特集●資本主義のゆくえ

興隆するアジア―蘇生する資本主義

近代の終焉から「アジア力の世紀」へ

筑波大学大学院名誉教授 進藤 榮一

1.ジャカルタの夏

沸騰する都市/IMF報告の衝撃/大逆転する世界

2.終焉に向かう近代

ポストGゼロへ/量的緩和の罠/「資本主義の終焉」という神話

3.北京のアダム・スミス

資金は新興国市場へ/いくつもの資本主義/終焉する雁行モデル/アジア力の世紀の中で

結びに

「二世紀以上もの間、まずヨーロッパ、次いで米国という形で、西洋は世界に君臨し続けてきた。われわれはいまや歴史的な変化を目の当たりにしている。それは初期段階にあるとはいえ、やがては世界の構造を一変させるはずだ。・・・途上国の台頭はすでにグローバル経済の勢力バランスを大きく変化させつつある」
マーチン・ジェイクス『中国が世界をリードするとき』(上)、松下訳、p、2

「(左翼だけでなく右翼にも)問題なのは、歴史的に再生産されている資本主義が、たった一種類しかないと考えていることです。しかし資本主義は、予想もしなかったような仕方で、自らを実質的に、特にグローバルな基礎に基づいて何度も変容させてきました。・・・・・資本主義システムは、競争が激しくなると、[これまでの空間的定位から]ジャンプして、物質的拡大の新たな時期を経験できる別の状況へと移動するのです」
ジョバンギ・アリギ『北京のアダム・スミス』中山訳(一部改訳)作品社、585~86頁

1.ジャカルタの夏

沸騰する都市

この喧騒と沸騰は何であるのか。数年ぶりに訪れたジャカルタで、この国の急激な発展に圧倒され続けた。かつてなら空港から30分で都心に入れたのに、いまはその三倍かかる。高速道路はクルマで溢れ、高層ビルが建設ラッシュだ。

この都市の光景が、アジア通貨危機(1997年)直前に訪れたバンコクの激しい交通渋滞の記憶を呼び覚ましていた。あの時と同じように、ここでも都市が沸騰している。

1979年ソウル、90年北京を、夫々初めて訪問して以来、この四半世紀、沸騰する都市が、釜山や中国沿岸部から台北、香港、シンガポール、バンコクをへていまハノイやジャカルタにまで及んでいる。

日本で、中国経済の“減速”が叫ばれているにもかかわらず、中国、インド等のBRICs諸国や、インドネシアを含めた新興国の経済成長は、着実な上昇線を描き続けている。(実際、2016年4~5月期、中国のGDPは、6.7%へと増大した)。

90年代以降、欧米先進国の経済成長率の鈍化と対蹠的に、新興国の堅実な成長が目立っている。この四半世紀、先進国の成長率が低下し、2%前後を低迷している。日本の場合は、鳩山政権時の4.5%の成長率を頂点に下落し続けて、2016年現在1.2%でしかない。

それなのに、新興国経済は、先進国の平均成長率の3倍、6%ラインを堅持し続けている。

実際、新興国は、アジア通貨危機の時も、世界金融危機(2008年)の時も、大きな影響を受けたけれども、先進国より早く回復し、しかも回復後の成長率は先進国を凌駕している。

その新興国経済の牽引役を、かつてのNIES(新興経済地域)――韓国、台湾、香港、シンガポールの「四匹の龍」――に加えて、巨龍中国やASEAN10カ国からインド、バングラデッシュ等からなる新興アジアが担い始めた。まさに興隆するアジアだ。

IMF報告の衝撃

世界経済の主軸は、もはや米国でも、EUや日本でもない。主軸は、米欧日などの先進国世界から、中国やインドなどの新興国世界へと転移し続けている。その現実を、2014年10月IMF報告が明らかにした。

IMF報告によれば、中国やインド、ブラジル、ロシア等、いわゆるBRICsと、トルコ、メキシコ、インドネシアを加えた新興G7のGDPは、37兆8千億ドル。米、日、EU等の先進G7のGDP、37兆5千億ドルを凌駕した。世界経済における「南北逆転」である。

中国は、購買力平価(PPP換算)のGDPで、2014年、すでに米国を凌ぎ、2019年には日本の5倍になる。そして世界経済への寄与度で、米国が15%に止まっているのに、中国は28%に達している。

世界銀行のデータによれば、2035年にインドが、2050年にインドネシアが、GDPで日本と横並びになる。

大逆転する世界

冷戦終結3年後の1993年に中国は、ロシアやカザフスタン等とともに、アジア相互協力信頼醸成措置会議(CICA)が発足させた。加盟国は、インド、韓国、モンゴル、トルコを含む、ユーラシア大陸部の国々を中心に26カ国・地域に及ぶ。米、EU、日など7カ国・機関がオブザーバーとして参加。

「アジアの安全保障はアジア人の手で」図ることを合言葉に、エネルギー安全保障を組み込み「新アジア安全保障観」に基づく、ユーラシア軍備管理軍縮と信頼醸成措置の構築を目指している。

その4年後の97年には上海協力機構(SCO)を発足させた。中国、ロシアと中央アジア4カ国から構成される。16年には、インド、パキスタンの正式加盟を承認し、イラン、アフガニスタンをオブザーバー参加国とする。

2000年代に入り、中国、ロシア、インド、ブラジルの四か国でBRICs首脳会議を発足。2010年に南アフリカを参加させ、公式名称をBRICsからBRICSに拡大する。そして15年、BRICS外貨準備銀行を発足させ、BRICS開発銀行(基金500億ドル)の設立を見た。

さらに15年4月には、アジアインフラ投資銀行(AIIB)を、英国やドイツ、フランスなどEU諸国やASEAN諸国を含めた54カ国体制で発足させ、2017年1月の第二回総会で、参加国は90カ国以上になると想定される。ちなみに16年7月、鳩山前首相が、同銀行の国際委員に就任。9月、カナダが参加表明。西側先進国で不参加は、米、日のみとなる。

世界政治と世界経済の双方で、中国、ロシアなど旧東側諸国が、EUや韓国、インドをも巻き込んで主導権を握り始めている。政治における東西逆転と、経済における南北逆転とが、相互連動して進行している。

大逆転する世界である、地軸は、北から南へ、西から東へと確実に移動し続けているのである。

2.終焉に向かう近代

ポストGゼロへ

その大逆転する世界を、16世紀以来、欧米先進国が世界を取り仕切ってきた「近代」の終焉の始まりと呼んでもよい。

「近代の終焉」――それは、15世紀末コロンブスの「アメリカ発見」(1492年)とヴァスコ・ダ・ガマの「インドへの道」発見(1497年)以来、西欧列強がアジア・アフリカ・ラテンアメリカを支配し続けてきた、5世紀にわたる「近代」の終わりを意味する。その終わりが、アメリカの世紀の終わりと重なり合って世界が、近代からポスト近代へと、いま転移し始めている。

9・11以後、アフガニスタン・イラク戦争からシリア内戦に至る中東の混乱と難民の大量流出を機に続発するグローバル・テロの蔓延は、ポスト近代の誕生の産みの苦しみと位置づけることもできる。

世界の地軸は、先進G7から新興G7へ、ヨーロッパやアメリカからアジアへと転移し始める。

イアン・ブルーマー(ユーラシア・グループ)は、リーマン・ショック以後の世界を、「Gゼロの世界」と呼んだ。いまや冷戦期の米ソ超大国のG2でも、米日欧三極のG3でもない。あるいは冷戦後のG7でも、金融危機後のG20でもない。どの大国も世界秩序を取り仕切ることのできない、無極(ノン・ポーラー)世界――Gゼロの世界――が到来していると宣託した。

そのGゼロこそが、近代が終焉してポスト近代へと転移する過渡期の現在を表徴した世界像だ。

トランプ現象やサンダース旋風に見る「解体するアメリカ」にせよ、英国EU離脱で「分裂するEU」にしろ、混沌の中で新秩序を模索する「混乱する中東」にしろ、その過渡期の夫々の地域的な局面を表しているにすぎない。

同じことは、南シナ海問題で「相克する東アジア」についてもいえる。そしてそれら解体と分裂、混沌と相克の狭間をかいくぐっていま、ポストGゼロの世界、つまりは近代の終焉が、ジクザグを描きながら進行している。その進行する歴史の先端を、新興アジアが切っている。

量的緩和の罠

ただ、ポストGゼロに向かう世界の中で、西側先進諸国が取り続ける長期「超」低金利政策に焦点を当てて、それを、「資本主義の終焉」する世界と位置付けるなら、私たちは、歴史の読み方を誤ることになるだろう。

確かに西側先進諸国は、特に2010年以後、リーマン・ショックから立ち直るために、中央銀行の政策金利を2%以下の超低金利に抑え、大量金融緩和政策に乗り出した。そしてそれを、今日に至るも続けている。

米国連邦制度準備理事会(FRB)理事長ベン・バーナンキの下で、QE(量的緩和)が、ゼロ金利の形をとって2010年以来三度にわたって進められた。「趣味は大恐慌の研究である」と自称するバーナンキ、別名「ヘリコプター・べン」は、「大不況脱出の決め手は、空からヘリコプターで、大量にマネーをばらまくことだ」と豪語する。

ちなみにヘリコプター・マネーは、70年代新自由主義経済学者、フリードマンの提唱した経済政策論である。その政策論に依拠して米国は、量的緩和を続けた。そしてその量的緩和を、2011年以後、EUが追いかけた。

日本は1997年に、米、欧の量的緩和に先駆けてバブル崩壊後の不況から脱するためとして、政策金利を1.75%にまで引き下げた。そして2004年以後、ゼロ金利に移行した。加えてアベノミクス下、黒田日銀総裁(2013年~)の金融政策で2016年に、EUにならってマイナス金利に転じた。17年間にわたって日本は、長期「超」低金利政策を牽引していることになる。

かくて米、欧、日の先進諸国が長期にわたって超低金利政策を取り続ける。そのために、企業家や庶民が、利潤を蓄積(もしくは金融機関に預託)しても利潤を生むことのない経済社会構造がつくられて、それが定着していく。

いわゆる「利息生活者の死」(ケインズ)である。いや利息生活者だけでなく、資本家――と資本主義――が「死の床」につき始めている、というのである。

量的金融緩和は、景気を浮揚させない。逆に景気を冷え込ませ続けるだけだろう。にもかかわらず、金融政策のエリートたちは、市場にカネをばらまけば景気を回復させることができると信じ続けている。それを、量的緩和の罠と呼んでよいだろう。

「資本主義の終焉」という神話

知名のエコノミスト、水野和夫教授や榊原英資氏は、その罠に陥った資本主義の現在を、「資本主義の終焉」と診断した。そして「終焉する資本主義」の世界史的意義を強調し、説き続ける。(榊原英輔、水野和夫『資本主義の終焉、その先の世界』 詩想社、2015年)。

実際、水野教授によれば、シュメール王朝以来の世界金利史上において、政策金利が2%を切り続けるのは、17世紀初頭のジェノバの長期「超」低金利政策(1611~1621年)以来、初めての事態の展開だというのである。

確かに本来、資本主義は、資本が利潤を生んで投資や消費に向けられて、経済が成長し続けていくことを、本質とする。

それなのに主要諸国が、一様に超低金利政策を長期にわたってとり続けるなら、資本主義が立ちゆかなくなる。資本が資本を生まなくなる。資本主義の本来の役割が機能しなくなる。つまり「資本主義の終焉」である。そう診断される所以だ。

米、欧、日の先進諸国が、量的金融緩和の罠に陥っているのは事実だが、それを「資本主義の終焉」と置き換えて、その死亡宣告を下すことが、真にできるのだろうか。本当に資本主義は「終焉」しつつあると、いえるのだろうか。

水野教授らがいうように、欧米主導の資本主義は衰退の危機に瀕し、「近代」は終焉の序曲を奏で続けている。これは確かだ。

しかし、それにもかかわらず、世界資本主義自体は、どっこい生き続けているのではないか。資本主義は、形を変え、勢いを増しながら、息を吹き返している。

欧米主導の資本主義の衰退の危機にもかかわらず、いやそれ故にこそ、もう一つの資本主義が誕生して、世界資本主義が蘇生し、そして興隆し続けているのである。その時、「資本主義の終焉」という言説は、ポストGゼロに向かう21世紀世界の神話でしかなくなる。

3.北京のアダム・スミス

資金は新興国市場へ

実際もし私たちが、視野を先進国世界から新興国世界に広げるなら、私たちの眼前にはまったく違った光景が展開してくるだろう。すなわち、中国からインドやインドネシア、トルコ、ブラジルに至る新興G7諸国の金利は、90年代以後、ほぼ一貫して5%内外、もしくはそれ以上を維持している。

そこでは資本主義が、形を変えて蘇生して、活性化し続けているのである。

その蘇生し活性化する資本主義を、沸騰するアジアの都市が象徴している。それが、燃えるようなジャカルタの夏と重なり合う。ちなみに、2016年現在、中国は、市中銀行の預金金利を2.75%、15年以降、人民銀行の貸出金利を4.35%に引き上げた。

水と違ってカネは、つねに「低いところから高いところへと」逆流する。

米、欧、日の余剰資本は、低金利の先進国市場を嫌って、高金利の新興国市場へと逆流する。そのために資本主義は、終焉することなく、逆に拡大深化する。そして形を変えて資本主義が蘇生し、興隆し続けている。

国際投資顧問会社ピラミスの報告書「量的緩和の意図せざる結果」の中で、投資ストラテジスト、R・カルデロンが明らかにしたように、今日、国際銀行の民間貸付は、2004年を起点に先進諸国から(東欧諸国を含む)新興諸国に逆流し始める。

2008年リーマン・ショックを境に、新興諸国でも、特にアジア諸国へ逆流を強めている。そして新興アジアを軸に、もうひとつの資本主義が勃興しているのである。いったいこれをどう見るべきか。

いくつもの資本主義

イタリア生まれの思想家ジョヴァンニ・アリギは、遺作となる『北京のアダム・スミス』の中でそれを、資本主義の終焉ではなく、資本主義の蘇生であると、診断する。そして国際政治思想家デヴィッド・ハーヴェイの質問に答えて次のように語る。

「(右翼だけでなく左翼にも)問題なのは、歴史的に再生産されている資本主義が、たった一種類しかないと考えていることです。しかし資本主義は、予想もしなかったような仕方で、自らを実質的に、特にグローバルな基礎に基づいて何度も変容させてきました。・・・・・資本主義システムは、競争が激しくなると、[これまでの空間的定位から]ジャンプして、今度は、より大規模な新しい空間的定位によって、物質的拡大の新たな時期を経験できるような別の状況へと移動するのです」(『北京のアダム・スミス』中山訳(一部改訳)、作品社、585~86頁)

資本主義にはいくつもの形がある。いま、米、欧、日などの先進国型とは違う、もう一つの資本主義が生まれ始めている。

資本主義が、ニューヨークやロンドン、東京から「ジャンプして、新しい空間的定位を求めて」、北京やニューデリー、ジャカルタへと新興アジアで誕生し、成長し続けているのである。

それにしてもなぜ、米欧日型――あるいはアングロアメリカン型――の資本主義が「終焉の危機」に瀕しているのに、新興アジアで新しい資本主義が勃興し、しかも成長し続けるのか。デトロイトに冬が続き、ロンドンやパリに冷たい秋風が立ち始めるのに、なぜジャカルタで熱い夏が続くのか。なぜ北京やニューデリーで、アダム・スミスが生き返るのか。

以下、三つの要因を摘出しなくてはならない。鍵言葉は、情報革命と、人口ボーナスと、モジュール化であり、地域統合化である。そのそれぞれが一体となって、新興アジアに興隆の機会の窓を開くのである。その機会の窓が開かれて、東アジア共同体と、アジア力の世紀を生み出されていくのである。 第一に情報革命は、生産構造の主軸を、資源労働集約型から知識資本集約型へと変容させた。 いわゆる産業のコメ、つまり主導要因は、かつての資源や労働、資本から、情報(知識)へと転移した。そして情報を満載した半導体と、その周辺技術が、多様な電子通信機器をつくり出しながら、ものづくりのかたちを変えた。

その変わる産業構造を、重厚長大型から、軽薄短小型への変容といいかえてもよい。

製品に組み込まれる科学技術係数――知識情報が生み出す価値比率――は、これまでになく高くなる。自動車のような工業製品では70%、ハイテク製品では85%に達する。情報と技術が、技術突破(ブレークスルー)によって、製品自体、もの自体を変えているのである。

そこでの産業競争の決め手は、技術先発国であれ後発国であれ、国や企業、市民社会が、科学技術をいかに制することができるどうかにかかっている。技術後発国が、先発国の先端技術の隙間をかいくぐって、新しい市場を開拓し、技術と市場の「新結合」――イノベーション――を実現できることを、可能にしていくのである。

終焉する雁行モデル

その時、日本のエコノミストたちが唱導してきた、いわゆる雁行形態モデルは崩れていく。赤い夕陽を背に、日本が雁の群れの先頭を飛び、その後を韓国や台湾などNIES(新興工業地域)が追いかけ、ASEAN諸国が後に続いて、雁の群れの最後尾を中国やネパールが飛んでいくという、80年代までの常識――雁行形態――は崩れ続ける。

雁行モデルではなく、蛙飛びモデルだ。韓国などのNIESはいうまでもなく、圧倒的な技術後発国であった韓国や中国、インドが、科学技術突破を巧みに利用し、工業先進国に飛びつき、飛び越していくことができるようになった。

工業先進国が先端を走りながら、アジアやラテンアメリカの途上国が順繰りに、先進国の生産システムをなぞらって追跡していくという、いわゆるプロダクト・サイクルは終焉する。後発国が、新しい知識と情報を獲得することによって、先行する雁や蛙を飛び越えて、プロダクト・サイクルを突き崩していく。世界経済の「下剋上の世界」が常態化していく。

これまでアジアの増大し続ける膨大な人口は、貧困と飢餓の象徴でしかなかった。いわゆる「貧乏人の子沢山」である。だから、過剰な人口は経済発展と成長にとって、阻害要因(オーナス)としてとらえられてきた。

しかし情報革命下、グローバル化が進展する中で人口は、発展にとって二重の意味で促進要因(ボーナス)へ化していく。先進国企業からであれ、国内企業群からであれ、安価で勤勉な労働力を求めて資本(企業)が、後発地域にプラント輸出する。そして後発地域に職場をつくり出し、労働者や市民の所得を増大させていく。

その結果、中間所得層が生まれて、その数が増加する。クルマ一台を買うことのできる所得層である。そしてその中間層の数が加速度的に増えていく。同時に年間所得5万ドルを超す富裕層をもまた増加し続けていく。

2015年現在、東アジアの中間所得層人口は10億、富裕層人口は3億を超える。その時、アジアの過剰人口は、発展と成長への阻害要因から、促進要因へと変容していく。人口オーナスから人口ボーナスへの逆転変容である。

その結果、東アジアに巨大な消費市場が生まれる。規模は、EU6億人や北米3億7千万人を合わせた市場を凌駕する。

かくて新興アジアは、「世界の工場」から「世界の市場」へと変容する。

19世紀にマルクスやウイットフォーゲルが見た「停滞するアジア」は、21世紀情報革命下で「興隆するアジア」へと逆転変容するのである。

その意味で、21世紀情報革命が、興隆するアジアを生み出し、もう一つの資本主義を生み出して、世界資本主義を蘇生させている。

そのアジア経済一体化が、東アジア地域統合の動きをつくり、それを加速させていく。その先に私たちは、欧州統合とは違ったかたちで進展する地域統合の現在を見ることができる。

結びに

紙数が尽きたので、興隆するアジアについてのさらなる議論は、他日を待ちたいと思う。ただ最後に、こうした21世紀日本とアジアにとって最大の課題を、アジア地域統合と東アジア共同体に据えて、いま「国際アジア共同体学会」が多様な研究啓蒙活動を進めていることを、本誌読者諸氏にお伝えしておきたい。

学会活動の実際について、ぜひHPをご参照ください。特に本年度から年4回、季刊誌『グローバルアジア・レヴュー』を、学会会員向けに発刊しております。すでに、夏号、秋号が発刊され、第三号(冬号)準備中です。日本とアジアと世界が直面している多様な問題を、政治経済領域から、歴史文芸領域に至るまで、多彩な執筆陣による論戦が展開されていますので、ぜひこの機会に入会をお勧めいたします。

また学会は、一般社団法人アジア連合大学院(GAIA)機構(2014年6月設立)と協力し、同機構下のシンクタンク「グローバルアジア連合研究院」との連携をはかり、東アジア地域統合の構築推進に向け、活発な研究啓蒙活動を進めています。 

本誌編集委員の住沢博紀先生には学会理事として、学会設立当初から御協力いただいております。本誌読者の方も、ぜひご入会の機を得られることおすすめし、筆をおきます。

しんどう・えいいち

筑波大学大学院名誉教授。国際アジア共同体学会会長。一般社団法人アジア連合大学院機構理事長。1939年北海道生まれ。法学博士(京大)。著書に『東アジア共同体をどうつくるか』(ちくま新書)『アジア力の世紀―どう生き抜くのか』、『アメリカ・黄昏の帝国』(ともに岩波新書)、『分割された領土』(岩波現代文庫)など多数。

特集・資本主義のゆくえ

ページの
トップへ