コラム/児童福祉の現場から

性教育・命の授業の必要性

負の連鎖を断ち切るために

看護師 あかね 渉

現場で直面する児童虐待

「年々増加する児童虐待」、これは私が高校生だった15 年以上前にニュースや新聞で見聞きしていたことです。まだ、自分自身も「子ども」だった当時、報道される酷い内容に言葉を失い、心を痛めました。世界では「先進国」「裕福」だと称される日本で、自分が生活している近くで起こっているかもしれない悲しく苦しい出来事に驚き、落胆しました。そして「苦しんでいる子どもたちのために何か役立ちたい!どうにかしたい!」と田舎の一高校生ながらに使命感を持ち将来を考え始めました。

あれから十数年の時を経て、現在私は乳児院で看護師として働いています。実際に「児童福祉」の現場で働きながら、あの時見聞きしていた事件の当事者となるような子どもたちと日々接しています。

子どもたちと何気ない毎日を過ごしながら、私は「この笑顔を守りたい」という思いが日増しに強くなっていくのを感じます。乳児院では、シフト制ではありますが24時間365日スタッフが「保護者の代わりに子どもを育てている」場所です。乳児院の役割機能としては大きく3つに分けられます。①赤ちゃんの保護と養育 ②保護者や里親の支援 ③地域の子育て支援、です。「職業」として子育てのプロではありますが、世間の母親と同じように子どもの夜泣きやぐずりに悩み、イヤイヤ期(「自我」の形成)にてこずりながらも、子どもたちが健康で元気に成長できるにはどうしていくべきか、日々スタッフ間で話し合い試行錯誤しながら「子育て」をしています。

一人ひとりの子どもの健やかな成長を願い、この笑顔が守られますようにと日々願いながら、 1年後、5年後、10年後を見据えて、限られた時間の「今」、私は目の前のこの子に何ができるのかを考え接しています。

だからこそ、子どもが乳児院を退所して家や児童福祉施設へ移動する時、いろいろな気持ちが過ぎります。「甘えん坊な〇〇君、泣いていないかな? 寂しがっていないかな? たくさん抱っこしてもらえているかな?」

期間限定ではありますが、その子に向き合い接した日々は濃いもので、ほとんどその子の親のような気持ちになります。沢山抱きしめ、「この小さな体が、心がこれ以上傷つきませんように」「少しでも幸せな環境で、少しでも笑って、毎日を過ごせますように」その一心で送り出しています。

ケースによっては「本当に今の家の状況のまま、この子を返していいの?」と正直不安な場合もあります。見送った後の出戻りや、数年後児童福祉施設にいる場合、最悪、命を落としてしまうような悲しい結果もあるからです。

乳児院、児童相談所の実態

乳児院に来る子どもの理由は様々です。虐待といっても種類も異なりますし、至った原因は一つではありません。経済的貧困、養育スキルの欠如、身体的、精神的ストレスや病気など様々な要因が重なり、施設入所に至ります。そのため一つ対応できたから解決するというような、単純ではないケースがほとんどです。ケースによっては早期に対応出来ることもありますが、多くの場合は長引きます。数カ月から1年2年、3歳を過ぎると児童福祉施設へ措置変更となります。

年々増える児童虐待の件数からもわかる通り、児童相談所にはそれ以外にも日々対応しきれない程の相談が押し寄せています。現在のコロナ禍において追いつめられた大人のはけ口として被害にあう子どもも増えています。

そんな多くの件数を抱えながら一人ひとりの子どもに対し、将来を見据えた十分な考察や議論が出来ているだろうか? その場しのぎの決定で一つのケースが終了させられていないだろうか? と疑問に感じることも多々あります。

私も乳児院の担当看護師として意見は述べますが、多くの場合、児童相談所の担当福祉士 の意向が強かったりして、退所時期や退所方法によって子どもの今後が大きく変わることも多いと感じています。その判断結果に、 往々にして、「一人の子どもの人生や命が掛かっている」という認識はあるのだろうか? と疑問を感じ、このまま手元から家庭に返すことに不安を感じることもしばしばあります。

しかし、悲しいですが、切迫した児童相談所の状況や、次々に来る入所依頼の状況から、子ども一人にかけられる時間やマンパワーが限られていることも事実です。

一人一人の子どもたちに十分な対応ができるように、児童福祉の人員の確保や、組織の仕 組みの変革は必要であると日々感じています。そして同時に、「これ以上の施設入所や虐待 に至る子どもを減らすこと」も重要と考えています。

「性」や「命」の学びの大切さ

乳児院では産後すぐ、新生児での入所も多くみられます。やむを得ない場合(レイプや産後うつなど)を除いて新生児の入所は防げなかったのだろうか? と疑問に思うケースに何度も出くわしました。例えば無計画な妊娠、飛び込み出産後に入所してくるケースです。適切な避妊行動ができず、妊娠に至り悩んでいるうちに臨月を迎え出産に至った・・・。このような場合、 母子ともに命の危険が非常に高く、リスクを伴います。

また、望まない妊娠を繰り返して子どもを次々と施設に入れるようなケースもいくつか見てきました。上の子が施設に入り、その間に違う男性と関係を持ち、避妊せずに妊娠する(同じ男性の場合もあり)というものです。

いくら、児童福祉に関わる人々が尽力したところでこうも次々とそのようなことが繰り返されては施設入所や児童虐待が減らないというのは至極納得しますし、同時に無力感も感じています。人一人を育てること、生きることがどんなに大変で責任を伴うことなのかわかっているのだろうか? 同じようなことが繰り返されずにどこかで防ぐことはできなかったのか? と嘆かざるをえません。

恋愛や性行動は個人の自由だとは思いますし、精神面や知的な障害の場合もあり一概には言えません。しかし、「知らなかった」では済まされず、一つの性行動で「命」が生まれる可能性があり、自分はその責任がとれるか考え、行動を見直す必要性はあると感じます。妊娠は女性、男性のいずれか一方だけでは不可能です。女性だけの責任ではなく、男性の責任も同じようにあります。せめてどちらかにきちんとした避妊方法や倫理観などが備わっていれば防げるケースもあるのではないでしょうか? 男女ともに性に対する正しい知識や倫理観を学ぶ必要性があるのではないかと考えます。

私が高校生だった15年以上前から社会全体の児童虐待への関心は徐々に高まり、母子支援事業や法の整備も少しずつですが進んできました。しかし、いまだに負の連鎖は止まってはいません。どんなに現在の方法で尽力しても「望まない妊娠」のように、ある一定数の入所がある限り、対症療法に過ぎず、いくら繰り返しても終わりは見えないと感じています。国は里親制度を充実させ施設を失くす方針ですが、このままの状態では施設は一生なくならないでしょう。根本的な部分に目を向け、解決していく必要があると感じます。

今現在、虐待で傷を負った子どもたちのケア、親子関係の修復、再構築、援助、里親制度や法制度、母子支援の充実などはもちろん必要です。ぶつ切りのその場しのぎの支援ではなく「継続した支援」が重要だと感じています。

同時に、「これ以上施設入所に至る子どもを増やさないために」どうしていくのか、について 改めて腰を据えて取り組んでいくことが必要ではないでしょうか。

「性教育」「命の授業」について何を今更と感じる人も多くいるかもしれません。しかし、児童福祉の現場で実際に働き、日々様々な子どもや家族と接していくうちに、子どもの笑顔を守るためには、これ以上苦しむ子どもを生み出さないためには、やはりとても大切な部分ではないかと思っています。ある意味で、基本に立ち返ることです。時間はかかりますが根本的解決のためには一時的措置ではなく、教育の基礎として社会全体で「命や性についてきちんと学ぶこと」が虐待問題の要であるように思います。

性について正しく学び知識を持つことで、自分自身の命と向き合い、他者を思いやる機会が 得られます。多様性を認める社会を作るうえでも大切にしたい部分だと感じています。

あかね・わたる

1988年生まれ熊本県出身。大学で看護師、保健師、養護教諭 1 種免許を取得後、都内大学病院で成人から小児まで経験。現在は乳児院にて看護師として養育業務に従事。

第27号 記事一覧

ページの
トップへ