コラム/深層

コロナは社会のレントゲン

試される民主主義と「公共圏」の再構築

ジャーナリスト 西村 秀樹

新型コロナ感染者数1億人を突破

米国ジョンズ・ホプキンス大学が発表している世界各国・地域の新型コロナ感染者によると、2021年1月27日、総数が1億人を超えた。死者数も215万人を突破。 世界の人口はおよそ78億人、実に78人に1人が感染した勘定だ。数字の羅列を避けるが、国別で最多は米国(2500万人、死者数が42万人)。次がインド(1000万人と15万人)、以下ブラジル、ロシア、欧州各国と続く。ちなみに日本は37万人が感染、死者数5300人超(2021年1月28日朝日新聞)。感染症の特徴だが感染者数は倍々と増え、世界でワクチン摂取は開始されたものの未だに下降の兆しが見えない。

「台湾が世界最良」

新型コロナ対策で高い評価を受けているのが台湾だ。2019年末、中国・武漢で新型の肺炎が流行っているとの情報に基づいて、すぐに中国本土との航空便をシャットダウン。これが功を奏した。台湾中央感染症指揮センターが発表した数字は累計感染者数が893人(うち回復者が803人)、死者数が7人(2021年1月29日現在)。東京都だけで連日2000人を越す数字に慣れてきた身にとって、一年間で900人という数字に接すると、本来政府はこうであってほしいとため息がでる。

オーストラリアの感染症専門家のピーター・コリニョン国立大学医学部教授は、「主要国・地域COVID19伝染を社会の中で断ち続けることができたのは台湾だけ」と分析、台湾は「恐らく世界最良の結果を残した」と高く評価した。

オードリー・タンという台湾の担当大臣が一躍有名になった。1981年生まれの39歳。ちと太めの瓜実顔に肩まで掛かるロングヘヤー。幼い頃からパソコンに興味をもち、35歳の若さでデジタル担当閣僚に就任した(自らの性自認と外見が異なることを自覚、2005年トランスジェンダーとして男性をやめたと宣言した)。オードリー・タンはその優れたデジタル技術を利用して、街場のマスクがスムースに流通するように、うまくコントロールした。

中国本土の強権的な対応策ばかりでなく、国民からの信頼をバックに、国民が自発的な対応をする台湾での施策は改めておどろく。こうした社会の多様性を容認する台湾の民主主義と、科学を重視する政治の結果、今度の優れたコロナ対応が存在する。

ジョン・ポプキンス大学の発表する各国リストをつらつら眺めていると、人口比で感染者数を低く押さえているのは、ニュージーランドやアイスランドなどの島国、あるいは韓国がリストアップされる。ワクチン摂取率世界一はイスラエルだ。1月28日現在、イスラエルのそれは47.9%で、ファイザー社の本家英国の10.8%を大きく上回る(出典;Our World in Data)。

台湾、韓国、イスラエルに共通するのは、分断国家あるいは準戦時下という特殊事情だ。細菌兵器、生物テロまで突飛な論理まで飛躍しなくても、デジタルを利用して国民の健康状態を一元化するなど日ごろのデータ管理が、コロナ禍で持病持ちの高齢者を探し出しいち早くワクチン接種できる体制を担保する。

中国などの国家の統制が強い国は論外として、民主主義社会で市民の自発性と自由を担保しながら、感染症から社会総体を防御する方法とバランスは、これが正しいやり方だと解を提示することはなかなか難しい。それぞれの社会の「民度」(財務大臣麻生太郎の迷言を思い出すが)や「成熟度」から、それぞれの国や地域が正解を試行錯誤的に探し求めていくことしか、他に途はないように思う。

わが総理は

日本では総理大臣が安倍晋三から菅義偉に替わった(2020年9月)。安倍は7年余り、憲政史上最長の総理という記録を成し遂げた直後、「ポンポン痛い」と総理の座を投げ出した。衆議院調査局の調べによれば、安倍晋三が「桜を見る会」問題で虚偽答弁した回数は一年間で118回に登るという。

替わって総理になった菅義偉は、携帯電話の値下げ、デジタル庁の設立などのテーマを掲げた。これまでのイデオロギー重視の安倍政権と異なり現実主義。菅政権の支持率は発足当初65%と、高い数字でスタートした。世襲ではなく苦学生というPRの結果かといぶかるうち、それからわずか四か月、菅内閣への支持率は半減した。支持が33%、不支持は46%と支持率を大きく上回った(朝日新聞、1月25日付)。

支持率急落の原因はずばりコロナ対策の遅れ。設問「菅首相は新型コロナウィルス対策で指導力を発揮していると思いますか?」。評価する人が25%。一方評価しないが63%。実に2.5倍。コロナ対応に正否によって菅内閣の評価が決定的になった。「短期政権」との外野の声が響く。観光業界のドン、二階自民党幹事長への忖度が「Go To トラベル」キャンペーンの施策をなかなか中止できなかった原因だと多くの識者は分析する。

「医療崩壊」

21年新年を迎え三週目、ようやく始まった通常国会で、菅が謝罪に追い込まれた。衆議院の予算委員会で、立憲民主党の辻元清美が新型コロナの医療体制逼迫(ひっぱく)に関して、菅に「政治によって救える命が救えなかったかもしれない。『公助』で救えなかった責任を感じているか」とするどく迫った。

これに菅は「責任者としてたいへん申し訳ない」と珍しく謝罪。「必要な医療を提供する体制ができていない。国民が不安を感じている」と対応の不備を認めた。新聞各社で支持率の急速な下落が総理の低姿勢に影響を与えている。

日本政府は二度目の緊急事態宣言を1月7日に発令。しかしSOSを要請した患者を救急車で病院に運ぼうとしても、どの病院もコロナの陽性を疑い、患者が病院に入院するまでに数時間待たされる「搬送困難者」や、自宅療養者の容体が急変し「孤独死」する高齢者が続出した。この状態を「医療崩壊」と言わずして何と表現しようか。

11年ぶりに自殺者急増、特に女性

新型コロナはグローバル化した21世紀の世界をあっと言う間に直撃した。ちょうど人間をレントゲン写真で撮影すると骨折箇所や炎症の場所が目視できるのと同様、新型コロナは現代日本社会の病理を見事にあぶり出した。コロナは社会のレントゲンなのだ。コロナのダメージは社会的弱者といわれる人たちに集中した。女性、非正規雇用、職業別では医療関係者、清掃業者、葬儀業者、飲食業などサービス業者だ。

厚生労働省は、警察庁の統計に基づく2020年の自殺者数(速報値)を発表した(1月22日)。自殺者は2万919人と、前年に比べ750人(3.7%)増えた。リーマンショック直後以来11年ぶりの増加。特に、女性の自殺者数が6976人と2年ぶりに増えたのが特徴的。20年4月安倍晋三が突然「全国の小中学校の休校」を宣言した途端、幼い子どもを抱えた女性たちは子育てのためパートタイマーなど非正規雇用の職場への通勤停止を余儀なくされ、収入の途を絶たれた。

コロナが映し出した日本社会の弱点は、「公共圏」とりわけ医療対策のひ弱さだ。

でもちょっと待って、日本の医療水準は世界でも最高水準ではなかったのではないか。例えば平均余命。男性81歳、女性87歳と世界でもトップレベル。「大腸ガン患者の術後5年生存率」「乳がん患者の術後5年生存率」も世界のトップレベル。国民皆保険は、英国、ドイツ、フランスと並び、米国でオバマケア(オバマ大統領時代、国民の健康保険制度をめぐって共和党員が「まるで社会主義だ」と非難、なかなか成立しなかった)騒ぎを、わたしたちはなんて野蛮な国と見下げていたことを思い出す。人口10万人あたりの病床数もだんとつに世界一だった、はずだ。

にもかかわらず、なぜ「救急搬送困難者」や自宅療養中に「孤独死」する高齢者が続出するのか。結局、平時の医療制度には有効でも、戦時の対応力が希薄だった。

日本のコロナ対策目詰まりの象徴が、保健所だ。PCR検査や陽性患者の収容先の段取りからワクチン接種の段取りまで、保健所職員の勤務状態は軒並み過労死レベルだという。コロナ患者急増に対し、保健所の対応がまったく追いついていないのは明らかだ。

解体された「公共圏」の再構築を

大学で「感染症と人権」をテーマに授業をした。イントロダクションとして、映画『砂の器』(1974年)を見せた。松本清張原作、橋本忍・山田洋次脚本、野村芳太郎監督。殺人事件の犯人捜しを軸に、ハンセン病への差別を描く日本の映画史を飾る社会派の名作だ。

学生に見せたのは、緒形拳演じる田舎の巡査が、小さな男の子を連れたハンセン病患者を「保護」するシーン。当時の感染症への法律にしたがってハンセン病患者の父親は収容所に送られ、幼い男の子は父親とむりやり別離を余儀なくされる、その別離シーンが親子の情感あふれ、見る者の涙をさそう。

学生に伝えたかったのは、戦前、感染症対策を警察官が担った事実だ。本来被害者である感染症患者の人権を守る観点よりも、社会を感染症から守るという社会防衛という名目が重視され警察の強制力が全面にでた。日中戦争の時期(1937年)保健所法ができ、翌年、内務省から厚生省が分離された。保健所数の推移を調べると、全国で849か所(1989年)から2020年には469か所とこの30年間で半減した。

背景には「民でできることは民で、官から民へ」という新自由主義政策の導入がある。

18世紀英国の経済学の創始者アダム・スミス「自由放任主義」によって花開いた資本主義は、やがて貧困労働者を数多く生み出した。貧困格差が拡大する。空想的社会主義やドイツ革命の影響の下、第一次大戦後、例えば生活保護制度など生存権・社会権をヴァイマール憲法が制定した。ところがこの民主的なヴァイマール体制をヒトラー率いるナチス党は政権樹立によって否定した。

第二次大戦で英国はヒトラーナチスと戦う理念として福祉国家建設を国民に約束、戦後「ゆりかごから墓場まで」の福祉国家をつくる。しかしこの20世紀福祉国家でスタグフレーション(不況下の物価上昇インフレ)現象が起きる。その打開策として英国首相サッチャーが導入したのが、新自由主義政策だった。「公共圏」を否定し、鉄道や炭鉱をどんどん民営化し、規制を緩和していった。

サッチャーにちなみサッチャーイズム、米国にわたってレーガノミクスとよばれたこの政策は、別名、市場経済原理主義ともいう。マーケットが価格を決める。日本では中曽根民活によって国鉄や電電公社が民営化され、小泉純一郎が郵便事業を民営化、労働法制の規制緩和など安部、菅へと引き継がれる。

こうした民営化の結果、人口の少ないJR北海道やJR四国は経営が困難になり路線をつぎつぎに廃線にし、地域住民の交通の便がどんどんなくなる一方で、東海道新幹線をかかえるJR東海は黒字が積み上がるという偏在がでる。

あるいは例えば夜行バスが値下げ競争の結果、運転手は連日仮眠だけで過酷な勤務を続け、交通事故をおこし、スキー場に向かう乗客たち多数が亡くなるという安全策を無視した価格競争が行われた。

安全とカネを天秤にかけてはいけない。公共交通機関には乗務員の勤務時間を担保・規制する公共圏が必要なのだ。

しかし、規制緩和や値下げ競争激化の結果、21世紀の社会は、グローバル化とあいまって、格差が拡がった。世界上位わずか62人の大金持ちの資産総和(一人あたり3兆円)と、世界の下位半分36億人の資産総和(一人あたり5万円)がイコールという極端な二極分化になっている。例えばマイクロソフト創業者ビル・ゲイツの資産約9兆1千億円など(出典:国際貧困支援NGO「オックスファム」2016年)。

本来、国家は税金の徴収によって所得を再配分し格差を是正するのが役割のはずだが、21世紀型の先進資本主義諸国はむしろ金持ちへの累進課税や法人税を優遇し、貧富の格差を拡大する間違った政策をとる。結果、中間層がやせ細り、将来を絶望する貧困層が出現する。

米国大統領選挙で若者たちは、バーニー・サンダース候補が主張する大学の奨学金の棒引き政策など、北ヨーロッパ型社会民主主義に近い経済政策を支持している。そうした新しい社会運動が燃えさかる背景には、貧困の格差拡大によって若者たちの未来が奪われている結果がある。その新自由主義に輪をかけたのが、新型コロナ禍だ。社会的弱者にダメージが集中する。

経済学者・宇沢弘文の教え

資本主義は資本というお金の自己増殖運動だ。自らの利益になることならば何にでも手を出すが、逆に利益にならないことからはさっさと手を引く。こうした市場経済原理主義の結果、日本では保健所はまるで社会の厄介者あつかいで半減した。平常時なら社会の病理が表立たなかったが、コロナというレントゲン写真の撮影装置によって社会の弱点が露わになった。

今すべきことは、人びとが永年かけて築いてきた「公共圏」の再構築だ。問題は、新自由主義から「公共圏」再構築へと導く人びとの動機付けだ。

地球環境問題を市場原理主義に委ねてはいけない。これが経済学者宇沢弘文の主張だ。宇沢は「社会的共通資本」という概念を提示する。「社会的共通資本とは、私たちの暮らしに欠かせない大気・水・森林などの自然環境、教育、医療、金融などの制度、道路、上下水道、電力などのインフラ」のことを指す。宇沢は「これらを利益追求の対象として市場に委ねるのではなく、各分野の専門家が制度を整え、守っていくべきだ」と訴えた(『社会的共通資本』岩波新書)。

では、なぜそうならないのか。それは過去の経済学の落とし穴なのだろう。地球環境が侵されたときの被害金額などという面倒なことをそれまでの経済学はカウントできなかったのだ(否、正しい日本語を使えば、被害金額を算出するという意思がハナからなかった)。

原子力発電のコスト計算には、人間では手に負えない放射能汚染の被害額を含んではいない。結局、原子力発電は原子力保険制度といって国家がいざとなれば面倒をみるという、資本主義ならぬ国家資本主義というやり方を前提にしている。こうして電力会社は原発に乗り出した。親方日の丸の国家丸抱えながら、地域独占で競争相手の出現しない電力会社が国策に沿って原子力発電をつぎつぎに導入した結果が、2011年3月11日のエフイチ(東京電力福島第一原子力発電所)のメルトダウン事故だった。水俣病もしかり。見るも無惨。被害は悲惨。

ウィルスというのは生物と無生物の間の自然だ、と生物学者福岡伸一が教えてくれた(『生物と無生物のあいだ』講談社現代新書)。感染症は、エボラ出血熱とか現代的だと考えたら大間違い。ちょっと考えてみれば判ることだが、人類と感染症は、人類が栽培作物と接点をもった1万数千年前以来の古くからのなじみの間柄なのだ。穀物を貯蔵する倉庫の創出がネズミと人類の接点の始まりであり、ネズミを宿主とするペスト(黒死病)はそうした農業の開始とウラオモテの関係なんだと、改めて、新型コロナは教えてくれた。

コロナは社会のレントゲン。エッセンシャルワーカーという言葉ははじめ耳慣れなかったけれど、実はわたしたちの暮らしの基礎を支える労働者を、市場経済原理主義者が如何にないがしろにしてきたかを教えてくれた。わたしが1970年代大学で経済学をまなんだとき、最初に釘をさされたのは「クールヘッド・ウォームハート(Cool Head but Warm Heart)」という英国の経済学者マーシャルの言葉だった。社会がかかえるさまざまな課題を解決するのに、冷静な頭脳と暖かい心は不可欠だ。市場経済原理主義では解決にならない。新型コロナ問題とは感染症だけの問題ではない。社会のかたちが問われたのだ。民主主義と「公共圏」の再構築が求められている。

わたしは、40年ぶりに活字が大きくなり出版された宇沢弘文著『自動車の社会的費用』(岩波新書)をノートとりながら、今改めて読み返している。   (文中敬称略)

にしむら・ひでき

1951年名古屋生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、毎日放送で放送記者。近畿大学人権問題研究所客員教授を経て、現在、同志社大学嘱託講師、立命館大学嘱託講師。著作に『北朝鮮抑留』(岩波現代文庫)、『大阪で闘った朝鮮戦争』(岩波書店)、『朝鮮戦争に「参戦」した日本』(三一書房、2019.6)ほか。

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