特集●どこに向かうか2019

カルロス・ゴーンの虚飾と挫折

コストカッターの罪状と事件の背景

労働経済アナリスト 早川 行雄

カルロス・ゴーン逮捕さる

2018年11月19日朝日新聞の号外は、カルロス・ゴーン日産自動車会長(当時)が金融商品取引法違反(有価証券報告書の虚偽記載)容疑で東京地検特捜部に逮捕されたことを報じた。日産自動車は11月22日の臨時取締役会で、ゴーンおよびゴーンの所得隠蔽を主導したとして同時に逮捕されたグレッグ・ケリー代表取締役を解任し、代表権を外すことを全会一致で議決した(三菱自動車も11月26日の取締役会でゴーン会長を解任した)。

その後の経過を簡単に振り返るならば、特捜部は勾留期限切れの12月10日にゴーンらを起訴し、新たに最近3年間にも同様の虚偽記載があったとして同じ罪状で再逮捕した。これでゴーンらの勾留はさらに継続することとなったが、東京地裁は12月20日以降の勾留延長を認めず、検察の準抗告も棄却された。これは人権を無視した日本の人質司法に対する、フランスをはじめとした国際世論の強い批判に忖度したものとの見方もある。これでゴーンは保釈の身かと思いきや、容易に屈服しない地検特捜部は21日、今度は特別背任容疑でゴーンを再々逮捕し勾留が継続することとなった。これに対しゴーン弁護団は勾留理由開示公判を請求し、1月8日の公判でゴーンは無罪を主張するとともに、勾留の取り消しを求めたが、東京地裁は翌9日、この請求を却下した。

警察の留置所を代用監獄とし、家族との面接禁止や弁護人との接見制限の下で自白を強要することで、冤罪の温床となっている世界に悪名高い人質司法が典型的に展開されたようだ。地検特捜部は1月11日にゴーンを特別背任容疑で追起訴し、ゴーンの弁護団は保釈請求を行ったが、東京地裁は15日にこの請求を却下し、勾留の長期化が予測されている。これが1月半ばまでの事件のおおまかな経過である。

今後の展開についての情報や見通しは各メディアにおいて錯綜している。しかし一連の経過をみていると、特捜部としては初めに逮捕・起訴ありきで、罪状は何でもよく、とにかくゴーンを拘束して権力の座から追放するという強い意志、あるいは強い指示の存在が感じ取れる。従って、金融商品取引法違反や会社法違反(特別背任)といった具体的犯罪事実それ自体について深く究明することに、どれほどの意義があるだろうか。それは二重の意味で、この「事件」が持つ本質的な意味合いを曖昧にする煙幕のようなものであり、われわれの関心をあらぬ方向に逸らす囮でもあるだろう。ここでいう本質的意味合いとは、一つにはカルロス・ゴーンの真の罪状は何かということであり、いま一つは今日の国際情勢の中における特捜によるゴーン逮捕・起訴の背景は何かということである。

罪深きコストカッター

まずカルロス・ゴーンの罪状を問うならば、些末な所得の隠蔽(有証不記載)ではなく、彼が前世紀末に日産のCOO(最高執行責任者)に就任して以降の過酷なコスト削減策をこそ糺す必要がある。1999年当時、メインバンクの支援も得られず、債務超過による倒産の危機に瀕していた日産自動車は仏ルノーに救済を求め、ルノーは日産の第三者割当増資やワラント債を引き受けることで約8000億円を注入するとともに、当時ルノーの上級副社長であったカルロス・ゴーンをCOOとして送り込んだ。

実質的に日産の経営権を握ったゴーンは、日産リバイバルプラン(NRP)なる大合理化計画を策定し実行に移していった。その内容は大幅人員削減、一部工場閉鎖、系列下請の整理、有利子負債の削減などであったが、それは専ら労働者と関連中小企業に犠牲を転嫁することによる企業延命策であり、多くの労働者が職を失い、少なからぬ下請け企業が廃業に追い込まれた。まさに、一将功なりて万骨枯るの構図であったのだ。

日産自動車が経営危機に陥るに至った1990年代という時代は、バブル崩壊後の利潤圧縮が多くの経営者に先行きへの危機感を醸成していた。ヒト(余剰人員)、モノ(過剰設備)カネ(過大な有利子負債)が三つの過剰などと称されていたが、大手企業では終身雇用や年功賃金による人件費の硬直性が利潤圧縮の元凶として槍玉に上げられた。経済成長の時代にあっては景気循環への対応として、メーカーである大企業は下請けへの発注調整で対応し、下請けは残業時間の増減で雇用を維持しながら繁閑を乗り越えてきた。

その後、成長なき定常化経済への構造転換の時代に移行し、三つの過剰、本質的には過剰設備による減価償却負担の増加が利潤を強く圧縮する時代に移行すると、日経連(当時)は「新時代の『日本的経営』」の中で展開した雇用のポートフォリオを露払いに、非正規雇用の拡大に道を拓き、労働法制の面でも派遣法施行などの規制緩和が相次いだ。一方90年代後半以降、単価引き下げ(買い叩き)などによる中小下請けからの収奪も強化されていった。こうして売上げが伸びなくとも人件費や中間財購入費の削減で損益分岐点を引き下げる減量経営が蔓延してゆき、それがいわゆる「合成の誤謬」として今日の長期停滞の主因ともなっている。

ゴーンのNRPは、こうした大衆収奪型の利潤防衛策を、よりドラスティックに展開したもので、旧来の「日本的経営」を大転換し、新自由主義的な株式会社資本主義の延命という時代の流れに先鞭をつけるものには違いなかった。とはいえ、かくも強権的な「再建策」は、まともな労働組合が機能している環境では冒険主義的に過ぎる。来日前の1997年にルノーのベルギー(ヴィルヴォールデ)工場閉鎖に際して、フランス、スペイン労組の連帯抗議行動を含む「ユーロ・ストライキ」による手痛い反撃を経験したゴーンは、国際労働運動の最も弱い環である日本に注目し、当時欧州で最も効率的とされた英国日産サンダーランド工場への知見とも相まって、日産の経営危機をルノー復活に向けた千載一遇の機会と捉えたに違いない。

NRPの成功で味を占めたゴーンは、フランス本国のルノー工場でも同方式を導入していった。ゴーンがルノーの指揮を執るようになった2005年以降、人員削減が徹底され、工場従業員の多くが1~3カ月未満の短期労働者に入れ替わった。職場環境はトイレに行くこともままならないほど非人間的なものになっているが、短期労働者には移民が多いため、滞在許可の取り消しを恐れて労働条件の改善を要求することもできない。CGTルノーのファビアン・ガシュ代表は、ゴーン体制の経営について「ルノーを救ったとの意見があるが、むしろ逆だ。期間雇用者が工場の8割を占めるようになり、かつてないほど従業員の生活は不安定だ」と批判している。ゴーンの逮捕・起訴を受け、「ゴーン被告が職務を続けることは倫理的にあり得ない」としてCEO解任を求めている。

日産の業績は2000年3月期の連結当期純損失6844億円から2001年3月期には当期純利益3311億円と、対前年比1兆円以上の増益というV字回復を実現している。これが多分に帳簿上の操作によるトリックに過ぎないことは、従来から指摘されているところである。ゴーンは2000年決算に事業構造改革待別損失や年金過去勤務費用償却額など単年度に計上する必要のない費用を前倒しで計上して、ことさら赤字幅を拡大させることによって危機感を煽り立て、大合理化の道ならしをする一方、2001年には費用の前年前倒しにより利益が嵩上げされたのに加え、巨額の「繰り延べ税金資産」の計上や減価償却方法を定率法から定額法に変更しただけで見掛け上の利益を捻出することまでしていた。

これらはまったくのペテンであるが、資本が理想とする21世紀の収奪型利潤蓄積構造が確立されたことに違いはなく、2008年のリーマン・ショック時においても、無慈悲な派遣切りなどにその神髄は遺憾なく発揮されたのである。そのようにして確保された利潤の相当部分は、「持ち分法投資利益」により日産株の43.4%を保有するルノーに配分され、同社の純利益51億ユーロの約5割を占めるに至っている。おそらくこうした利益移転の構造が、今回のゴーン逮捕・解任劇のひとつの背景としてあることは想像に難くない。ヴィシー政権下の対ナチ協力企業として戦後接収・国有化されたルノーと軍国主義時代の軍需で財をなした日本産業の末裔たる日産という、血塗られた過去を持つ企業同士の見苦しい抗争である。

ルノーの日産に対する姿勢には、同社の筆頭株主で、ルノー・日産の統合を進めてフランス国内の雇用を確保したいフランス政府の思惑もある。ルノー(ないしは三社連合)第一のゴーンとフランス第一のマクロンの間には軋轢や対立もあったようだが、ゴーンはフランス政府の意向に譲歩する形で、ルノー社CEOの座を維持してきた。一部で囁かれている日産クーデター説の背景には、ルノー社との完全統合を回避して独立性を保ちたいという日産の立場もあるようだ。

事件の背景に強欲資本の内部抗争?

ただし事態の本質はそれほど単純ではないように思われる。今回のゴーン逮捕劇は、現下の世界的な経済、政治情勢の下で、どのような含意を持つのであろうか。ゴーンの企業統治は、グローバル経済下の典型的な市場原理主義に基づく収奪の自由を基調とするものだが、1980年代以降国家は、規制緩和や民営化政策により、こうしたグローバル企業の放埓な活動を支援する企業主権国家になり果てた。ところが2008年のリーマン・ショックは、市場原理主義的な金融資本主義の破綻を世界金融危機として顕在化させた。この資本主義の危機は中央銀行を媒介とした国家が、金融機関に公的資金を大量注入することで当面先送りされた。これが今日に至るまで継続している資本主義市場経済の局面であるが、国家の介入が危機を救済したことから企業主権国家体制は国家主導的資本主義に一時緊急避難したような形成となっている。

世界金融危機は地球規模に拡散した格差や貧困に対する広範な民衆の怒りを掻き立てたが、アメリカ第一のトランプやフランス第一のマクロンのようなデマゴーグは、メディアやSNSで扇動的文言(デマゴギー)を拡散させながら怒れる民衆の一部を取り込んで、権力を掠め取った者たちである。また、米仏関係をみると、先祖がえりをした自国資本第一の近隣諸国窮乏化政策的な経済利害の対立に加えて、政治・軍事面においてもトランプとマクロンの対立が顕在化している。昨年の第一次世界大戦休戦記念日(11月11日)の前日に行われたトランプとマクロンの会談では、NATO軍への欧州諸国の負担増加を主張するトランプに対して、マクロンは米国に依存しない欧州軍の創設を主張して両者の大きな隔たりが鮮明となった。マクロンの欧州軍構想は他の欧州諸国からも支持されていないということもあるが、その後トランプはツイッターで欧州軍構想を罵倒し続けている。

一方の安倍自公政権は「種子法廃止」「水道民営化」「入管法改正」などに顕著にみられるような、世界で最も堅固な形で企業主権、とりわけ米国資本およびそれと利害を一にする企業主権を支援し続けている政府である。その一方でこの企業主権国家が、トランプの国家主導的資本主義に完璧に従属している。そうした文脈の中で、今般の地検特捜部の動向はどのように位置づけられるのか。この間の一連の事件に対する「捜査方針」からも明らかなように、ゴーン逮捕・長期勾留・再逮捕・起訴という強引な手法も、安倍政権の意向と関りなく、ましてやその意向に背いてなされたはずはない。仮に安倍政権に何らかの意向があったのだとすれば、それはとりもなおさず米国政府の意向に従属したものとみなすべきである。

今回のゴーン逮捕が先の休戦記念日前日の不首尾な会談の直後であったことをみると、属国日本の特捜(もともとGHQの肝入りでその配下に設置された組織である)を利用したゴーン逮捕が、トランプの対仏圧力の切り札の1枚であったとしても、さほど不思議ではあるまい。田中角栄逮捕に至ったロッキード事件も、小沢一郎を失脚させた西松建設事件でも、地検特捜部は米国の利害を体現して、狙った獲物に襲い掛かったことを想起すべきであろう。

本稿執筆の時点では、フランスの検察当局が2020年のオリンピック招致をめぐるIOC委員への贈賄容疑で、JOCの竹田恒和会長(元オリンピック招致委員会理事長)の訴追に向けた予審の手続きに入ったという報道もなされている。この事件は3年前に捜査が始まっており、日本国内では第三者委員会なるものの報告書で、違法性はなかったと結論付けられているのだが、フランスでは捜査が継続されており、まさにカルロス・ゴーン事件が表ざたとなった同じ時期にフランス側から訴追の動きが生じたことになる。竹田訴追の動きとゴーン起訴の間に因果関係があるのか否か定かではないが、日本の人質司法と表向き人権に配慮した国際的司法慣行との相違は鮮明に示されることとなろう。

ゴーン的資本の論理を糺すのは誰か

今般のゴーン逮捕事件の背景は、こうした複雑な方程式の中で解明されねばならないが、いまのところ未知数が多すぎて正解は得られない。ただ、労働者や下請け企業を犠牲にして、大企業の延命に道を拓き、その後も国際的な資本統合を背景に、完成したシステムとしての収奪の体系を運営してきた、ゴーン的な資本の使徒の末路は危機に立つ資本主義の腐朽化を反映しているようにもみえる。しかしゴーン的な資本の論理を断罪するのはブルジョワ司法ではなく、本来は街頭に躍り出た大衆の圧力に支えられた社会主義勢力であるはずだ。いま世界では、社会主義に向けた大きな流れが形成されようとしている。その最も弱い環である日本において、国家権力の側がゴーンを断罪しようとしていることは歴史のアイロニーではある。

アメリカの大統領選挙時に、民主党予備選挙でサンダースを押し上げたのはフィール・ザ・バーンという左派系の青年を中心とした支持組織で、その多くはDSA(米国民主社会主義者)のメンバーでもある。こうした勢力に支えられた候補は昨年の中間選挙における下院選でも躍進を遂げた。最近の世論調査では米国の青年・学生の社会主義に対する抵抗感は大きく後退して、むしろ親和性が高まっているという。

イギリスでは労働党党首選挙で社会主義者コービンが圧勝し、先の総選挙でも与党保守党を過半数割れに追い込む大善戦となった。こうしたコービンの運動を支えているのも、モーメンタム(Momentum)という社会主義に親和的な左派の学生・青年労働者を中心とした組織である。そしていま、現在進行形でフランス全土においてジレ・ジューヌ(黄色いベスト)運動の大攻勢が、マクロン政権を窮地に追いやっている。この運動は英米のそれに比べて自然発生的なようにもみえるが、その全国性、参加者の多様性、国民的支持の高さは、パリ・コミューンというよりフランス大革命を彷彿とさせる。各地でみられる三色旗(フランス国旗)はその象徴でもある。

これら諸国の運動に概ね共通するのは、格差と貧困をもたらす新自由主義政策への徹底した対決姿勢であると同時に、伝統的な社会運動をリードしてきたシンクタンクや研究室の知識人、あるいは前衛的な左翼政党の影響力の凋落である。知識人や左翼政党は集団指導化された現代の哲人王的な存在を目指していたと言えなくもないが、これら上から目線のリーダーたちは、遂に哲人たりえず、大衆運動の高揚に乗り越えられたというべきか。

無論、それぞれに例外はあるので、ひと山いくらで論じるつもりはないが、それら数少ない例外をひとつの拠り所としつつ、知識人や前衛的組織には社会主義への移行過程で果たすべき新たな役割があるはずであり、そのことを真剣に検討すべき情勢が訪れているのである。こうした観点から、ギリシャの前財務大臣ヴァロファキスらが国際的に立ち上げたDiEM25(EUの改革をめざす政治運動)は、社会運動における知識人の新たな役割を模索して行くうえで大きな役割を果たすことが期待される。

もはや、ゴーン一人の行く末など、どうでもよいのであって、ゴーン的な資本の論理を総体として、この社会から一掃するような闘いが問われているのである。確実に言えるのは、格差や貧困の根因が新自由主義的な緊縮政策や規制緩和にあることを自覚した青年や労働者の、新しい社会主義を展望した大衆的な運動の中にこそ、資本主義の終末を象徴する企業主権国家や国家主導資本主義による停滞と混迷を打破する最適解が存在するということだ。

はやかわ・ゆきお

1954年兵庫県生まれ。成蹊大学法学部卒。日産自動車調査部、総評全国金属日産自動車支部(旧プリンス自工支部)書記長、JAM副書記長、連合総研主任研究員などを経て現在労働経済アナリスト、JAM共創イニシアティブ推進室長。最近の主な論説として「TPP協定交渉参加国労働組合の見解その背景にある思想ととりまく情勢」(『農業と経済』2012.5昭和堂)、「自民党安倍政権における経済政策(アベノミクス)の実像」(『労働法律旬報』2013.9.下旬旬報社)、「あるべき賃金をめぐる論点について」(『BusinessLaborTrend』2015.3JILPT)、「定常状態経済と社会の再封建化」(『労働法律旬報』2015.11.下旬旬報社)など。

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