し、今回、ようやく野党が統一して総選挙に臨もうという機運が高まった。その野党連合のまとめ役足らんとしているのが小川淳也である。一方は、今の自民党を象徴するような政治家の家系3代目の平井卓也である。選挙の行方は予断を許さない。対照的な2人が鎬を削る香川1区は、与野党対決の最前線といえる注目の選挙区となっている。(10月25日 記)

 

(追記)10月31日投開票の衆院選挙香川1区で小川淳也候補は当選を果たした。次の段階は、君は党首になれるのか、野党勢力を立て直せるのか、である。(11月1日 記)

 

 

【注】

(注1) 例えば、小川淳也・中原一歩『本当に君は総理大臣になれないのか』講談社現代新書, 2021年

(注2) 堤英敬・森道哉「民主党候補者の選挙キャンペーンと競争環境」 白鳥浩編『政権交代選挙の政治学』ミネルヴァ書房,2010年

 

*高松市内の有権者・関係者を紹介してくださった井上正夫氏(松山大学教授)、武井多佳子氏(愛媛県議会議員)にお礼申し上げます。選挙関連の話であるので1人1人お名前をあげるのは差し控えますが、渡辺さと子氏(元香川県議会議員)、太田あゆみ氏(高松市議会議員)を始めとして、お話をお聞かせいただいた高松市内の方々にお礼申し上げます。

いちかわ・とらひこ

1962年信州生まれ。一橋大学大学院社会学研究科を経て松山大学へ。現在人文学部教授。地域社会学、政治社会学専攻。主要著書に『保守優位県の都市政治』(晃洋書房)など。

第27号 記事一覧

ページの
トップへ