特集●戦後70年が問うもの Ⅰ

積極的平和主義の欺瞞と危険性

岐路に立つ日本の安全保障政策を考える

明治大学政経学部兼任講師 飛矢﨑 雅也

1 進む改憲スケジュール

集団的自衛権の行使容認など自衛隊の活動を大幅に広げる昨年7月の閣議決定を踏まえ、2015年2月13日、安全保障関連法案策定に向けた自民、公明両党の協議が始まった。政府は、与党協議で3月中に安保法制の大枠を決定し、5月の国会審議入りを目指している。

本誌前号で私は、昨年12月に安倍晋三総理大臣が衆議院を解散して総選挙を行った目的は「来年の通常国会に予定されている安保法制の関連法案の処理に向けて権力基盤を再強化し、さらには将来的な改憲への足場作りを確保するため任期をあと4年確保することにある」と書いた。そして「『戦後レジームからの脱却』(=憲法改正)こそ、今回の解散の大義に他ならない」として、「安倍政権のトリックに騙されてはいけない」と結んだ。

果して、選挙は与党の勝利に終わり、憲法改正が現実にスケジュール化されつつある。1月10日には管義偉官房長官が来年夏の参院選前の改憲着手に慎重な姿勢を見せて、議論の地ならしをした。その上で、2月4日に安倍総理が船田元自民党憲法改正推進本部長と会談し、憲法改正の国民投票の実施時期は来夏の参議院選挙後との認識を示した。今後は統一地方選後の5月に、集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法案を国会審議し、集団的自衛権の行使容認を既成事実化して憲法第9条を骨抜きにし、9条改正に対する国民の拒否感を弱めた上で、憲法改正の国会発議、そして国民投票という日程に進むであろう。

そのことを踏まえるなら、前回の解散時には「アベノミクス解散」の謳い文句の下に隠れた日本の安全保障政策について考えないわけにはいかない。一体、安倍総理の進める安全保障政策の性格はどのようなもので、その問題点は何なのか。そしてそれに取って代わる安全保障政策はあるのだろうか。

2 「積極的平和主義」とは何か

2月12日の衆院本会議で行われた施政方針演説で、安倍総理は「積極的平和主義の旗を一層高く掲げ」ることを宣言した。「積極的平和主義」については前号で少しく見たが、本論考では再論の上、その本質を更に明らかにしてみたい。

昨年4月25日に、安倍総理とオバマ米大統領の日米首脳会談を受けて発表された「日米共同声明」では、冒頭、積極的平和主義が次のように言明されている。

「日米同盟は、地域の平和と安全の礎であり、グローバルな協力の基盤である。国際協調主義に基づく『積極的平和主義』という日本の政策と米国のアジア太平洋地域へのリバランスは、共に平和で繁栄したアジア太平洋を確かなものにしていくために主導的な役割を果たすことに寄与する。緊密な日米協力は、アジア及び世界における、長年にわたるまたは顕在化しつつある脅威や課題を管理し、またはこれに対処するに当たって不可欠なものである。」(「日米共同声明 アジア太平洋及びこれを越えた地域の未来を形作る日本と米国」)

「日米同盟」の後に積極的平和主義が米国のリバランス政策と並べられていることから、積極的平和主義が日米同盟と密接な関係にあることが読み取られよう。

詳しくは後述するが、今世紀の幕開けと共に、日米安全保障関係は大きな変容を遂げつつある。その起点となったのが、国防次官補ジョセフ・ナイ(当時)を中心人物として作成された1995年2月の「東アジア戦略報告」(ナイ・レポート)である。ナイ・レポートは日米関係を「米国の太平洋安全保障政策及びグローバルな戦略目標の基盤」と位置づけ、「在日米軍は日本の防衛及び日本周辺における米国の権益の防衛だけでなく、極東全域の平和と安全の維持にコミットし、かつ備えるもの」と表明した。

「ナイ・イニシアティブ」と呼ばれるこの日米安保再定義は、1996年4月17日の「日米安保共同宣言 21世紀に向けての同盟」となって発表された。この中で日米首脳は冷戦後も日米間の安全保障協力は極めて重要であることを宣言すると共に、防衛協力の分野を日本の防衛や日米2国間協力に限定せず、地域や地球規模での協力を含むものとし、1978年策定の「日米防衛協力のための指針」(旧ガイドライン)の見直しを命令した。

それに基づき1997年9月、新「日米防衛協力のための指針」が報告された。その最大の特徴は、旧ガイドラインでは「極東における事態」とされていたものが、新ガイドラインでは「日本周辺地域における事態」と変化したことである。「日米安保共同宣言」が「アジア太平洋地域」の安定を日米安保の目的と位置づけていることから、「日本周辺地域」とは極東よりも広大なアジア太平洋地域を視野に入れたものと解されるべきである。

周知のように、日米安保条約は「日本国の安全に寄与し、並びに極東における国際の平和及び安全の維持に寄与するため」(第6条)といういわゆる極東条項を持っていた。したがって、ナイ・イニシアティブによって日米安全保障関係は従来の日米安保条約とは重大に異なるものへと変容したといえよう。

事実、2005年10月29日に締結された「日米同盟:未来のための変革と再編」では、同盟関係は「世界における課題に効果的に対処するうえで重要な役割を果たしている」として、日米の安全保障協力の対象が極東から世界に拡大されたのである。

以上を踏まえれば、「日米同盟は、地域の平和と安全の礎であり、グローバルな協力の基盤である」や、「国際協調主義に基づく『積極的平和主義』」という「日米共同声明」の文言も理解できるだろう。それは、「日米安保共同宣言」を確認し、日本の安全保障政策を米国の世界戦略の中に組み込むことを意味しているのである。「国際協調主義」とは、国連の協力的安全保障ではない。インド洋からイラクのような国際的平和支援活動、すなわち9.11テロ以来の対米支援を指している。したがって「国際協調主義に基づく『積極的平和主義』」とは、世界的な対テロ戦で米国と協力することを含む、日米同盟のグローバル化に他ならない。

それでは、リバランス政策との関連から見える、積極的平和主義の性格はどのようなものであろうか。これについて、「ナイ・イニシアティブ」を主導したジョセフ・ナイは次のように証言している。

「私は、新しい関係とは東アジアでの勢力均衡だと考えます。米国がその一角を占め、日本や中国も一角を占めます。ロシアはまだわかりませんが、最終的にはインドネシアのような国もより大きな役割を果たすでしょう」(『朝日新聞デジタル』2014年3月16日)。

この証言からも、リバランス政策と積極的平和主義が、1994年以降の「日米安保再定義」の一環をなす政策であることが知られよう。すなわちリバランス政策と「積極的平和主義」は、中国との対抗に主眼を置くという勢力均衡の考えの下に立つ政策なのである。

勢力均衡の説明については前号でしたので繰り返さないが、その問題点はパワーの不均衡を理由に軍備拡張競争・同盟国獲得競争になりやすく、安全保障のジレンマと呼ばれる紛争をもたらす緊張の増加を生み出してしまうことにある。

勢力均衡がこのような恐れを常に抱えている限り、アジア太平洋地域の緊張の増加など好ましいことではないのだから、それとは異なる方向に安全保障を考えていく必要があろう。国際関係において、安全保障のジレンマの下で、武力紛争を回避し国際関係を安定的にするために、日本はどのような安全保障政策をとったらよいのだろうか。

3 憲法9条外交

その安全保障政策としてこれから提言したいのが、憲法第9条に基づく外交と専守防衛の自衛隊、そして東アジアにおける集団安全保障体制の構築という三位一体の安全保障政策である。なおこれについては、天木直人氏の『さらば日米同盟!』(講談社、2010年)より有益な示唆を受けている。

安全保障のジレンマに明らかなように、アナーキーな国際関係において、国家が自国の安全保障を高めようとして行う防衛力の増強は、他国の安全保障を低下させ、軍備拡張競争を激化するため、国家は、自国の安全保障を高めるには防衛力を増強すべきかすべきでないかというジレンマに陥ってしまう。この最も極端な例が、自国の安全をより多くの核兵器を持つことによって高めようとして、米ソ両超大国が両国間の勢力均衡を核兵器によって維持しようとした核抑止政策である。したがって日本が自国の防衛を軍事力強化によって追求しようとするのなら、その純粋な帰結は核武装である。しかしこの選択が不可能なことは明らかである。

第一に、核兵器を保有することは核戦争を覚悟せざるをえない。核戦略の原則として、核保有国である敵が攻撃してくる際には核兵器を使用する可能性が高いが、日本に対して核攻撃する際には、東京など政治・経済の中心部に対する攻撃が主となる。日本は周辺国に比して、僅かな都市に政治・経済の集中が進み、核攻撃に脆弱で、例えばロシア・中国は日本に壊滅的な打撃を与えうる。その一方で日本は、ロシア・中国の広大な地域からして壊滅的な打撃を与えられない(孫崎享『日米同盟の正体』講談社、2009年)。

第二に、核兵器に対する国民の拒否感情の存在がある。唯一の被爆国として、核軍縮・核不拡散を世界に訴えてきた日本がその政策を一変させて核武装をするという選択肢が、国民からの反発を受けることは容易に想像できよう。

第三に、国際的非難と孤立の問題がある。米国が日本の核武装を認めないことは明らかだが、それ以上に、核武装を宣言すれば、日本は世界各国から非難され、孤立する。とりわけアジア近隣諸国の警戒と反発は強烈なものとなろう。しかしそうして日本が生き延びられる道がないことは、満州事変を起して国際連盟から脱退、世界から孤立し破局への道を辿った過去に鑑みても、明白である。

以上のように、軍事力強化の方向に日本の安全保障を求めることは却って日本の平和と安全を危うくする。しかし、崇高な理念である非武装中立を選ぶまでには、国際政治の現実は未だそれを許すような情況に至っていない。確かに、非武装中立は憲法9条の目指すべき理想である。だが、残念ながら非武装中立に固執することは、その願いとは反対に、今ある現実(=日米同盟)を追認・強化することになってしまうのではないか。なぜなら、現実の選択肢が示されない以上、それは理想か現実かという二者択一となってしまい、理想を受け入れる条件がない限り、現実が受け入れられざるをえないからである。

ここで振り返りたいのが自衛権である。自衛権とは「急迫した危害を国家が武力によって排除する権利」であるが、国連憲章は国家の自衛権を個別的自衛権と集団的自衛権に分け認めている。個別的自衛権とは自国を侵略から守る権利である。一方、集団的自衛権とは同盟国が攻撃を受けた場合、共同して攻撃を阻止する権利で、対抗的安全保障(同盟)はこれを根拠としている。

ところで前号で見たように、対抗的安全保障と集団安全保障は相容れない。集団安全保障とは、対立関係にある国家を含めて、関係国全てが加盟する国際機構を組織し、相互に武力によって攻撃しないことを約束し、紛争が起きそうな場合は話し合いで解決することを定め、もしこのルールに違反する国が出た場合は集団で対処して、平和のために相互に安全を保障する方式である。国際連合はこれを基本原理とする。したがって、仮想敵国を前提とする対抗的安全保障は集団安全保障の対立物であり、国連が否定した方式と考えられる。

事実、第一次大戦、第二次界大戦が軍事同盟の対抗によって引き起こされたという反省から、いかなる軍事同盟も存在しない世界の実現を理念として出発した国連の集団安全保障体制は、冷戦の開始と共に機能不全に陥ったが、冷戦後は湾岸戦争時における機能の回復やPKOの活発化に見られるように働き始めた。

したがって国際連合を前提として憲法9条の平和主義を持つ日本は、理念的にも現実的にも集団的自衛権を認めることはできない。

しかしここで注意したいのが、自衛権には武力によらない自衛権もあるということである。これについては吉田茂が次のように述べている。

「日本は軍備を放棄したのであるから、武力によらざる自衛権はある、外交その他の手段でもって国家を自衛する、守るという権利はむろんある」(1949年11月21日、衆議院外務委員会)

外交とは、国際関係において、各国が自国の利益に基づいて行動する場合に引き起される国家間の対立を調整することである。9条は活用すべき積極的な外交資源である。アフガニスタン、パレスチナなどで人道支援を行う日本国際ボランティアセンターの長谷部貴俊事務局長は、「米軍は民生支援を情報収集の手段にしていました。それに比べ軍事や政治と切り離していた日本の支援は、高い評価を受けていました」と語っている。その上で「本来の積極的な平和主義とは、構造的な暴力や貧困、不平等の解消に取り組み、紛争の根本原因をなくすことです。米欧は対テロ戦争を10年以上続けながら、紛争を止められません。非軍事に徹した日本独自の価値をもっと打ち出すことが重要なのに、今の流れは危ない」と安倍政権が進める積極的平和主義に警鐘を鳴らしている(『毎日新聞』2015年2月17日)。

軍事力による平和の維持を否定した日本国憲法の立場は世界に類のないものである。それは武力でテロを押さえつけようとしてきた米国などにはできないことを可能にする。それだから9条を掲げる限り、日本ほど外交において有利な立場にある国はない。

世界平和を実現するために憲法9条を活用すること。この9条に基づく外交が、日本の安全保障の取るべき第一の柱である。

4 専守防衛の自衛隊

次に自衛隊の位置づけである。非武装中立論者の多くが自衛隊を違憲であるとして認めないように、確かに自衛隊は憲法制定の当初においては想定されていなかった。当時の憲法を巡る事情から考えれば自衛隊は違憲であり、現在も違憲であるとの見解は多い。冷戦の開始という国際情勢の中で、米国が日本に自衛隊を創設させた。しかし米国によって作らされた自衛隊は、60年余りの間に国民に容認される存在となったのではないか。それは、自衛隊を専守防衛に徹せさせざるを得ない戦後政治の攻防や国民意識の反映であった。専守防衛に徹し、災害救助など国民生活に貢献する活動を続けたこともあり、一定の国民からの信頼を築いたからであろう。

そういう国民の判断を尊重すると同時に、今日の国際環境から考えて、憲法は個別的自衛権まで否定していないと解釈する。重要なことは、自衛隊を9条と両立する存在としてあらしめることである。それが、日本の安全保障の取るべき第二の柱である、専守防衛の自衛隊である。

専守防衛とは、専ら自国を守ることだけに自衛権を行使することである。敵の攻撃があって初めて自衛権を行使する。先制攻撃は行わない。他国の脅威にはならない。したがって海外派遣もしない。もし派遣するとしたら、国連が紛争地に送り込む「軍事監視団」のような、メンバーが武器を持たない組織に限る。それ故、自衛隊には高度の練度と知識や判断力が求められる。

ところが現在の自衛隊は、米国の戦争の下請けとしての役割を負わされ、「国際協調主義」の名の下に米軍を補完する軍隊となりつつある。

自衛隊の性格について、このように潮目が変わったのは、先述のナイ・イニシアティブからである。これは、後述する1994年の村山富市総理大臣に提出された「日本の安全保障と防衛力のあり方――21世紀へ向けての展望」(樋口レポート)に危機感を抱いた米国によって対抗的に打ち出された日米間の政策協議である。その結果、樋口レポートから10年後に小泉純一郎総理大臣に提出された『「安全保障と防衛力に関する懇談会」報告書――未来への安全保障・防衛力ビジョン』(荒木レポート)では、樋口レポートに示された多角的安全保障協力(国連PKOを中心とする概念)から「国際的安全保障環境の改善」(インド洋からイラクのように国連PKOではない活動=対米支援、大量破壊兵器等の拡散阻止活動)へ戦略目標が変えられた。また荒木レポートは、冒頭で9.11テロを例示しながら、「非国家主体からの脅威を正面から考慮しない安全保障政策は成り立たない」と明記して、対テロ戦を遂行する米国と歩調を合わせている。そして昨年の日米共同声明では、「日米安保再定義」の一環として、日米防衛協力のための指針の見直しを明言し、日本が集団的自衛権の行使を容認して、米軍と自衛隊の一体的運用を可能にしようとしているのである。

しかし、例えば2008年の名古屋高裁による自衛隊イラク派遣違憲判決に示されたように、こうした現状は明らかな違憲状態である。

また、こうして自衛隊が米国の安全保障政策の一部を負担させられてきた結果、自衛隊の「戦力」はアンバランスになり、日本を守る体裁をなしていない(小川和久『日本の戦争力』新潮社、2009年)。

それにもかかわらず日本の指導者層が自衛隊の海外派遣にこだわる理由は、一つに米国の要請に応えるためであるが、もう一つはそれに乗じて防衛省・自衛隊の活動強化、権限拡大を狙っているためである。

現在、安倍総理は自衛隊の海外派遣を随時可能にする恒久法の制定に意欲を示し、「将来具体的なニーズが発生してから、改めて立法措置を行うという考え方は取らない」(『毎日新聞』2015年2月17日)として、目的に従ってそのつど特別措置法を作ることに否定的な考えを表明している。

しかし専守防衛の憲法に照らせば、自衛隊の海外派遣は例外的にしか認められない。したがってその必要性を個々に検討して、その任務が終われば直ちに帰国するという時限立法で対処するのが筋である。だがそのつど特別法を作って国会審議を行えば野党から追及される。それでは米国の要求にも迅速に応えられない。何より国会審議が面倒である。事実、2001年10月に制定されたテロ対策特別措置法は、第21回参院選の結果を受けて、安倍総理(当時)が突然辞意を表明し国会が空転したため、有効期限延長が日程的に困難となり、そのまま失効したのである。

それだから、恒久法を作って自衛隊の海外派遣を一括して承認させておきたいというのが、安倍総理を始め政府や外務・防衛両省の悲願なのであろう。

しかし国際貢献、人道支援という名目であっても、海外派遣は専守防衛の自衛隊の本務ではない。非軍事分野での協力こそが、国連憲章とも両立する日本の世界平和への貢献なのである。

5 東アジア集団安全保障

戦後日本の防衛政策の基盤の一つに「基盤的防衛力構想」という考え方がある。これは、久保卓也防衛局長(当時)が1971年に構想したもので、1976年の防衛計画の大綱にほぼ全面的に取り入れられた。この構想の特徴は、日本には直接的な脅威がないのであるから、脅威対抗型の所要防衛力構想(当時の中曽根康弘防衛庁長官や制服組が主張していたもので、日本が整備すべき防衛力の大きさを脅威となり得る周辺国の軍事力の大きさに対抗する形で導き出す考え方)を採用する必要はなく、周辺国の軍事力とは無関係に「必要最小限」の能力を維持するだけでよいとしたことにある(久保卓也「防衛力整備の考え方(KB個人論文)」1971年2月)。

そこで達成すべき兵力の目標とされたのが「基盤的防衛力」であった。それは、間接侵略等の小規模侵略は独力で排除し、大規模侵略に対しては、米軍の来援が来るまで持ちこたえるに充分な「平時における必要最小限の防衛力」であり、有事が発生した際に速やかに兵力を拡充するための基盤となるものとされる。基盤的防衛力が必要とされるのは、日本が力の真空となって他国の侵略を誘引し、国際関係が不安定化するのを避けるためとされた(久保「わが国の防衛構想と防衛力整備の考え方」1974年6月)。

これは、日本が初めて自らの防衛構想を示したものであり、前述の荒木レポートでもこの構想が継承されていることに見られるように、現在でも日本の防衛政策の基盤であって、それに代わる新たな防衛構想は考え出されていない。

しかし、この構想は日米安保条約を前提に考えられたものであり、あくまでも冷戦、とりわけ当時のデタントの継続を前提として作られている。

それから40年近くが経ち、冷戦も終結し、国際環境は大きく変化した。基盤的防衛力構想の前提も変化した中で、安保政策も今日の国際情勢に見合う形で再構築されなければならない。

それに当って押さえる必要があるのは、基盤的防衛力だけでは日本を防衛することはできない事実である。基盤的防衛力とは、「平時における必要最小限の防衛力」であり、それを有効なものとするためには基盤的防衛力を補完するもう一つの安全保障体制が必要とされている。それが、これまでは日米安保体制であり、日米同盟であった。

しかし、日米同盟を前提とした安全保障には無視できない矛盾がある。以下については機会があれば論じる用意があるが、米国が日本を守る保証がない。次に、日米同盟を前提とする限り、日本は米国の安保政策に左右されざるをえない。米国の軍事作戦に組み入れられることになり、その戦争に加担することになる。勿論、対テロ戦にも巻き込まれる。

そして最後に、憲法との齟齬がある。集団的自衛権を根拠とする対抗的安全保障は9条と相容れない。それは安倍政権による集団的自衛権の行使容認が「解釈改憲」として非難された通りである。

したがって、基盤的防衛力を補完するものは同盟ではなくて、集団安全保障体制の構築でなければならない。それだけが、憲法と両立する安全保障なのである。それが構築されたなら、憲法9条外交及び専守防衛の自衛隊と相俟つ三位一体の安全保障が確立する。

本来ならばそれは国連による集団安全保障であるが、それが機能するまでは地域的集団安全保障の構築を目指すべきである。すなわちこれが、日本の安全保障の取るべき第三の柱である、東アジア集団安全保障体制の構築である。

実を言えばこれを目指した動きが20年程前にあった。先に少し触れた樋口レポートである。1994年2月、細川護煕総理大臣は私的諮問機関として「防衛問題懇談会」を設置し、1976年の「防衛計画の大綱」を見直す指針を答申するよう諮問し、座長の樋口廣太郎・アサヒビール会長の名を取って「樋口レポート」と呼ばれる懇談会の報告書が、8月に村山総理に提出された。この背景には、冷戦の終結と冷戦期に機能不全に陥っていた国連が機能する時代情況への期待、湾岸戦争を契機とする日本の国際貢献のあり方についての模索、そして日米貿易摩擦があった。

樋口レポートは、全般的な安全保障戦略の観点から日本に必要な防衛力を導き出しているという点において画期的なものであった。それまでにあった防衛計画の大綱は、防衛力整備の指針という国家軍事戦略の色彩が強く、国家安全保障戦略に該当する公式文書は存在しなかった。つまり国家安全保障戦略については米国に従っていたということであった。そこで懇談会は、まず国際情勢を分析し日本の戦略目標を定めた上で、それに必要となる防衛力を導き出すというアプローチを採用したという(福田毅「日米防衛協力における3つの転機」『レファレンス』2006年7月号)。

こうして設定された戦略目標の特徴は、日本の安全確保の手段として、日米間の協力と並んで、「多角的安全保障協力」(国連PKOへの貢献、軍備管理、地域的安保対話等)を柱に据えたことである。「日米間の協力が今後も日本の安全保障政策の重要な柱であることも、これまでと変わらない。しかし、そのような防衛力と安全保障政策を、協力的安全保障の視点からどのように位置づけるべきかが、今後の新しい問題である」(「樋口レポート」)。

樋口レポートは、冷戦後の安全保障はいかに敵を減らし、味方を増やすかであるという考えに立ち、冷戦が終結し新しい世界が展開しているのに対応して、「第一は世界的並びに地域的な規模での多角的安全保障協力の推進、第二は日米安全保障関係の機能充実」を提言した。

しかし、これが米国の警戒感を呼び起す。レポートの構成が、多角的安全保障協力に触れた後に日米安保に言及するようになっていたため、知日派の論者達が日米安保軽視の表れではないかとの懸念を表明したのである。そこから先述のナイ・イニシアティブと呼ばれる米側の巻き返しが始まる。ナイは、1995年の日本の新防衛大綱において日米同盟が日本の安全保障にとって中心的な柱であることを願い、多国間主義云々の議論が前面に出るのを嫌った(秋山昌廣『日米の戦略対話が始まった』亜紀書房、2002年)。彼らは、日本が米国から離れて自立していくことを恐れた。米国にとって、日本は手放すには余りにも惜しい戦略的価値を持っているのである。

東アジアに集団安全保障体制ができれば日米同盟は不要になる。それこそが、米国の恐れる最悪のシナリオである。

樋口レポートの発表は1995年に沖縄で少女暴行事件が起き、米軍撤退要求の気運が沖縄住民の間で高まった時期と重なっていた。現在また普天間基地の辺野古移設問題で沖縄と日米両政府の間に緊張が走っている。沖縄問題、高まる在日米軍基地撤退要求、集団的自衛権の行使容認と憲法9条の衝突。日米同盟の強化に伴い、その矛盾が今噴出しているのである。

それでは、東アジア集団安全保障体制を築いていくために必要なことは何か。それを知るためには、日本にとっての脅威とは何かということを考えなければならない。

下の表は、イギリスの公共放送局BBC(英国放送協会)が2006年2月にWorld Public Opinionと共同で行った世界の世論調査におけるデータである(孫崎、前掲より転載)。

国名インド中国ロシアイラン
肯定する国3128262220 13 13 5
否定する国2456 10161824

*日本に関して、否定する2ヵ国は、中国と韓国である。
世界主要34ヵ国(各大陸)が各国の影響力拡大をどう評価するか(国数)

国名 韓国中国
日本625754477342854416
米国3433162429117403528

各国ごとに日本と米国の影響力拡大を何%が肯定的に見ているか(%)

BBCの調査からは、世界の主要国の中で、日本が国際的に最も歓迎されている国という結果が示されている。反対に、ロシアや米国については、否定する国が肯定する国を上回っている。これは、冷戦時代に両国が東西各陣営の盟主として覇権を争ってきたからだろう。因みに日本に対する国際的な評価は高いが、その中で中国と韓国だけは日本の影響力拡大を否定している。それは、帝国主義国家として両国に対してきた過去の歴史があるからである。帝国として振る舞うことは、国際的な評価を確実に下げるのである。

表下は、日本と米国それぞれの影響力拡大を何%が肯定的に見ているかの数字である。日本に対する好感度は、米国に対するそれを圧倒的に上回っている。それは日本が米国と同じ政策をとってきたからではない。反対に平和国家として歩んできたからである。そのことは米国に対する評価が厳しいことを見れば歴然としている。したがって、もし日本が米国の戦略と一体化していけば、これまで築き上げてきた日本の評価は米国並みに低下することは間違いない。すなわち、世界の殆どの国で対日好感度を下げることになる。先ほど取り上げた長谷部さんの証言はそのことを伝えていよう。因みに各国の中で唯一中国は、日本に対する好感度が米国に対する好感度を下回っている。これは日本に対する中国の不信が相当深いことを物語っている。

集団安全保障体制の成否を握る鍵は、構成国の間に決定的な政治的対立がないことと、構成国の中で大きな軍事力を持つ国家が集団安全保障体制を認めることの二つであるとされる(天木、前掲)。

前者については、日本と北朝鮮との間に国交正常化問題があり(韓国と北朝鮮との間の緊張状態については紙幅の都合により割愛)、後者については、中国が東アジア集団安全保障体制を受け入れるか否かという問題がある。そして中国、韓国、北朝鮮と日本の関係について共通するものとして、過去の清算という問題がある。

それらの解決は容易なことではない。しかし現在日本の安全保障が陥っている隘路を突破するためには避けて通ることができない問題である。そしてそれらを解決することは近代以降の日本のあり方(帝国的性格)を止揚することでもあり、それは今後日本が平和と繁栄を享受していくために不可欠な土台である。

米軍の核戦略作戦計画に関する『毎日新聞』2010年2月28日のスクープ報道によれば、その攻撃対象は中国、イラン、北朝鮮、ロシア、シリアという五つの主権国家とテロ組織だという。これらのうち、イラン、シリア、北朝鮮の脅威とは、具体的にはテロ組織に大量破壊兵器や核技術が渡る脅威である。したがってこの脅威については、米国の「テロとの戦い」に加担さえしなければ、日本がテロの標的になることはない。北朝鮮との間には拉致問題があるが、これは政治問題であって、軍事的脅威の問題ではない。外交で解決されるべき問題である。

残る二つのうち、ロシアについては冷戦が終結した現在、日本を攻撃してくると考える者はいないだろう。 中国についてはどうだろうか。現在の中国にとり、日本を攻撃するメリットは皆無である。それは、日中間の経済的相互依存関係がかつてない程深化しているためである。軍事攻撃の際には相手国との経済関係が途絶える。更に、国際社会が無謀な攻撃を行う国に経済制裁を行う。そうなれば、経済的損害を被ることになる中国の人びとが中国の国内政治で指導部を揺さぶるだろう。米国防総省は次のような見解を示している。

「政権の生き残りと共産党の原則の永続化が中国の指導者たちの戦略的な展望を形成し・・・・・・中国共産党は政権の正当性の基盤として経済的な成果とナショナリズムに依存してきた。・・・・・・中国の経済成長のレベルを維持するために、・・・・・・中国の指導者たちは2国間及び多国間の政治的協調を世界規模で強化している」(米国国防総省年次報告「中国の軍事力2008」)

軍事攻撃の抑止は軍事だけによるのではない。国際経済の一員としての立場が自らを規制するのである。ここには北朝鮮問題解決の手がかりも隠れている。すなわち、北朝鮮を早期に国際社会の一員にすると共に、彼らが軍事行動によって失うものを作っていくことが日本の安全保障に繋がっていくのである。そのために、協力的安全保障の枠組みを作り、その中に北朝鮮を引き込み、経済発展を実現させる。そうすると指導層が戦争を選択する危険が減少する。反対に孤立させた結果北朝鮮が自暴自棄になれば、核攻撃に踏み切る可能性が生じる。

北朝鮮の核兵器は米国に対し向けられたものであり、日本に向けられたものではない。それは米国が北朝鮮を攻撃しないことを保証させるカードであり、米朝国交樹立のための手段である。北朝鮮の核問題は専ら米朝間問題なのである。したがって北朝鮮を軍事的脅威と捉えることは正しくない。それは戦略的思考を知らない捉え方である。この問題で北朝鮮が相手にする国は米国だけであり、日本の出る幕はない。

それでは、北朝鮮の国民を苦しめる独裁政権を放っておいてもいいのだろうか。その答はイラク戦争によって出されている。イラク人を独裁者から解放するためと称して、米国は戦った。その結果フセイン政権は打倒された。しかしイラク人が米国に感謝しているかといったら、事はそんなに単純でないのは今日に至るイラクの情況が教える通りである。フセイン大統領の次男であるウダイ氏の影武者を務めさせられたラティフ・ヤヒヤ氏は次のように証言している。

「米国はイラク戦争(2003~2011年)で多数の市民を殺害し、難民を生み、アグレイブ刑務所で蛮行(収容所虐待)を行った。その結果、(反米感情からテロが続発するなど)ウダイのような狂気の者を何百人も生んだ」(『毎日新聞』2012年1月13日)。ヤヒヤ氏の証言から分るのは、独裁政権はその国民の手で倒されるべきだ、ということである。たとえ国民を苦しめる独裁者であっても、外国が武力でそれを排除する場合、そこには外国の思惑が見え隠れし、それがひずみになって国民融和や新政権作りの障害になる。それはその後もリビアやシリアで繰り返されていることである。そしてヤヒヤ氏は、イラク人が独裁政権を倒す権利を米国が奪ったと感じているのである。

ここからいえるのは、北朝鮮の政体変更は北朝鮮国民の権利であるということである。その権利を民衆の手から外国が奪ってはならない。

6 「イスラム国」人質事件が問いかけたもの

2015年1月20日、衝撃の映像が流れた。中東の「イスラム国」(IS=Islamic State)が日本人男性2人を人質にとり、「72時間以内に身代金2億ドルを払わなければ2人を殺害する」という脅迫を日本政府に対して行ったのである。 

2人は民間軍事関連会社の湯川遙菜さんとフリージャーナリストの後藤健二さんで、後藤さんはシリアでISに捕らわれた湯川さんの救出に向かって拘束された。事件は、まず湯川さんの殺害、それからヨルダン政府が収監するISの女性死刑囚と後藤さんの交換要求へと発展したのち、後藤さんが殺害されるという最悪の展開となった。

こうした結末に至るまでの政府の対応には問題が多かったが、事件が日本の安全保障政策に問いかけた最大のものは、安倍総理の進める積極的平和主義の意味についてである。

今回の事件は予想されたことでもある。2004年10月には、ISの前身組織が、イラクで旅行中の香田証生さんを人質にして、同国サマワからの自衛隊の撤退を要求していた。当時の小泉政権は日米同盟の強化を掲げ、人道復興支援策として自衛隊を派遣していた。政府は自衛隊の撤退に応じず、香田さんは星条旗の上で焼き殺された。また、アルカイダを率いた故ウサマ・ビンラディン氏も2004年、イラク駐留米軍の司令官らと並んで、日本人を殺害の標的に挙げた。ここから知られるのは、米国の戦争・対テロ戦と共同する時、日本は標的になるということである。

安倍総理は積極的平和主義を唱え、軍事分野での活動を広げることや、米国との連携を強めようとしている。ケリー米国務長官は、「テロと戦う同盟国の日本と引き続き肩を並べて立ち向かう」(『毎日新聞』2015年2月2日)と述べた。それは一つの行き方ではある。しかし重要なことはそれに伴って発生するリスクをどれ程理解しているかということである。

今回の事件を受けて総理は、自衛隊が海外で邦人を救出できるようにする法整備に意欲を示した。だがこれから先も「積極的平和主義の旗を一層高く掲げ」、米国と共に対テロ戦に加わっていってよいのか。9.11同時多発テロ後、米国が掲げた「テロとの戦い」は、その世界最強の軍事力を以ってさえ、失敗し続けている。

日本は従来、中東諸国から親近感を持たれてきた。憲法9条を遵守して、各国・地域の発展を促す長年のインフラ整備や人道支援策を続けてきた結果である。

テロの温床の一つには、貧困に苦しむ層の絶望、屈辱感などがある。軍事的手段がテロ撲滅に必ずしも効果を上げず、却って新たなテロ集団を生み出していることを考えれば、日本が果してきた非軍事分野での貢献がより重要である。

亡くなった後藤さんは、戦後の平和国家としての日本の歩みを評価し、紛争の絶えない世界で、日本政府が平和に貢献することを望んでいた。武器輸出を原則禁じた武器輸出三原則の見直しについて懸念し、次のように述べている。

「米国とロシアは中東の政治に関与し問題視されています。日本はそうした利害がないからこそ、紛争の両当事者を仲介し、リラックスした環境を作ってあげることが可能なのではないでしょうか」(『毎日新聞』2015年2月17日)

悲劇的なことに、後藤さんの死は、これまでの日本の立ち位置が確実に変化しつつあることを示した。

後藤さんの殺害を受けて、安倍総理は首相官邸で記者団に次のように語った。

「日本がテロに屈することは決してない。食糧支援、医療支援といった人道支援をさらに拡充していく。そしてテロと戦う国際社会において、日本としての責任を毅然として果たしていく」(『毎日新聞』2015年2月2日)。

繰り返すまでもなく、「テロと戦う国際社会」とは、米国を中心とした有志国連合である。そこにおいて「日本としての責任を毅然として果たしていく」ということは「積極的平和主義の旗を一層高く掲げ」ていくことに他ならないのだが、IS人質事件はその危険を警告した。

集団的自衛権の行使を可能とする安全保障関連法案が本格的に審議に入ろうとするなか、積極的平和主義に取って代わるべき日本の安全保障政策が問われている。

ひやざき・まさや

1974年、長野県生まれ。明治大学政治経済学部兼任講師、博士(政治学)。著書に、『大杉榮の思想形成と「個人主義」』(東信堂、2005年)、『現代に甦る大杉榮』(東信堂、2013年、日本臨床政治学会出版賞受賞)。

特集・戦後70年が問うもの Ⅰ

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