特集●闘いは続く安保・沖縄

2015年を戦後デモクラシーVer.2の年に

「対案病」の民主党への提言

日本女子大学教授・本誌代表編集委員 住沢 博紀

1.「第2の戦後」の出発点としての2015

今年は戦後70年の節目であり、また安倍政権により集団的自衛権行使の一部承認を含む安保法制が強行採決されたこともあり、大きな転換の年であるといえる。さらに10月、足掛け3年におよぶTPP交渉(環太平洋経済連携)が大筋で合意に達したことも、2015年が大きな分岐点となることを暗示している。

何から何への転換なのか。何から何への分岐点なのか。ここで以下の3つのことをまず確認しておきたい。

(1)戦後70年の根幹に、日米安保体制と政(自民党)・官(中央官庁)・業(企業)の権力ネットワークがあるとすれば、2015年も戦後の克服ではなく、その形を変えた延長、つまり「第2の戦後」の始まりに過ぎない。「第1の戦後」が平和国家と経済大国で特徴づけられるなら、「第2の戦後」は戦争のリスクを容認する普通の国と、グローバル経済大国という目標によって特徴づけられる。いずれも日米の軍事同盟と経済連携が基盤となっている。これを日米の2国間関係から、環太平洋、さらにはグローバルへと空間的に拡大しようとするわけだが、問題は戦後の日米関係と自民党政治という旧い体制(レジーム)を残したままで衣替えしようとすることにある。

(2)しかしすべてはまだスタートラインに立っただけであり、新しい道に突き進んでいるわけではない。民主党は、集団的自衛権の一部行使容認部分に関して、安保法制の廃止を提案している。世論もまだ多数が反対であり、来年の参議院選挙の結果次第では、2015年4月に日米外相・国防相(いわゆる2+2会談)で合意した「日米防衛協力のための指針」(18年ぶりの新ガイドライン)が、一部は事実上、凍結されるかもしれない。これは「日米同盟のグローバル化」、つまり自衛隊のグローバルな展開の可能性についての部分である。

またTPPに関しても大筋での合意であり、その具体的内容よりも、TPPというアジア・太平洋の新しい枠組みが成立した、ということのほうが強いインパクトを持つ。サービス・制度を含む包括的な標準化というには曖昧な部分も多く残されており、またカナダ自由党政権や、批准反対と立場を変えたヒラリー・クリントン候補の大統領選挙結果次第では、まだまだ多くの紆余曲折が予測される。

(3)最大野党の民主党の立ち位置が、この段階になっても明確ではない。民主党は誤った「対案病」に陥っている。岡田代表は沖縄に翁長知事を訪問し、辺野古移転の反対論に理解を示しつつも、対案がない以上、反対はできないという立場に終始したと報じられている。前原元代表も、日米安保法制も対案がない以上、全面的な廃案要求はできないと発言している。日米安保法制に関しても、またTPPに関しても、民主党は安倍政権に対して微調整をもとめているのか、それとも抜本的な変更を求めているのか明確ではない。

確かに政権交代を前提にすると、野党といえども批判や反対に終始せず、政権獲得して実現できる政策を提起しなくてはならないということも一つの真実である。とりわけ民主党は2009年―2012年の政権獲得時に、野党時代の「対案集」たるマニフェストを実行できなかったという苦い経験がある。しかし現在の民主党執行部や有力政治家は、「対案病」とでもいうべき袋小路に陥っている。

第1に、野党の建設的な仕事とは、政府案に対する徹底的な批判を通して、政府案の持つ問題点や欠陥を公衆の前に明らかにすることである。ここから政府案の修正や廃案、あるいは大幅な訂正による事実上の「対案」の実現、このすべてのプロセスが野党の「対案」である。選挙での政党間の政策選択の提示と(明確な政策の対立軸の提示)、国会内での政府案をめぐる論争とは区別されるべきである。国民の負託を受けた立場から、野党は徹底的に政府案を批判的に審議=熟議すべきであり、修正案としての対案はその結果に過ぎない。

第2に、とはいっても、批判や反対だけではなく積極的・建設的な提言も必要であるという意見も多くある。何が積極的・建設的な野党の提言なのだろうか。日米安保に対して民主党には対案はない。非武装中立か武装中立か中国・ロシア・北朝鮮を含んだ地域共通の安全保障しか対案はないのだから、日本で政権を獲得しようとする政党にとって、日米安保への対案は、少なくとも中期的にはない。

しかし辺野古移転は異なる。日米安保と沖縄米軍基地の存在を前提としても、2009年鳩山政権の下でいろいろ議論されたように対案はある。ただその対案を実行する準備も意志も政治力も鳩山政権にはなかっただけである。現在では選択肢はもっと明瞭になっている。沖縄県民の圧倒的な辺野古移転反対の意志と、海兵隊の軍事基地の拡大・近代化のどちらを優先するのかという問題である。この優先順位は地域主権を唱える民主党にとって自明なはずである。政党の役割とは、このように優先順位のつけられる政策には、海外を含め反対や抵抗があってもきちんと順位をつけ実行に移すことである。この優先順位を間違えると、民主党も沖縄を敵に回し、さらに第2自民党となり政権交代の意味が有権者から問われるだろう。

TPPの問題を考えてみよう。ここでもTPPに代わる対案を出すことは難しい。WTOの構想が挫折し、各国が自由貿易協定FTAによって個別に自由貿易圏を拡大する時代にあって、グローバル経済の展開に依存する日本が、こうした動きを全否定することはあり得ない。TPPは自由貿易圏というよりは、サービスや技術的規制・法制度も含めてグローバル・スタンダード、つまりアメリカ化しようとする試みであると批判される。しかし例えば企業が投資先の国家に損害賠償請求ができるISD条項にしても、すでに2国間協定で存在しており新しいものではない。TPPのように多国間の協定になれば、この問題がむしろクローズアップされ、多国籍企業が一方的な訴訟を多発させることがむつかしくなる可能性もある。

ここで問題としたいのは、TPPがまさに包括的な自由貿易という市場経済的な側面に限定されていることである。こうしたレベルでのグローバル化は、社会・雇用・環境など人々の生活に大きな影響を与える。その場合に、市場経済の利益または不利益しか議論の対象としないなら(まさに安倍政権の農産物の5つの聖域論のように)、経済的な利益(あるいは国益)がすべてということになる。しかしEUを見ればわかることだが、包括的な単一市場化において、社会的側面や地域の将来構想(地域発展の目標と安心・安全な社会)を抜きにしては、人々の生活や地域が破壊されてしまう。経済統合に比べれば不十分であるとはいえ、EUでは常に市場統合と社会的なヨーロッパの建設が二つの不可欠な柱として議論され、社会憲章の設定と司法的救済の道が築かれてきた。

TPP交渉は秘密交渉であったので、内容が段階的に公開されるこれからの国会の審議において、民主党は多くの批判点や訂正条項を提起することができる。しかしそれ以上に重大なことは、TPPを単なる自由貿易のための経済協定とするのではなく、別の意味を付与することである。地域間格差や排除のない社会の形成、持続可能な社会の形成など、公平な社会や持続可能性というグローバル・スタンダードを、もう一つの軸として設定する協定を提起することである。

2.「決断できる政治」を売りにする安倍政権

本節は、いかにして安倍政権の野望を打ち破るか、という課題を設定している。

ところで安倍政権の野望とは何だろうか。2012年12月の第2次安倍政権発足時には、かなりの程度、明確であったと思われる。祖父、岸信介の継承者を自認し、戦後レジームの清算=改憲・自主憲法制定こそ自民党設立の本来の趣旨であり、その実現のための条件整備と新しい歴史認識を自らの課題とした。しかしそのためには安定した政権運営が必要であり、デフレ経済に対して有効な対策を提出し、実行することが第一の政権の課題となった。まず「異次元の金融緩和」を主張する黒田東彦を日銀総裁に任命し、「大胆な金融政策」、「機動的な財政政策(国土強靭化の名のもとの大規模な公共投資の復活)」、「民間投資を喚起する成長戦略」というアベノミクス「3本の矢」の名で経済政策の成果を売りにした。

安倍政権の悲劇は、本来の政治目的であるべきデフレの克服と財政再建が、手段としてしか位置づけできなかったことである。同じように、民主党―自民党の合意であった、2015年10月の消費税10%の実行も1年半延期された。消費増税を唱える政権は選挙で敗北する。消費増税の1年半延期を国民に問うという理由での解散―総選挙は、明らかに政権党に有利で解散権の濫用ともいえるものであった。ともあれ安倍政権は、アベノミクスと消費増税の延期で、2年から3年間の政権の本来の目的を実行するための時間を買った。2015年、安倍政権にとっては勝負の年であった。

何ができたのか。結論からいえば安倍は何もできなかった。戦後70年という節目で、過去ではなく未来を向いた「積極的平和主義」を唱え、河野談話や村山談話に区切りをつけるために、『21世紀構想懇談会』を設置した。しかし答申はむしろ二つの談話を継承するものであった。「日本の侵略」という用語に対して疑問を呈したのは二人の委員にとどまり、安倍流歴史修正主義は、官邸が選んだ保守知識人においても周辺部分に留まることが明かになった。アメリカや中国からも、安倍70年談話に対して早くから河野・村山談話を継承するようにという「圧力」があった。帝国主義という時代に制約された、正当な自国防衛戦争であるという岸―安倍史観は、承認されるはずもなかった。

集団的自衛権の行使を閣議承認した解釈改憲の行方はどうであっただろうか。

6月4日の衆議院憲法調査会への3名の参考人、長谷部恭男早大教授(自民推薦)、小林節慶大名誉教授(民主推薦)、笹田栄司早大教授(維新の党推薦)は、安保法案における集団的自衛権の一部承認は違憲である、という共通見解を述べた。この3人の見解と、後に続く圧倒的多数の司法界・憲法学者らの違憲表明は、安保法制の早期議会通過を予定していた安倍内閣には大打撃となった。

「戦争法案」、「違憲法案」、「立憲主義の否定」などはわかりやすく、たちまちメディアや大学の研究者、さらに若い学生世代に反対運動が広まった。9月には国会前は何十年ぶりかの大衆抗議運動の舞台となった。

若者の保守化を見込み、18歳まで選挙権を拡大する安倍政権の目論見はもろくも崩れ去った。2015年6月からの安保法制反対運動は、若者の間にデモクラシーを担う意識や、デモに参加する文化を一部であれ復活させた。正確に言うと復活ではなく、新しい形のデモクラシーを創出させた。その意義はこれから浮かび上がってくるだろう。

当初、自民党は、司法制度改革審議会会長などを務め、保守的な京都学派の流れ汲む佐藤幸治京大名誉教授を参考人として推薦したといわれている。しかしその佐藤教授ですら、『世界史の中の日本国憲法』(左右社 2015年)を読むと、立憲主義の歴史的意義を踏まえ日本国憲法を評価する、「護憲」論に立つことがわかる。そうであれば、まともな憲法学者の中では、自民党の改憲論を支持する人など存在しないことになる。結局、自民党は憲法改正問題のエキスパート、船田元党憲法改正推進本部長を更迭せざるを得なくなった。安倍自民党は、野田党税調会長に続き、憲法改正本部からも人材を放出し、官邸がすべてを決定するシステムに変わりつつある。

安倍首相―菅官房長官は、政権中枢部がすべてを決定する、「決断できる政治」を旗印にしてきた。しかしその決断とは、国民の真のニーズに答えるための決断ではなく、自らの政権都合により設定された課題への決断であった。「異次元の金融緩和」は、円相場を120円まで誘導し(実に80円から50%の円安)、日経平均株価を18000円―21000円の線まで引き上げた。大企業の収益は劇的に改善され、資産を持つ階層は多額の株収益を得た。

しかし働く者への賃金には還元されず、結果として自ら唱えた2%のインフレターゲットも達成できないでいる。年80兆円のペースで日銀が市中から長期国債を買い入れており、8月には国債保有額が300兆を超えGDPの6割に達している。欧米の中央銀行が2割前後であることに比べると突出しており、数年で限界に突き当たる。しかしアベノミクスは安倍政権にとり手段であり目的ではないので、この深刻な事態に真摯に対応するのではなく、利用するだけ利用して後始末は先送りする可能性が強い。

同じことは安保法制にもあてはまる。安倍政権は、2+2による新ガイドラインは、尖閣列島問題や中国の台頭に対してアメリカの関与を担保する、日本からのイニシアティブであるとして自賛している。しかし本当にそうか。集団的自衛権をめぐる議論で明らかになったことの一つに、米軍は常に自ら決定し、行動するという原則がある。日本側は、アメリカを東アジア防衛に巻き込んだつもりでいても、現実は、日本がアメリカの太平洋とグローバル軍事戦略に巻き込まれる可能性の方が強い。

安保法制を「戦争法案」と呼ぶことも、この点では的を得ている。辺野古移転に反対する翁長沖縄知事と沖縄への抑圧は、現代の治安維持法ともいえる。すると満州事変以後の日本政府が、軍部の既成事実を追認していったように、アメリカの軍事行動を、日本政府は事後的に承認してともに行動する事態に陥ることになるかもしれない。それが「第2の戦後」の実態となる。その場合でも、安倍自民党とその末裔は「決断できる政治」として自画自賛するのだろうか。

このように安倍自民党の存続は、それ自体で日本を真の経済的、政治的、軍事的危機に導いていく可能性が強い。しかも最悪なことに安倍政権の当事者たちは、自ら掲げた目的を見失い政権維持が自己目的化しているにもかかわらず、それを自覚していない点にある。他方で、株価維持、メディア操作と抑圧、「1億総活躍社会」やTPP合意を理由とした農業へのばら撒き政策など、政権維持のための操作はますます多彩になってきている。野党第1党である民主党が有効な政治力を発揮して、安倍政権と対決することができるのだろうか。

3.「対案病」を克服し、もう一つの「第2の戦後」を築くために

民主党は現在でも2009年―20012年の失敗した政権運営の後遺症に悩まされている。マニフェストが、さまざまな党内グループの政策を寄せ集めたものであり、実行への優先順位を党内合意を経て集約したものではなかった。また「コンクリートから人へ」という政策転換の象徴とされた八ッ場ダム建設中止も、田中角栄が作った水源地域対策特別措置法(1973年)という、都道府県を巻き込んだ複雑な利害関係のネットワークと対決するためには、実務者知識もなく対応策も準備していなかった。

民主党政権内ではそれぞれの担当大臣が個別に政策実現をめざし、チームとしての政権の求心力は失われ、その結果、官僚組織に取り込まれ最後には消費税をめぐり党分裂に至った。この「失敗の記憶」が民主党の対案作成に関して影を落としている。自民党安倍政権への対立軸を明確にする対案作りではなく、党内合意を得ることができる政策が対案となる。安保法制に関しても、「違憲である集団的自衛権の行使」に関連する部分のみの撤廃・廃止を要求している。これは内紛が続く維新の会への配慮だけではなく、民主党の党内事情も関係している。

もともと民主党には5つの流れがある。1996年の第一次民主党結成に参加した、現実路線をとる社会党右派とさきがけ・日本新党など保守政治改革派。1998年の現在の民主党設立に結集した、自民党田中-竹下派の保守分裂に由来する羽田グループなど80年代までの保守本流と、かつての同盟など民間労組を支援組織とする民社党系、それに後に小沢一郎の自由党が加わった。共産党と旧社会党の左派を除く、日本のすべての政党の流れが民主党にはある。

したがって政策軸としても、経済政策の面では、緊縮財政・市場重視のネオリベラル派から、社会保障の拡充を唱える社会民主主義までの幅があり、安全保障政策に関しては、安倍首相ばりのナショナリストから非軍事志向の保守リベラル、護憲派リベラルまでの幅がある。議員のリクルートに関しては、上記の政党の流れ以外に、松下政経塾出身者(これも自民党に近いナショナリストから社会民主主義者まで幅が広い)と若手官僚―アメリカ留学組など高学歴・政策マンが注目に値する。改革の党を名乗るには、あまりに女性議員の数と力が弱いことも特徴として挙げてよい。

こうした条件のもとで、(1)いかに民主党としての統一と安倍政権との対決が可能か、(2)2016年夏の参議院選挙で、いかに野党が最大限に連合して自民党と選挙戦を戦えるか、という2つの課題を考えなければならない。

(1)に関しては、山口二郎はしばらく前から、「民主党=保守リベラル」論を掲げている。戦後保守政治の本流、吉田政治から池田―宏池会の系譜が自民党から消えつつある現在、この国民の多数が支持する政党ポジションが空白のまま残されており、また民主党の最大公約数的な位置も、この保守リベラルにあるという主張である。大筋としては山口の提起は正しいが、民主党の有力議員には、保守リベラルではなく真正保守であると自認する人も多い。ここで発想の転換が必要となる。

大事なことは民主党を統合する政策軸ではなく、政策の多様性にもかかわらず民主党を一つに維持する求心力の問題である。ここで求心力を作るのは、理念や個人の主義・主張ではなく、対立する政策のバランスを求める実践知であると提起したい。これこそ民主党の政治力の根底におかれるべき課題である。

外交・安全保障に関して、戦後のアメリカ重視の継続かアジア重視かという対立軸がある。2009年民主党政権では、鳩山・小沢はアジア重視を前面に出し、アメリカ重視勢力からのバッシングを受けた。

今、民主党内には2つの立場とさらには両立派など多様な意見が存在しているが、それは日本の置かれた状況を正確に反映しており悪いことではない。問題はそのバランスこそ重要であることを党の共通認識とすることにある。政治には突出した見解も必要である。それらが世間やメディの注目を浴び、一つの強力な政治的発信=政治力となる。そうした突出した政治家を擁しつつ、しかし党としてはバランスある政策を提示すること、これが山口の言う保守リベラル派のポジションということになる。現在の民主党からは、この突出した問題発言も、それを包摂するバランスのとれた新提言も聞こえてこない。党内合意の対案ができないという「対案病」のレベルにとどまっている。

同じことは、もう一つの対立軸である経済政策をめぐっても存在する。徹底した規制緩和・小さな政府か社会保障の充実した適正な規模の政府か、という政策軸である。これもバランスの問題であり、どちらかの明確な政策選択はあり得ない。というのも、1985年―1995年のバブル経済とその崩壊・財政赤字の累積・失われた20年と、日本の現状は過去の失敗に大きく制約されており、フリーハンドで政策選択が可能な状態ではない。こうした実践知に立てば、現在の最大の課題が、アベノミクスからの可能な限り早期の脱却であることがわかるだろう。

「異次元の金融緩和」に関して、当初からその成果は期待されつつ、停止する時期と通常の金融政策への復帰のむつかしさが議論されていた。すでに予定の2年を超え、アベノミクスは危険水域に達している。軍事作戦と同様に、撤退が困難な作戦は国家にとって最大のリスクとなる。この直面する課題と向かい合うことが、経済政策の対立軸を超え民主党の共通課題となる。

これは(2)の参議院選挙をめぐる野党の選挙協力にも関連する。さまざまな基本政策の違い、政党の理念やポジションの違いを超えて、今ほど「ストップ・ザ安倍政権」を共通課題とすることが明白な時期はない。

―安保法制の違憲の部分に限定して法案廃止を実現することは、日本が法の支配に拠る近代国家であるためには、最低限の必要事項となる。

―アベノミクスの核心政策である「異次元の金融緩和」から、可能な限りでの早期撤退が必要となってきていること。

―TPPに賛成にせよ反対にせよ、その判断基準として、市場経済に立つ利益・損失の評価基準だけではなく、日本とTPP参加諸国の人々の生活にとっての功罪を判断基準のもう一つの柱とすること。(EUでは、包摂的成長inclusive Growth と持続可能な成長 sustainable Growth という2つの目標基準をつけ加えている)

議会選挙は、現在では、市場競争型デモクラシーと呼ばれている。政党が選挙民のニーズに合った政策パッケージを選挙市場に提出し、得票率で示される政策へのニーズを争うというわけである。2009年選挙では、守旧派の自民党と改革派の民主党という二大政党の対立図式が明確になり、これは民主党に有利に作用した。この体験から、自民党は単純な二大政党の対立図式ではなく、「みんなの党」のような都市型中間層の減税政党、橋下維新の会のような地域特化型改革政党をひそかに支援し、民主党のポジションを曖昧にした。選挙制度、とりわけ政党助成金の制度が、こうした新党ポピュリズム政党の出現を可能にした。しかしこの間にみんなの党は解党し、維新の会も分裂している。2012年、2014年にみられたような民主党にとっての都市型の不利な選挙状況は、緩和されつつある。

あとは地方での一人区での選挙協力が課題となる。ここではどちらかという都市型政党とみられる民主党が、地域間格差是正を政策の軸として設定することが必要となる。民主党が都市型政党か地方型政党なのかという選択ではなく、社会政策と地域政策を総合的にあつかうことで、ここでもバランスの取れた実践知が必要とされる。9月の国会前の安保法制反対運動や、5党合意の国会活動のような選挙運動を、「ストップ・ザ安倍政権」に絞って闘うことは不可能ではないはずである。

振り返れば、「第1の戦後=戦後70年」は、憲法の象徴天皇と第9条の平和主義が日本の骨格となった。象徴天皇は、象徴という非法学用語と相まって憲法制定時には想定されにくいものであったが、戦後70年のなかで日本の社会の中に溶け込んでいった。昭和天皇の戦争責任を曖昧にしたという批判点は残るが、天皇家の戦後のあり方、とりわけ平成天皇の憲法の精神を遵守し行動する姿勢は、改憲と再軍備を掲げる自民党政権に対して大きな抑止力となった。

憲法9条も、その規定よりも戦後70年間の日本の平和主義の実践こそが大事である。佐藤幸治京大名誉教授が護憲論に立つのも、現行憲法が制定から70年近くのあいだ、日本社会の政治と社会に安定をもたらしたからである。日米安保は、冷戦終結後は軍事同盟としてよりも、アジア・太平洋の安定を保障する「公共財」であると主張されることが多かった。ところで村田同志社大学学長は、7月3日の平和安全法制特別委員会の公聴会で、安保法制をこうした論理で擁護したうえで、学者は憲法学者だけではなく国際政治学者もいることを強調した。ベトナム戦争など、日本がアメリカの兵站基地となり、戦後70年の日本の平和主義もいくつかの問題を抱えていたことは事実であるが、それでも戦争の当事者にはならなかった、ということの持つ意味は大きい。日米安保が「公共財」とされたのも、日本が軍事力として登場せず、ソフトパワーとして安定に寄与するという前提があったからである。この核心部分を忘れた国際政治学者は、日本が戦後70年かけて築きあげた数少ないグローバルな資産を、平気で放り投げることになる。

憲法9条も、出発点においては軍国日本の根本からの解体という明確な意図を持っていた。その後、日米安保と自衛隊という軍事力と表裏一体となりながらも、戦後日本が脱軍事化された社会であり平和国家であるという、戦後70年の国のかたちを示してきた。これを「象徴9条」と呼ぶなら、戦後日本は、「象徴天皇」と「象徴9条」の二つの象徴を、象徴という用語で終わらせずに内実化することにより、平和と繁栄を達成してきた。

2015年に始まる「第2の戦後」も、この2つの遺産の継承とデモクラシーの下での発展を前提とするのであり、安倍政権のような、アメリカを中心とするグローバル化の出発点になるのではない。今回の安保法制に対する若い世代の護憲運動は、安倍自民党とは異なる、もう一つの「第2の戦後」の未来、戦後デモクラシーVer.2への可能性を示してくれたことになる。

すみざわ・ひろき

1948年生まれ。京都大学法学部卒業の後、フランクフルト大学で博士号取得。現在、日本女子大学教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。

特集・闘いは続く安保―沖縄

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