コラム/深層

シャルリー・ドント・サーフ~68年と現代を巡る小論

ジャーナリスト 吉田 文人

シャルリー・ドント・サーフ(シャルリーはサーフィンしない)――。1月のフランス週刊風刺紙襲撃事件以来、こんなフレーズが頭の中を回り続けている。「元ネタ」は、映画「地獄の黙示録」(1979年)のセリフとパンクバンド、ザ・クラッシュの曲名「チャーリー・ドント・サーフ」(80年)だ。いわゆる「68年」の延長上にあるこの一言を通して、襲撃された「シャルリー・エブド」から、日本人人質を殺害した「イスラム国」までも、一つの線上に読み込めるのではないか。

68年革命を極めて 図式的に見返せば、重要なのは二点だろう。一つは、実存的不安、「現代的不幸」(by小熊英二)に基づく反抗、つまり「叛逆のバリケード」であり、もう一つがゲバラやベトナム反戦に象徴される反帝国主義、第三世界主義への呼応。以後のさまざまなサブカルチャーやマイノリティー運動の展開も、主には、この二つ―完全な自由・平等の希求、加害性への目覚めやそれを乗り越える新しい関係性への憧れ―の間に生まれたかのように思われる。その成果の豊かさは、いくら強調してもし過ぎることはない。だが、しかし……。

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「シャルリー・エブド」は、前身誌が発禁となった後、五月革命世代が再建したものという。現在の同誌なりムハンマドの肖像画問題への評価はともかく、タブーのない雑誌は、まさに68年の絶対の「自由」(バリケードの中で生きている!的な)を体現していたのだろう。「便所の落書き」のごとき低劣さだとの指摘もあるようだが、そもそも落書きは、五月革命や全共闘運動でも注目された「メディア」だった。

言うまでもなく、シャルリーはチャーリーの仏語読みだ。同じく68年サブカルチャーを舞台装置に使う「地獄の黙示録」の名台詞が、「チャーリー・ドント・サーフ!」である。米軍指揮官のギルゴア中佐は、南ベトナム解放民族戦線(蔑称だがベトコンと略しておく)の村を焼き払い、目の前の川でサーフィンに興じようとする。怖じ気づく部下に「チャーリー・ドント・サーフ!」と叫ぶ。チャーリーは、 ベトコンのコードネームで蔑称的なニュアンスがあるという。

カウボーイハットを被った中佐は、脳天気で戯画化された米帝国主義の体現者である。彼を五月革命を弾圧したフランス共和国大統領、ド・ゴールと二重写ししてみてもいい。「シャルリー」も「チャーリー」も、彼らから見れば、程度の差こそあれ同系列のものだろうから。つまり、「シャルリー」もベトコンも、彼らの敵=「ドント・サーフ!」な連中なのだ。

ギルゴア中佐の一言は、70年代英国で労働者階級の若者の心をとらえた、パンクロックにも影響を及ぼした。セックス・ピストルズと並ぶロンドンパンクの代表的バンド、ザ・クラッシュのアルバム「サンディニスタ」に、「チャーリー・ドント・サーフ」( 邦題「ナパーム弾の星」)という曲が入った。サビは、「チャーリーはサーフィンをしない したほうがいいのに チャーリーはナパーム弾の星になる」と繰り返す。ニカラグア革命、徴兵忌避、不当逮捕などをテーマにした同アルバムの他の曲と合わせれば、「サーフィンしたほうがいい」は、裏を返して聞くべきだとわかる。同じ曲中で、「世界中でオレたちはよそ者をぶっつぶす」と大国への反撃を誓ってもいる。

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ともあれ、80年代に解散したクラッシュは、まだ素朴に第三世界と同調(=「ドント・サーフ」)できたが、あらゆるものを風刺する「シャルリー」は、少なくとも近年のイスラム過激派から見れば、「サーフ」する側に立っていた。仏の事情に詳しい日本 人に、「シャルリー」は「だいぶ前にシオニストに近い資本が入ってから徐々に反イスラム、社会党右派よりに偏向していた」との話を聞いた。事実ならば、「シャルリー」は、とっくに意識的に「サーフ」していたのかもしれない。そもそも、シャルリーにとってあらゆる対象を批判することこそ「自由」である以上、「サーフ」も「ドント・サーフ」も関係がなかったのかもしれない。

他方、先進国の左翼と一緒に「ドント・サーフ」してくれる対象を見つけるのも、今や難しい。既にアルバム「サンディニスタ」は、米だけでなく、チベット、アフガニスタンへの中ソの抑圧をも批判していた。アフガニスタンで旧ソ連と戦ったのはムジャヒディンであり、サンディニスタ革命と同年、イスラム革命がイランで起きた。第三世界の社会主義は失速する。代わりに台頭したイスラムの波に、西欧や日本の左翼は本気では乗りにくい。先進国側の人間が、途上国側にマルクス主義のような「同じ」世界観を持った勢力を見つけて素朴に連帯することは、もはや難しい(南米の左派政権、メキシコのサパティスタなど例外はあるにせよ)。

とはいえ、先進国の若者のアイデンティティー危機、実存的な不安、貧困、さらに移民系などへの差別……。問題は山積している。だからこそ、現実を否定し「もう一つの世界」を目指す指向性は、分かりやすい68年の後継たる反グローバリゼーション運動だけでなく、極右政党やイスラム過激派へも向いてしまっている。イスラム 国に合流する戦闘員の2割以上は、西欧諸国出身(池内恵『イスラーム国の衝撃』)。

日本人人質を殺害したとされるイスラム国の白人戦闘員、ジハード・ジョンは、英国のラップミュージシャンだったとみられる。ラップは、60年代のサイケやハード・ロック、70年代のクラッシュなどパンクロックの後継者と言えるカウンター音楽である。そのミュージシャンが、今、イスラム国にいる(彼以外にも)ことに、不穏な一致を感じざるを得ない。

イスラム過激派は、先進国内に同調者を増やし、自発的な武装闘争を起こさせることを戦略的に選んでいるという。また、戦闘の泥沼化で米軍をおびき出し、持久戦で勝利するというイラク戦争以後の経験も踏まえて動いているとの見方もある。まるで、60年代の新左翼や第三世界主義の焼き直しのような話。もはやたとえば、ゴダールの映画「中国女」(67年)で北京放送に耳を傾ける仏の学生に、今、ネットでイスラム国の動画を見る先進国の若者を重ねてもいいかもしれない。

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「シャルリー」やクラッシュだけに、68年の後継者像を代表させるのが不十分なのは百も承知である。それにしても、思う。私たちは再び、あの時代のように、「全世界を獲得するために」「ドント・サーフ」できるのだろうか、と。

よしだ・ふみと

1975年生まれ。

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