特集●コロナ下 露呈する菅の強権政治

コロナ後 世界経済と資本主義が大転換

米中新冷戦で菅政権・日本の立ち位置が問われる

法政大学教授 水野 和夫さんに聞く

2020年の世界は、新型コロナウィルスで揺れた。コロナが世界経済へどのようなダメージをもたらしているか、そしてポストコロナの資本主義をどう変えるか、この二つの問題がそれぞれどう関係するのかを考えたい。

ショックドクトリンがもたらした「二極化」

コロナはこれから「資本主義のチェンジ」の背中を押すだけなのだろうと考えている。

コロナがくる前からも、資本主義が順調だったというわけではなく、既にもう限界がきていたと言える。90年代ぐらいから、限界が明らかになっていた。そのたびに、資本主義をより純化しようとする動きが何回もあったということである。こうした「チェンジ」を持ち出してきた人たちは、様々な規制を極力廃止して利潤を極大化しようと目論んできた。

新自由主義を考えていた人たちは、大きな政府が利潤極大化を妨げているとの理屈を持ち出して、政府の規制を廃止しようとして、小さな政府を持ち出してきた。至るところに問題が生じてきて、ショックドクトリン(惨事便乗型資本主義)で 「バブル」を引き起こさない限り資本は成長しないとして、自然災害も、気候変動さえ持ち出して、利用してきたのである。このようにショックドクトリンを考える人たちは、これから始まる大変動についても「メガチェンジ」だともてはやしている。

そういう意味では、彼らは新型コロナウィルスもチャンスだと考えて、「これで一儲けできる」と、ワクチン開発に走り、その他いろいろ考えている。「ショックドクトリン」が横行し、経済面ばかりではなく、統治の面でも、セキュリティー国家を作って権力を集中させることにもなる。

結局21世紀の資本主義がたたどり着いたのは、絶望するほどの二極化した世界だ。2020年のオックスファムリポートによれば、世界の10億ドル長者2153人分の富は8.7兆ドルで、46億人(世界の下位6割)の合計8.1兆ドルより多い。

新型コロナは、富裕層にとっては新たなビジネスチャンスで、大歓迎だ。だが、そういうチャンスとは無縁の低所得の人たちにとっては、大惨事でしかない。

1998年の世界金融危機におけるショックドクトリンの時には、日本の大手銀行は国有化されて、一方で中小零細企業に対しては、貸し渋り・貸しがしが横行した。他方で外資系ファンドが乗り込んできて、値下がりした株や債権を安値で買いまくり、相場がちょっと戻したら、売り払って、税金を払わないで逃げていった。

今回のコロナショックで、そろそろ2100人余りの富裕層以外の人たちは、目が覚めないといけない。その意味では、ウィルスに目を覚ましてもらうという、情けないことになっている。今度のコロナに押された資本主義のメガチェンジは、所得上位の富裕層に都合のいい方向に動いていく。

歴代政権は、構造改革なくして成長なしなどと、基本的には成長戦略を作ってきている。が、政府は上位1%の富裕層以外の99%の人々を味方につけようとしてきていない。21世紀なって、ますます情けないないことになっている。

国民国家は耐えられるか

私は、中世のペストによって当時の人たちの考え方が一変したということに注目している。ペストの流行で、人口の3分の1もの大量の人々が死んで、教会が頼りにならなくなったということだ。

当時の一般の人に比べて、教会関係者の死亡率がずっと低かった。これは今も同じで、霞が関や永田町では感染者は非常に少ない

金持ちの商人たちは、「神の怒りに触れた」ということで、教会に寄付をする。教会は、寄付をするのはいいことだとして、金儲けに走って寄付の「定価表」を作ったという。殺人罪にはいくら払えという、寄付額の表に従って寄付をすれば、免罪されるということだ。そういう具合に教会が堕落していき、一方でウィクリフやフスなどが反旗を翻す。その辺りから教会の権威がどんどん落ちていく。

今や、上位2100人余に取り込まれてしまった政府も、人々から信頼をなくしていく。国民国家は耐えられるのだろうか。

今度のコロナで一番驚いたのは、小池都知事が緊急事態を外す時に、「これからは自粛じゃなくて自衛です」と言ったことだ。国家というのは(都も一つの国家だ)、一応代表者を選んで、その行政権や司法権で、生存権、財産権や契約の履行を保証してくれるので、任せるわけである。「これからは自衛で」と言うのは、ほとんど国家としての体を成していない。都民は、小池さんには一応生命の安全を託したと思っているわけで、本人にはその自覚はないかもしれないけれども、ともかく暗黙の了解でお願いしているわけである。小池さんは「分かりました、それで都民の健康のために最善を尽くします」と言うべきで、「自衛してください」では、責任放棄である。

自粛要請はするが補償はしないと言う国も似たようなものである。多少の給付金を支給したが、お金がなくなってくると今度は GoToキャンペーンだということになっている。ホッブスの「自然状態」や社会契約論を持ち出すまでもないが、そもそも社会契約は、「国民国家が責任をもって安全を保障しよう」というものである。それを考えると、資本主義経済のメガチェンジだけではなく、国民国家体制のメガチェンジが必要だと考えなければなるまい。

エイズに始まって、サーズ、マーズから今回の新型コロナで、次に来るものが見えてきたわけである。

今回の新型コロナウィルスでは、これまで世界的に非常に大きな被害があったと思われる。新型ウィルスは次々に襲ってきている。かつての20~30年間は5~10年に1回程度だったが、21世紀に入ってからは、3~4年に一度というぐらいに、間隔が短縮されている。この背景にはグローバル化がある。山の奥や海底深くまで、人類が「より遠く」へ侵入しており、それを拡大して、ずっと続けているからだ。

中世の黒死病は、確かジェノバの商人が中央アジアに入って、そこから帰ってきたら船の中の全員が死んでいたということから始まっていると言われている。要するに中央アジアに出かけて行って、商売で大儲けしようとしたことが原因だった。今回の新型コロナでも同じことが起きている。人々があちこちに出かけて行き、人間の住むところと以前から住んでいた動物との境界線が崩れたところから感染が拡大したわけだ。

さらに、グローバリゼーションのなかでの経済成長の結果、CO2を排出して、そのために動物も餌がなくなって住みにくくなり、人里に下りてくることになった。人間は奥へ奥へと入り込み、逆に動物が里へと出てくる。それらの触れ合うところで、こうした問題が起きていると思われる。

気候変動もグローバル化と重なっている。根本は、1980年以来始まったことだが、資本主義の利潤を求めてどこへでも行くという行動が、限界にきたということだろう。利潤追求から、今までの生活スタイル、社会の仕組みなど、すべてを改めていかないと秩序の安定を維持できなくなりそうだ。それこそ「自然(闘争)状態」だ。今課題のワクチンも、アメリカ、中国、ロシアの間で共同開発もできない。

グローバリゼーション下、動物と人間の関係か変わってきて問題を起こしているのと同じように、世界経済でも、ある種の境界線のなかにあった国民経済に関しても、互いの接触点が変わってきている。グローバリゼーションをどう見るか、ということだ。

グローバリゼーションとメガロポリス問題

私は、グローバリゼーションとは、元々はキリスト教の思想だと思っている。カトリックというのは「普遍」という意味で、要するにキリスト教は世界宗教なのだ。

キリスト教が生まれ、興隆したのはローマ帝国からである。ローマは元々世界統一という考え方をもっていた。当時、彼らの考える世界はインドまでだった。南北アメリカやオーストラリアは認識していない。 

当時のローマが知っている限りの世界を事実上統一したわけだから、ヨーロッパの人たちには、常にローマの帝国理念が世界統一になるわけだ。古代ローマから続いていた世界統一理念が、ローマ・カトリック教に受け継がれて中世の時代となった。

けれども、その「世界」の両端をイスラムに抑えられていたので、西ローマが滅んで10世紀頃になるまでは、ヨーロッパの範囲に閉じ込められていた。それが、レコンキスタの結果、地中海の西の出口であるジブラルタルから大西洋に出ていくようになって、ヨーロッパが考えていたグローバル化がまた始まったことになる。現在のグローバル化というのは、古代ローマからずっとヨーロッパ人が考えていた世界統一の過程なのだ。

その過程では、ヨーロッパの内側の統一も進んで、そこにカール五世が登場する。16世紀前半になって、カール五世が再び世俗界で世界帝国実現の野望を持った。こうして全盛期のハプスブルク家の皇帝にして、神聖ローマ帝国に君臨すると同時にドイツ王であり、オーストリア、ネーデルラント、スペイン、ナポリ王国などを相続し、またやがてスペイン王としては新大陸にも広大な領土を所有した。その領土は、当時の世界の2分の1を支配したと言われる。

その後も、その最大の版図を二つに分割して、ドイツとスペインを親子で統治したことで、世界の統一国家を築いて世界平和をもたらしたとされるが、これは、ローマ帝国以降現在に至るまで「平和のために戦争をする」ということであった。

グローバル化というのはヨーロッパ人にとって文明そのものだった。古代ローマもそうであったように、そこでは都市を作る。その都市を横串で繋げる究極の形が、メガロポリスである。

日本では、東京・名古屋・大阪を新幹線で串刺しにした三大都市をまとめて、メガロポリスと言った方がよい。

今回の感染症でも、小池知事は新宿の「夜の街」を槍玉にあげてきたが、それを言うなら新宿歌舞伎町の営業制限などとの弱い者いじめではなく、メガロポリス全体の問題として、新幹線を止めよという要請をしないといけない。新幹線を止めないものだから、後は名古屋の錦三丁目にウィルスが広がり、大阪の南にまで行ってしまった。小池さんの頭の中にはメガロポリスという経済圏に関する考えがなく、本当に命を守るには何が必要か、考えられてはいなかったと思う。

メガロポリスは世界に二つしかないと言える。もうひとつはアメリカのニューヨーク・ボストン・ワシントンで、これは飛行機で串刺しにしている。シャトル便で結んでいるから、アメリカで新型コロナがヨーロッパから感染して来た時に、最初にニューヨークに広がり、やがて全米に感染が広がっていった訳だ。日本でも同じで、最初に直撃を受けたところは全部メガロポリスだった。その後、人の移動で地方都市に伝播していった。

感染が都市に集中するのは、都市には情報や資本が集中投下されているからだ。今度の感染でもそうだが、古代ローマ帝国以来のヨーロッパ都市文明が広がって、人・物・金の行き来が集中して、そこに資本を投下させて経済の活性化をしている限り、ウィルスにとっても良い環境になっているということである。

だから、ウィルスの感染拡大があっという間に広がるのは、都市集中してきたことによるものだ。これを止めないといけない。新幹線は「こだま」だけにしたほうがよい。東京都知事と大阪市長が橋などを色付けして張り合うのではなく、メガロポリス一体として立ち向かうべきであろう。

それにしても、東京の人口1400万人は大きすぎる。小池知事は、東京の解体を真っ先に言うべきだと考えている。分散させるために一番よいのは、会社を分割することだ。全国の支社を全部独立させる。そうすれば、人材の採用も、大学も分散化が進む。

東京に儲けがあると考えられているが、そこが限界にきている。今回のコロナ感染者も、首都圏、愛知、関西に集中していることからすれば、菅総理のいう「東京問題」ではなく、「メガロポリス問題」なのだ。菅総理も小池都知事も問題の本質からずれた対応をしている。これはたぶん政府と小池さんの意地の張り合いだろうが、 GoToキャンペーンを東京だけは外すなど、おかしい。だったら人を動かさないで、コロナ感染を抑止する施策に協力した事業者に、持続化給付金のような形の直接支援をすればよい。

米中新冷戦と資本主義のメガチェンジ(大転換)

中世の黒死病が、中世キリスト教社会が崩壊する大きなきっかけとなったが、コロナ後の資本主義のメガチェンジがどのように進展するかについては、米中新冷戦の勝者がどうなるかにかかっていると言ってよい。

米中新冷戦は、たとえばベネズエラなどをめぐる中国・習近平とアメリカ・トランプの対立に見えるように、中国が世界各国に対して行なっている「相手国を借金漬けにする」やり方から始まっている。中国はお金を貸したが、相手国が返せないので、港の使用権をよこせと迫る。同じことは、まずフィリピンでアメリカがやってきたことで、中国はこのやり方をリイメイクして使っている。もちろん賛成できるわけがない。

ヨーロッパの理屈では、全世界に対する債権者とは、具体的には所得収支の黒字が一番多い国である。要するに世界秩序に責任を持つ国は、近代システムにおいては、国境の中に閉じこもっていないで、国際関係に責任を持って表に出てくる。そこでは、全世界に債権を一番多く持っている国が外国に投じられた他国の資本に対しても責任を持つことになる。

全世界に債権を持つ一番の金持国、国境を越えた所得収支が一番大きい黒字国は、自分の債権だけではなく、「日本もドイツもイギリスも全部をまとめて守ってあげましょう」と言うのだが、それがアメリカなのである。

世界を見ていて最近思うのは、中国は近代システムには従わないということである。最近の中国は、世界最大の債権者ではない。中国は外国に投資しているが、逆に外国からも資本を受け入れている。対外投資が生む利子・配当と外国資本に支払う利子・配当の差がプラスであれば債権国であり、マイナスであれば債務国である。中国は、所得収支赤字国であって、外国の内政に口出しする資格はないのである。それなのに、借金漬け外交をして、石油で返せとか、港の利用権をよこせとやり続けている。これにアメリカが怒っているわけだ。

アメリカは、世界中の人々から「近代国家のやり方で行こう」という合意を取り付けている。そうしないと、たとえば日本が他の国に持っている債権を革命によって没収されたという時に、それを取り戻せない。だから、アメリカが出ていっているところならば大丈夫だろうと、そこに進出できる。革命政権か合法的政権かということをアメリカが認めるという、特権をもっているわけだ。

もし革命で追い払われたのが親米政権だとすると、その親米政権がアメリカに軍隊を要請することが正当化される。その時には、日本の工場が革命で接収されても、アメリカ軍が日本の工場を取り返してくれる。それで、アメリカが工場を出している世界中の国々には、他の国も工場を出していく。

そうではなく、日本は日本で勝手にやれと言われたら、危なくて海外へは行けないことになる。国民国家体制の下でも、国際秩序はアメリカが守っていくということを認めざるを得ない。日本は世界の海に7つの艦隊を持っていないのだから。

債務国である中国が新冷戦に勝利すれば、近代国家システムが機能しなくなり、無秩序状態になりかねない。アメリカが負けたら、南北アメリカだけでやっていくから、後は勝手にやってくれということになってしまうだろう。

米中のどちらが21世紀の帝国であるかを巡る対立は、当分続き、長期化するだろう。米中長期戦で、中国が今行なっていることが正当化されるとすれば、それは中国が、全世界に向かって「こういう立場で世界秩序あるいは国際秩序を維持します」と、その基準を説明する責任を負わなければならない。だが、中国はそれをしていない。

この「説明をしない」ことは、日本学術会議の会員任命問題と同じことだ。中国に欠けていることと、菅首相に欠けていることは共通で、その不透明さは同じ体質だということである。日本が中国化していることになる。

中国は自らの行なっていることについて、理由は言わない。香港問題でもそうだが、借金漬け外交をしていることについて何も言っていない。しぶしぶでも他国から認められるための説明を、全くしない。だが一方で、アメリカがやっていることについては、一応他の国は皆しぶしぶ認めている。

だから、これで中国がもし勝ってしまったら、怖くて外に出て行けないことになる。中国がアメリカに取って代わる理由はないということだ。

アメリカ中心の仕組みは、全世界で100年かかって皆が認めてきたルールである。保守派の原則のようなことを言うが、その前のイギリスの時代から考えると、200年も続いてきたことを皆が認めている。中国が米国中心の国際秩序を覆すには、自らの「借金漬け外交」の意図を説明し、多くの国から中国の行動に正統性があると支持されなければならないだろう。

米中の狭間での日本の立ち位置

最後に日本の話をする。米中長期戦の中で、日本はどうするか、である。どっちにつくかという話になると、嫌いでも好きでも、アメリカにつくしかない。

一応アメリカは皆が認めている規則で行動している。無茶苦茶なところはあるが、立場上アメリカは、日本やドイツに対して「あなた方に代わってあなた方の国の財産もアメリカが守りますよ」と言い、そうした信頼関係にあるわけである。実際にそうしてくれるかどうかは分からないとしても、そうしてくれるだろうという、安心感がある。それが日米同盟だろう。

何も戦争のことだけではなく、国外にある経済的資産は日本単独では守れない。一方、中国はどういう基準で動くのか、世界に対してどう働きかけるのか、全く分からない。中国が単なるジャイアンみたいな帝国になったら、日本はスネ夫になるのか。日本はよく分からない立場でただただこき使われるスネ夫君のようになりたくないなら、やはりアメリカについているしかない。

ただ長い先を考えると、アメリカが中国に勝利したとしても、やはりカール五世のような立場に追い込まれると思える。全世界に対して責任を持つというのは、いかにアメリカでもかなり無理で、負担が大き過ぎる。それで、日本ではアメリカに対する思いやり予算などと、いろいろ始まっているわけだ。使い物にならないイージスアショアを買えとも言われている。あれはアメリカに対する献上金を払うためのもので、いざという時には使えないものを買わされている。

アメリカは、経済的にはまだ世界の財産を守る「警察官」の役割を果たしているが、これができなくなってきた時に、日本はどうするか。日本からアメリカに「さようなら」と言う必要は全くないとしても、アメリカがいつか日本に「さようなら」と言ってくるだろう。ハワイの辺りで境界線を引いて、アメリカが「守るのはここまで」と、モンロー主義になることはあり得ることである。

もともと、アメリカはヨーロッパには口を出さない、そのかわりヨーロッパもアメリカに口を出してくれるなということで、アメリカはモンロー主義の期間の方がずっと長かった。アメリカがそうでなくなったのは20世紀になってからで、そこからアメリカは、外へ外へと行くアメリカになった。でも、アメリカは外に行かなくても面積が広いから、中国ほどではないにしても、自給自足ができる。だから昔のモンロー主義に戻れる。

日本はさすがにエネルギーがないし、食糧も原材料もない。エネルギーは自然エネルギーにかえていかなくてはならない。食糧は、休耕地があるからもっと増やせるだろうが、ともかく自給率を上げなくてはならない。

しかし、アメリカから「さようなら」と言われて一国だけぽつんとしているところに、中国から圧力をかけられたら、その時には日本単独ではもう何もできない。それは困る。国は引越しができないのだから、その時には韓国と仲良くするしかない。あるいは台湾と仲良くするなどということになろう。そのときは難しい問題が出てくるかもしれないが。

韓国・台湾はと仲良くする。さらに、少し近いオーストラリア、ニュージーランドの辺りまでかなと思う。インドは遠すぎる。アジアは東アジアだけだろうが、俗に言えば、せいぜい友達をたくさん作っていかなければいけないということだ。

真っ先にやるべきは韓国との関係だ。徴用工問題で喧嘩を売ったり買ったりしている場合ではない。もし韓国が中国寄りになったら「三十八度線が対馬海峡まで降りてくる」と言われ、日本はもう最前線になってしまう局面がくる。

アメリカがハワイの辺りで線を引いたら、日本のタンカーがしょっちゅう襲われて、その都度身代金をとられるということになるかもしれない。日本の船がいつも標的にされる。だから、自然エネルギーにかえていかねばならない。

今その準備を菅首相が考えているとは思えないが、本当に難しい選択が迫られる。少なくとも農業とエネルギーでは十分自給できる体制にしておく必要がある。農業の方は休耕田でなんとかなるかもしれないし、農業を魅力あるようにすれば、いろいろできると思える。

管「新成長戦略」は失敗済み政策ばかり、せめて内部留保を出させよ

アメリカの大統領選挙に先立って、日本は安倍内閣から菅内閣に変わって、安倍政治を継承するとしている。新政権は、安倍内閣の未来投資会議を成長戦略会議に衣替えしたが、これは小泉・安倍政権の継承そのものだ。

観光インバウンドや個人企業や中小企業の生産性向上を主張している識者を登用した。でも、中小企業はほとんどサービス産業だから、生産性が上がることはない。日本人は2000時間も働いているので、自由時間がない。日本の労働者にとって、土曜・日曜は月曜日のためにある。翌週働くために土日に休養するわけだ。そこでサービス産業が伸びるわけがない。

たとえば、今問題になっているGoToトラベルキャンペーンでも、半額になる民宿は一泊8000円だから、半額になっても行けない人の方が多い。余裕があってお金がある人は、最初から高級リゾートで泊まる。自由時間を解放するという本当の働き方改革をしない限り、効果が出るはずがない。

中小企業を再編して、規模も拡大して生産性を上げるなど、一番やってはいけないことを菅政権はやろうとしている。日本のあちこちにミニ東京を作ることになるが、近代システムが成り立つ条件、すなわち集積のメリットや化石燃料が大量に消費できる条件がそろってはじめて成功する。ところが21世紀にはそれらの条件が消滅している。

さらに、地銀改革を主張しているが、地銀再編は結局ミニメガバンクを作ることだ。メガバンクの支店は、県庁所在地ぐらいにしかない。それ以外の地域は全部地銀が抑えているし、金融情報は地元の地銀が持っている。メガバンクは商店街の情報など持っていない。それは、地元の商店街や中小零細企業に対して、いつも自転車に集金鞄を載せて集金して回る地銀や信金・信組の営業さんの業務である。皆さん顔見知りなので、集金鞄が狙われることなどなく安全だ。たぶん、新政権の地銀再編とは、支店を潰して経費削減、すなわち人を減らし、ミニメガバンク、ミニ東京をあちこちに作るというということで、商店街の情報など集められなくなり、地場のニーズとはかけ離れたものになるだろう。地銀も中小企業も皆ミニ東京にしたいのだろう。

成長戦略会議を見ると、昔の名前で出ている人が多く。世界がメガチェンジをしている時に、言われている政策はもう実験済みで失敗した、そういうのが揃っている。

どうしてこういうことになるのか。総裁選挙の時も、菅さんはずっと下を向いて原稿を読んでいたが、直接会ったこともないし面識もないけれども、首相になる準備がないままに担ぎだされたのだと感じた。そこで、自助・共助・公助が出てきた。小池さんの自衛と同じことを言っている。「苦労人」を強調して多くの人から共感を得られる昭和の時代はとっくに過ぎ去っている。

新内閣には、大企業の内部留保についてメスを入れてもらいたい。

内部留保は、本来は引当金勘定に当たるものだ。世界金融危機があった時に、銀行の貸し渋りや貸しはがしが横行したので、企業の存続のために手元流動性(現金・預金など)を手厚くするために内部留保金を急増させたのである。だから、春闘の時には「銀行は頼りにならないから、自前でやっていくために賃下げを呑んでくれ」と言っていたはずだ。それが、1999年あたりから労働生産性が上がっているにもかかわらず、賃下げをしている。本来、生産性が上がったらそれに応じて賃上げをするというのは、ごく普通のことだ。経済学では、実質賃金は生産性に応じていく、というのが当たり前だし、春闘もそうやってきた。

いざと言う時、会社の存続や従業員を路頭に迷わせないための準備として、留保していたのが内部留保だ。だから、それは従業員のためのものでもある。ところがその部分も資本勘定に入れている。本来は負債の部の引当金勘定に計上すべき性格のものであって、本当は株主のものではないのだ。私はそれが不正ではないかとまで考えている。

ところが内部留保となると、法律上それは株主の同意なくしては使えないものになってしまって、2019年度末時点で475兆円に達している。これの一定額は本来従業員や預金者のものであるので、本来の所有者に返還することを大企業には求めたい。

みずの・かずお

1953年生まれ。早稲田大学大学院経済学研究科修士課程修了。三菱UFJモルガン・スタンレー証券チーフエコノミストを経て、2010年9月より内閣府大臣官房審議官、2011年11月内閣官房審議官(~2012年12月)。2013年日本大学国際関係学部教授。16年4月より法政大学法学部教授。著書に、『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』(日経ビジネス人文庫)、『資本主義という謎』(NHK出版新書)、『資本主義の終焉と歴史の危機』(集英社新書)、『株式会社の終焉』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『閉じてゆく帝国と逆説の21世紀経済』 (集英社新書)、『資本主義と民主主義の終焉』(山口二郎との共著、祥伝社新書)など多数。

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