特集●コロナ下 露呈する菅の強権政治

次世代のパワーによる立憲民主党の可能性

[連載 第6回] キーパーソンに聞く 泉 健太さん

語る人 立憲民主党衆議院議員・党政調会長 泉 健太

聞き手 本誌代表編集委員 住沢 博紀

1.北海道での横路知事、京都での山井・福山・前原さんらとの出会い

住沢 泉健太さんは、立憲民主党と分党した国民民主党の政治家グループとの新党設立に際して、枝野さんと代表選出選を戦われました。46歳の若さにもかかわらず、国民民主党でも、新立憲民主党でも、政務調査会会長という党の要職についておられます。

二つの党の事実上の合同によって、「野党の大きな塊」ができたわけですが、中心メンバーは旧民主党の昔ながらの方が多く、政党支持率を問う世論調査でも、メディア評価でも今一つです。そこで、40~50代の中堅有力議員に焦点を当て、これからの立憲民主党を語っていただこうと思っています。泉健太さんが最初となります。   

「キーパーソンに聞く」というこのシリーズでは、冒頭で、政治家になった理由や若いころの信条や活動を聞くことから始めています。それでは泉健太さんの政治を志した動機や青年時代の活動など、さらに政治家になった経緯などについてお話をお願いします。

     

泉 私は1974年生まれなので、私が見てきた政治というのは、 ロッキード事件であったりリクルートであったり、自民党の利権政治や派閥政治でしたので、金や地位がなければ未来を決められない、ということの理不尽を感じて小さいころから育ってきました。大学に行くまで北海道で育ちましたので、社会党が好きだったのですが、でも総選挙で勝てない、世の中を変えられない野党に対する不満もありました。だからこそ自分は自民党に対抗できる、自民党と競い合うことができるもう一つの政治グループを作りたいという思いを若者ながら持っていました。

1993年、高校卒業後、京都の立命館大学法学部に入りました。1回生の夏休みに北海道に帰省した時に、当時、知事を退任された横路孝弘さんが「新しい風・北海道会議」という政治団体を作られ、その結成集会に行ってみました。その折に手をあげて、「ここに若い人がいないのでは」と発言して帰ったら、その二日後ぐらいに実家に急に電話がかかってきて、「横路ですが、ぜひ話を聞かせてほしい」という話になりました。そこから政治との本格的な繋がりができました。

住沢 それは興味深いですね。ちょうどそのころ、私も海江田万里さんと「東京市民21」という地域政党をつくり、東京・神奈川の生活者ネットワークや横路さんたちと連携してJネットを立ち上げ、これが1996年の旧民主党結成へ一つの流れをつくりました。ただ惜しむらくは、横路さんには、そのリーダーになろうとする野心や執念が欠けていました。

それでは次に、京都での福山さん、前原さんとの出会いを語って下さい。

泉 横路さんとのつながりもでき、当時の社会党京都府連を訪ねました。北海道は社会党が組織としても強かったのですが、京都は極小の組織で、共産党が元気なこともあるのですけれども、接してくださった役員さん達も優しかったのですが、社会党にはもう将来はないよという風に言われました。

一方、当時、山井和則さんと宮本太郎さんが立命館大学に福祉政策や北欧福祉国家論を担当する講師として来られていました。特に山井さんの講義は、 実際に介護用の器具を教壇に並べての熱心な講義で、講義後、感銘したと話をしたところ、ぜひ手伝って欲しいという事になりました。

山井さんは、既に京都6区で政治家の活動を始めていて、ポスター貼りなど手伝いましたが、私の下宿と離れていましたので、どなたか近くで仲間の方はいないかということで紹介されたのが福山哲郎さんです。福山さんからは、経済のことや環境問題のことなど語っていただき、とても魅力を感じました。私は松下政経塾の卒塾生ではありませんが、大学入学直後に、先輩に前原誠司事務所に連れて行ってもらったこともあって、大学時代に松下政経塾ご出身の3人とは、期せずして面識ができたことになります。

そんな経過もあり、1996年結成の『民主党』京都府連の常任幹事を学生としてやらせていただいていました。横路さんが出版された『第3の極』(1995年講談社)にも未来を感じましたが、京都では前原さんや福山さん達が新しい潮流を作ろうとしており、「さきがけ」や「日本新党」は学生たちにも人気が高く、社会党の流れを組む方々との合流による『民主党』に希望を感じたのです。

1997年、京都はちょうど地球温暖化防止京都会議(COP3)を控え、環境運動が盛り上がっていました。それに一緒に取り組むとともに、翌年1998年、福山さんが参議院選挙に出ることになり、私も大学を卒業する時だったので、選対事務所に入りました。

福山さんは無事、参議院に初当選。私はそのまま福山さんの地元秘書として約3年間お世話になりました。そして2000年、25歳の時に急転直下、衆議院総選挙に立候補しないかという話になりました。もちろん予想もしていません。当時、いったん秘書を退職し、大手民間企業の内定もいただいていたのですが、前原さんをはじめとした強い説得を受け、最終的には「こんな私に期待をしてくださっているということは、私にはわからない何かの可能性があるのだ。有能でも挑戦に至らない環境の人も沢山いる。若輩の25歳ではあるが全力で挑戦させていただこう」と決意し、京都3区から立候補することになりました。

2.民主党事業仕分けとコロナ禍での業務委託費問題

住沢 それでは2009年の鳩山民主党政権での体験を語ってください。

泉 政権交代前の民主党にはネクストキャビネットがあって、私もそこの内閣府ネクスト副大臣という名前で、事業仕分けだとかをトレーニングはしていました。しかし政権が発足すると、政務官にも専用車と官僚の秘書がつくわけです。どこで執務するかもわからない、どんな業務があるかもわからない、そんな展開で、政務官室でずっと官僚から名刺交換とブリーフィング(概要説明)が続いていくと、一週間後ぐらいに「これでは政治主導にならない」と強く思いました。

どうやら自民党時代の政務官、副大臣は、当選回数で就任できるポストというか、ご褒美ぐらいの認識しかなくって、実務に携わっていなかったということなのです。でも民主党政権では、政務三役が本格的に政策決定に関与する、政治主導の政権を目指していたと思います。他方ではこの政務三役会議が役人たちを完全に閉め出してしまうケースもあって、適時適切に下からの情報が上がってこなかったことなどいろいろ問題もありました。

民主党は総合的なマニフェストを掲げて戦ったので、一政権一課題でも大変なのに、各省で主要な政策課題を抱えてしまっていました。それを各省で同時並行的に進めたので、政権は体力をかなり消耗し、最終的にパンクしたと思います。

私の担当で言うと、幼保一体化を、厚労省と文科省を巻き込んで内閣府を中心に相当を議論したのですが、抵抗も大きかったです。結局は『認定こども園』まではたどり着きましたが、完全なる一体化というところにやっぱり行けなかった。また改革の途中で、鳩山総理が辞任し、主要人事が変わってしまったこと、政策の優先順位が変わってしまったこと、などで政策の継続性が残念ながら失われてしまったのです。

その後、菅直人総理となるわけですが、参議院選挙で敗北し衆参のねじれが置きました。そうすると政権の主導権は失われ、その辺から官僚の皆さんは、ある種もう水が引くようにこの政権に対する協力姿勢が変わっていきました。もうそこからは我慢比べみたいな時期が続きました。私は、菅政権以降は、政務三役から国会に働く場が移り、予算委員会の理事などをすることとなりました。

住沢 民主党政権では事業仕分けが注目されましたが、安倍政権、そして現在の菅政権と、官僚が政権中枢を「忖度」する構造が生まれました。現在の視点からはどのように評価できますか。

泉 事業仕分けは、「増税なき財政再建」という民主党政権の基本姿勢から生まれました。継続的に数兆円の財源を生み出すという、壮大な構想だったのですが、小沢一郎幹事長(当時)や元財務大臣の藤井裕久先生が、「国家予算の10%ぐらいは簡単に出る。」と我々に訴えていたことが大きかった。我々も「そういうものか」というふうに思ったわけです。

事業仕分けの準備は、総選挙終了の直後からスタートし、政権発足前から財務省幹部との打ち合わせが連日のように行われていました。多分財務省としては、政治の力を借りながら、既存予算を削減するまたとない好機だと認識していたのだと思います。そこはある種の民主党政権と財務省の共闘態勢が出来ていたのではないかと思います。

それでも私は、事業仕分けは有益だったと考えています。社会構造の改革を目指していた民主党の考え方の一つは、『中間搾取をなくす』という事にありました。特殊法人など数々の天下り団体への不満が強まっていました。高額の退職金、非効率でずさんな組織運営のみならず、補助金など個人への支援制度も、中間団体に中抜きされて、結果的に個人に十分行き届いていない実態がありました。そういう意味でさまざまな中間団体への天下りを切って、直接恩恵を国民に届けようという取り組みは、財政支出の削減ということ以外にも効果があったと思います。

実はこれは今の安倍政権―菅政権に通じているところがあって、菅政権の今回の自助・共助・公助で言うと、枝野さんは、特別定額給付金でいうと、「世帯」ではなく「個人」に給付を、と主張しています。やはり「個人」の受給権を明確にせねば、世帯主に家計が支配されていたり、別居していたりすると、せっかくの給付金が届かない可能性があります。

本来は一人ひとりの権利であり、現在のデジタル申請と給付の技術を活用すれば、個人への給付は可能なはずなのです。今回の特別定額給付金も、休業支援金も、農業の戸別所得補償も、今回の休業支援金、コロナの休業支援金も、やっぱり公助としての国の制度で直接、個人に届けるべき。そのために制度改正をすべきであると今回も私たちは訴えています。

菅首相の「自助、共助、あくまでその上での公助」というように順番をつける考え方では、申請が複雑で苦労する人や、支給を受けられずに困っている人は救われません。

住沢 事業仕分けは、官僚が天下る中間搾取団体を経ずに、直接、必要な個人に給付するという目的もあったという事ですが、今回も、電通やJTBなどに業務委託費として多額の税金が使われていることが問題となりました。業務実績のない団体や、何次にも及ぶ下請けなど、当時よりもむしろひどくなっているという印象を持ちますが。

泉 今は委託先が民間企業や民間団体に変わりましたね。昔は外郭団体、公益法人などがやっていましたが、小泉改革以後に、今はパソナグループ会長の竹中平蔵さんなどが進めた、民間であれば聞こえがいいという事で、官民交流を含め、民間企業に多くの受け皿を作ってきました。この民間団体へのカネの流れも、一部がおかしくなっています。

住沢 今回のコロナ対策での巨額の財政出動で明らかになった業務委託費や特定の業界へ助成金など、政治としては一番、切り込みやすいテーマではないですか。持続化給付金に関して、電通に対する国会審議で立憲民主などの野党議員が追及した経緯はありましたが、6月中旬に国会が閉会したこともあり、野党の存在よりも、新聞やテレビなどのメディアが大々的に取り上げたという印象があります。安倍政権への支持率は下がっても、野党の支持率も低迷したままでした。私はむしろメディアやSNSの力が世論を動かしたように見えるのですが。

泉 それで言うと、安倍政権は基本的には電通政権であり、世論調査政権です。善悪ではなく損得で判断を行う。これは解散総選挙の時期もそうですし、不祥事を起こした大臣を辞めさせる、辞めさせない、の判断もそうだと思います。善悪とか引き際ではなく、押し切ったほうがいいか辞任させたほうがいいか、政権や支持率にとってプラスかマイナスかだけで判断しているのです。その意味では、検察庁法の場合も同じです。正直、検察庁法を撤回させた国民の大きなうねりは、野党が国会では成し得なかったことを瞬時に成し得てしまった。あれはSNSでの盛り上がりに対して、おそらく政権としても分析をした結果、耐えられないと思ったわけですね。同じように委託費も野党なりに国会で追及したつもりですが、今、住沢さんが言われように世間から見ると、野党の役割が見えにくかったのかもしれません。

住沢 検察庁法の改正問題では、小泉今日子さんなど芸能人が発言したことも大きくSNSで取り上げられ、広く拡散しました。この問題では珍しく批判派がSNSでも勢いがありました。コロナ禍で緊急宣言が出される中、ライブや舞台、音楽などに従事する人々の仕事や収入がなくなり、日本劇作家協会会長の渡辺エリさんらが小泉さんと共にインターネット上の24時間テレビで、リレートークショウを展開し、後に「文化芸術復興基金」の設立を文化庁や文科省に提出しました。この領域での課題や、SNS上での新しい形態での運動の広がりもあり、私も注目するとともに、この辺に立憲民主党にとっても新しいポテンシャルがあるようにも思えました。

3.希望の党、国民民主党、そして前原議員との決別?

住沢 それでは次に前原さんとの問題に移ります。民主党時代の凌雲会は、仙谷由人さんを代表に、前原、枝野など旧日本新党やさきがけの系譜で、旧社会党系や新進党系とは区別される大きな力がありました。泉さんも前原グループの一員として中心的な活動をしていました。しかし前原さんは、その政策や理念とは別に、野党のリーダーとして、決定的瞬間に失敗を重ねてきました。(2005年偽メール事件、2009年鳩山内閣の八ッ場ダム問題への対応、2017年民進党の希望の党への合流など)。今回は前原議員とは、「決別」ともいえる別の道を選択したわけですが、前原さんの立ち位置を現段階ではどのように評価されますか。

泉 私は、政権交代は組織の結束がなければなしえない。との思いから、人一倍、自分が党にどう貢献できるか、様々な意見を持つ議員が、どう組織決定に従うべきか、ということを念頭に活動してきました。その意味で、民進党の希望の党との合流も、私は党の組織決定だったと思っています。

前原誠司さんは、若くして代表となりメール事件で失敗もしましたが、その後、仙谷さんの支援も受けて凌雲会を結成し、10年にわたり大臣や党の要職も務められ、政治家としての研鑽を積んできました。私もその凌雲会の一員として、前原さんと歩んできたわけです

凌雲会には当初、枝野さん、細野さん、古川さん、玄葉さんなどもおられましたが、次第に党代表候補として前原さんを中心とした派閥となってきました。前原さんは派閥の長としてよく一人一人の会員の面倒を見ていたと思います。そうした政治力を持つ人はやはり限られていたと思います。

住沢 2017年9月の民進党代表選出で、前原さんが枝野さんに勝ち選出されましたが、その後の希望の党との合流から、現在の新立憲民主党の設立までを語ってください。

泉 前原さんは「オールフォアオール」を掲げて代表選に出ました。私は4回の当選回数がありましたので、前原選対の事務総長をやりまして、前原さんを担う一人だったわけです。その前原さんが党代表選に勝利し、しかし東京では小池都知事を中心として台頭していた都民ファースト、大阪では維新の勢いが強かった中で、前原代表は、都民ファーストを野党陣営に引き入れる決断をします。希望の党を吸収して民進党メンバーが国会では引き続き主導権を取って行こうという決断であったと思います。あの時、民進党では全員が合流すると認識していましたし、枝野さんや辻元さんなどが離脱するなど、思ってもみませんでした。

住沢 しかし排除問題が出てきましたよね。その時はどうされましたか。

泉 もう地元でも選挙準備に入っていたので前原-小池間の交渉状況は、私たちにはほとんど分かりません。排除リストも政策協定も真偽不明のものが出回り、相当混乱させられました。どの仲間が排除されるかも不明でしたし、直前の代表選で前原選対を担った私が、その代表の政治決定から離脱するという選択肢は信義上もありませんでした。

住沢 前原さんとは今回、「決別」したと考えていいのですか。

泉 約10年を経て野党の代表に再挑戦した結果が、残念ながら野党勢力と多くの仲間たちの政治人生に影響を与えてしまったことは否めない。しかし前原さんがこれまで経験されてきたことから野党議員が学ぶべきことは非常に多く、現在の所属政党は異なれど、ぜひその経験を仲間や後輩にもお伝えいただき、ともに政権交代への道のりを共有できればと思います。

4.立憲民主党の組織問題

住沢 立憲民主党は、政権時の大臣などの経験者と新人議員の間の中堅が少ないという問題がありました。また少数の幹部で党運営を決定しているという批判もあり、多くの人の力を集めて共に動くという体制ではありませんでした。新しい立憲民主党の中では、泉さんも役員に入っていますが、現実がどうなっていますか。

泉 新たな立憲民主党はその点が強化されたと思います。旧国民民主党には当選4~7回くらいの中堅が多くいて、今回の合流により、その点が、強化されました。そして旧立憲からの若手も政策のセンスが良く、選挙区でも地に足がついた活動を展開し、能力を発揮しています。

ただ旧立憲民主党は、少人数による強力な執行部体制であったとの指摘もあります。新党の代表選でも、それに対する改革の声はあがってきていました。私も今回、政調会長に就任し、なるべく若手・女性を登用すべく党の部会長や調査会長に若手や女性を抜擢し、当選1回の議員を政調会長補佐にするなど、声を出しやすい体制を作りました。今は、やりたい政策、党幹部と視察したい場所などがあれば、どんどん声を出してもらえるようになっています。不満や文句をためるのではなく、誰もが自分から風通しの良い党にしていけるようにしたいと思います。

住沢  立憲民主党ができた時には、党としては国民民主党が民進党引き継いだということになり、したがって立憲民主党は、地方組織をいかにゼロから作るかということが課題になっていました。 今政調会長として 、足腰の強い、地域からの政策作りが可能な地方組織づくりにどのように向かい合いますか。

泉 先日、本部に確認すると、新党に参加した全国の自治体議員は900人ぐらいだそうです。そのうち約700人は立憲民主由来。約200人が国民民主由来だということです。国民民主党からの合流が少ないことは課題ですけれども、立憲民主党だけでも約700人ということは、立憲カフェの開催など、全国での活動も活発だったということです。

今、全国の組織立ち上げの場を回り、党の基本政策づくりでは、全国の政策担当者とのZOOM会議などを通じて、ボトムアップの政策づくりを進めています。今後も政策作りにおいて、平時からの自治体議員や支援者との意見交換の機会を増やすように努めていきたいと思います。やはり「答えは民の中にある」。現場からの声は貴重です。そして民間産別から支援を受ける自治体議員の仲間も含め、地域では会派をともにしていたり、連携を深めている事例も多いので、今以上により大きな塊を目指していきたいと思います。

住沢 脱原発をめぐる連合の民間労組の動向が、立憲民主と国民民主の合流を難しくしたという報道がなされましたが。

泉 正確に言うと、合流前に新党の綱領を協議するにあたって、旧国民民主党から原発に関する記述について、旧立憲民主党側に条件提示をしたことはありませんでした。旧国民民主党側で、合流に関する協議を行い、反対の意思表示をした一人と、総会議長を除いた国会議員全員が合流方針に賛成する中で、旧国民民主党側が唯一示した条件は『党名決定に際しては、民主的手続きを用いること』だけでした。その意味で、後に綱領の文言を巡る議論が出てきたことは残念でした。

今回の合流をめぐる混乱には、参議院での信頼醸成や2019年の統一選、参院選での軋轢、国会運営の方針など様々な背景があったかと思います。

しかし、やはり一つになってスケールメリットを発揮せねば、自公政権に対抗し新たな政権を樹立することはできません。共産党を含む野党共闘の話の前に、まずはやはり旧立憲民主党、旧国民民主党、社会民主党などの勢力が、しっかり信頼関係を醸成し、合流も含めて連携を強化することが大事だと思います。枝野さんもそういう考えだと思います。

5.理念・政策の提示か、誰のための政党かの明示か

住沢 21世紀に入り、政治学者たちの間では、選挙での決定要因は政策パッケージではないという見方が主流となっています。トランプなどがその典型です。日本の安倍政権も、野党の政策の多くを都合よくパクリました。

それで、新しい立憲民主党が掲げる、「過度の自己責任社会から支えあいの社会へ」とか、「右でも左でもなく前へ」とか、あまりに理念的、抽象的でもう一つ心に響きません。自己責任社会(新自由主義)Vs.支えあい社会という二項対立図式も、安倍政権―菅政権と立憲民主党との対立軸を、リアルに描き出しているとは思えません。安倍政権は何でもありの政権でしたから。

そこでアイデンティティの時代にふさわしい、誰のための、何のための政党か明確にするという対立軸設定はどうでしょうか。例えば、

(1)再生可能なエネルギーへの転換政策(グリーン党)

(2)女性が対等に働き、自らのライフコースを選択できる社会(自立女性の党)

(3)地域再生・分散型産業構造転換政策(地域再生の党)

(4)障がい者、非正規雇用、外国人就業者など、社会的弱者の党 

(5)教育投資・持続可能な社会など子供・学生など未来世代のための党

これに勤労者など働く者の権利と雇用を守る党、社会保障により安全・安心が確保される国、日本国憲法の精神を守り、法治国家の原則にたつ穏健な中道政党など理念的なものをつけ加えればどうでしょうか。エコロジー、女性、地域再生、障がい者、若者など、それぞれの項目でリーダーとなる政治家の名と姿が国民にすぐ浮かぶほど著名になれば、立憲民主党の存在意義も確認され、政権政党に発展できるのではないでしょうか。

泉 おっしゃる通りだと思います。私も地元で「ネオリベラルに対抗する」といっても有権者の心には響かないのだと思います。住沢さんから示されたグリーン、女性、地域、社会的弱者、未来世代、はいずれも重要なキーワードです。有権者だけでなく子どもたちも含めて、立憲民主党として『あなたの』『自分ごと』として捉えてもらえる伝え方をしていきたいと思います。

もっと言えば、衆議院小選挙区では党の政策だけでは勝てません。候補者個人、つまりこの人に託せば、自民党に替わって政権運営を期待できる、という信頼を得ねばならない。政策だけではなく、日常の政治活動や行動において選挙区の人々に信頼され、愛されることをおろそかにしてはなりません。

この前もある県連の結成大会にいった際、「コロナ禍の時期に自民党の自治体議員の姿は見えたけど、立憲民主や国民民主の議員の姿が見えなかった」という声を聴きました。掲げる旗・政策が立派かどうかではなく、日常の人や団体との交流も含めてそういうことを何回も乗り越えて政治家として組織をまとめたり、マネジメントする能力を身に着けていかなければなりません。そうでないと与党に勝てないわけです。

国民民主党の政調会長の時に、参議院選挙において 「つくろう新しい答え」ということで、孤独対策とか地方の人の足、移動権の話とか、どこでもWi-Fi、など具体的な政策を提示しました。社会保障や税制、という大きな政策だけでなく、国民一人一人が抱える問題に直接かかわる、困っている人に直接いきわたる政策を追求したいと思います。

今の「支えあう社会」とか「右でも左でもなく前に」を、今後どう具体化していくのか、枝野代表の訴えも、「自然エネルギー立国」とか、「ベーシック・サービス」というところまで進化していますので、より伝わりやすい個別政策を提示していけるよう政調としても努力していきます。

住沢 最後に日本学術会議の問題についてお聞きします

泉 菅政権の非常に強権的な姿勢が明らかになりました。ただ世論調査の結果を含め、6名の任命拒否の撤回を行うことはなさそうな状況です。

住沢 特に私が気になるのは、この前朝日新聞の調査では、政府を批判する人は36%ですけども、6名の拒否を肯定する人も31%と、日本学術会議の問題では、国民の政府批判が高まっているわけではありません。もちろん政府がその根拠を示さず、安倍政権の常とう手段であった、「国民が忘れるのを待つ」という姿勢には大きな批判がありますが、立憲民主がどこまで国会で追及できるかです。

泉 ただ国会質疑では、他の課題とのバランスも非常に重要です。私たちとしては、まずは第3波が来ているとされる新型コロナウイルス対策を最優先させています。感染防止対策も、医療機関支援も、雇用や事業を守る支援も、今の自公政権の取り組みが不十分なことは明白です。予備費も十分に使わず、第3次補正予算を組もうとしていることも、年明けの解散総選挙を想定してのことだとも考えられます。また税制全体の見直しや、地球温暖化対策などでも着々と野党第一党としての選択肢を準備していますが、それらはまだ国民の皆様には伝わっていないところがあります。

学術会議の問題は、政権の強権姿勢が浮き彫りとなり、立憲民主党と菅政権の違いは明白です。それを国民の皆様にご理解いただいたうえで、やはり国民生活に主軸を置いた国会論戦と政策発信を強化してまいりたいと思います。

いずみ・けんた

1974年北海道生まれ。1998年立命館大学法学部卒。福山参議院議員秘書を経て、2003年(29歳)で初当選、以降7期連続当選。2009年内閣府政務官で少子化対策、男女共同参画などを担当。民進党組織委員長、希望の党国会対策委員長、国民民主党政務調査会長等を歴任。2020年9月に野党新党の代表選にも立候補。9月15日に発足した立憲民主党に参加。現在、政務調査会長。

すみざわ・ひろき

1948年生まれ。京都大学法学部卒業後、フランクフルト大学で博士号取得。日本女子大学教授を経て名誉教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。

特集・コロナ下 露呈する菅の強権政治

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