特集●どこに向かうか2019

日本は移民国家になりえるのか

国籍取得をめぐるポリティクス

青森公立大学経営経済学部教授 佐々木 てる

はじめに

これまで黒いカラスを「白」と言い続けた制度、単純労働者受け入れのための技能実習制度も終焉を迎えた。自民党は強引ともいえるやり方ではあるが、海外からの短期労働者を正面から受け入れる道を選択した。もちろん、新しい制度が「白い」制度になるかは、具体的な制度の内容にかかっている。いずれにせよ2019年4月に開始される予定の「特定技能」という在留資格、入管法を注視していく必要があるだろう。

さて、新しい制度そして「入管庁」設立の背景もしくは前提として、与党は表立っては言わないものの、多くの国民は日本が移民国家に向かって進み始めたこと感じ取っているだろう。実際、マルチエスニックな日本人の活躍(註1)はテニスプレヤーの大坂なおみ選手を例に出すまでもなく、周知のこととなっている。ここ数年で間違いなく、「日本人」というイメージは変化を遂げつつある。そしてこの日本社会のマルチエスニック化の傾向は、国際紛争・戦争当事国になるといったような、よほどの事態が生じない限り、今後ますます強くなっていくだろう。そのため本来問われるべき議論は、50年後を見据えた移民受け入れ制度であろう。本稿はこういった認識にたち、今後かならず必要になってくるであろう、日本の国籍制度と制度を巡るポリティクスについて論じていくものである。

国籍制度を視る眼

議論の前提として確認しておくが日本の国籍制度は父母両系血統主義を採用しており、両親のどちらかが日本人であるならば、その子供は日本の国籍を自動的に取得できるものである。このことは逆に両親が日本国籍でなければ、何世代日本に居住しようと制度上「外国人」のままといえる。こういった血統主義を採用している国は、世界的にはめずらしくない。しかしながら、先進諸国の多くは同時に「国民化」への回路も開いている。すなわち、(一部出生地主義を採用した)移民2世への国籍の付与や、自国民との結婚時における国籍取得の義務化、帰化の合理的な許諾システム(帰化テスト)の採用など、人の国際移動に伴う国籍取得の在り方を議論し制度設計を行ってきた。

これに対し日本は、国籍取得については1984年に一部改正されたものの、いまだ「移民国家ではない」という建前のもと、70年以上のその根幹は変化のないままである。昨今では、海外での国籍取得者に対する日本国籍の剥奪の事案が生じるなど、むしろ「非国民化」への回路のみが明確化、もしくは強化されている。このため現行の制度とマルチエスニック化する日本社会は今後ますます乖離が進み、社会不安さえ引き起こすと考えられる。

では何故国籍制度はこれまであまり変化がなかったのか。そしてそもそも、国籍取得とは何を意味するのか。こういったことはあまり本格的には問われてこなかった。入管法が改正されるにあたり、こうした「国民」とは何かといった根本問題を問い直すことは必要であろう。本稿はそのための「国民」の枠組みを考えるための素材を提供していきたい。そのうえで現行の制度の改正を主張していくことにする。

国籍取得という制度

日本は冒頭に述べたように、戦後(1945年)以降一貫して国籍法において血統の原理を採用してきた。すなわち日本人から生まれた子どもは日本人という原則である。この内容は1984年に一部改正され、それまで「日本人の父から生まれた子ども」であったのが、「日本人から」に変化した。すなわち父系優先血統主義から、父母両系血統主義に改正されたのである。日本が血統主義を採用している背景には、血統の重視という伝統的な社会規範があり、それは明治期に近代国家「日本」が創られた時から続いている。その社会規範は天皇制や戸籍制度にもあらわれており、深くはたちいらないが、血統神話は日本社会において根強いことは周知のこととなっている。

学術的な研究では、このような血統や同質性、民族性を重視した国家を「エスノ文化的」なネーション(国民/民族)の自己理解をしている国とし、それに対しむしろ市民や法、契約といった概念によって国民が設定されることを「国家中心的」なネーションの自己理解に根差した国として大別している(註2)。もちろんこれは国民(国家)形成時における、人の紐帯のためのイメージに関する理念型であり、必ずしも社会的現実を反映しているわけではないことに注意したいが、日本はこの「エスノ文化的」な自己理解が強い国と理解することはできるだろう。

もちろん日本が血統主義に基づく国民の再生産方式を採用した背景には、それまでの鎖国状態や、天皇という国家の象徴が存在していたこと、また地政学的な状況など様々な要因がある。むしろ帝国主義の時代において、他国を植民地化し、自国の国籍を強制的にあたえ、「日本人化」させてきたことの方が、日本社会にとっては異例のことであったといえる。そのため戦後は、他の国に迷惑をかけない、自国民=自民族だけで内的な平和を目指す国家建設に心力を注ぐことが重視されたといえるだろう(註3)。その意味では戦後の単一民族神話は、これも理念型ではあるが、そうありたい国家観が強くでたものといえる。第一におさえておかなければならないのは、国籍制度がこうした歴史的背景のもと、すなわちどのような国民を創り上げたいのかという認識のもとできあがってきたことである。

国籍制度の歪

こうした国民イメージに基づく国籍制度の設定は、当然のことながら大きな歪も生み出してきた。そもそも帝国主義時代には植民地にいる人々はすべて「帝国臣民(=日本人)」であったが、戦後はすべて「外国人」となる。特に1952年時点において日本の旧植民地出身者はすべて「外国人」となったわけである。

この強制的な国籍変更の一番の被害者は、いわゆる「在日コリアン」と呼ばれる人々であった。もちろん在日コリアンの中でも本国に帰還した人々も多く存在(約140万人)したが、日本に残った人々も多数(約60万人)いた。

日本は出直しのつもりで、エスノ文化的な国民設計を強化したものの、エスニックな意味でコリアンであった「日本人」は、突如「外国人」とされたわけである。ちなみに戦後の日本の帰化制度(国籍取得制度)はこういった、制度によって翻弄された人々への適用からはじまったといえる。そのため帰化制度とは、「(政治的に)敵国人でないか」「社会不安をもたらすような人物でないか」「日本民族にふさわしい人物か」といった点が審査基準の背景にあったといえる。付言しておくと、こういった激動の時代を乗り越え、苦労して日本国籍を取得し、「日本人」として生活している人、その子孫は100万人をこえるだろう。

日本政府はその現実を知りつつ、「移民国家ではない」と言い続けていることに問題があることは、言われれば誰でも気づくことである。こういった「日本人」と「外国人」の峻別は戦後強化され、それは同時に差別も生み出してきたといえる。ここでは民族差別について詳しくは述べていかないが、昨今の新人種主義の言動などを見るたびに、帝国主義時代から続く差別意識と国家が正面から向き合ってこなかったことを強く感じる。

国籍制度のリベラル化と管理対象の変化

さて戦後日本の国籍制度、特に帰化制度は在日コリアンを管理するために機能してきたことは述べた。そしてその背景には、単一民族国家として日本という国家を再構築したいという政治的な企図があったことを指摘した。このことは高度成長を迎える日本において、「日本人」という言説に誇りを持たせる「日本人論」などによって補完されていく。1980年代にアメリカでは“ジャパン・アズ・ナンバー1”というフレーズが登場し、「日本的経営」が評価され始める。日本国内では、いまや戦勝国のアメリカ合衆国を上回り、日本(人)は世界に誇れる(国民)国家であるとの認識が広まるのである。ただし同時にそれは世界の中での日本の役割、そして他の先進国なみの国際的な協調性も求められることになる。その結果1980年代は国際条約を批准し、それに鑑みた国内制度の整備が必要になったことを意味した。

また社会・生活面では、Tokyoが世界都市となり、多くの国の人々と出会うことになってくる。ちなみに個人的な感覚でもあるが、1990年までは白人=アメリカ人という意識が強かった。ところが国際化を迎え、多様な民族、国民と接する機会が増え、一気にその認識が変わったように思える。こうした政治的・社会的背景のもと、帰化制度を通じた管理対象も在日コリアンから新しく来日した人々、すなわち中国人やフィリピン人などに変化する。そして管理の中身も政治的不安要素というより、偽装結婚の摘発などとリンクした、いわゆる在留資格の適正な管理に移行していく。在日コリアンはもはや監視の対象ではなく、できるだけ帰化を通じて日本人になってほしい存在として認識されていくことになる。

この流れは1990年代に顕著に表れてくるが、その制度的な背景は1984年の国籍法改正(1985年施行)、1991年の在留資格「特別永住者」の設定があった。1984年に関して言えば、もともとは女性差別撤廃条約の批准に伴う、国籍法上の女性差別の是正から始まったといえるが、国際結婚の増加も見据えた上での判断であったといえる。つまり国際結婚で生まれた子供は「ダブル」であるが、彼(女)らも日本人の血を引いているのだから、「日本人」として扱うという、日本人のカテゴリーの拡張が行われたわけである。

その結果、在日コリアン男性と日本人女性の国際(国内)結婚で生まれた子供は、帰化などをせずとも日本国籍が保証されることになったわけである。また1991年の「特別永住者」枠の設定は、言葉を換えれば「歴史的な経緯を鑑みた、特別な移民」として、日本国籍者とほぼ同等の権利を保障するというのが目的であったといえる。これらを通じて、在日コリアンの法的地位は安定したと一般的には評価されている。

2000年代以降の国籍制度の論点

その後日本の国籍制度は実は2000年代になるまで、政治的な議論のテーマにはあまりなってこなかった。2000年代以降論点となるのは、特別永住者への届け出制による日本国籍付与と、蓮舫議員を発端とした重国籍者問題となっている。前者は現在立ち消えになっているが、後者に関しては様々な問題が出始めている。ここでは、具体的な問題には触れないが、これらの議論を通じて見える、「日本人」観の変化についてまとめておこう。

まず1990年以降、在日コリアンも3世、4世(さらには5世)と登場し、彼らは実質的に「コリア系日本人」「コリア系の移民」として日本に定住している存在として認識されはじめる。そのため日本社会でも在日コリアン社会でも「日本人」/「外国人」という二項対立的な思考自体を乗り越えようという動きが出てくる。このことは永住者への地方選挙権の保障に関する議論を見るとよくわかる。つまり永住外国人のまま政治的権利を付与するのか、それとも日本国籍を取りやすくして、「日本人」になってもらってから付与するのかという議論である。

結局のところ、この議論は両方とも採用されず、いまだ永住者に対する地方選挙権も、国籍取得の簡易化もなされないままになった。しかしながら一般認識として、特別永住者は地方選挙権に関しては、保障されてもおかしくない存在だということが広がった。同時に、国籍取得すなわち帰化をもって日本国籍取得するということの意味が、単に日本人に同化するとは違った意味を持ち始めたのも事実である。すなわちそれまでは帰化=同化であったが、民族名のまま日本国籍を取得することで、エスニックな出自を大切にする新しい「日本人」というカテゴリーが考えられるようになったからである。そしてこの流れは、在日コリアンのみならず、多様なエスニックの出自を持つ人々が日本に存在するということへの認識を深める要因にもなっていく。

重国籍をめぐる議論

在日コリアンの地方選挙権もしくは国籍取得に関する議論は下火になったが、それは同時により広い範囲での新しい「日本人」カテゴリーの再構築へ回収されはじめたと認識することもできる。実際、別稿でも述べたが、すでに在日コリアンというカテゴリーが「誰」をさすのかが不明瞭になっている。特に近年では他者のカテゴリー設定とそのカテゴリーに自分の意思とは関係なく組み込まれてしまう政治性が問題視され、むしろ自己認識を尊重するような、いわゆる構築主義的な視点が一般化している。そのため誰かを在日コリアンだとカテゴライズしたり、自分自身を簡単に在日コリアンとして違和感なく表現することは、以前に比べ非常に難しくなっている。むしろ在日コリアンと言われている中身の多様性を、どのように考えていくかが重要な論点となりつつある。

その意味では、重国籍をめぐる議論はこれまで「純粋な日本人」と思われていた人が、国籍という面では他の国家に所属する「国民」として存在できているという事実を、日本社会につきつけたといえる。そして世界的にはそれが常態化しつつあり、グローバル化する社会においては、重国籍者は今後も増え続けることが指摘されるようになる。実際日本の国籍法上、22歳まで国籍選択の義務はなく、かなりの数(推定80万人以上と考えられる)の重国籍が存在する。

ちなみに重国籍になるケースは、出生(両親の国籍が違う、海外で生まれるなど)、帰化(日本もしくは、他の国の国籍を取得したが、国籍を放棄できないなど)、婚姻(自動的に付与される)などが考えられる。また重国籍状態になったとしても、あえてそのことを申請しなければ、日本の行政はほぼ関知していないことも指摘できる。こういった制度的現実が、「日本人」という認識の枠を広めているのが現実であろう。

すなわちこれらの議論から明らかになったことは、多くの実質的な日本社会のメンバーが日本国籍を持っていないことの不自然さや、「日本人」とうカテゴリーの中身の多様さであったといえる。その意味では、現行の国籍制度が不要に「国民でない人」を生み出し、社会的な不安を増大させつつあることがわかるといえる。

日本的な「移民政策」を考える上で

さてざっと日本の国籍制度とそれが成立している社会的背景を振りかえってきたが、今後の「移民政策」を考える上での国籍制度と「日本人」認識に関して述べておこう。まず国籍制度の変更や運用、成立の背景をみることは同時にその時代の「日本人」像の設定をみることに他ならない。太平洋戦争後、その反省から「日本人」をそれまでよりも範囲を小さくして、単一民族国家を作ることからスタートした。

しかしながら、これまで見てきたように、「日本人」に含まれる人々は、スタート時の理念型より範囲が広くなっている。すなわち外見上も、言語的にも、出自(血筋)も同質性が強い「日本人」という設定から、外見、言語、出自に至るまで、多様でありつつ「日本人」とされている人が多数いることが認識されはじめている。その意味ではこれまで適用されてきた国籍法自体は、現実にあわせて徐々に変化させる時期がきているのではないか。

なにより今後50年で、日本社会におけるエスニックな出自の多様性は、現在の欧州なみになるとの指摘がある(註4)。外国籍者が増えることが社会不安をもたらすとの指摘もあるが、多様な出自の人を法制度的にも受け入れる準備を行わなければ、社会不安のみならず社会的な分断を促すことになるだろう。国籍法とはその国の国民を創るという意味で、非常に保守的にならざるを得ない制度であることは間違いない。

そのため現実的に多くの人が「日本人」の範囲がかわったと認識し始めるまでは、制度変更するのは難しいだろう。であるならば、逆に政治主導でそう変化していることを積極的にアピールし、制度設計を行う道もありえる。そのためにはそろそろ出入国管理を中心とした「外国人労働者政策」から、生活者としての、もしくは将来の国民として「外国籍者」政策=移民政策を前面に出すことが重要である。

まとめ

本稿で具体的な政策面を提言するとすれば、日本で出生すれば日本国籍を自動的に取得でき、そして他の国の国籍を取得しても、強制的には国籍を剥奪されない制度が必要だといえる。そして後天的に「日本人」になるということに対し、法の下の平等のもとより合理的な判断が下せるようなシステムが必要だと考えている。こうした国籍に関する制度設計は、社会的現実を踏まえた国家理念があってはじめて成立するものである。

その意味で、繰り返し述べるが「日本人」の中身を問い直し、これまでの国家理念自体をとらえなおす時期に差し掛かっている。その作業があってはじめて「外国籍者」と国民の区別、外国籍者の労働、移住、生活条件など細かい運用方法が決まっていくのではないか。彼らを将来の仲間(=国民)ととらえるか、お客もしくは単なる労働力としてとらえるかで、まったく制度も変化してくるであろう。本稿が「日本人」の中身を問い直すきっかけになれば幸いである。


註1 この点については駒井洋監修・佐々木てる編2016『マルチ・エスニック・ジャパニーズ』明石書店を参考にしてほしい。

註2 このような分類に関しては、佐々木てる「保守化する時代と重国籍制度」(在日本法律家協会『エトランデュエ』東方出版、2018年、151-175頁)でまとめたので、そちらを参照してほしい。ちなみにこの自己理解にかんする分類はBrubaker,Rogers W/佐藤成基・佐々木てる(監訳)『フランスとドイツの国籍とネーション』(明石書店、2005年)を参照。

註3 日本もしくは日本人の範疇の変化のダイナミズムに関しては小熊英二の『単一民族神話の起源』(新曜社、1995年)、『日本人の境界』(新曜社、1998年)が参考になる。

註4 将来的な推計では、約50年後の2065年には1076万人(総人口の12.0%)が、移民的背景を持つ人となることが指摘されている。この数値は現在の欧州諸国並みである。詳しくは是川夕「日本における国際人口移動転換とその中期的展望」『移民政策研究』第10号(2018年、明石書店)参照。

ささき・てる

青森公立大学経営経済学部地域みらい学科教授。筑波大学大学院社会科学研究科博士課程修了。博士(社会学)。専門は、国際社会学、エスニシティ、人口減少地域における外国人・移民政策。論文に、「保守化する時代と重国籍制度」在日本法律家協会『エトランデュエ 第2号』(東方出版、2018年)、「在日コリアンとシティズンシップ――権利と国籍を中心に」『移民政策研究』第6号(明石書店、2014年)、「近代日本の人種差別と植民地政策」小林真生編/駒井洋監修『レイシズムと外国人嫌悪』(明石書店、2013年)、著書に『日本の国籍制度とコリア系日本人』(明石書店、2006年)、共編著に『越境とアイデンティフィケーション』(新曜社、2012年)、『マルチ・エスニック・ジャパニーズ――〇〇系日本人の変革力』(明石書店、2016年)、『パスポート学』(北海道大学出版会、2016年)がある。

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