論壇

介護労働者の処遇は改善されているのか?

介護労働者の権利のために(その1)―介護現場に分断と混乱もたらす新「処遇改善加算」

大阪市立大学共生社会研究会 水野 博達

2000年の介護保険制度発足以降、高齢者、障碍者に関わる介護労働者が増大した。政府は、2020年には、介護サービスの需要16万人で介護人材は、26万人、2040年には、需要が24.5万人で介護人材は、55万人が必要と予測している。高齢者サービスだけでなく、障害者サービスを含め、介護職員以外のケアマネジャーや生活相談員、看護師やセラピスト、栄養士や調理員、営繕や清掃、事務職員、あるいは、介護用品の事業などに働く他職種の介護関係労働者を加えると、現在でも20万人をはるかに超えると推定される。

介護労働市場が枯渇していることは、関係者の間では、もう10年以上語られてきた。今日、政府もこの介護の担い手の深刻な状況から逃げられなくなっている。しかし、前号の『介護保険、変貌する制度の「持続性」』(「現代2019年春号)で少し触れたが、今日の官邸・財務省主導の施策は、現場の実際の状況に即して施策の検討がなされているとは言い難い。介護現場の視点からは、むしろ問題をこじらせ、事態を複雑怪奇なものにしかねない施策もある。

その象徴的な一つが、安部内閣が「新しい経済政策パッケージ」で打ち出した2019年10月から実施される「月額8万円相当の処遇改善」を謳った「介護職員等特定処遇改善加算」である。介護労働者の処遇改善の問題は、「介護業界」の中の狭いやや専門的な領域であると理解されがちである。しかし、介護関係労働者の置かれている現状を理解する上で是非知って欲しいテーマである。今号では、あえてこの問題を取り上げる。

首相は「5万円の改善を行った」と言うが~「処遇改善」の実感は?

さて、「介護職員等特定処遇改善加算」の問題を検討する前に、現行の「介護職員処遇改善加算」(「現加算」と略す)から話を始めさせていただく。

厚労省は、現在実施している「現加算Ⅰ」を取得している事業所の介護職員の平均給与は、30万4,430円となった(2019年4月10日、厚労省専門家会議)と発表している。また、安倍首相は、これまでの処遇改善の施策で、「5万円近くの改善を行った」と「実績」を語っている。

後ほど「現加算」の果たした積極的役割の側面については触れるが、「現加算」についての厚労省の発表や首相の「実績」表明と現実の介護現場の意識とは大きな隔たりがある。

第1に、「現加算」は給付対象が介護職員で、それ以外の看護師、ケアマネジャー、栄養士、調理員、営繕・清掃職員、運転手、事務員などは対象外で、訪問看護ステーション、福祉用具関係事業所など直接介護サービスに関わらない事業所は外されている。

介護職員と比較して相対的に賃金の高い看護師やケアマネジャーへの給付がなかったことはそれなりに納得できても、介護職員より処遇が下位の調理員、営繕・清掃職員、運転手、そして事務員などが対象外となっており、職場の格差を広げることになる。これを避けるため、これらの他職種の職員へ法人が独自に給与を積み増しして対応している事業所もある。政府は、「現加算」が職種間格差を広げることに無頓着である。

第2に、「現加算」支給要件の一つに、経営には職員への周知を求めたが、それはほとんど実効性がなかった。

「日本介護クラフトユニオン」の調査(2019年1月発表)によれば、「現加算」を得ている事業所の職員でも「処遇改善加算が反映されている実感は?」の質問に、「実感していない」「わからない」の回答が60.6%であった。この数値の意味は、支給に当たって職員への説明と周知がきちんとなされていないこと、国には、支給したことになっているが、その実状が不明瞭・不明朗であること、配分額が少額で実感がもてなかったこと、などを意味している。

第3は、「現加算Ⅰ」を取得した事業所では、「介護職員の平均給与は、30万4,430円となった」との厚労省の見解についての疑義である。

介護現場では、慢性的な人手不足から時間外労働、休日出勤、夜勤回数増加等長時間労働が強いられている。この結果、給与の中の時間外労働などの手当支給額が増加している。「現加算」支給による処遇改善が実感できないもう一つの要因は、「現加算」の支給額の少なさもあって、労働強化による介護現場の「疲弊の代償」として超過勤務手当等の増加額の中に「現加算」支給額が埋もれてしまっており、労働環境の改善に繋がっていないからである。

しかも、「全国労働組合総連合」の調査(2019年4月発表)では、時間外労働をしている介護職員の4人に1人が「残業代が支払われないことがある」と答えている。同調査によれば、時間外の多い業務は、情報収集・記録、ケアの準備・片づけ、利用者へのケア・家族等への対応、職場ミーティング、会議・委員会・研修等である。利用者への直接的な介護サービスを足りない人員でこなすためには、上記のような業務を時間外に押し出すことになる。それによって、足りない人員で利用者の介護ニーズに何とか応えているのだ。厚労省の「実績」発表は、日常的に「サービス残業」が強いられている介護現場の現実にフタをしているのである。

第4に、「現加算」支給の要件によって、「加算Ⅰ」「加算Ⅱ」「加算Ⅲ」そして、Ⅳ,Ⅴがある。それは、介護職員が長く働き続けられる環境を整えていると判断される程度による事業所のランク分けであり、加算率の格差化である。要約すれば、キャリアパス(職位、職責とその内容に応じた任用条件と賃金体系)の整備、資質向上のための計画を策定して研修の実施または研修機会を設ける、経験もしくは資格等に応じて昇進する仕組み又は一定の基準に基づき定期に昇給を判定する仕組みを設けていることである。

このキャリアパスの体系化等の職場環境整備は、一定の事業規模と事業の継続年数がないと困難である。2018年度までは、小額であるが「加算Ⅳ,Ⅴ」を経過処置として残していた。(2019年度から廃止)「加算Ⅳ,Ⅴ」取得事業所と加算それ自体を申請していない事業所の合計は、およそ10%で、規模の小さい事業所や事業経年の少ない所が多い。加算を取るとその加算分が介護利用料に跳ね返る。また、給付額も大きくないし手続きも面倒等の理由で申請しなかった事業所群である。住民参加型の非営利で地域に密着した訪問介護や通所介護事業所の多くは小規模である。これらの事業所は、介護職員処遇改善の「現加算」からは十分な恩恵を受けることはできなかったのである。

以上をまとめて言えば、「現加算」は、規模の大きい事業所の職員の給与を多少嵩上げしたが、人手不足による超過勤務などによる介護現場の疲弊した状況を改善することには繋がっていないこと、地域に密着した在宅サービス事業所の困難さに光を当てていないこと、また、介護職員以外の職種の労働者の処遇改善には寄与していないことなどから、厚労省と内閣の「実績」にたいする自己評価と介護現場の実感とのズレは大きい。

「特定処遇加算」は「現加算」の積極面を破壊する

10月から「月額8万円相当の処遇改善」と大きく宣伝されている「介護職員等特定処遇改善加算」(以下「特定加算」と略す)について検討する。

この「特定加算」は、「介護人材確保のための取組みをより一層進めるため、経験・技能のある職員に重点化を図りながら、介護職員の更なる処遇改善を進める。具体的には、他の介護職員などの処遇改善にこの処遇改善の収入を充てることができるように柔軟な運用を認めることを前提に、介護サービス事業所における勤続10年以上の介護福祉士について月額8万円相当の処遇改善を行うことを算定根拠に、公費1000億円程度を投じ、処遇改善を行う」という。(下線は、筆者)

この「特定加算」の2000億円の財源の半分は、消費税10%引き上げ分からで、残り半分は40歳以上の保険料と利用者の自己負担分で賄い、介護報酬の改定率に換算するとプラス1.67%となる。なお、付けくわえれば、消費税10%への切り上げによる介護サービス対応分0.39%と補足給付0.06%で2.12%とかつてなかった介護報酬値上がりの%とになり、その分が利用料に跳ね返り上がることになる。

「特定加算」には、特定加算ⅠとⅡのランクがあるが、この加算を得るためには、「現加算」のⅠ,Ⅱ、ないしⅢを取得していることが条件である。つまり、「現加算」支給の要件であるキャリアパスの整備等職場環境をどの程度整備しているかに基づいて、特定加算ⅠとⅡのランク付けがされ、前節で述べた「現加算」の問題点をそのまま継続・拡大することになる。

ところで、「現加算」は、前節で述べた問題点を抱えているが、キャリアパス等の賃金体系の整備などを経営者に強制する効用があり、介護現場の労働環境の改善に一定の積極的・肯定的役割も果たしてきた。ところが「特定加算」は、後で詳しく述べるが、その成果を台無しにしてしまう。介護現場に差別・分断をもたらし、経営側の職場支配力を大きくする。結果として、職員相互の競争と疑心暗鬼を生みだす。介護の仕事へのやりがいやプライドを失わせ、職員相互の連携・連帯した仕事の環境をむしばむ作用をもつのである。

今回の新しい「特定加算」の考え方は、「経験・技能のある職員に重点化を」図ることから10年以上勤続する経験・技能のある介護福祉士(と経営が認定する者も含む)の一人以上の者に月額8万円相当、あるいは年収440万円以上を支給することを原則的な要件としている。

また、「他の介護職員などの処遇改善にこの処遇改善の収入を充てることができるように柔軟な運用を認める」として、経験・技能のある介護福祉士以外の介護職員やその他の職種の職員について平均支給額の配分比率(「10年以上勤続する経験・技能のある介護福祉士」1に対して「それ以外の介護職員」の支給平均額0.5、「その他の職種の職員」に対して0.25)を満たせば経営側に大幅な裁量権を認めている。経営側に大幅な裁量権が与えられている結果、介護現場では、「誰が8万円をもらうのか」「配分方法はどうなり、誰がいくらもらえるのか」などなどを巡って経営や管理職の動きや勤続年数の多い職員の動向に関心が向くことになる。

そこで「特定加算」の配分について、3つのモデルを設定してその実際を検討しみることにする。格差を広げないで全職員に加算が配分されることを期待して、職員をA(10年以上勤続する「経験・技能のある介護福祉士」)、B(その他の介護職員)C(その他の職種の職員)の3つのグループに分けて配分を試算し、「格差を広げない」という期待がかなえられるかどうかを検討してみた。(このモデル化に際しては、厚労省の2017年度の「介護事業所経営実態調査結果」(2016年度の決算)の統計数値をベースにして、介護報酬額や職員数などを算出した。)

なお、画面イメージで表示した巻末の【資料1】と【資料2】に、その数値と計算式等を示したので、この計算式に各事業所の実際の数値を当てはめて自分の職場の「特定加算」の配分を検討されたい。

また次項の モデル試算の結果~「格差を広げない」配分の実現は困難 は図示が多いので画面イメージで表示する。

モデル試算の結果~「格差を広げない」配分の実現は困難

隠しようのない格差が生まれる「特定加算」

モデルを使って「特定加算」の配分で、出来る限り格差を出さないように、色々検討してみた。結果は、「特定加算」で使える財源からは、10年以上勤続する「経験・技能のある介護福祉士」(とみなされる者)一人、ないし二人に8万円を支給すると他の職員には処遇改善費はほとんど廻せない。また、事業所の規模によって、格差の起こり方に違いがあった。格差の起こり方を見ると、特養ホームのモデル3~①は規模がある程度ある事業所で、10年以上の経験・技能のある介護福祉士Aが多い。その場合は、Aのグループ内の格差が大きい。他方、モデル2の規模の小さい通所介護事業所では、加算額が少額なので、8万円を支給できる者はいない。その代わり、公平な配分を考えれば、格差は小さいことになる。「乏しきを分かち合う」と言えば、何と皮肉なことか。

いずれにしても、「特定加算」配分額に格差が生じ、介護の仕事の現場に差別と分断が持ち込まれる。このような職場に分断と混乱を「特定加算」がなぜもたらすのか。そもそも「特定加算」は、消費税10%とセットで安部内閣が打ち出した「新しい経済政策パッケージ」に基づく施策だ。つまり、安部内閣の大向こうに「目玉を剥かせる施策」として「とにかく8万円支給!」なのである。介護の現場の実態に即して検討されたものではない、といわざるを得ない。

この結果、「特定加算」は職員相互の競争と疑心暗鬼を生みだし、介護の仕事へのやりがいやプライドを失わせ、職員相互の連携・連帯した介護労働の環境を破壊する。安心・安全で信頼できるより良い介護を願う良心的な介護事業者にとっても困った「加算」である。当然、介護労働者は、自らの権利を守るためには、「特定加算」に示されるペテン的な処遇改善施策への抵抗・反撃を組織化することが求められる。

二つの回路で「処遇改善加算」へ抵抗・反撃を考えよう!

「特定加算」をはじめとした「処遇改善加算」に対する抵抗・反撃の幾つかの手立てを考えてみる。

一つの回路は、各事業所・職場における取り組みである。

第1に、厚労省が、「処遇改善加算」をできる限り基本給に組み入れることを求めている点を考えてみる。

収入増があれば、それを基本給に組み入れることが労働者側の基本的な要求であるが、そもそも厚労省が本気で基本給への組み入れを求めているとは思えない。なぜなら、「特定加算」には、資格・勤続年数、職種などに応じた配分比率の縛りがあり、これまで「現加算」の要件を満たすために各事業所が積み上げてきた合理的で適正的な賃金体系構築への努力を崩す要素が多すぎるからだ。

また、消費税増税分を使った財源の不安定さがある。元々、安倍内閣の支持率向上のための「8万円支給ありき」目玉施策であり、介護職の処遇改善への確かな見通しも合理性もない施策であるからだ。国の方針が突如変わる可能性もある。それに対応できるためには、労働者は、当面の処遇改善の「手当」とするとの選択を経営側に求めるべきであろう。基本給に組み入れは、国の施策の経過をみながら数年後に行うのが賢明な判断であろう。

第2に、加算の配分にあったて、全職員に格差・分断が大きくならない対策を労働者は、経営側に求めよう。

例えば、「経験・技能のある介護福祉士」一人には8万円を支給せよ、という国の支給条件に背かないで格差・分断が大きくならない支給方法を探ることである。例えば、8万円を支給する職員を固定化せず、毎月、異なった「経験・技能のある介護福祉士」に8万円をリレー方式で支給していく方策もある。この方法は、少なくとも職場の中核的職員の分断を回避することにつながる。この考え方を使って、その他の職員Bと他の職種の職員Cへの平均支給額の配分比率(1対0.5対0.25)を守りながら、B,C各グループの中でも高い額の支給を受ける職員を毎月替えるリレー方式を採用したり、非常勤や中途採用、あるいは職種で低い賃金の者に重点的に支給する等の手立てを考え、これまであった職場の格差を是正する財源に使う等を考え出すことである。

第3に、全ての事業所で、「加算」の配分方法や金額だけでなく、職場の労働環境の改善の内容についても経営に説明を求めよう。

「加算」支給の要件の一つに、職員への「周知」義務が経営にある。これを活かすことである。ほとんどの職場では、労基法が求める「職場代表」は形骸化している。だから、この「加算」については、全職員への説明・周知を求める取り組みをすることが大切だ。これは、働く者の権利を組織的に主張する機運を職場に生み出すことになり、ひいては、労働者の団結、労働組合結成の意義を職場の仲間とともに経験することとなる。

もう一つの回路は、社会的な取り組みである。

その第1は、良心的な経営者や業界団体等への働きかけをしながら、差別と分断を生むペテン的な処遇改善に反対するキャンペーンを組織することである。

「加算」の配分をどうするか、多くの経営側は、様々な面倒な問題をクリアーする方策を見つけるのに困り果てている。場合によっては、加算を取らないという方針を持つ経営者もあるという。労働者は良心的な経営者を巻き込み、介護報酬からの加算ではなく、税金から処遇改善費を捻出すべきことを求める国への要求キャンペーンを組織しよう。 

「加算」は介護報酬への加算であり、保険料、サービス利用料に跳ね返るからである。

第2に、労働者は、「特定加算」のような、分断と差別を拡大するペテン政策を蹴飛ばす権利があるということである。

「高額給与をもらう介護職員ができれば、それが目標になって離職が減る!」などと、馬の鼻先にニンジンをぶら下げるような施策は、介護労働者の誇りと人格を否定する「毒饅頭」である。こんな政府のペテン政策を蹴飛ばし、「一人に8万円ではなく、誰もが週40時間働けば生活できる賃金・労働条件を」を求める全国的運動を創り上げよう。

今回の「介護労働者の権利のために」では、「介護職員処遇改善加算」を取り上げたが、「受難の時代を迎える介護支援専門員とその生きる道」、「介護労働者の権利宣言運動と団結の道」(ともに仮題)の分析・提起が課題となる。

みずの・ひろみち

名古屋市出身。関西学院大学文学部退学、労組書記、団体職員、フリーランスのルポライター、部落解放同盟矢田支部書記などを経験しその後、社会福祉法人の 設立にかかわり、特別養護老人ホームの施設長など福祉事業に従事。また、大阪市立大学大学院創造都市研究科を1期生として修了。今年3月、同研究科の特任准教授を退任。大阪の小規模福祉施設や中国南京市の高齢者福祉事業との連携・交流事業を推進。また、2012年に「橋下現象」研究会を仲間と立ち上げた。著書に『介護保険と階層化・格差化する高齢者─人は生きてきたようにしか死ねないのか』(明石書店)。

論壇

  

第20号 記事一覧

  

ページの
トップへ