コラム/沖縄発

戦後74年 変わらぬ本質

「沖縄戦」今に続く

沖縄タイムス学芸部デスク 内間 健

2019年6月23日。沖縄は戦後74年の「慰霊の日」を迎えた。沖縄戦で犠牲となった人々に祈りを捧げる鎮魂の日だ。沖縄戦最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では、沖縄県と沖縄県議会主催による沖縄全戦没者追悼式が行われた。県内外から遺族ら約5100人が参列、玉城デニー沖縄県知事、安倍晋三首相も出席した。

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この光景を見て、1年前が思い出された。

膵がんの摘出手術を受け、治療を続けながら故翁長雄志前知事が、1年前の同じ追悼式に出席していた。闘病のため、やせた体で、気丈に平和宣言を読み上げた。前知事は、沖縄戦で日米合わせて20数万人が犠牲となり、戦争の悲惨さから命の尊さを学び、「沖縄のこころ」をよりどころに県民が歩んできたと述べた。そして、日本国土面積の約0.6%にすぎない沖縄に現在も米軍専用施設面積の約70.3%が存在し続けている、と指摘。名護市辺野古への新基地建設については、日米両政府へ見直しを求め、「辺野古に新基地を造らせない」という私の決意は県民とともにあり、これからもみじんも揺らぐことはありませんと言い切ると、参加した県民から拍手が起こった。

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あれから1年、沖縄では何があったのか。日本政府に加え、がんともたたかった翁長前知事は、昨年の追悼式から約ひと月半後の8月8日、帰らぬ人となった。67歳だった。翁長前知事は病床で残した音声で、玉城デニー衆院議員(当時)を後継に指名。玉城氏は、前知事の遺志を継いで立候補し、新基地建設反対を掲げ、同年9月30日の知事選挙で歴代最多得票となる39万6632票を獲得して当選した。

しかし、政府は名護市辺野古への新基地建設を推進。同年12月には埋め立て土砂の投入を開始した。

さらに今年2月に行われた県民投票では、辺野古の埋め立て「反対」が43万超の票を集めて知事選における玉城知事の得票数を上回り、投票者の7割以上を占めた。しかし政府はそれを一顧だにせず、推進の姿勢を崩さない。建設予定地の大浦湾側に軟弱地盤があることがわかったが、改良工事のため国は海底に15メートルの厚さの砂を敷き、7万7千本の砂杭を打ち込む計画という。膨大な予算がかかるが、工費の詳細もわからず、完成の時期も見通せない。先行きは不透明だ。

一方で、4月に行われた衆院沖縄3区補選では、新基地建設反対を訴えた屋良朝博氏が当選を果たした。

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そして、今年の慰霊の日。追悼式で登壇した玉城知事は、改めて沖縄への米軍専用施設の集中を取り上げた。「広大な米軍基地は、今や沖縄の発展可能性をフリーズさせている」と言い切った。基地の整理縮小や地位協定の見直しは、日米両政府が責任を持って対処するよう求めた。さらに米軍基地の問題は、外交や安全保障、人権、環境保護の観点から、国民全体の問題であると訴えた。

県民投票の結果にも触れ、「圧倒的多数の県民が埋め立てに反対した。工事を強行する政府の対応は、民主主義の正当な手続きを経て導き出された民意を尊重せず、地方自治をないがしろにするものだ」と指摘。政府に対話による解決を求めた。さらに沖縄の言葉と英語で、先人から受け継いだ平和を愛する沖縄の「チムグクル」を後世に伝え、平和で安心できる世界を築く重要性を説いた。

対して、安倍首相は、沖縄戦の犠牲者に哀悼の誠をささげるとし、「沖縄の方々には永きにわたり、米軍基地の集中による大きな負担を担っていただいている」「沖縄の基地負担の軽減に全力を尽くす」と表明。昨年返還された西普天間住宅地区跡地の跡利用の取り組みや沖縄振興に尽力すると述べた。

宣言を述べる知事には参列した県民から拍手が起こった一方、首相のあいさつには、「うそをつけ」「帰れ」などの厳しい声が上がった。両者の追悼式での発言を、琉球大学の波平恒男教授 (政治学、沖縄タイムス6月24日付) は、「(首相は)県民の多くが反対し、負担増だと考える辺野古新基地建設の問題には一言も触れなかった」と指摘。「沖縄戦や沖縄戦後史の体験を踏まえた上で、県民が抱いてきた願いや現在の思いを率直に表明する知事と、国民世論向けのポーズとしてわずかな実績をアピールする首相のあいさつには、大きな隔たりがあった」と分析した。

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戦後74年の今年、沖縄戦の史実を継承していく上で、一つの動きがあった。沖縄でも戦争を体験した世代は年々減少し、現在は県人口の約1割となる中、体験を聞くという形の継承の手法は厳しさを増している。そんな中、研究者やジャーナリストら沖縄戦の非体験世代28人が記録し、沖縄戦の実相を伝える本が出版された。吉浜忍・林博史・吉川由紀編「沖縄戦を知る事典」(吉川弘文館)である。執筆者らは、沖縄戦当時と現在の沖縄が地続きであることを指摘し、沖縄戦を学ぶ重要性を述べている。

アジア太平洋戦争の終盤、米軍の攻勢に押された日本は、沖縄を本土防衛のための時間稼ぎとして「捨て石」とする作戦をとった。その沖縄では住民を巻き込んだ激しい地上戦となり、住民の被害は甚大となった。また住民にとって敵は米軍だけではなかった。味方であったはずの日本軍は、壕に逃げ込んでいた住民を追い出したり、果ては住民をスパイ視した住民虐殺もあった。追い詰められた住民が強制、誘導により「集団自決(強制集団死)」に至った事例も数多い。

それらを含む沖縄戦における史実を、若い世代が中心となって47の多角的なテーマで最新の研究を加味して記した。これからの時代の沖縄戦の継承の在り方の一つとして注目された。

悲惨な歴史的事実を見つめることで、教訓として未来に生かすことは言うまでもなく重要なことだ。さらに沖縄でそれを見つめることは、広大な米軍基地を抱えさせられている今の姿にいきつく。本質的に戦争や軍隊、社会の在り方や生き方について考えを深めていくことになる。

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改めて確認してみる。沖縄県平和祈念資料館によると、沖縄戦での犠牲者は日米合わせて20万人余り。うち、県出身者は12万2千人余り(一般住民は9万4千人、軍人・軍属2万8千人余り)と半数を超える。

沖縄戦の後、沖縄は米軍による圧政の下で人権侵害にさらされたのちに、日本へ復帰する。しかし、先に触れた知事の宣言にもある通り、現在も日本国土面積の約0.6%の沖縄に米軍専用施設面積の約70.3%が存在し、過重な基地負担を強いられている。米軍基地から派生する事件事故も後を絶たない。

沖縄では、平和を希求し命の大切さを訴える場面で「命どぅ宝」(命こそ宝)という言葉がよく使われる。過酷な歴史を背負わされてきたからこそ、県民が到達した心境を、実感を込めて表している言葉だ。沖縄での「反戦平和」は決して単なるスローガンや運動ではないと言えよう。

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辺野古の新基地建設をめぐり、7月、県は新たな裁判闘争に入った。国土交通大臣が4月に埋め立て承認撤回を取り消した裁決を「国の違法な関与」とし、裁決の取り消しを求める訴訟を福岡高裁那覇支部に提起した。辺野古での県と国との訴訟は7件目となる。8月には県は8件目となる新たな訴訟も提起し、2つの訴訟を並行して進める。

7月に行われた参議院選の沖縄選挙区では辺野古新基地建設反対を明確に訴えた高良鉄美氏が、6万票余りの大差を付けて当選した。

沖縄は意思を示し続けている。国が姿勢を変えるべきは、今ではなかろうか。

うちま・けん

沖縄県生まれ。大学を卒業後、1993年に沖縄タイムス入社。社会部、与那原支局、北部支社などを経て、現在、学芸部副部長待遇(デスク)。

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