コラム/経済先読み

ピケティから見た日本の『不都合な真実』

グローバル産業雇用総合研究所所長 小林 良暢

いま開会中の通常国会の冒頭で、代表質問に立った岡田民主党代表は、「日本社会の格差が近年拡大している事実を認めるか」と迫った。これに対して安倍首相は「税や社会保障の再配分後の所得の格差はおおむね横ばいで推移している」と答弁した。安倍首相の「横ばい」というのはその通りである。だが、それが問題なのである。

日本の現状はr>gで説明できるか

トマ・ピケティの『21世紀の資本』が13万部のベストセラーになっている。このブームにあやかろうと、総合雑誌や経済専門誌はピケティの大特集を組み、また書店のビジネス書コーナーでは数多のピケティ本が平積みされている。

しかし、その論文や著作、コメントなどは、ピケティの理論仮説の紹介・解説か、それを日本に短絡的にあてはめた「格差拡大」論の類が大半で、ピケティ仮設を精査した上で日本の格差の現実に照らして論点を深めたものは、残念ながら多くない。

ピケティは「社会における富める者と貧しい者の格差は、資本主義市場経済に内在する」ものであることを、いくつもの指標を使って実証している。そのもっとも分りやすい指標をひとつ紹介すると、「上位1%の高額所得者(所得上位十分位)」、いわゆる“スーパーリッチ”が総所得に占める割合である。この割合は、米国では1910年で40%、ピークだった20年代後半には50%にまで高まった。その後、世界大恐慌から第二次世界大戦を経験して、1950年には35%にまで低下し、70年代まで横ばいで推移した。ところが、1980年以降再びシェアが高まり、2000年代は40%台後半になり、戦前の最高値に近付いている。高額所得者の所得(r)は、中間層や低所得層の収入(g)に比べて高いので、毎年r>gのままで累積されると長期的には社会的な格差が固定化する、とピケティは考えるのである。

とすると、日本でも「上位1%の高額所得者」に富の集中・拡大が起っているのか。そうはなっていない。

日本は必ずしも「格差大国」ではない

ピケティは、本のなかで1910年~2010年の100年間にわたる「上位1%の高額所得者の割合」の推移を、米・英・カナダ・オーストラリアのアングロサクソンと、フランス・ドイツ・スウェーデンなどの西欧大陸諸国+日本、の二つのグループに分けた図を載せているが、ここではひとつに整理した図を載せておく(「入門『21世紀の資本』〔週刊ダイヤモンド2015.2.14〕」)。

「世界トップ所得データベース」を基に作成

この図から、第二次世界大戦期から戦後の1980年代半ばにかけては、各国とも「高額所得者の割合」が下がり、格差が縮小した時期であることがわかる。問題はその後で、1990年以降はアメリカとイギリスでは「高額所得者の割合」が傾向的に上昇し続けているが、フランスとドイツはそれ程でもない。

ピケティによれば、第二次世界大戦期から戦後期という特殊な時期を除けば、富の集中と所得格差の拡大は資本主義市場経済に共通した宿命だということになるが、それでも1990年代以降の現代資本主義の下ではアングロサクソングループと西欧大陸諸国グループでは様子が異なること、そして日本は西欧グループに属していることを、ピケティ自身が本の中で認めている。

このように日本がアメリカとは異なり、西欧グループに近いという事実は、ピケティにあやかって日本の格差問題を短絡的に語るのにはちょっと「不都合な真実」ということだろうか、この事実は幾多のピケティ本ではあまり触れられていない。『21世紀の資本』が、フランスで出版されてもあまり売れず、アメリカで英語に翻訳されて大ヒットしたのは、格差を巡るこうした状況の違いからきているのではないかと思う。

日本は米・英ほどに格差がない欧州大陸グループに近い。「所得上位1%の層」の富の集中度についてみると、アメリカの19%、ドイツの12%、フランスの8%に比べて、日本は9%と西欧並み水準である。これからみる限り、日本はアメリカのような「格差大国」とは言えない。

「格差大国」より「貧困大国」日本

ところが、相対的貧困率を比較すると、フランス7.9%、ドイツ8.8の西欧水準に対して、日本は16.0%と、アメリカの17.4%に肩を並べる「貧困大国」ということになる。

この落差をどう説明するか。

それは、国民の大多数を占める「中間所得層」の中核的なサラリーマン世帯、年収でいうと400~1000万円未満の層を上中下の3つに分けた、一番下の400・500万層の所得がおおよそ100万円位ずつ下がり、貧困層に転落してきていることによる。これはこの20年間の雇用形態の非正規労働者化の進行によるものである。

相対的貧困率とは、等価可処分所得の中央値の1/2以下所得層の占める割合である。日本のように分厚い「中間所得層」の下層が崩落して中央値が下方へシフトすれば、貧困率水準は高まる。これを手当てするために現代国家は所得の再分配政策を行っているが、この失業者給付や公的職業訓練施策など積極的雇用政策、あるいは生活保護や子育て支援など社会保障政策の内容を吟味すると、我が国は西欧先進諸国に見劣りしたままである。

安倍首相が言うように、「再配分後の所得格差がおおむね横ばい」のままでは、問題が放置されたままだということを意味している。

日本が、欧州大陸グループに近いところに位置し、欧州並みに内実を伴う福祉社会へ向かって所得の再分配政策を強化していくのか、それともこのまま放置し続けてアメリカのような貧困化に向かうのか、かかる国家の政策選択の視点からピケティを読むことが重要である。

こばやし・よしのぶ

連合総研、電機総研を経て、現在グローバル産業雇用総合研究所長。著書に『なぜ雇用格差はなくならないか』(日本経済新聞社)など

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