特集 ● 混迷に"当たり前"を

ヨーロッパからみた歴史的転換期のトランプ

ボワイエ『トランプ主義』から日本の市民へのメッセージ

横浜国立大学名誉教授 植村 博恭

1.はじめに:ロベール・ボワイエと『現代の理論』をつなぐ希望と連帯

今年は、トランプについて書かれた本が、数多く出版されている。日本の市民は、トランプのもとで世界秩序がどう動いていくのか、とても心配になっているが、なかなか見通しがたっていない。高関税、パナマ運河やグリーンランドへの帝国主義的発言、そしてイランとの戦争、と次々に驚愕するニュースが飛び込んでくる。こうしたなかで、ヨーロッパの専門家からのメッセージは、われわれ日本の市民が将来を展望するうえで、示唆に富むものといえよう。すでに、この『現代の理論』の誌上では、イエンス・ガイアー「EUと欧州議会・ホルムズ海峡危機・ドイツ政治・グローバル進歩連合の結集(上)」(聞き手:住沢博紀)『現代の理論』第45号、2026年が掲載されている。

いま同様にヨーロッパから日本の市民へのメッセージとして、ロベール・ボワイエ『トランプ主義:歴史的大転換の起源と帰結』(植村博恭・山田鋭夫・平野泰朗・横田宏樹訳)藤原書店、2026年(Boyer, R. (2026) L’époque de tous les dangers: Causes et conséquences du trumpisme, La Découverte)が出版された。この本は、20世紀後半から21世紀にかけて、世界経済をリアルタイムで分析し、そして世界にむかって希望をもったメッセージを発信し続けてきたフランスのロベール・ボワイエが渾身の力をこめて緊急出版したものである。本稿では、翻訳者の一人としてこのボワイエの最新書を紹介し、その含意をさらに発展させることで、日本の市民一人ひとりが将来の国際秩序を展望するための基礎を共有したいと思う。

ロベール・ボワイエと筆者

ボワイエは、日本でもよく知られた経済学者で、フランスの制度派経済学であるレギュラシオン学派の理論的リーダーである(注1)。彼は、もともとフランス社会党系の経済学者だったので、この『現代の理論』にこれまで直接登場しなかったのが不思議なくらいである。彼は、1990年代初頭に欧州委員会委員長ジャック・ドロールの提唱した「社会的ヨーロッパ」のプロジェクトを支え、1993年のマーストリヒト条約による単一通貨ユーロ導入の決定、そして2009年のリスボン条約による社会的包摂の実現をめざす発展の提唱、これら欧州統合の前進とともに歩んできた。

そうした長い歴史のなかで、例えば、ユーロ危機に対する緊急提言もおこない、ロベール・ボワイエ『ユーロ危機―欧州統合の歴史と政策』(山田鋭夫・植村博恭訳、藤原書店、2013年)も出版されている。さらに一昨年には、『欧州連合―革新か消滅か』(Boyer, R. (2024) L’Union Européenne: Innover Ou Disparaître, Classiques Garnier)を出版し、欧州統合がかかえる構造的困難とそれを乗り越える将来的展望を与えている。このようなボワイエが、いまトランプ主義に直面する日本の市民に希望あるメッセージを送っているのである。

2.国際政治経済の歴史的大転換のなかでトランプ主義は出現した

トランプ主義の出現は、アメリカ国内の政治状況の変化のみが原因なのではない。その背後には世界の政治経済システムの歴史的大転換がある。第二次世界大戦後、何度か大きな転換点があった。第一の大転換は、1971年のニクソン・ショックで金・ドル交換停止が宣言され、それに引き続いてブレトンウッズ体制が終焉し変動為替相場制へと移行したことである。当時、第二次『現代の理論』でもこの大問題を積極的に議論していて、例えば、長洲一二・富塚文太郎・井汲卓一(1971)「世界資本主義の論理と国際通貨危機」『現代の理論』(第二次)第91号があげられる。そこでは、ブレトンウッズ体制崩壊の歴史的意味が検討されていたのである(注2)。

第二の大転換は、1991年のソ連崩壊と冷戦の終結である。その後の世界では、国際金融の支配力が強まることを梃にアメリカの経済覇権が再構築された。そして、今回は第三番目の歴史的大転換であり、アメリカの経済覇権の衰退と中国の台頭が進み、さらにアメリカ国内やその他の国々で民主主義が侵食されつつある。20世紀末以降、世界システムにおける経済と政治のあり方自体が大きく変化しているのであり、グローバルな金融市場による各国経済への支配が強まり、しかも情報技術やAI(人工知能)の強力な世界的システムが形成されつつある。

ボワイエは、こうした世界の政治経済システムの歴史的大転換のなかで生じている重要な事態は、所得と富の創出の仕方において重大な変化が起こっていることだと指摘している。20世紀中葉は、まさにレギュラシオン理論が「フォーディズム」と命名した大量生産・大量消費の時代であり、製造業の生産活動による「価値創造」の論理が経済成長と所得分配の動態を規定していた。そこでは、先進国においてケインズ主義的福祉国家も発展したのである。しかし、21世紀に入ると、さまざまな形態での「収奪」こそが、所得と富の重要な源泉となり、そのことによって格差が急速に拡大し、社会の分断が強まっていると、ボワイエは指摘している。この流れは次第に強化され、金融市場においては、一般大衆がリスクを評価できない複雑な金融派生商品を通じて最も情報を持つアクターが金融的レントを吸い上げるという「収奪」の形態が定着した。

また、国際貿易と技術革新の進展は国単位の生産システムの解体と国際的な融合を進め、グローバル・バリューチェーンが形成されている。そこでは国際的生産による付加価値創造の論理は作用しているものの、世界市場で独占力を持つ大企業だけがイノベーションから得られる準レント(すなわち超過利潤)を取得し、付加価値を吸い上げる構造を作りあげつつある。AI(人工知能)による深層学習や強化学習は知的財産権の制約を突破して大量の情報を収集し処理することで経済価値を生み出している。トランプ政権下のアメリカは、天然資源を囲い込みつつ、天然ガスや原油の純輸出国として資源採掘から生じる資源レントを目当てに帝国主義的政策を推し進めている。自動車を含む様々な製造業製品の電子機器化に必要となっているレアアースなどの天然資源の開発と囲い込みの戦略は、気候変動や生物多様性の喪失を加速させ、世界の持続的成長を不可能なものとしつつある。これにより生じる緊張と矛盾は、新たな紛争や戦争の火種を内包しているのである。

このような世界のなかで、富の領有それ自身によって収益を手に入れるシステムを、ボワイエは「レント依存型体制」と呼んでいる。それは政治の領域にも影響を与え、富を領有し、そこから得られるレントを我がものとする者が、最終的に権力を掌握する現実を、トランプ政権は示しているのである。

このような現在の世界においては、特に情報技術とAI(人工知能)の急激な発展がもたらした3つの極、すなわちアメリカ、中国、欧州連合(EU)という極が存在しているとボワイエは言う。アメリカでは、ITプラットフォームによる収奪と金銭的利害による政治の誘導が進んでいる。しかし、そのアメリカの製造業自体は衰退傾向にある。中国では、政府が個人情報を掌握し、国民に対する完全監視システムとAI(人工知能)の政治利用が進んでいる。欧州連合(EU)では、民主主義を維持しているものの、独自のIT産業の基盤が作れず、産業空洞化の危機と社会保障の弱体化に直面している。それが、ポピュリズムを生み出す土壌となっている。いま、中国は他の2つの極に対して、急速にその経済力を強めているのであり、それに伴ってアメリカは経済覇権を失いつつあるのである。実際、図1で示されているように、世界の総輸出に占めるアメリカと中国の輸出の比率は、大きく逆転していることが確認できる。

図1 製造業製品の世界総輸出に占める主要輸出国の割合

     出典:ボワイエ『トランプ主義』グラフ4-4

 

 

しかもこうした動きとともに、各国の国内においては、民主主義自体が浸食されつつあることに、ボワイエは強く警鐘を鳴らしている。20世紀中葉の先進諸国においては成長と分配の好循環が成立し、資本主義と民主主義とのあいだには租税と公共支出のバランスを伴ってある種の補完性が成り立っていた。アメリカにおいては、あのアメリカン・デモクラシーの時代であり、ヨーロッパにおいては福祉国家が実現した時代である。しかし、現在の世界においては、資源や金融のレント依存型の国々では、しばしば国家が民主的な意思決定ぬきで直接に様々なレント収入を領有できるため、権威主義や独裁が生まれやすいものとなっている。資源獲得が外交の主軸になると、多国間協調は放棄され、トランプ流の二国間交渉へと置き換わっていくのである。アメリカはこれまでその覇権を支えた「ソフトパワー」や「条約の尊重」を捨て、欧州の極右政党を支持し、独裁政権を公然と称賛するようになってきた。このようななかで、世界の民主主義は困難に直面している。図2は、世界におけるリベラル民主主義国の比率の低下傾向という深刻な問題を示している。

図2 民主主義体制の数の推移

     出典:ボワイエ『トランプ主義』グラフ5-1

 

 

3.トランプの権力構造の本質と政策的な矛盾

ボワイエがその著書『トランプ主義』をとおしてわれわれに強調しているのは、冷静にトランプ主義の本質を見定める必要があるということである。トランプの権力獲得はアメリカ社会の様々な要因が重なり合って実現した。トランプは、一方で金融市場から得られる収益とITプラットフォームから得られる準レントによって巨額の富を獲得した大富豪から強い支持を受け、他方で産業衰退のなかで不安を抱える労働者たちをも巧みに支持者とし、権力を獲得した。さらに、トランプの背後には、アメリカ独特の宗教的な支持もあると言われている。

彼は、大統領選挙に勝利すると、自らに絶対的な権力が託されたと信じ、あらゆる制度的制約や伝統的な法制度を無視して行動している。国家機構や独立機関における反対派を抑え込み、メディアをも支配をしようとしている。また、SNSを利用して「オルタナティブ・ファクト」を撒き散らし、反対派の声をかき消してきた。こうしたかたちで大統領と国民が直接的につながっているという錯覚を作り出したことで、従来の代表制民主主義の信用を失墜させているのである。さらに、自身の意思決定を阻止しようとした者たちへの復讐をも進めた結果、司法省は独立性を失い、共和党が多数派を占める議会は沈黙を余儀なくされた。

アメリカの憲法的及び法制度的秩序を転覆することは、第二期トランプ政権の中心目標となっている。連邦議会はトランプの特権的に法秩序を侵害する措置を次々と容認し、実質的に機能不全に陥っている。トランプは連邦準備制度理事会(FRB)のパウエル議長を罷免でもって脅し、自身を風刺するテレビ司会者の解雇を要求するなど、政府機関やメディアへの攻撃を激化させた。アメリカが独裁国家へと向かう可能性はもはや否定できず、国防省を「戦争省」へと改称してトランプ体制の反対者を弾圧する恐れすら生じている。

ボワイエは、こうした状況のなかで進められているトランプの主要な政策が矛盾する内容を持っている点を強く指摘している。 

第1に、世界中を相手にした高率の保護関税である。これは、アメリカ国内の製造業の再生、財政赤字削減、敵対的な外国政府への脅迫という機能を同時に果たすものと想定されている。しかし、関税コストを実際に負担するのはアメリカの輸入業者や消費者であり、アメリカの人びとの生活水準の低下を招くのは、必至である。また、輸入中間財の価格も上昇し、製造業の企業にとってはコスト高となって、産業の再生の展望も疑わしい。

第2に、外国人労働者の大幅な削減と移民の強制送還である。これは、トランプ支持者の外国人嫌悪に応える政治的キャンペーンであるが、すでに多くの移民を社会と経済に受け入れてきたアメリカにとって、この政策は現実性に乏しく、トランプに投票した貧困層の人々の生活を混乱させることにもなりかねない。

第3に、大幅な金融規制緩和と社会保障の劣化の問題がある。金融規制緩和政策は、金融市場における投機的活動によるリスクを増大させ、金融危機の火種を膨らませており、また、国家財政のリスクの増大と公的債務の拡大がもたらされている。AIバブルの投機の瓦解、非公開債券市場におけるバブル崩壊、暗号資産の拡大とその価値の乱高下といったことが当然予想される。こうしたなかで、インフレも加速し、それによって社会保障が劣化することが当然予想されるのである。

第4に、トランプの外交政策に関しては、「力による外交」が国際関係を不安定化させることが予想される。トランプは、全世界がアメリカを搾取しており、欧州連合(EU)もそのために作られたと言い、またドル体制が世界によるアメリカからの収奪に貢献しているという誤った見方をも示している。しかし、歴史的証拠が示す通り、国際通貨としてのドルの特権やアメリカのルールの海外適用は、長年アメリカの経済覇権を維持してきた有効な道具であった、とボワイエは指摘する。トランプの誤認に基づく関税政策は、企業の投資や事業立地に不確実なものとし、世界からの信頼を失っている。トランプは多国間協定を拒絶し、それをアメリカに圧倒的に有利な「二国間の力関係による協定」へ置き換えようとしている。しかし、これは保護主義のスパイラルを加速させ、貿易摩擦、経済不況、金融の不安定化、そして破滅的な戦争のリスクをもたらしている。まさに、彼はグリーンランドの領有を口にし、さらにイラン戦争を起こしているのである。

しかし、冷静にアメリカ国内をみれば、トランプに対する抵抗勢力がまったくいなくなったわけではないこともわかる。まず、長年にわたってアメリカ民主主義を支えた法秩序の面では、「法の支配」の回復の兆しもある。トランプの不法な意思決定に対し、多くの地方裁判所がその決定を非合法と判断し始めている。また、連邦最高裁判所は、関税体制の大幅変更は議会の権限であるとして、トランプの「相互関税」に対して憲法違反の判決を下した。連邦議会による異議申立ても進んでいる。民主党だけでなく、共和党内からも少数ながらトランプへの不同意を表明する者が現れ始めている。

さらに、アメリカの市民社会の活動も持続しており、アメリカにおいてリベラリズムを民主主義的に再生させようという動きは決してなくなってはいない。この動きの重要性は、ロベール・ボワイエの友人であるサミュエル・ボウルズも強く指摘している(Bowles 2016, 2017)。数百万人のアメリカ人がトランプに反対するデモ(「No Kingsデモ」など)を行い、補欠選挙で民主党が優勢となり、さらに、低所得者に対してセーフティーネットを提供することをもって自らを「民主的社会主義者」と呼ぶマムダニ市長をニューヨーク市民は選んだ。しかし、いまアメリカは自らの経済覇権の衰退に直面しており、かつてのように民主党を中心とする大連合が形成されうるのか、あるいは政治的分断がさらに加速化するのかは定かではない。われわれとしては、政治的分断が取り返しのつかない事態を引き起こすことが危惧される。

4.ボワイエが示唆する欧州連合(EU)のトランプ主義に対する対抗戦略

では、欧州連合(EU)の対応は、どのようなものであろうか。ロベール・ボワイエ『トランプ主義』の最大の魅力は、まさにヨーロッパの観点からトランプ主義を総合的に分析し、欧州連合の対抗戦略を論じていることである。ボワイエは、ヨーロッパは、覚醒しつつあると言っている。この危機の中で、欧州連合はアメリカを同盟国ではなく敵対国と見なさざるを得ないという大きな衝撃を受けた。ロシアのプーチンは巧妙な外交戦略で欧州統合に否定的な政党を支援し、なんとアメリカも国際関係においての暴力行使を肯定する態度を示している。2025年を通じて欧州各国の政府はアメリカの急激な政策転換に驚愕したのである。不条理な高関税、NATOの安全保障に対する揺さぶり、ヴァンス副大統領とトランプ自身による欧州内部の極右政党への支持、さらにウクライナ交渉でのプーチンへの接近などまさに驚きの連続であった。

2025年に入ってからは、ヨーロッパは本気で対抗戦略を構築し始めたとボワイエは言う。トランプによるグリーンランド併合の意思表明に対し、欧州の指導者たちは一致して全面対決の方針を示し、領土の一体性を守るため軍隊を派遣することで合意した。この結果、トランプは計画を断念した。2025年7月の欧州議会では、フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長がスピーチを行い、極右勢力が歴史を書き換え、欧州連合(EU)を脅かしていると批判し、民主主義と連帯という共通価値を発展させようと呼びかけている。さらに2026年3月、スペインの中道左派のペドロ・サンチェス首相は、自国内の米軍基地からのイラン出撃を拒否し、イタリアのナショナリストのメローニ首相でさえ、トランプに対してはイラク戦争への加担を拒否したのである。

欧州連合(EU)は、次のような戦略を構築しつつあると、ボワイエは指摘している。まず第1に、ヨーロッパ独自の防衛システムを確立することが進められている。共通の安全保障政策を緻密に練り上げつつある。第2に、通商政策の面では、多国間主義を擁護し経済の開放性を維持しようとしている。トランプの経済ナショナリズムに対抗し、自由貿易協定交渉を発展させ、またカナダ、日本、韓国などとも連携しつつ多国間機関を守ろうとしている。さらに、フォン・デア・ライエン欧州委員会委員長が、カナダを欧州連合(EU)の準加盟国として迎えるとまで言うようになっている。第3に、産業の再構築を積極的に進めている。ドイツでは財政赤字を禁止する憲法条項を改正して公的債務を受け入れ、産業支援を強化している。これは、欧州連合レベルでの産業同盟を推進することへと発展している。第4に、欧州政治の中心的な人びとは、民主主義と連帯を重視し、福祉資本主義と政治的かつ社会的な民主主義の発展を希求し行動している(Boyer 2023)。欧州統合は、多くの構造的かつ制度的な課題が残されているとはいえ、それを乗り越える力がある(Boyer 2024)。これこそがトランプの帝国主義的な行動に対抗する根本的な対抗力である。表1は、近年の欧州連合(EU)及びヨーロッパ諸国による対抗措置を時系列で示したものである。

5.日本の市民一人ひとりが民主主義的な国際秩序を構想すべきときがきた

ヨーロッパの動向は、日本の市民一人ひとりがアメリカや中国が示しつつある脅威に対抗し、将来を展望するための重要な手がかりを与えている。日本では公的教育制度、医療保険制度、介護保険制度、年金制度、生活保護などの公的サポートが不十分ながらも制度化されており、この点ではヨーロッパの福祉国家と共通している。これは、日本国民が第二次世界大戦後、長年にわたって作り上げてきたものである。これに対して、金融支配型の新自由主義的資本主義は社会を分断し、アメリカにおいてはついにトランプ主義を台頭させる温床ともなった。日本の市民は、このことを強く自覚して日本の将来を決めていかなければなければならない。アメリカの覇権が衰退しつつあるグローバル経済のなかで、日本は経済と社会、そして国民の福祉を発展させなければならないのである。

アメリカは、すでに国際政治において信頼できるパートナーではなくなっている(注3)。このことをふまえ、ボワイエはわれわれ日本の市民に次のことを示唆している。国際的なトランプの脅威に対抗するため、日本、韓国、アジア諸国は、カナダのカーニー首相が提唱した「中規模民主主義国の同盟」を発展させることである(注4)。平和主義のもとで経済発展を達成した日本は、まさにこのような国際秩序の構築において中心となる国であるはずだ。また、欧州連合(EU)の研究開発プログラムへ非加盟国としての参加し、人間のためのAI(人工知能)の活用や持続可能な発展をともに目指すべきである。さらに長期的には、アメリカの強大な権力を相対化しつつ、新たな国際秩序を構築することが不可欠である。

そのための具体的方向性として、ボワイエは次の点を示唆している。当面は、事実上ドルが国際決済手段して使われるとしても、やがてドルは基軸通貨ではなくなる(注5)。したがって、長期的にはドルにかわる国際決済システムを構築することが必要となる。これは、かつてのケインズの夢を想起させることでもあるが、そのためにはしっかりとした国際機関を構築していくことが不可欠である。また、気候変動や生物多様性の喪失に対抗する国家戦略としてエコロジー会計をヨーロッパと連携をはかりつつ発展させることが示唆される。

さらに、アメリカが優位に立つ二国間主義を拒否し、世界に存在する地域間の自由貿易協定を発展させ、科学技術協力をも活発化させることを、ボワイエがわれわれに示唆している。これをうけて、日本はこれまで展開してきたグローバル・バリューチェーンに対応した広範な多国間協定を発展させていくことが望まれる。また、日本国内では食料自給率の向上も不可欠の課題である。そして、このような外交・通商戦略を実現するためには、さらに国際通貨体制、国際通商関係、国際司法などすべてにわたる国際機関の再構築と刷新が求められる。そして、平和と人権を大切にする市民のレベルでは、世界の多様な市民をつなぐ希望と連帯の運動を作り上げていかなければならない。本書で、ボワイエが繰り返しわれわれに投げかけているメッセージは、トランプ主義や世界的な権威主義の興隆と民主主義諸国の弱体化のなかで、いま世界にある民主主義的な国際秩序を守り発展させつつ、われわれの側から新しい現実的な世界を構築しようというものである。

 

(注1): レギュラシオン理論は、これまで山田鋭夫を中心に数多くの翻訳と紹介がなされてきた。また同時に40年にわたる国際共同研究も発展してきた。ボワイエによるレギュラシオン理論の体系的な説明はBoyer(1986, 2015)を、また山田鋭夫による理論的成果の整理は、山田(1991)を参照されたい。レギュラシオン理論に基づく国際共同研究の近年の成果としては、Boyer, Uemura, Yamada and Song(2018)などがある。第二次『現代の理論』は、長洲一二などを中心に構造改革論と市民社会論を統合するかたちで、現代資本主義を分析し政策提言を行ったが、レギュラシオン理論は、フランスにおいてアントニオ・グラムシの思想的影響のもとで同様の方向性をもった研究を展開したものである。当初日本でレギュラシオン理論を導入し発展させたのは、山田鋭夫、平田清明、岸本重陳、玉垣良典など第二次『現代の理論』で活躍した研究者たちであった。その意味でも、構造改革論・市民社会論とレギュラシオン理論との親和性は高い。

(注2): 第二次『現代の理論』第1号では、「特集:人類は戦争を駆逐しつつあるか」があり、長洲一二「世界市場構造と戦争」(長洲1964)という論文が掲載されている。このような過去の成果を思い出すと、今回のボワイエ『トランプ主義』が指摘している世界経済の覇権と戦争の問題は、古くて新しい問題であり、トランプの出現はその新段階といえよう。

(注3): 国際政治学者の藤原帰一は、次のように言っている。「トランプ政権は信頼できるパートナーではなく、何をするかわからない国際的なリスクとなった。欧州諸国ばかりでなく日本も、米国を信頼することができないという前提に立った国際関係の構築を強いられている」(藤原2025, p.21)。

(注4): 政治学者の三牧聖子も同様に、2026年1月のダボス会議でのカナダのマーク・カーニー首相の「ミドルパワーの結束」の発言に言及しつつ、日本の対米追随外交の限界を鋭く指摘している。

(注5): エコノミストの河野龍太郎は、アメリカが覇権国でなくなる世界経済において、真の問題は、アメリカがグローバル公共財を供給できなくなることで、これは国際政治学者ジョセフ・ナイが指摘した「キンドルバーガーの罠」であると指摘している(河野2026)。この認識は、ロベール・ボワイエと共通するものである。日本では、すでに飯田敬輔が『経済覇権のゆくえ:米中伯仲時代と日本の針路』(飯田 2013)のなかで、覇権国の衰退がもたらす世界的な不安定化と課題を予想していた。

 

参考文献リスト

Bowles, S. (2016) The Moral Economy: Why Good Incentives Are No Substitute for Good Citizens. Yale University Press. 植村博恭・磯谷明徳・遠山弘徳訳『モラル・エコノミー:インセンティブか善き市民か』ちくま学芸文庫、2024年。

Bowles, S. (2017) “The End of Liberalism,” The Boston Globe, June 19.

Boyer, R. (1986) La théorie de la régulation: Une analyse critique, 2e éd., La Découverte. 山田鋭夫訳『レギュラシオン理論―危機に挑む経済学』新版、藤原書店。

Boyer, R. (2015) Économie politique des capitalismes: Théorie de la régulation et des crises, La Décourvert. 山田鋭夫監修・原田裕治訳『資本主義の政治経済学:調整と危機の理論』藤原書店、2019年。

Boyer, R. (2023) L’économie sociale et solidaire: Une utopie réaliste pour le xxie siècle, Les petits martin. 山田鋭夫訳『自治と連帯のエコノミー』藤原書店、2023年。

Boyer, R. (2024) L’Union Européenne: Innover Ou Disparaître, Classiques Garnier.

Boyer, R. (2026) L’époque de tous les dangers: Causes et conséquences du trumpisme, La Découverte. 植村博恭・山田鋭夫・平野泰朗・横田宏樹訳『トランプ主義―歴史的大転換の起源と帰結』藤原書店、2026年。

Boyer, R., Uemura, H., Yamada, T. and Song, L.(eds.) (2018) Evolving Diversity and Interdependence of Capitalisms: Transformations of Regional Integration in Europe and Asia, Springer.

飯田敬輔(2013)『経済覇権のゆくえ:米中伯仲時代と日本の針路』中公新書。

イエンス・ガイアー(2026)「EUと欧州議会・ホルムズ海峡危機・ドイツ政治・グローバル進歩連合の結集(上)」(聞き手:住沢博紀)『現代の理論』第45号。

河野龍太郎(2026)「覇権国不在の世界経済のゆくえ:一九三〇年型の混乱が続くのか」三牧(2026)所収。

長洲一二(1964)「世界市場構造と戦争」『現代の理論』(第二次)第1号。

長洲一二・富塚文太郎・井汲卓一(1971)「世界資本主義の論理と国際通貨危機」『現代の理論』(第二次)第91号。

藤原帰一(2025)『世界の炎上:戦争・独裁・帝国』朝日新書。

三牧聖子編(2026)『「アメリカの戦争」と世界危機:イラン侵攻は何をもたらすか』岩波新書。

ロベール・ボワイエ(2013)『ユーロ危機:欧州統合の歴史と政策』(山田鋭夫・植村博恭訳)藤原書店。

山田鋭夫(1991)『レギュラシオン・アプロ―チ』藤原書店。

うえむら・ひろやす

1956年東京都生。横浜国立大学名誉教授。1986年一橋大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。専門は比較制度分析・マクロ経済分析。主要著書に『新版:社会経済システムの制度分析:マルクスとケインズを超えて』(共著:名古屋大学出版会, 2007年), Evolving Diversity and Interdependence of Capitalisms: Transformations of Regional Integration in EU and Asia (with R. Boyer et al.)(Springer, 2018). Japanese Institutionalist Post-Keynesians Revisited: Inheritance from Marx, Keynes and Institutionalism(Springer, 2023)など

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