特集 ● 混迷に"当たり前"を

「中道」敗退、 答えは「左」の再建(その1)

戦後の国民的希求「平和とよりよき生活」も問い直そう

大阪公立大学人権問題研究センター特別研究員 水野 博達

はじめにー中道敗退が意味する危機の深淵

本年2月の第51回衆議院選挙で中道改革連合の惨憺たる敗北は何を意味するか。本誌「現代の理論」デジタル版、44・冬号及び45・春号で、幾つかの視点で論じて来た。

44号で希望的な予測として論じた中道改革連合の解体・分党は、9月16日に現実のものとなった。公明党系28人は全員公明党に復党し、立憲民主党系は、「民主改革の会」を結成して「中道」から離党の受け皿とすることにした。この「受け皿」に参加しない議員も生まれ、また、落選した議員の動きもバラバラで統一性は全くない。「中道」の解体・分党が、立憲系の政治集団としての分散化・分党化に繋がっており、筆者の希望的な予測を遥かに超えて悲惨な現実が露わになっている。

小川淳也(旧中道改革連合代表であり、民主改革の会の代表)が、「中道プロジェクトの第2章の幕開けへと歩みを進めていく」と語っているが、まるで夢の中の絵空言の様な響きだ。立憲民主党内外で、政権奪取を目指した「中道構想」について思想的・論理的総括ができていない、できなかったことの現れである。

問題は、単に立憲民主党の解体的危機ではない。本誌45号で取り上げた加藤陽子が『時代が地滑り的に動くとき』(「世界」2026年5月号)で述べた「ナショナル・スイング」という政治現象である。すなわち、これまでの政治・経済・文化を含めた国民意識の大きな転換点となる政治変動について、認識を我々が持てるかどうかということが問われている。それは、1980年代からの「リベラル」の中味が問われただけでなく、戦後の国民意識総体が問い直されている事態であると筆者は考えている。

今回は、その手始めとして、立憲民主党立ち上げの先頭に立った枝野幸男の『枝野ビジョン 支え合う日本』(文春新書・2021年5月)と『再出発』(青春新書・2026年9月)を取り上げて、検討を始めることにする。

第51回衆院選―自民圧勝は、立憲系の壊滅的敗退の結果

本年2月の衆議院選挙で、自民党は125議席を加え316議席と圧勝。単独で議席の3分の2を越える議席を獲得した。マスコミでは、「高市旋風」と報道されたが、冷静に議席の動きを見れば、岸田政権下の2021年の第49回衆議院選挙時の小選挙区では、約2763万票に比べて16万票積み増したに過ぎない。にもかかわらず、岸田政権下での獲得議席261議席で、今回に高市政権下では316議席と大きな開きが生まれた。

衆議院小選挙区では、一人しか当選できない。野党多党化時代の下では、野党第1党といえども候補者の得票が数パーセント下落しただけで、落選となる。選挙直前に、公明党と急いで結成した「中道改革連合」への支持は高まらず、立憲民主支持票の多くは、中道には集まらなかった。その結果、旧立憲民主党系議席の127議席減に対して、自民党が125議席を積増す結果となった。つまり、立憲民主党系の敗退によって自民党の圧勝となったのである。

枝野は、彼の著書『再出発』の「はじめに」で、こう述べている。選挙戦の初日から最終日まで、「今回は明らかに違う」と違和感がついて回った。「『違和感』の正体は他でもない、中道改革連合そのものの中にありました。」「なぜ立憲民主党と公明党が突然合流し、この新しい器を作らねばならなかったのか・・・その大義名分を有権者に説明しなければなりませんでした。・・・不信感の霧を最後まで晴らすことができませんでした。」「日頃から支えてくださる支援者の皆さんは、・・・それなりに耳を傾けて理解しようとしてくれました。」しかし、「私たちの熱は、最初に触れた人のところでピタリと止まってしまいました。周囲へ広がっていかなかったのです」と。

枝野は、『再出発』の中で「自民党が圧勝したのではなく、私たちが惨敗したのです」とは語っている。この認識も正しい。

しかし、惨敗した選挙の結果がもたらした日本の政治の危機については、きちんと語っていない。落選から数カ月が経ち「衝撃を持って感じたこと。それは、『国会という場所は、これほどまでに国民の日々の暮らしから遠い世界だったのか』という断絶の感覚でした」と。隠遁者の様な感想を述べている。

前掲の論考で加藤陽子も指摘しているが、衆議院議席の3分の2を得たことにより、自民党は単独で議会を秘密会としたり(憲法第4章、第57条)、議員を除名したり(第58条)、参議院で否決された法案を衆議院で再可決して法律の制定ができる(第59条)という、いわば独裁的な国政運営を合法的に進めることを可能にする。「国論を二分するような政策を前に進める」と豪語する高市政権ならやり兼ねない民主主義の危機が深まっている。この危機については、枝野は語らない。

彼は、<「国会の外」に出てみて初めて見えてきたこと>の節で、「国会という場所は、国民の日々の暮らしから遠い世界」だという。落選し、地元に帰って感じる彼の現在地(埼玉5区)の意識であろう。

率直に言って、枝野が著書『再出発』で語る全体のトーンと内容は、自分に向かって語っているようで、敗北を噛みしめ再起を期す勇気を人々に感じさせるものとはなっていない。筆者は、枝野が感じた人々の「日常生活世界」と国家の在り様を競う「政治の世界」との遠くてズレた関係をどう見るかについては、別途検討することを約束しておく。

中道~右でも左でもない真ん中?(野田)/保守でありリベラルである?(枝野)

そもそも、枝野は、「中道構想」のプロジェクトそのものに対する評価をキチンと述べていない。中道改革連合での選挙敗北について「『いくら何でも、時間がない中で無理をしすぎた』その一言に尽きます」と述べるだけで、総括になっていない。

中道改革連合結成を推進した野田元立憲民主党代表は、右でも左でもなく真ん中に中道の大きな塊を結集する、と力説していた。筆者は、本誌44号で、公明党の「中道」とは、そもそも政治概念ではなく、人のより良い生き方を示す宗教的概念であること。野田の【1(立憲)+1(公明)=(中道)>2】の希望の計算式は虚妄であったと述べておいた。そして、創価学会とその下で出発した公明党が、戦後、都市に移住して来た地方出身者や生活困難者などを構成員として組織し、成長を遂げた。その後、両組織の構成員の生活水準の多様化、高学歴化や高齢化などの変化に伴い組織活動が停滞するなどしている「現在地」を明らかにした。組織の構成員とその家族の日常生活における現世利益を守り確保するために、彼らは地方議会に進出して、自民党の地方議員や地域の保守層、行政関係者と関係を深めた。両党は、政策形成で役割分担をし、相互依存関係を作り上げたことも論じた。

「中道改革連合」は、両党の政治理念からも、また、組織の歴史と政治的活動の目的及び地域での利害関係の蓄積などの相違があり、両党は退潮傾向を克服し、政権獲得に近づく布石にすることも、しょせん無理筋であったのだ。

ところで、枝野は、『再出発』の第5章の「私が果たすべき役割」の節で述べている。

とにかく「大きな塊」で自民党を倒し、政権交代を実現できれば良いという考え方は、有権者から求められていません。
 何のために政権交代を目指すのか。何が自民党とは違うのか。特に、今の政権の何が間違っていると考え、改めようとしているか。そのことを明確にして力強く訴えない限り、国民の期待は得られません。
 政策・理念や組織体質の違いを、無理やりまとめて「大きな塊」を作ろうとすれば、どうしても角が取れた当たり障りのないものになりがちです。それでは、自民党との違いを出せず、違わないのなら今のままで良いと受け止められる。これらがここ15年ほどの状況です。
 私は、「エッジを立てろ」という言い方で、このことを強く訴えてきました。
   (中略)
 「大きな塊」を目指した中道改革連合が、国民の理解を得られなかったことは、選挙結果から明らかです。あらためて「エッジを立てる」ことが大事になっています。

第5章に繋がる第4章の最後で、枝野は、こうも述べている。

「野党が批判しなくて、いったい誰がこの国の権力をチェックするのか」という、この当たり前の原理原則(軸)に、私はどこまでも忠実でありたい。
 この国を再び「多様な価値を認め合い、互いに支え合う社会で、人間を中心に置いた経済」へと変えるために、私はこの「闘う軸」をさらに徹底して貫き、自らの役割を果たしていく決意を持ち続けています。

枝野の「エッジを立てろ」という主張や闘う決意については、ここでは批判を挟まない。大切なのは、政治家たちのチーム(集団)にとって、重要なのは「『何のために集まり、どんな社会を作るかというミッション(軸)を持っているのか』という一点に尽きる」と言っている。『再出発』では、そのミッションらしきことについては、「多様な価値を認め合い、互いに支え合う社会で、人間を中心に置いた経済」としか述べられていない。2021年5月出版の『枝野ビジョン 支え合う日本』をベースに、彼の目指すべき政治の中味を検証する以外にない。

日本文化のベースに「八百万の神」と水田稲作/村落共同体が…

『枝野ビジョン 支え合う日本』の「はじめに」で、枝野は、こう述べている。

この間、私は、立憲民主党や私自身が訴えて来た「自民党政権にかわる新しい社会のかたち」が、有権者の皆さんになかなかうまく伝わらないもどかしさを感じてきた。
 2017年の衆院選挙で、私は「右でも左でもなく、前へ!」と訴えた。それ以前からも一貫して、自分の立場について「『保守』であり『リベラル』」だと説明してきた。

野田が主張した「右でも左でもなく真ん中の中道」と、枝野の言う「右でも左でもなく、前へ!」とは、どう違うのか、はっきりしない。

戦後の55年体制の与野党の対立は「右」「左」で表現された。55年体制が崩壊した現在では、これがそのまま「保守」と「リベラル」という言葉に置き換えられているこの常識に異を唱えるべく、あえてこうした言葉遣いをしているのだ、と枝野は、言う。(頁5)

第1章「『リベラル』な日本を『保守』する」で、枝野は、立憲民主党結成の際、「立憲民主党こそ保守本流の政党だ」と繰り返した、と述べている。第1章は、いわば枝野の戦後政治の概括とでも言う章だ。第2章が、立憲民主党結成への過程を描き、その後の第3章から第11章の「地に着いた外交・安全保障」までの各章で、立憲民主党の政権構想や新しい党綱領のベースになっている考え方を述べている。

第1章は、また、彼のビジョンを貫く政治哲学を述べた章でもある。この章を読めば、各章で語られる政策を越えた彼の政治思想・理論の基本が浮き彫りになり、彼がどの様な人々に依拠して政治の展望を描いているかがわかる。別な言い方をすると、彼の描く政治の階級的性格を明らかにできるのである。

さて、一般に、「保守」主義について「歴史や伝統などを大事にして、急激な改革を否定するという精神や運動であるとされる」が、枝野は、「『保守』という言葉は、このような意味で用いる」(頁25)としている。

枝野は、第1章の「2『寛容と多様性』の日本」で、日本は、キリスト教やイスラム教などの一神教をベースにした社会ではなく、古来「八百万の神」の多神教をベースにした社会である。だから、「一つの価値を絶対視するよりも、異なる価値に寛容な多様性のある社会を伝統としてきた」と。さらには、こうも言っている。「理性によって理想の社会像を作り上げ、その実現のために邁進する」という革新的な考え方は、本来の『保守』から見れば『人間の本性に反している』」と。 

寛容が生み出した日本文化の価値は、仏教をも「八百万の神」と融合させ、日本独自の文化の基礎としていると。そして「日本社会のもう一つの特徴は、水田稲作を軸とした農耕社会を基本として社会を積み重ねてきたことにある」と述べている。

狩猟や牧畜が大きなウエイトを占めてきた大陸国家などと違い、水田稲作は、「天皇による祭祀を含め、歴史的、伝統的な祭祀などの多くが米や稲作と結びついてきたことにも象徴されている」と述べ、水田稲作は、強いリーダーシップや自由競争よりも、合意形成や支え合い、助け合いが重視される。(下線は、筆者)その象徴が水の管理である、と。「支え合い」と「助け合い」を重視し、村落共同体を構成して、河川という水資源を共有財産として管理してきた、と。

ここで枝野が述べている日本の歴史と文化の独自な特徴は、日本が欧米列強と肩を並べた帝国主義国家へと飛躍せんとする時代に、西洋とは異なる日本の特異性を「発掘」しようとした民俗学や「日本主義」の思潮、そして、海軍とも結びついた「京都学派」の思想・理論との近さに驚かされる。

各地の人々の生活と自然と結びついたアニミズム的な信仰を「八百万の神」と称し、それらの「神々」を天皇の祭祀の下に序列化し、神話を日本の歴史として教え、「日本は神国」だとする天皇制絶対主義を築き上げてきた。その明治以来の日本の負の歴史への言及は一つもない。大いに異を唱えなければならないのに、いったい、これはどうしたことか!

また、村落共同体によって河川という水資源を共有財産として管理してきたというのも、一面的な近世の評価ではないか。織田信長・豊臣秀吉や徳川家康らが、農村や堺などの「自由都市」をどのように制圧したのか。農民や僧侶、商人などが地域から領主勢力を排除し、武装して自治的に支配した一向宗やその他の寺社勢力とのし烈な闘いなくしてなし得なかった。刀狩(=農民や寺社、自由都市の武装解除)と検地(徴税システムの整備)、そして、キリシタンの弾圧と宗門改め等による寺社勢力の体制内化など、武力を背景にして江戸幕府体制が確立されたのである。また、大規模な水資源・河川管理は、村落共同体の能力を超えており、加藤清正の熊本藩における治水事業や幕府による江戸の水道整備や大規模な利根川や荒川などの河川付け替えなどに代表される治水事業が、幕藩体制の下で展開された。また、農村では、庄屋などの村の長の体制の下に、自治的な「支え合い」と「助け合い」は、年貢を確実に収めさせるシステムとして機能させられたのである。

枝野は、戦後保守支配の深部を「見ない」ことにしている

枝野は、第2次安倍政権以降、自民党は、「集団的自衛権をめぐる憲法解釈」等の国会議論で、「しばしば『選挙で多数の民意を得た政権が、民意に従って政策推進を強行することの、何が悪いのか』という傲慢な」姿勢が(頁41.42)見られるようになったとして、こう呼びかける。(頁48)

「私は保守だから自民党支持」と考えている国民の皆さんに、本当に今の自民党が、あなたがシンパシーを感じる本来の「保守」政党であるのかどうかを問い直してほしい。

枝野は、戦後の日本で、「保守」と称する勢力が圧倒的な長期にわたって多数派を占める中で、国際主義路線と必要最小限の軽武装路線が継続したのは、憲法9条の有無にかかわらず、それが日本の歴史と伝統を踏まえたものだったと考えるべきではないか(頁36)と、言う。さらに枝野は言う。「吉田に源流を持つ『保守』本流の自民党は、なぜ『一億総中流』を実現できたのか。それは、戦後復興や高度経済成長を実現したことに加え、その成長の実現によって社会保険を充実させ、格差拡大防止と是正を推進してきたからだ」(頁38)と。

さらに続けて言う。「日本で、『保守』対『リベラル』という政治の対立軸が生まれなかったのは、我が国の歴史と伝統の中で育まれた『リベラル』な姿勢こそ、『保守』すべきものであるという日本人の感性を、自民党が体現してきたことが背景にある」と。(頁41) 

はたして、それらは、日本の歴史と伝統を踏まえたからだったのか。
 戦後すぐに始まった米ソの体制間対立が厳しい中で、日本だけでなく多くの資本主義国では、独占資本の利害だけをゴリ押しするのではなく、労働者階級や農民などの権利を尊重し、社会民主主義的な要求や権利を受け入れながら、資本主義体制の安定と経済成長を実現する協調路線を取らざるを得なかったのだ。各国で、ケインズ主義的経済・財政政策に基づいた「福祉国家」路線が、1970年初頭のオイルショックまで続いたことによると見るのが、正しい見方であろう。その後、英国のサッチャー首相の登場を皮切りに、新自由主義への転換が、各国で進んだ。

枝野は、日本社会が歴史的に積み上げて来た「文化」は、自由競争よりも、合意形成や支え合い、助け合いを重視するという特徴をもち、急激な改革を好まないという「保守」的な基調が優勢である、と見ている。安倍政権などの新自由主義勢力の政治姿勢は、本来の「保守」から外れていると訴えることで、「保守本流の政党である立憲民主党への支持を獲得する」と考えたのであろうか。

しかし、戦後の自民党政治に対する枝野の評価は、一面的な過大評価である。冒頭で紹介した「立憲民主党や私自身が訴えて来た『自民党政権にかわる新しい社会のかたち』が、有権者の皆さんになかなかうまく伝わらないもどかしさを感じてきた」という彼のボヤキは、人々が感じていた当時の日本の政治状況に切り込んで、日本の政治の混迷した現実を言い当てていないからなのである。

筆者から言えば、戦後日本の支配構造の深部に組み込まれていながら、政治の課題として取り上げられ、公に議論の対象にされることが乏しい問題を、枝野は語ることをスルーしている。ここでは4つだけ示しておくことにする。

第1は、敗戦からの再出発に当たって、天皇の戦争責任が問われなかった。GHQは、対ソ連・極東戦略を踏まえた日本占領政策に天皇制の存在を利用したことである。
 天皇制の擁護は、日本の保守勢力の最も核心的な課題として引き続き生き続けている。

第2は、あの侵略戦争の責任は、軍部と一部の軍国主義政治家のみにあるとされ、日本国民は、戦争の被害者に仕立てあげられるストーリーによって、アジア諸民族への侵略の責任を問われなかった。沖縄・台湾・朝鮮・中国をはじめとするアジアに対する差別・排外主義の再発の温床になっている。

第3に、皇統に属する男系男子が継承することになっている天皇制の存在は、女性差別をはじめ血統や社会的身分による差別・排外主義を再生産する温床として、今も機能している。

第4に、上記のことと関連して、戦後日本国民が希求してきた「平和」の中味をアジアの人々との歴史的関係を踏まえて考え直すことや「より良き生活」とは何であるのかを世界の貧富の格差や尊厳ある生活のあり方の問題として議論されることである。

左右両極の対立は、ポスト・グローバリズム時代の特性

今日、アメリカのトランプ大統領の「アメリカ第1主義」により、世界は、地政学的にも不安定で、動揺が激しい。世界各地で社会の分断が強まり、拡大している。先進資本主義国のアメリカやヨーロッパでは、経済的・政治的・文化的な差異と格差が、人々の許容限度を超え、対立と分断が急速に広がっている。左右両極の対立は、和解できないほど深刻だ。これまで政治支配の中枢にあった政治勢力が、左右両翼から攻勢され、政権の位置から転落の危機に脅かされている。

戦後長きにわたって政治の中心を占めていた政治勢力・政党は、右からも左からも、エスタブリッシュメント・既得権益層として怒りの対象になっている。これまで政権の位置にあった政治勢力は、1980年代以降、資本主義の行き詰まり(長期的なスタグフレーション、経済的成長率と資本の収益率の下落)から脱し、資本主義の蘇生を賭けて、「万人の万人による競争」を地球の隅々まで組織する新自由主義・グローバリズムの政策を推進してきた勢力だ。左右両極の対立が社会の分断を引き起こしているように見えるが、実際は、富裕層への富の極端な集中により、経済的・政治的・文化的な格差と対立を引き起こしているのは、ほかならぬ新自由主義・グローバリズムなのである。

「右」の極は、どの国でも外国人労働者の排除・排斥を叫び、社会を排外主義の色に染め上げる活動に勤しんでいる。「左」の極は、アメリカの民主社会主義勢力が鮮明であるが、ほんの一握りの富裕層が国の富を独占していると批判し、富裕層への課税強化や労働者や低所得者の権利の拡大と誇りをもって生きていく社会主義的政策の実現を求めており、学生・青年層の支持を集め始めている。

本誌45号「大澤は言う、『リベラル』が高市をえらんだ?」の末尾で、ナンシー・フレイザーが1997年に出版した『中断された正義』を取り上げた。ベルリンの壁が崩壊した後、新自由主義が世界を跋扈し始めると、政治・思想・言論界では、社会主義は終わったとばかりに「配分から承認」へのシフトが起こった。彼女は、その傾向に異議を唱え「ゴールは、もう一つの『ポスト社会主義』的な道を開くことである」と主張した。こうしたナンシーの異議申し立ては、今、アメリカの民主社会主義者達の中で息づき、従来の民主党主流派を押しのけ始めている。

このアメリカの民主社会主義と対比すると、日本の「リベラル」(民主党⇒立憲民主党)は、アイデンティティ・ポリティクスも不鮮明であったし、保守層を取り込むことを考えてか、「保守」であり、「リベラル」である、などとまで言い出す始末であった。

『枝野ビジョン』の第11章『地に足の着いた外交・安全保障』で、枝野はこう述べている。

短期的な外交・安全保障政策について、政権を競い合う主要政党間における中心的な対立軸にすべきでないと考える。
 外交・安全保障政策は、わが国の独自の判断や意思とは関わりのない、他の主権国家の意思や行動によって決定的な制約を受けるという特殊性を持つ点で、他の政策分野と根本的に異なる。(頁238)
 外交・安全保障政策を真摯に考えれば、短期的に示し得る選択肢は、一見すると大きな違いにはならない。(中略)「健全な日米同盟を軸に」とその基本方針を明記しており…。

日本は、他の主権国家の意思や行動によって決定的な制約を受けるので、基本方針は「健全な日米同盟を軸に」だという。これでは、アメリカをはじめに大国に物申すことのできない現状追認の没主体的な外交政策で良いと言っているのと同じだ。

『再出発』と『枝野ビジョン』双方の著書を貫いて読み取れる枝野の政治的立ち位置は、「働いても生活が楽にならない」、「未来がみえない」と人生を諦めさせられている人々から遠い位置にある。その政策は、政権を取って「上から」改革に取り組むことを想定した議会主義政党の政策である。労働者や市民が政治改革の主体・原動力となれるように共に立ち上がるという熱意に欠けているのだ。

世界の分断と危機は、今日、戦争や異常気象、物価高騰や失業、災害や病魔などによって至る所に現れている。人々の日々の生活の中から湧き上がる怒りや闘いへの熱意を呼び覚まさせることができない政治は、右からも左からも「エスタブリッシュメント・既得権益層」だと見なされて、凋落の道を歩まざるを得ない。

立憲民主党は、公明党と「中道改革連合」を組んで臨んだ選挙で、壊滅的な敗北を喫することになった。「中道」を解散し、「受け皿」として立ち上げた「民主改革の会」は、朝日新聞の世論調査では、「期待しない」は70%、「期待する」は18%という結果であった。まさに、日本の「リベラル」は消滅の危機を迎えた。再生の道は、社会民主主義的な左翼政治の理論・政策、活動の一からの建設である。

みずの・ひろみち

名古屋市出身。関西学院大学文学部退学。労組書記、団体職員、フリーランスのルポライター、部落解放同盟矢田支部書記などを経験。その後、社会福祉法人の設立にかかわり、特別養護老人ホームの施設長など福祉事業に従事。また、大阪市立大学大学院創造都市研究科を1期生として修了。2009年4月同大学院特任准教授。2019年3月退職。大阪の小規模福祉施設や中国南京市の高齢者福祉事業との連携・交流事業を推進。また、2012年に「橋下現象」研究会を仲間と立ち上げた。著書に『介護保険と階層化・格差化する高齢者─人は生きてきたようにしか死ねないのか』(明石書店)。

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