特集 ● 歴史はどう刻むか2・8総選挙
歴史の逆流に抗して
労働を脱商品化する非営利社会の構想
労働運動アナリスト 早川 行雄
高市政権と日本社会の翼賛化
➀前代未聞の総選挙
第51回総選挙は高市政権に全ての常任・特別委員会委員長、審査会長のポストを独占できる絶対安定多数どころか事実上の一党独裁体制をもたらした。小選挙区制の弊害が多くの死票を生じさせた問題もあるにせよ、結果として古くから指摘されている多数者による独裁制の選択という民主主義のパラドクスを地で行く結果となった。以前に拙稿「洗練された全体主義の行方」(本誌第43号所収)においてウンベルト・エーコを引きながら、ファジーな全体主義としての原ファシズムは、これ以上ないくらい無邪気な姿で蘇る可能性はいまでもあることを指摘した。エーコは日々世界のいたるところで新たな形で現れてくる原ファシズムを、ひとつひとつ指弾することが私たちの義務であると述べているが、理性よりも情緒に訴える「サナエ推し活選挙」は邪気を隠蔽したファジーな全体主義の出現と捉えられよう。このようにして翼賛化した政治社会状況はポピュリズムではなく、政策理念よりも好悪の情緒が支配するファンダム政治とされているようだ。筆者はこれを一種の社会全体の病理現象とみなしている。いずれにせよ現下の日本で新しい装いで姿を現しつつあるファジーな全体主義としての翼賛化に対抗する社会の構想が、いまを生きる「私たち」の喫緊の課題であり、具体的には後段で私見を述べる。
今回の解散総選挙ほど支離滅裂でデタラメな選挙は開闢以来例を見ない。何でもありかつ何にもなしの勝手放題・傍若無人選挙であった。何にもなしから言えば、何より解散の大義がない。通常国会冒頭での解散は、少数与党の下で日本版エプスタイン文書ともいうべきTM特別報告が暴露した自民党および自民議員と統一教会の深い癒着関係を国会で追及されれば政権が持たないとの判断にもとづく、脛に傷ある者の緊急避難的暴挙であったことは間違いない。大義がない上にそもそも憲法は首相が恣意的に議会を解散することなど認めていない。また、国論を二分する課題を実現するためと言いつつ課題を明示せず党首間の政策論争からも逃げ続ける。つまり争点がなく白紙委任の信任投票に持ち込んでしまった。
何でもありについて言えば究極の金権選挙だったということだ。何より国会での追及を逃れるための自己都合解散に800億円を超える公費を投入すること自体が許されざる無駄遣いであるが、選挙戦の中ではテレビ、YouTube、SNS、Web/新聞などに総計数十億円の広告宣伝費が投入されたと推計されている。これらの財源は政党交付金なのか官房機密費なのかは定かでないが、いずれにせよ大本は税金である。公選法はポスター、ビラ、はがきなどは規制するがネット動画などは野放し状態で、巨額の広告費を使って高市動画は1.6億回も再生され、日本の選挙は金で買える結果をもたらしている。加えて、どさくさ紛れに裏金議員や統一協会汚染議員を積極的に公認して比例復活も認め、重点的に応援してまわることまでやったのである。
②中道改革連合の蹉跌
立憲民主党は安保法制や原発政策など基本政策を公明側に寄せて翼賛野党色を強めた中道改革連合を結成したが、有権者からは理念なき選挙互助会とみなされ、とってつけたような「生活者ファースト」スローガンは全く浸透せず、比例に特化した公明は全員が当選して議席を21から28に増やしたものの、小選挙区で敗れて比例復活もかなわなかった立憲民主は小選挙区7、比例14(自民党の比例名簿登載不足で繰り上げとなった6人を除くと実際は8人)の21議席(実際は15議席)に激減し壊滅的状況に陥る結果となった。
しかしそれは事態の本質ではない。立憲と公明のまま選挙協力をしたとしても、両党を合わせた獲得議席数が大きく異なったかどうかは疑わしい。翼賛野党という立ち位置が敗北の本質だ。公明の政権離脱は与党から翼賛野党へのちょっとした移動でしかないし、維新の連立入りはその逆で与党と翼賛野党は回転ドアで繋がっているようなもの。それならいっそのこと全部自民党に任せても同じというのが今回の選挙結果だ。当選圏外に置いたはずの村上誠一郎らまで当選するなど、勝ち過ぎの思わぬ余波もあって自民党内も一枚岩ではないものの、一党独裁下での法案は自民党単独で成立させることも可能になり、翼賛野党はレゾンデートルを失った。
中道は自民党・電通の繰り出すファンダム政治に敗北した。ファンダム政治が猖獗を極める背景には日本社会におけるシンパシー(共感力)が失われたわけではないにせよ大きく後退したことがある。いわば「共感ミュート」の状態だ。かつてのベトナム反戦闘争はベトナム解放闘争へのシンパシーが根底にあったし、今日のパレスチナ連帯大衆運動にはパレスチナ国家独立へのシンパシーがある。今日の日本社会でパレスチナ連帯の運動が広がらないことがまさにシンパシーの喪失である。シンパシーの喪失に取って代わって登場したのがファンダム政治だ。シンパシーは他者の現実への共感から自己の行動を正当化するが、ファンダム政治にあっては虚構のシンボルへの思い入れが自己満足をもたらす。総選挙後にファンダム政治を与件とする立場から左派・リベラルの言動を批判する論調が見受けられるが、これらは論者の主観がどうあれファンダム政治を補完することにしかなっていない。ファンダム政治と対峙するには同じ土俵で闘っていたのでは金に糸目をつけない金権勢力に太刀打ちできない。
そう考えると仮に高市自民党が敗北し、中道がヘゲモニーを握っていたところで翼賛化に歯止めが掛かる保証はなにもない。ファシズム型か米国ニューディール型かの見かけ上の違いがあったとしても、どちらに転んでも全体主義的翼賛化は進んでゆく。ニューディール型は自由権の擁護に関してファシズム型より幾分ましに見えなくもないが、昨今の米国ICEの暴虐や英独仏でも顕在化した公安警察の大衆運動弾圧からはファシズム型との基本的な相違は識別できない。中道政党が全体主義体制の一翼を担う翼賛勢力であることの化けの皮が剥がれてきたのだ。
因みに立憲主義の根幹に関わる憲法第9条の解釈に焦点を当てて、翼賛野党に共通する憲法の平和主義に対する無理解を見ておこう。当否はさておき自衛権の行使は合憲であるという中道の政策合意は立民の従来政策を変更するものではないとはいえよう。しかし日本国憲法は自衛権を否定してはいないものの、国家権力による自衛隊のような常備軍の保有を明確に禁じている。また新党は基本政策で抑止力の活用を謳うが、国際関係における抑止力とは軍事力による威嚇にほかならず、憲法はこうした軍事的威嚇も明確に禁じている。憲法の趣旨は完全な非暴力主義ではないので、警察やよく訓練された民兵組織のような実力部隊まで否定するものではないが、常備軍の廃止はパリコミューンの宣言やレーニンの4月テーゼにも採用された急進的主張であり、その革命性を再評価すべきである。これは後述の非営利社会における安全保障政策の基礎でもある。そうした認識に立てば、新党の安全保障政策を現実的と言い募ることは憲法の理念を非現実的と決めつける判断に立っていることになる。新党の綱領は憲法の平和主義を強調するが、その政策は護憲とはかけ離れたものであることを指摘しなければならない。
主体的には広範な人や組織を結集する社会運動をなかなか作れなかった左派・リベラル諸勢力も、総翼賛野党化という客観情勢が猶予を許さない事態を招いた。ここが正念場であり、流れに棹さす者と逆流に抗する者が鮮明に峻別されてゆくことなろう。
③高市政権とは何か
ところで高市政権とはどのような背景と経緯をもって誕生したのであろうか。昨年7月の参議院議員選挙で統一協会との癒着や裏金問題で政治不信を招いた自民党が大きく議席を失い、公明党も議席をへらしたことから自公が衆参両院で過半数を割る少数与党政権に転落した。その後、自民党の企業・団体献金問題への対応に反発した公明党が連立離脱を表明し政局の混迷は一層深化した。紆余曲折はあったが、維新が「日本再起」(連立政権合意文書)に向けて閣外協力する形で高市政権発足となった。高市本人や連立相手の維新には政治と金にかんするスキャンダルが付き纏うまことに胡散臭い政権であるが、国民民主も予算やスパイ防止法を含む個別法案ごとに協力する姿勢を示しており、参政、日本保守など新興極右も巻き込んだ軍拡・原発推進の翼賛体制が形成されつつある。これは日本会議が神社本庁、統一協会、幸福の科学など宗教右派および右派労組を支持基盤とし、マスメディアやSNSによる世論操作をテコに実権を握る構図だ。
この高市政権を押し上げたのは、日本も台湾有事に際して戦う覚悟があるのかと公言する極右麻生派と裏金・統一教会まみれの旧安倍派=清和会連合よるクーデター的策略であり、誰の利益を代表するかといえば、防衛三文書改定で軍拡のご利益に与る軍需産業、エネルギー基本法改定で原発利権をほしいままにする電力資本・原子力ムラ、貯蓄から投資の大衆収奪でリスクなきレント・あぶく銭を当て込む金融資本、AIデータセンターへの公金投入に群がるハイエナ企業群など専ら強欲資本の利益である。
高市政権はゾンビリフレ派を側近に抜擢し、アベノミクスを継承すると称して軍拡・積極財政を露骨に打ち出している。アベノミクスは貧困を蔓延させ格差を著しく拡大した大失政だが、失政とみなすのは勤労庶民の観点であり、強欲資本の利益に照らせば初期の目的を十二分に果たした奇策でもあり、今後想定される経済的大惨事にも、我が亡きあとに洪水は来たれと高を括る無責任ぶりであった。この期に及んでそれを継承するなど正気の沙汰ではない。
憲法を改竄して自衛隊という常備軍の保有を合法化する狙いは、並行して企図されている防衛三文書の再改悪による継続的な軍備拡張に向けて歯止めを外すことだ。また継戦能力を高めるためには武器弾薬の補給だけではなく、自衛隊員の負傷者情報を前線から即時共有して有事の治療を効率化することも計画されているが、戦死した兵士の補充には徴兵制も視野に入って来る。
資本主義の危機と自民党絶対多数政権
経済成長下では、格差が拡大しても中間層が拡大し最貧層も底上げされている限り、成長が七難を隠し格差は大きな問題として意識されない。しかし経済が定常化する下で導入されたアベノミクスの異次元緩和は、底上げなき貧困を蔓延させ中間層を没落させて格差を拡大した上に、持続的経済成長はもたらさずイノベーションも促さず国際競争力の低下に帰結した。経済のパイが拡大しない中で意図的な円安と株高で大企業の内部留保を積み上げて、富裕層の金融資産を著増させことは、隠された所期の目的を十二分に達成したことは既述のとおりである。総選挙で圧勝した高市政権は、こうした政策の継承・発展を究極の使命としている。
アベノミクスとは賃労働の搾取に加えて金融化による収奪循環を形成するという手の込んだ大衆収奪であった。NISAだのiDeCoだのあの手この手を駆使した貯蓄から投資へという自助努力への誘導は、有効な投資先が喪失した金融機関が行政と結託して、リスクを家計・個人に転嫁したうえで手数料まで取る国家的詐欺ともいうべきアコギな商売だ。人々が必要とするのは資産などなくとも安心して暮らせる社会なのである。
知財=無形資産による収奪も大衆収奪の大きな柱だ。特許から得られる利潤は市場独占企業の超過利潤に似るが、一方で16〜17世紀にヨーロッパ列強がアジア貿易を独占するために設立された東インド会社のような王権から特許を与えられた特許会社への先祖返り的な側面もあり、テクノ封建制などと比喩的に表現される末期資本主義の姿でもある。知財こそ後述の私的所有を排した非営利社会における社会的共通資本とすべきものだ。
またアベノミクスは腐朽化した大企業の延命策でもあった。競争力を失った産業・企業は、IT産業救済のためのマイナンバーカード導入が典型に示すような国策による救済を求め、政府は各種の基金を設定して軍需産業、原子力産業、AI関連産業などに湯水のごとく国費を注入し続けている。昨今の大手株式会社は私的営利企業としての性格を失い、資本の自己増殖装置たる機能に純化しつつあるかのようだ。
税制もまたしかりであって、国庫に入った税収に名札はついていないので消費税が全額社会保障費に充てられているかのような説明がされることもあるが、最大の問題は消費税収に相当する額の法人税が減収になっていることだ。法人税減収の穴埋めに消費税が充当されているとの見方も可能である。消費税導入以前の福祉財源をそのまま維持して消費税分を上積みすれば大幅な福祉向上も実現できたはずだが、この国は福祉向上を回避してゾンビ法人を実質的税負担軽減で救済したのだ。法人税をまけてやったうえに、不足した財源の穴埋めに発行する国債を買わせて利息までくれてやるという盗人に追い銭のよう大企業優遇策が延々と今日まで継続している。
営利を追求する企業活動ほど憲法の理念をないがしろにした背徳的な行為はない。なぜならば利潤は労働者の労働が生み出し、従って本来労働者の所有に帰すべき価値の一部を搾取することによってのみ実現するからである。あえていえば資本の搾取こそ最大にして最悪の所有権侵害ということにもなる。平和主義、基本的人権、民主主義(主権在民)といった日本国憲法の理念を実現することは、市場原理に起動された資本主義社会ではまったく不可能である。確かに憲法は29条で資本主義が大前提とする私的所有を保護する財産権を認めている。とはいえ、財産権もまた他の諸権利と同様に公共の福祉による制約を受ける。公共の福祉とは平たくいえばお互いさまの世界であり、このお互いさまの原理を体現するのが、人々の自発的で平等な協力関係に基づいて構成される組織として定式化されたアソシエーションということになる。搾取なき自由の国で労働者の下に返還された価値=社会的剰余は、私的に所有されることなく公共の福祉のために共同で管理されることとなろう。従って我々が目指すべきは私的利益を追求することのない非営利社会であるという結論が導かれる。
非営利社会とは
上に見たような金融的収奪循環が成り立つのも、その根底に資本主義的賃労働と資本の関係が厳然と居座っているからにほかならない。憲法が保障する基本的人権の観点からは、人が人を支配下に置き指揮命令することなど許されない。賃労働と資本の関係における労働者を賃金奴隷とみなすことは比喩以上の現実味を帯びている。労働法制上は雇用契約が成立すれば、労働基準法に定める最低労働基準を遵守している限りにおいて使用者は労働者を支配下に置くことが許される。基本的人権規定を潜脱する方便として雇用契約があるとも言えるし、雇用契約は憲法違反に対する面罰規定とも考えられる。労働者保護規定に関わる係争案件では労働者性、すなわち使用従属関係の存否が争点となり、いかに賃金奴隷として支配されてきたかを立証しなければならないというのも資本主義社会ならではの皮肉であり矛盾でもある。
このような矛盾が生じるのは、奴隷が商品であったように人間労働が労働力商品として売買されることから生じる。フィラデルフィア宣言が高らかに謳っているように労働は商品ではないのである。使用従属関係すなわち賃労働と資本の関係は将来的には禁止・廃止されねばならない。
マルクス『資本論』の第1巻第1章の書き出しは商品から始まる。そこで商品は資本主義経済の細胞形態とされている。商品とは何かについては『資本論』に委ねるとして、脱資本主義の非営利社会は、収奪による自己増殖の遺伝子が組み込まれた癌細胞を剔抉する脱商品化の過程として構想される。
一着の上着が商品であるのか否かを決めるのは、それが剰余労働を搾取された後の労働の対価として支払われる貨幣と交換される交換価値を体現するのか、そうではなく諸個人の必要に応じて使用価値そのものとして需要されるのかに関わる。必要に応じて需要される場合であってもまさか物々交換(それは神話の世界にしか存在しない)ではなく、例えばニーズクーポン(必要券)のような交換手段は必要であろう。分配の方法は様々に工夫しうるだろうが、重要なことは賃金のように功績や成果に関連付けられた対価としてではなく、センのケイパビリティを満たすような必要に応じて交付されるべきということである。そのとき人々は市場原理に支配されることなく、市場を社会に埋めなおす壮大な実践に立ち会うことになる。
エスピン・アンデルセンは社会から労働契約以外に社会的再生産を保障する一連の制度をなくしてしまうことで、人々は商品化されたとし、社会サービスが人々の権利とみなされるようになれば、一人の人間が市場に依存することなく生活が維持できるようになって、労働力の脱商品化が生じるとしている。
脱商品化または非営利化とは貨幣換算された量の経済からケイパビリティのような必要とされる質の経済への転換である。神野直彦は量の経済から質の経済への転換を、自分のものにしたいという所有欲求から他者と調和した存在でありたいという存在欲求への転換と捉え、それによって自然と人間との物質代謝という本来の経済の意義が姿を現してくるとしている。
医療・介護、育児・教育などのサービスあるいは住宅や電気・ガス・水道さらには衣服や食料などのモノが無償で、つまり公的な現物給付として供給されることにより、資本主義市場経済における商品の希少性を奪っていくことになる。低所得層に現金を給付して、あとは自助努力でというベーシックインカムは資本主義市場経済の補完物でしかないが、公的な現物給付と並行して全世代年金的に給付される現金は移行期の過渡的措置として一考に値するかも知れない。
井手英策のベーシックサービスや宮本太郎のベーシックアセットはこの文脈にあるが、そうした現物給付こそが非営利社会の細胞形態となろう。いずれにせよ非営利社会への移行過程では市場経済とは異なる原理で機能する財政が重要な役割を果たすこととなる。財政を金融と共に景気対策の手段として論じる向きもあるが、そもそも景気とは何かを問わねばならず、私的営利企業の儲かり具合を基準にした景気など良かろうが悪かろうが、庶民の暮らし向きが健やかでありさえすればどちらでもよい話なのだ。市場経済と別の原理で機能する財政は税収の現状を前提に配分を考えるのではなく、福祉の充実に必要な財政規模をまず想定し、しかる後にその財源をどこから徴収するかを検討するのが本体の姿である。現状は初めに軍備拡張の予算規模を決めて、どここら収奪するかについて悪知恵を巡らせている。
さてその財源についてであるが、かつて都留重人が(マルクス『経済学批判要綱』に触発されつつ)体制変革のための移行論の一環として提唱したフローの社会化という概念が示唆的である。都留の移行論は三つの柱からなっており、第1は人間疎外の状態からの脱却である。第2は社会的生産物の中でサープラス(余剰ないしは付加価値)がとる形態を、基本的にはその配分処理が社会的に決定される社会的余剰とすることにより、投資を計画化し、サープラスが私的資本の利潤という形態をとらないようにすること。第3は基礎的な衣食住、教育、医療等が必要に応じて与えられる分配体制の実現である。企業の経済活動の過程で生まれる純所得としてのフローの社会化は法人所得税や事業税によってすでにある程度行われている。税制を活用した資本主義的財産権への介入によって、非営利社会に向けた転換の財源が確保される。
非営利社会への転轍機はどのように切り替えられるのか。市民自治のミニシュパリズム運動や労働者協同組合運動は非営利社会を目指す取り組みの根拠地となりうる。これらの運動は同時にポピュリズムやファンダム政治などの原ファシズムと対抗する政治活動を実践してゆくこととなる。学ぶべき事例は各所に見られるが、例えばニューヨーク市長選挙に勝利したマムダニは、地域・地場からの対面による草の根的活動を基盤にSNSをも活用した。あるいはチャベスが指導したボリバル革命によって社会主義的コムーナ(共同体)を展開しているベネズエラは、ノーベル平和賞で箔をつけたマチャドのようなパペットを全く寄せ付けない、ファンダム政治への強い耐性を持っている。
非営利社会への移行過程において労働現場では、賃金は限りなく高く、労働時間は限りなく短く、利潤の源泉たる剰余労働の圧縮が進められ、ルール化された争議行為を含めて資本主義市場経済内において制度化された階級紛争処理システムにおける労働条件の量的引き上げは質的転換にむけて止揚されることとなろう。
【参考文献】
エスピン・アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界』(ミネルヴァ書房2001年)
神野直彦『財政と民主主義』(岩波新書2024年)
宮本太郎『貧困・介護・育児の政治 ベーシックアセットの福祉国家へ』(朝日新聞出版2021年)
都留重人『体制変革の政治経済学』(新評論1983年)
都留重人『体制変革の展望』(新日本出版社2003年)
はやかわ・ゆきお
1954年兵庫県生まれ。成蹊大学法学部卒。日産自動車調査部、総評全国金属日産自動車支部(旧プリンス自工支部)書記長、JAM副書記長、連合総研主任研究員、日本退職者連合副事務局長などを経て現在、労働運動アナリスト・日本労働ペンクラブ会員・Labor Now運営委員。著書『人間を幸福にしない資本主義 ポスト働き方改革』(旬報社 2019)。
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