この一冊

『国際人権法-現場から考える』(申惠丰著/岩波新書/2020.8/800円+税)

国際人権法は市民生活にとってこそ重要

聖心女子大学専任講師 佐々木 亮

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『国際人権法-現場から考える』(申惠丰著/岩波新書/2020.8/800円+税)

申惠丰『国際人権法-現場から考える』(岩波新書、2020年)は、国際人権法の研究者として、『人権条約上の国家の義務』(日本評論社、1999年)、『国際人権法-国際基準のダイナミズムと国内法との協調』(第2版、信山社、2016年)等の専門書・体系書を刊行してきた申惠丰氏による初めての一般向け新書である。申惠丰氏による一般向け書籍としては、『友達を助けるための国際人権法』(影書房、2020年)に続く2冊目となる。本書は、以下に示す通り、序章とそれに続く4つの章から成り立っている。

 序章  国際人権基準とそのシステム

 第1章 「不法滞在の外国人」には人権はないのか―入管収容施設の外国人

 第2章 人種差別・ヘイトスピーチ―差別を「禁止」する法の役割

 第3章 女性差別の撤廃と性暴力

 第4章 学ぶ権利実現のための措置を取る国の義務―社会権規約の観点から

◇   ◇   ◇

本書を貫く問題意識は、日本に起きている様々な人権問題が、日本の憲法・法令のみに照らして考えれば良い「国内問題」ではなく、日本が守るべき基準としての国際人権法に照らして考えなければならない「国際人権」問題だという点にある(はしがき、iv-v頁)。

一般的な国際人権法の概説書・体系書と異なる本書の大きな特徴として、人権条約等で定められる国際人権基準や各国にそれを遵守させるためのシステムに関する説明を序章に凝縮し、紙幅の大部分を日本国内で現に起きている人権問題の検討に充てている点が挙げられる。

序章に続く第1章から4章では、それぞれ、入管施設に収容されている外国人や技能実習生にも保障されるべき権利(1章)、人々を人種差別から保護し、ヘイトスピーチを根絶する国の義務(2章)、配偶者暴力(DV)や強制性交等から女性を保護する国の義務(3章)、教育に十分な予算を支出し、学ぶ権利を実現するための措置をとる国の義務(4章)のように、現代日本が直面する人権問題を取り上げながら、日本が締約国として遵守すべき諸条約(市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)、経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)、人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約のような中核的人権条約や難民条約)や諸外国の立法例等に照らした考察がなされている。

以下では、部分的に内容を紹介しながら、本書の特徴を3点に分けて指摘したい。

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1点目として、現代日本で生じている具体的な問題に向き合う際の国際人権法の「活かし方」を伝えることに主眼が置かれている点を挙げたい。実例を示しながら、人権問題を国内法のみに照らして検討したのでは、「人権」保障の点から見て、いかに不十分であるかを鋭く指摘する。

例えば、第1章で取り上げられている外国人の人権については、憲法学の概説書で、マクリーン事件最高裁判決(1978年)を引用しながら、「性質上日本国民のみに保障されると解されるものを除いて外国人にも憲法上の人権は等しく保障される」(いわゆる権利性質説)と説かれることが多い。本書は、「通説」の紹介にとどまることなく、マクリーン判決が含む問題点、すなわち、「外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、[…] 外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎない」として、外国人は入管法に基づいて在留を認められて初めて、基本的人権が保障されるかのように解している点を指摘し、国際人権法に照らした検討へと論を進めていく(44-46頁)。

市民的及び政治的権利に関する国際規約(自由権規約)2条1項の「領域内にあり、かつ、管轄の下にあるすべての個人に対し […] この規約において認められる権利を尊重し及び確保する」という文言に照らせば、日本人か外国人かを問わず、また、在留資格の有無とは無関係に、自由権規約上の権利が保障され、人道的かつ人間としての尊厳を尊重された扱いがなされなければならない。日本は、自由権規約の締約国として、同規約の内容を国内で実現する義務を負っており、しかも、条約である自由権規約は、法律に優位する。

他にも、第4章では、上がり続ける学費や「奨学金」という名の学資ローン、国立大学の学費減免枠の削減など、高等教育に関する問題が取り上げられている。教育をめぐる様々な問題の中でも、学費や奨学金のように、制度に関する側面は、政策決定の問題として大局的な見地から論じられ、日本社会では、個別の事情を理由として、個人がそれに異を唱えることを控えたり、「わがまま」だと決めつけたりする風潮がないとはいえない。

しかし、やはり日本も締約国になっている経済的・社会的及び文化的権利に関する国際規約(社会権規約)によれば、初等・中等教育だけでなく、高等教育についても、「無償教育の漸進的な導入により」(13条2項c)、能力に応じ、全ての者に機会が与えられるようにしなければならない。義務教育にあたる初等及び前期中等教育のみを無償とし、それ以降の教育は、それを利用できる人だけが費用を負担して受ければ良いのではなく、全ての人にとって利用可能とすべく、必要な措置を取らなければならない。しかも、実現すべき個人の権利に対応して、それを実現する国家の義務が観念されるのであって、政治的指針にとどまるものではない(142~147頁)。

日本の憲法判例上、社会権については、いわゆるプログラム規定説により、司法過程を通じた個別の救済が事実上不可能なほど、国家の裁量が広く解されており、「単なる努力義務ではない」法的義務としての社会権の実現を考えるうえで欠かすことのできない法的ツールを国際人権法は提供していることがよく分かる。

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2点目として、情報の新しさを挙げたい。本書の中で紹介されているニュースの中で最新のものは、刊行日の2020年8月20日の約2ヵ月前、6月10日のNHKニュース「解雇や雇い止め 非正規雇用で働く人が六割占める新型コロナ」である(156頁)。これ以外にも、ヘイトスピーチを禁止し、全国で初めて刑事罰についても定めた神奈川県川崎市の条例の成立(2019年12月、105頁)、「強制性交等罪」を創設した2017年の刑法改正(124頁)など、記憶に留めている方も少なくないだろう。

これらは、新型コロナの影響で失業した人の多くが非正規雇用だった、ヘイトスピーチに対して刑事罰を科す条例が制定された、刑法が改正されたという事実関係だけを見れば、十分なわけでは決してない。いずれも、社会権規約や人種差別撤廃条約、女性差別撤廃条約などの国際人権条約によって課せられた義務を日本がしっかり履行しているかどうかが問われる事例である。本書の副題 -現場から考える- が示す通り、本書は現代日本で実際に起きている人権問題に光を当てるものである。本書がまだ「新しい」うちに、多くの方に手に取って頂きたい。

ここまで、実践的観点から見た本書の意義を述べてきたが、3点目として、国際人権法の教科書としても、非常に使いやすいことを挙げたい。本書では、世界人権宣言や国際人権規約に関すること、国連人権理事会の活動など、いわゆる概説書に書かれるべき内容が、序章に凝縮されており、国際人権法の教科書の多くと比較して、その分量は少ない。しかし、このことは、本書が国際人権法の入門書として不十分なことを意味しない。むしろ、国際人権法に馴染みのなかった方が最初に読むものとしては、お勧めしたい。

国連人権理事会の機能(13-21頁)、中核的人権条約(core human rights treaties)と呼ばれる、最も主要だとされる人権諸条約とそれらを諸国に履行させるための手続(21-26頁)と日本にとっての意義(26-32頁)、日本国内における人権条約の位置付け(34-37頁)と、国際人権法の全体像を見渡すのに十分な情報が網羅されている。

最後に、本書は、法学や人権論を専攻する学生・大学院生、研究者、法曹関係者、あるいは、組織内のハラスメント相談員など、日常的に国際人権法と接点のある方だけでなく、国際人権法を身近なものと感じていてはいない方にこそ、できるだけ早く手に取って頂きたい。本書を手にした誰もが、4つの章で事例として取り上げられている人権問題と、決して無関係ではないはずだ。

ささき・りょう

青森県八戸市出身。東京外国語大学外国語学部ロシア・東欧課程ポーランド語専攻卒業、英国ヨーク大学ロースクール国際人権法修士(LL.M.)課程修了、中央大学大学院法学研究科博士前期・後期課程修了、博士(法学)。島根大学国際交流センター特任講師等を経て、現在、聖心女子大学現代教養学部国際交流学科専任講師。専門は、国際法・国際人権法。主要著作に、「ヨーロッパ人権条約における差別事由の階層化ー人種差別禁止に関するコンセンサスの形成と評価の余地の縮減」北村泰三・西海真樹(編著)『文化多様性と国際法-人権と開発を視点として』(中央大学出版部、2017)、「教育における差別の禁止と立証責任:D.H.ほか判決」小畑郁ほか(編)『ヨーロッパ人権裁判所の判例II』(信山社、2019年)、「人種・民族差別の禁止と国際人権基準―多文化共生社会における差別禁止原則の意義」(中央大学大学院法学研究科博士学位論文、2019年)など。

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