特集● 新自由主義からの訣別を   

温室効果ガスネットゼロ宣言の課題は何か

『気候危機とコロナ禍 ~緑の復興から脱炭素社会へ』を上梓して

京都大学名誉教授・地球環境戦略研究機関シニアフェロー 松下 和夫

新型コロナウイルスと気候変動問題は、人類の生存に関わり国際社会が協調して取り組むべき喫緊の課題である。いずれの問題も経済のグローバリゼーションと都市集中が深く関わっている。今後パンデミックが起こりにくく、気候危機を回避できるような経済社会への早期移行が必要だ。そして「グリーンリカバリー(緑の復興)」の実施、すなわちコロナ禍不況からの経済復興対策を脱炭素社会の実現に向けた契機とすべきである。

こうしたことをテーマとし、拙著『気候危機とコロナ禍 ~緑の復興から脱炭素社会へ』を上梓した。本稿では拙著の内容を紹介するとともに、2020年10月の菅首相による「2050年温室効果ガスネットゼロ宣言」を巡る諸課題を論ずる。

グリーンディールと緑の復興

すでに欧州連合(EU)は2019年12月に成長戦略としての「欧州グリーンディール」 を公表し、経済や生産・消費活動を地球と調和させ、温室効果ガス排出量の削減(2030年に55%削減、2050年に実質排出ゼロ)に努め、雇用創出とイノベーション促進を目指している。EUは、脱炭素社会(ゼロエミッション)への移行を国家発展戦略の核として位置づけている。

そして2020年7月には次世代EU復興基金の設立に合意し、通常予算とは別に7500億ユーロ(約92兆円)を市場から調達することとしている。2021~2027年のEU次期7カ年中期予算案(約1兆743億ユーロ)と合わせると過去最大の1兆8千億ユーロの規模となる。これらのうち少なくとも30%は、再生可能エネルギー、省エネ、水素などクリーンエネルギーへの資金提供、電気自動車の販売やインフラ支援などの気候変動対策に充てられることになる。

中国の習近平国家主席は2020年9月の国連総会で、二酸化炭素排出量を2030年までに減少に転じさせ、2060年までにネットゼロにする炭素中立、脱炭素社会の実現を目指す、と表明した。

米国ではバイデン新大統領の下で、パリ協定への復帰が行われ、気候変動に関する選挙公約(①2050年までに経済全体で温室効果ガスのネットゼロ排出、②持続可能なインフラとクリーンエネルギーに4年間で2兆ドルの投資、③温室効果ガスの排出規制とインセンティブの再強化、そして2035年までに発電分野からの温室効果ガス排出をゼロにする、④環境正義実現、など)の実現が順次図られようとしている。

韓国では2020年7月、ポストコロナ経済再建計画として環境分野での雇用創出などを目指し114兆1000億ウォン(946億ドル)を投じる「韓国版グリーンニューディール」が公表され、同年10月28日には文大統領が国会施政演説で、「国際社会とともに気候変動に積極的に対応し、2050年にカーボンニュートラルを目指したい」、と宣言した。

菅首相の2050年温室効果ガスネットゼロ宣言

日本でも菅首相が2020年10月の所信表明演説で、「2050年までに、温室効果ガスの排出を全体としてゼロにする(カーボンニュートラル)、脱炭素社会の実現を目指す」と宣言した。そして「もはや、温暖化への対応は経済成長の制約ではない。積極的に温暖化対策を行うことが、産業構造や経済社会の変革をもたらし、大きな成長につながるという発想の転換が必要」と訴え、革新的イノベーションに加えて、規制改革、グリーン投資の普及などを掲げ、環境関係のデジタル化にも言及した。

遅まきではあるが、日本政府がようやくパリ協定実現に必要な長期目標を掲げたことは画期的であり、コロナ禍と脱炭素社会への移行を同時に目指す取り組みは待ったなしである。

日本は気候変動による影響が著しく、コロナ危機による経済的打撃も深刻だ。ただし経済復興策が、化石燃料集約型産業や航空業・観光業への支援などにとどまるならば、脱炭素社会への転換のための構造変化は期待できない。復興策は同時に脱炭素社会への移行と転換、そしてSDGsの実現にも寄与するものであるべきだ。

脱炭素社会移行の課題

コロナ禍からの緑の復興とそれを2050年温室効果ガス排出実質ゼロの社会への移行につなげるには、政策、技術、社会システム、ライフスタイルの抜本的転換が必要だ。グリーン投資普及、省エネ徹底、再生可能エネルギー最大限導入による安定的エネルギー供給の確立など日本社会の総力を挙げた取り組みが求められる。緑の復興策を実施し、それを脱炭素社会移行につなげることが将来世代への責任を果たすこととなる。そのためには、以下の課題への取り組みが必要である。

第1は、2050年に私たちはどのような社会を目指すのか、すなわち脱炭素社会ビジョンの明確化である。脱炭素社会の構築は、人々に我慢を強いるものではない。より豊かで夢のある私たちの望む日本の未来の姿を市民参加で作っていくことが重要だ。

第2は、自立・分散型の地域社会(地域循環共生圏)づくりの推進である。再生可能エネルギーなどの地域資源の活用、地産・地消、省エネ・省資源化を図り、より多くの雇用を地域で創出することを通じて、質の高い暮らしと人々の幸福に貢献する経済システムへの転換を図ること、そして最新の技術を活用した新たなワークスタイル・ライフスタイルの確立も期待される。

第3は、2030年までの温室効果ガス削減目標の強化(2030年までに1990年比で少なくとも45%削減)と再生可能エネルギーの目標の引き上げ(再生可能エネルギー電力目標として40-50%)である。

第4は、計画と規制による実効性あるガバナンスの強化である。具体的には地球温暖化対策計画及びエネルギー基本計画の統合的改定、炭素予算(カーボンバジェット)導入による温室効果ガス総排出量の段階的削減とそのモニタリングである。さらに再生可能エネルギー大幅拡大策として、再エネの優先給電や配電系統の強化、脱化石燃料策として石炭火力計画中止・既存石炭火力の段階的廃止の明確化も必要だ。

第5は、環境政策・経済成長政策としてのカーボン・プライシング(本格的炭素税等)の導入である。段階的に炭素価格が上昇することにより、技術革新や低炭素インフラの開発が促進され、ゼロ炭素ないし低炭素の財やサービスへの移行が早まり、経済全体として費用効果的なCO2排出削減が可能となる。また、カーボン・プライシングによって炭素生産性の向上と収益率の引き上げが同時に達成できることが理論的・実証的にも指摘されている。

すなわち、カーボン・プライシングにより、エネルギー汚染集約度の高い企業は炭素生産性を高めるか、事業からの撤退を迫られる。その結果、炭素集約的で低収益な事業から低炭素で高収益な事業への転換が促進され、低炭素な成長が促進される。

第6は、政策形成過程への参加型で熟議型プロセスの導入だ。現行の日本のエネルギー・環境政策決定プロセスは、国民参加や情報公開が不十分なまま、行政と一部産業界主導で政策や予算が決定され、決定内容が国民に一方的に伝えられる傾向が強い。このような政策決定プロセスの構造を改革し、日本版緑の復興と脱炭素社会への移行戦略は、民主的かつ透明なプロセスを経て形成・実施すべきである。

『気候危機とコロナ禍 ~緑の復興から脱炭素社会へ』の概要

本書は、コロナ禍から脱炭素で持続可能な社会への移行をテーマとしている。

第一部はコロナ禍からの経済復興を気候危機の克服とSDGsの達成に寄与する緑の復興とすべきことを論じている。2050年ネットゼロ達成には、2030年目標の引き上げ、石炭火力と原子力発電からの撤退、再生可能エネルギーの大幅拡大、カーボン・プライシング(本格的炭素税など)導入など課題が山積し、社会システム全体の転換が必要だ。それは、科学的知見に基づく民主的でオープンなプロセスで進められなければならない。

第二部は脱炭素で持続可能な社会へ移行のための新たな環境政策を国際的動向や議論の分析も踏まえて論じている。

パリ協定とSDGs とが示す新たな社会のビジョンはどのようなものだろうか。それは基本的人権に基づく社会的基盤の向上を図りながら、地球システムの境界の中で、貧困に終止符を打ち、自然資源の利用を持続可能な範囲に留め、環境的に安全で、地球上のすべての人々が例外なくその幸福(well being )の持続可能な向上が図られる社会と定義できるだろう。その前提として、自然環境・社会的インフラ・制度資本から構成される社会的共通資本が適正に維持されねばならないし、そのための新たなガバナンスや政策が求められるのである。

第三部は日本や世界各地への環境と文明を巡る筆者の思索と交流の旅、そして出会った人々や環境にかかわる様々な思いを記したものである。

第四部は「気候危機とSDGs に若者がとりくむことへの期待」と題したメッセージである。私たちの世代は次の世代によりよい未来を遺すことができるであろうか。改めて自問しながら本書を綴った。

『気候危機とコロナ禍 ~緑の復興から脱炭素社会へ』(松下和夫著/文化科学高等研究院出版局/2021.2/1300+税)

目 次:

第1部 「緑の復興」(グリーンリカバリー)から脱炭素社会へ

1.コロナ禍からネットゼロの世界へ:緑の復興から脱炭素社会へ

2.気候危機:日本は何をすべきか?

 

第2部 二十一世紀の新環境政策論

1.宇沢弘文教授の社会的共通資本論の意味

2.閉鎖系経済と持続可能な発展

3.エコロジカル経済と持続可能性の指標

4.持続可能な発展のための環境政策

5.「カーボン・プライシング(炭素の価格付け)」を考える

6.ドイツのエネルギー転換

7.石炭からの撤退を先導する英国の気候変動政策

8.Society 5.0 は脱炭素社会に寄与できるか

9.SDGs 経営はビジネスを変えるか

10.気候正義とエコロジカルシチズンシップ

11.持続性と幸福の指標―ブータンのGNHを事例として

 

第3部 環境を巡る旅と随想

 

第4部 気候危機とSDGs に若者がとりくむことへの期待

まつした・かずお

1948年生まれ。京都大学名誉教授、(公財)地球環境戦略研究機関(IGES)シニアフェロー、国際アジア共同体学会共同理事長、国際協力機構(JICA)環境ガイドライン異議申立審査役、日本GNH学会会長。環境庁(省)、OECD環境局、国連地球サミット等勤務。2001年から13年まで京都大学大学院地球環境学堂教授(地球環境政策論)。専門は持続可能な発展論、環境ガバナンス論、気候変動政策・生物多様性政策・地域環境政策など。主要著書に、『地球環境学への旅』(文化科学高等研究院)、『環境政策学のすすめ』(丸善)、『環境ガバナンス』(岩波書店)、『環境政治入門』(平凡社)など。

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