この一冊

『ヴァイマル憲法とヒトラー』(池田浩士 著、岩波現代全書、2015.6)

ドイツを取り戻すー「日本を、取り戻す。」

ジャーナリスト 西村 秀樹

ドイツ文学の枠にとどまらず、ドイツの近現代史の碩学である京都大学名誉教授の池田浩士の書き下ろし『ヴァイマル憲法とヒトラー』(岩波現代全書)が出版された。

サブタイトルに「戦後民主主義とファシズム」と書いてある。ここから容易に想像できるように、この本は、ドイツが1930年代、なぜ人びとはヴァイマル憲法を棄ててヒトラーを支持するようになったのかという問題意識からスタートしている。その問題意識は、2015年秋、安倍自公政権がいわゆる戦争法案を国会で強行採決し、日本国憲法の実質的な改憲をリアルタイムで経験している、いまの日本と重なっている。

池田しかり、読者もそうした問題意識を共有し、なぜかを丹念に追究する本だ。

ドイツを取り戻す

冒頭、興味深い表現があらわれる。ドイツを「取り戻す」とヒトラーはいう。もちろん、わたしたちは安倍自民党が「日本を、取り戻す。」というスローガンで14年末総選挙を戦った事実を知っているわけで、単に安倍にヒトラーというレッテル張って済ますのではなく、その精神構造からして、安倍政治がめざすものがヒトラーのそれと相似形であることを示している。

ヒトラーは自らのドイツを第三帝国と表現した。そこには、ドイツの歴史の中で国力が隆盛であったと彼が考える二つの帝国のあとに、第三の帝国によってドイツを取り戻し、ドイツの黄金時代を築くのだ、という意図が込められていると池田は書く。ちなみに、二つの帝国とは、神聖ローマ帝国(西暦962年~1806年)と、1871年普仏戦争でフランスをやぶりプロセイン国王ウィルヘルム1世がドイツ帝国を樹立したものをさす。

安倍晋三が「日本を、取り戻す。」というとき、そこには、1980年代後半のバブルがはじけ、90年代山一證券や北海道拓殖銀行の破綻以来の「失われた20年」、いまや中国のGDPは日本のそれの2倍となり、世界第二の大国でなくなった日本への郷愁と危機感が背景にあるのは明らかで、没落した大国から過去の栄光へという経済構造と「戦後民主主義」の揺らぎが背景にある。さらに危険なのは、今回の戦争法案の強行にみられるのは、“世界の列強の一角であった戦前日本”を取り戻したいの思いだ。そのための外交力強化には世界で軍事力の発動―戦争ができる国になることだと思っているのだろう。

合法的な政権奪取

池田は、次のような考え方は間違っていると指摘する。ナチス・ドイツが行なった残虐行為や侵略戦争は、ヒトラーとナチスという一人の独裁政治家と一部の「狂信者」たちによってなされたという考え方だ。同様に、「大東亜戦争」と国家が正式名称を決めた一連の「戦争」と「事変」が、あれは一部の軍閥と政治家と大資本家が、あるいは一握りの軍国主義者たちが、天皇を笠に着て国民から自由を奪い国民を欺いて勝手に行なったのだ、という見解も間違いだと指摘する。

ナチスは、全部が全部ただの無法者や暴力団ではなかった。これがいまの時点でナチズムと、さらにはファシズムと向き合う時の出発点です、と釘をさす。

ここには、日本の近現代史をフィールドとする東京大学教授の加藤陽子が高校生向けのレクチャーをまとめた『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』と同じ問題意識が存在する。改めていう、なぜ安倍自公政権が選挙で多数を獲得するのか、なぜ日本が右傾化しているのか、その内省的な分析こそが大切であるとこの本は言う。

ナチスが政権を選挙によって奪取した事実は、比較的知られているものの、それを可能にしたのは選挙制度に偏りがあったからだとの俗説も、池田はていねいな検証によって退けている。ファシズムを受け入れる民衆意識こそを問題にしなければならない。

ユダヤ人への憎悪

ナチスといえば、わたしたちはすぐにホロコースト(大量虐殺)を想起する。ホロコーストによって虐殺されたユダヤ人はおよそ600万人に及ぶという。ユダヤ人にとどまらず、ドイツでツィゴイナーと蔑称でよばれるロマ民族、同性愛者も抹殺の対象となったことは知られている。

では、なぜヒトラーやナチス・ドイツはユダヤ人を憎悪したのか。

一言で言えば、「アカ」イコール「ユダヤ人」だと、池田は説明する。この本には章ごとに年表が掲載されていて理解がすすむが、その年表にこうある。1918年11月9日、ドイツ革命勃発、皇帝が退位し国外亡命。二日後、ドイツが連合国と休戦協定を調印し終戦。翌1919年1月、ローザ・ルクセンブルグ、カール・リープクネヒトの虐殺と続く。

つまり、ヒトラーにしてみれば、第一次世界大戦と後によばれる欧州大戦にドイツが負け、膨大な賠償金を背負い、その戦後処理のためにドイツ帝国は栄光の座から転落したのだと。

そうした悲劇は、ドイツの左翼が戦争の最中に「背後からの匕首のせい」(ヒンデンブルグ元帥、国民議会での証言、1919年11月)であり、ドイツの左翼を代表するローザ・ルクセンブルグ、カール・リープクネヒトしかり、マルクスもユダヤ人だからと、ヒトラーは論理を展開する。

ちょっとだけ、話がわき道にそれるが、池田は、ユダヤ人の「流浪」をスペインからアメリカに到達したコロンブスで象徴させる。1492年、コロンブスがアメリカに到達する年の前後、スペインがそれまで260年間、イスラム教徒によって支配されていたグラナダを奪い返し、ついにヨーロッパからイスラム勢力を駆逐する。その結果、財政的な余裕が生まれ、コロンブスは西廻りのインド航路発見の航海に旅たつ資金援助を得る。スペインはその返す刀で国内の異民族たるすべてのユダヤ人に退去命令を出した。その6年後、神聖ローマ帝国(ドイツ)は、ロマ民族の追放を決定する。

こうしてユダヤ人とロマの「流転」が始まり、その到達点がナチスによるホロコーストだというわけだ。

あらゆる場所で排除され差別されたユダヤ人の生きる道はわずかしか残っていなかった。

金を儲けて財力で人の上にたつこと、医者、弁護士、大学教授など専門職に就くこと、「狂人」と紙一重だとされアウトロー扱いされる芸術家。最後に残ったのは、そうした差別的な社会そのものを変えるために革命家になること、と池田は分析する(そういえば、オーストリア生まれのヒトラーが画家をめざし、クリムトなどが活躍するウィーンで画家の途をあきらめたことはよく知られている)。

安倍とヒットラーは類似点多い

ナチス党綱領の第4項、「いかなるユダヤ人も民族同胞たりえない」との排外的な条文は、栄光のドイツを取り戻すため、ユダヤ人の排除、憎悪と、表裏一体の構造にあること、そうした「歴史認識」が背景になっていることを、池田はわかりやすく説明する。

こうしたヒトラーの「歴史認識」は、ネトウヨ(ネット右翼)に象徴され、右翼系の雑誌に満ち溢れる、韓国や中国への憎悪に満ちた見出しや言説に通じるものがある。

そもそも、「大東亜戦争」を起こしたのは誰か。南京で市民を虐殺した事実は否定しがたいものの、中国政府が主張する30万人ではないと、数の問題に矮小化し事実を否定したり、同様に戦場の女性たちは、軍隊のトラックなど旧帝国陸軍や海軍が関与しないでは戦場へ連れていくことは不可能にも関わらず、いわゆる従軍慰安婦は公娼であり、売春婦だと切り捨てる認識と似ている。ベクトルが逆なのだ。そもそも、そうした行為があったにもかかわらず、表層のささいなことをあげつらい全体を否定する、拙い歴史認識がそこにはある。

あの戦争は間違っていなかった、あるいは戦争に負けたのはドイツの左翼が革命を起こしたからだ。あるいは、資本主義社会でのプロレタリアートの国際連帯を真っ向から否定し、栄光のドイツの国民意識(ナショナリズム)に依拠するナチスのやりくちは、麻生副総理が口にした「(改憲の)やり口はナチスに学んだら」との発言に現れる政治の手口といった浅いレベルではなくて、やはり、安倍政治には構造的にヒトラーとナチスとの類似点が多ことを、この本を読んで納得した。

レッテル張りで済ませてはならない。わたしたちはナチスとヒトラーの「革命的な」政治の構造を学ばなくてはならない。そのためには、この池田浩士の書き下ろし本は読みやすくわかりやすい。

(文中敬称略)

にしむら・ひでき

1951年生まれ。慶應義塾大学経済学部卒、元毎日放送記者、近畿大学人権問題研究所客員教授。同志社大学社会学部非常勤講師。著書に『北朝鮮抑留~第十八富士山丸事件の真相』(岩波現代文庫)、『大阪で闘った朝鮮戦争~吹田・枚方事件の青春群像』(岩波書店)など

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