コラム/深層

「パワハラ防止法」が成立 課題は何か

東京統一管理職ユニオン執行委員長 大野 隆

2019年5月29日、参議院本会議で「女性の職業生活における活躍の推進に関する法律等の一部を改正する法律案」が可決され、成立した。(施行日は、本年6月1日。ハラスメントの措置義務については、中小企業は2022年3月31までは努力義務)。

この法律は、日本で初めてパワーハラスメントについて規定し、それを防止するための措置義務を企業に課す。「違反なら社名公表も」と言われているが、実際には明確な禁止規定ではなく、罰則もない。しかも具体的な行為がパワーハラスメントに当たるかどうかについては曖昧で、実効性はないのではないかとも思われる。むしろ、以下に述べるように、企業に「ここまでならやってもよい」と説明して、かえってハラスメントを「巧みに」やらせる可能性さえある。

上記の成立した法律は、安倍内閣の常とう手段で、国会における詳細な議論を避けるためであろうが、4つの法律をまとめて変更するものである。パワハラ防止措置義務を定めるのは「労働施策の総合的な推進並びに労働者の雇用の安定及び職業生活の充実等に関する法律(略称・労働施策総合推進法)」で、かつての「雇用対策法」である。先の「働き方改革推進法」で名称が変えられるとともに、中身にも「生産性の向上を目指す」ことが組み込まれるなど、労働者保護から労働者を生産性向上に「動員」する方向へと大転換した法律だが、ハラスメント防止もその一環だとすれば、そのまま歓迎するわけにもいかない。

法律上の「パワハラ」定義とその決定的限界

その労働施策総合推進法では、「国の施策」として「職場における労働者の就業環境を害する言動に起因する問題の解決を促進するために必要な施策を充実すること」が規定され、そのために 「事業主の講ずべき措置等」が定められた。パワーハラスメントを規制しようという法律ができたことは確かに画期的ではあるが、事業主が求められるのは「当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備」と「その他の雇用管理上必要な措置」のいくつかで、基本的に「パワハラ禁止」が定められているわけではないところが、決定的な限界である。

パワーハラスメントとは、「職場」において、「①優越的な関係を背景とした」「②業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動により」「③就業環境を害すること」(身体的若しくは精神的な苦痛を与えること)と定義され、その①から③がすべて満たされていることが要件である。ただし、その「職場」の範囲は極めて狭く、「業務を遂行する場所」に限定されている。また、「適正な範囲の業務指示や指導についてはパワハラに当たらない」ことも明記されている。

この法律のレベルでは、昨年6月に採択されたILO190号条約(仕事の世界における暴力とハラスメントの撤廃に関する条約)を批准できない。条約は「ハラスメントの法律上の禁止」「制裁の規定」などが必要だと定めているからである。

実は、法案を可決するに当たって、衆参のいずれでも与野党全会一致の付帯決議が付されている。参院厚労委の決議では、具体的指針の作成においては労働者側の参画を促すこと、就活中のハラスメントも規制すること、顧客・取引先からのハラスメントも規制されるべきことなど、法の不足部分を補うべきだとの意見が付された。さらに上記ILO190号条約を支持し、批准へ向けて検討を行なう、とも明記されていた。法律がさらに強化されるだろうとの明るい見通しもできたのであった。

「指針」は使用者側の抜け道を指南する

しかるに、昨年末に極めて多数の改善を求めるパブリックコメントを受けていながら、労働政策審議会はとんでもない「指針」を決め、今年の初めに公表てしまった。

前述のように、使用者に「パワハラではない」と言い逃れをするための逃げ道を与えているかのようである。以下に内容を一部紹介したい。別掲の昨年の東京新聞に載った表が分かりやすい)。

たとえば、「身体的な攻撃(暴行・傷害)」について、「殴打、足蹴りを行うこと」「相手に物を投げつけること」はパワハラに該当するが、「誤ってぶつかること」は該当しないとする。要するに「間違っただけ」と言い訳すれば、パワハラは成立しない。「精神的な攻撃(脅迫・名誉棄損・侮辱・ひどい暴言)」では、「業務の遂行に関する必要以上に長時間にわたる厳しい叱責を繰り返し行うこと」はパワハラだが、「遅刻など社会的ルールを欠いた言動が見られ、再三注意してもそれが改善されない労働者に対して一定程度強く注意をすること」はパワハラではない。どうでも言い訳ができることは明らかだ。

「人間関係からの切り離し(隔離・仲間外し・無視)」でも、「自身の意に沿わない労働者に対して、仕事を外し、長期間にわたり、別室に隔離したり、自宅研修させたりすること」はパワハラだが、「新規に採用した労働者を育成するために短期間集中的に別室で研修等の教育を実施すること」や「懲戒規定に基づき処分を受けた労働者に対し、通常の業務に復帰させるために、その前に、一時的に別室で必要な研修を受けさせること」はパワハラではない。自衛隊に体験入隊して行なわれる新入社員教育や宝塚線事故で問題となった「日勤教育」などが、パワハラではないとして公認されるのである。

これらは明らかに使用者側の意向をそのまま組み入れたものである。要するに、政府も使用者もパワーハラスメントを根絶するなどとは全く考えず、現状行なわれているパワハラを正当化したいだけなのだ。

「過小な要求(業務上の合理性なく能力や経験とかけ離れた程度の低い仕事を命じることや仕事を与えないこと)で「管理職である労働者を退職させるため、誰でも遂行可能な業務を行わせること」はパワハラだが、「労働者の能力に応じて、一定程度業務内容や業務量を軽減すること」はパワハラではないとされている。要するに「能力に応じた処遇だ」と言えば、パワハラは成立しないのだ。この指針ではどこまでがパワハラかの線引きは不可能なのである。

労働者の権利は、やはり団結権の行使で守ることが大切

以上のようにしつこく例示をしたのは、今後「パワハラに当たるか当たらないか」との争いが頻発すると思われるからだ。要するに、新たにパワハラに対する事業主の措置義務が設けられ、ハラスメント対策が進んだ面があるとの評価はできが、あるべき規制からはほど遠く、法律としてはまだまだ不十分で、使用者側の言い訳を許すなど、すぐにも改正を望む内容だ。

しかし、労働組合運動に携わり労働相談に応じている立場からすると、問題は「法改正の実現」で解決するものではないと思われる。実際に職場で労働者に対して「人権無視」「権利侵害」が行なわれていれば、「これをヤメロ!」と声を上げることを糸口として、現場で問題解決を図ることが必要だと思うのだ。一人でできないなら仲間を集めて、団結権に基づいて権利を確保することだ。労働運動の原点であるが、そうしたことこそが必要なのだ。「法律で決められているからパワハラだ」ということではなく、「労働者が人権を侵されているから許さない!」ということになる。

労働相談を受けていて非常に多く見受けられるのは、「パワハラを受けました」という訴えで、そのパワハラの内容を具体的に説明してくれと言っても、「いや、とにかくパワハラです。許せません」という類の答が繰り返されることが多い。

大切なのは、多少極端に言えば、殴られたのか、監禁されたのか、罵倒されたのか、それをいつ、何回受けたのかということだが、それについて具体的な説明ができなくて、ともかく「やられているから助けてくれ。ともかくパワハラだから」というのに留まることが多い。今回の法律は、結局「パワハラの定義に当てはまるかどうか」という脇道の議論を増やすばかりではないかと心配だし、使用者側の抜け道を許すような曖昧な規定がそれを助長することになるだろう。

大切なのは、個々の労働者が自身の権利・人権が如何に侵害されたかを確認し、それが職場の問題である以上、仲間と助け合ってそれをやめさせることだ。法に触れるかどうかが問題なのではない。つまり、労働組合をつくり、団結権を行使して自身と仲間の権利を守ることなのだ。労働者の権利は個々人の努力だけでは守りきれないという、当たり前のことを改めて肝に銘じたい。

この反面には、とかく「法的規制を求めて」「法律制定をお願いする」運動に傾きがちである最近の私たちの傾向があるのかもしれない。もともと労働運動は、その時の法的規制を打ち破って新たなレベルの基準を勝ち取ってきたものだ。「違法」なことを積み重ねてその上に権利を追認させてきた運動の原点を想起し、そうした積み重ねの上に法律を変えさせるように頑張りたいと思う。

おおの・たかし

1947年富山県生まれ。東京大学法学部卒。1973年から当時の総評全国一般東京地方本部の組合活動に携わる。総評解散により全労協全国一般東京労働組合結成に参画、現在全国一般労働組合全国協議会中央執行委員。一方1993年に東京管理職ユニオンを結成、その後管理職ユニオンを離れていたが、2014年11月から現職。本誌編集委員。

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