コラム/経済先読み

反グローバリゼーションの先に待ち構える
トランプクラッシュ

グローバル産業雇用総合研究所所長 小林 良暢

2017年の世界経済は、やはりトランプショックで始まった。

米国の第45代大統領に就任したドナルド・トランプは、荒廃した都心部で貧困の中に閉じ込められている母親と子供たち、米国中に墓標のように散在するさび果てた工場群、米国に略奪をはたらく犯罪やギャング、麻薬――こうしたアメリカでの殺戮は今すぐ終わりにすると訴えた。その上で、我々の製品をつくり、企業を盗み、職を奪うという外国の有害行為から国境を守るために、この日から、“America First”にするとして、国家全域に道路、ハイウェー、橋梁、空港、トンネル、鉄道をつくり、我々自身の手と労働力でこの国を再建して米国を再び「偉大な国」にすると演説した。

この演説では、“America First”をどのような経済・通商政策で実現するのかについては触れなかったが、式典直後にホワイトハウスのホームページ上に、エネルギーや通商政策、環境、外交・安全保障など6項目の基本政策をアップした。その中で最も注目すべきは通商政策で、日米など12カ国で大筋合意した環太平洋経済連携協定(TPP)から離脱する方針を表明、また北米自由貿易協定(NAFTA)も再交渉すると、オバマ前大統領の通商政策からの抜本的な転換を打ち出した。

就任演説と基本政策で使われた特徴的なキーワードは、次の2点である

① 就任演説で35回も使った“America First”に象徴される「保護貿易主義」

② 基本政策で最も重要な通商政策の抜本的な転換を狙う「反グローバリゼーション」

だが、今なぜアメリカが保護貿易主義・反グローバリズムに転換するのか、この点についてトランプ大統領は、職を奪うという外国の侵害行為とか、さびた工場地帯(ラストベルト)の労働力を取り戻すと言うだけで、世界の市場経済の構造をどのように転換するのかについてはまったく語っていない。

そもそも、この30年間のグローバリゼーションの過程は、間断なく見舞われる世界信用危機と経済・社会格差という市場構造の様々な矛盾をはらみながらも、世界経済の全体としては成長を遂げた時代であった。そのメリットを最も享受したのは多国籍企業と新興国、とりわけ中国である。その構造は、米・欧・日の多国籍企業が賃金の安い新興国に投資をし、中国をはじめ新興国は先進国に消費財を輸出するという、お互いに持ちつ持たれつ、利益をとるビジネスモデルである。この結果、中国は工業化を果たし、雇用を増やして国民一人ひとりの所得を急拡大し、一方米多国籍企業が投資のリターンを享受して、世界貿易を急拡大、世界経済に相対的安定をもたらしたのであった。

だがこの2~3年、中国経済が過剰設備から停滞し、世界貿易が縮小するなかで、米国も多国籍企業や伝統的な製造業の雇用機会が減少するデメリットが顕在化した。トランプ大統領が最初にやり玉に挙げたエアコンメーカー・キヤリア社の場合、移転先のメキシコの時給が3ドルであるのに対して、インディアナ工場の時給は27ドルだという。これは、企業の選択としては正しいが、米国経済からすると、メイド・イン・メキシコのエアコンが輸入されて貿易赤字が拡大し、国内雇用を喪失する。その結果、アメリカの貿易赤字の50%は対中赤字となり、その半分はナイキのような多国籍企業が中国の工場で生産して輸入したものである。トランプの反グローバル政策はここを突いて、大統領の座を射止めたのである。

時給3ドルのメキシコ労働者が製造したエアコンの流入で、時給27ドルのインディアナ工場のワーカーの雇用が奪われる現象を、経済学では「要素価格均等化の法則」という。だが、この法則はじつはメキシコのワーカーの時給が27ドルになるまで続くのである。この流れに逆らうトランプ流反グローバル政策は無力だ。なぜなら、反グローバルの保護主義で繁栄した国はないからである。

中国の習近平国家主席は、スイスのダボス会議で保護貿易主義に強く反対する考えを表明、中国を「為替操作国」に指定するというトランプ政権の動きに対して、「中国が人民元を切り下げ、通貨安戦争を仕掛けることもない」ことをアピールした。「習近平主席もよく言うな」という気もしないでもないが、中国政府系紙「環球時報」が貿易戦争なら米企業は中国による「報復」の標的となり得ると警告しており、この方が本音に近い。

中国が身構えの姿勢を強めるのは、この間のドル高・元安で中国が保有する米国債が減少し続けており、外貨準備高も日本に再逆転されているからだ。トランプ大統領の就任でドルの先高観が強まり、中国の人民元はドルに対し08年以来の安値水準まで下げ、世界で最もトランプリスクに警戒を強めるべき国になっている。これ以上に先行きが懸念されているのが東南アジア諸国の通貨安で、1997~98年の金融危機以来の安値水準まで落ち込んでいて、最初に火を噴くのは、基礎体力が劣るこれらのアジア諸国かもしれない。

一方、欧州諸国はやや落ち着いているが、世界のどこかで火がつけば、ギリシャ・イタリア・オーストリアなどの債務危機に飛び火して、これに貸し込んでいるドイツ銀行の信用不安から欧州信用危機の再燃が危惧される。

他方、日本はというと、世界の経済危機や信用不安が起こる度ごとに、名だたるヘッジファンドやソブリンファンドなどの投機筋が安全資産としての円と日本株を買い越し、相対的に安定した市場と見なされている。しかし、トランプ流のTPP離脱には対応を迫られている。安倍首相は施政方針演説で、日米同盟を外交・安全保障政策の基軸とする方針は「不変の原則」と明言し、トランプ大統領との早期会談に意欲を表明している。しかし、トランプ大統領の演説と基本政策などについて、官邸で報告を受けた後に記者団の質問には一切答えず、また衆議院本会議での野田民進党幹事長の代表質問には慎重な答弁を崩していない。

安倍首相は、TPPなどと呼ばれる多国間貿易協定が総崩れの瀬戸際にある中で、オーストラリアなどの4カ国歴訪に次いで、アメリカとの2国間協定をもたないベトナム・マレーシアなどの意向をくむ形で、修正TPPを模索しようとしている。この際、東アジア地域包括的経済連携(RCEP)に転進すべきとの意見もあるが、RCEPは農業分野の関税引き下げ要求がさらに厳しく、日本がこれに加入する現実性はない。むしろ日本は、RCEPは公正労働基準が緩く、日米にとっては国内雇用をさらに「侵害」する怖れをトランプ大統領への説得材料に使って、TPP加盟のアメリカを除く11カ国に名称と中味を修正する振り付け役に徹し、参加国の人口が約8億人、GDPでは世界の4割を占める新TPPにトランプが「乗り易い」舞台を、じっくりと時間をかけて整えることになるのではないか。

バンクオブアメリカとメリルリンチの調査によると、世界のファンドマネージャーの29%がトランプ大統領の貿易戦争や保護主義の台頭を「テールリスク」の筆頭に挙げている。「テールリスク」とは、「確率は低いが、起これば被害が甚大なリスク」である。トランプ流反グローバリゼーションに、世界は身構えている。しかし、年間2億人以上の移民が国境を越え、1日の製品の貿易額は1千億ドル(12兆円)、外国為替の取引はその50倍以上に達する。そんな世界のヒト・モノ・カネの流れを制御できるはずはない。トランプ流のパラダイムシフトも世界の現実の前には同様だとすると、この先に待ち構えているのは、トランプクラッシュ(破滅的危機)だ、という2017年になりそうだ。

こばやし・よしのぶ

連合総研、現代総研、電機総研を経て、現在グローバル産業雇用総合研究所長。著書に『なぜ雇用格差はなくならないか』(日本経済新聞社)など。

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