特集●次の時代 次の思考 Ⅲ

沖縄知事選挙 翁長氏圧勝の深層

怒りの民意が地殻変動起こし10万票差

沖縄タイムス記者 知念 清張

沖縄の戦後史、政治の潮流が変わった瞬間だった。

11月16日午後8時前。支援者と多くの報道陣が詰めかけた那覇市内の翁長雄志氏(64)の選挙事務所。保守・革新の政治家が居並ぶ選挙事務所の最前列。後方の席では、米軍普天間飛行場(宜野湾市)の返還問題で移設先の名護市辺野古で反対運動の現場に立ちながら、選挙運動を草の根で支えた市民運動のメンバーも、開票の時を待っていた。

午後8時、投票が締め切られた直後に、テレビ各局が一斉に翁長雄志氏の「当確」を報じた。

沖縄の戦後史に、転換点が訪れた。2014年11月16日、保守・革新の対立を超え、「沖縄の誇り」「オール沖縄」を訴えた翁長雄志氏が知事に初当選を果たした(沖縄タイムス提供)

全国的な注目を集めた沖縄県知事選挙は、無所属の新人で前那覇市長の翁長氏が36万820票を獲得し、初当選を果たした。普天間飛行場の辺野古移設が最大の争点となった選挙戦で翁長氏は「辺野古新基地は絶対に造らせない」との立場を訴え、辺野古埋め立てを承認した現職仲井真弘多氏(75)=自民、次世代推薦=の26万1076票を9万9744票も上回った。

新人・無所属の元郵政民営化担当相の下地幹郎氏(53)は、県民投票による普天間問題の決着を掲げたが、6万9447票で広がりを欠いた。新人・無所属の前民主県連代表の喜納昌吉氏(66)は、承認の取り消しを主張したが、7821票で組織的な運動で他候補に差をつけられた。

投票率は64・13%で前回の60・88%を3・25ポイント上回った。翁長氏の得票は投票総数の51・22%を占める圧勝だった。

一番重視したのは基地問題

日米両政府が普天間返還に合意した1996年以降の5回の知事選挙で、辺野古移設反対を掲げる候補の当選は初めて。安倍政権は選挙結果を受けても移設作業を進める方針だが、翁長氏は「日本の民主主義のあり方が問われる」と政府に、地元の民意をくむよう求めた。

沖縄タイムスは社説(17日付)で「沖縄の人々が長い間、心の底にしまい込んでいた感情が、マグマとなって一気に地表に噴き出した。歴史的な選挙結果」と論じた。

保革双方から支持された翁長新知事の誕生は、沖縄の政治に新たな歴史を刻んだ。現職の仲井真氏に10万票の大差をつけての当選は、住民意識の変化という「地殻変動」が強固なものであったことを示す。

落選が決まり、支持者に頭を下げる仲井真弘多さん=2014年11月16日午後8時30分(沖縄タイムス提供)

保革の政治勢力が拮抗してきた沖縄で現職候補が敗れたケースで最も差がついたのは、政府の名護市沖への海上ヘリポート建設を拒否し3期目を目指した大田昌秀氏を「県政不況」というキャンペーンと政府との連携による経済振興を前面に訴えた稲嶺恵一氏が破った1998年の知事選挙だ。この時ですら票差が約3万7千票だったことを考えれば、10万票がいかに大差だったのかが分かる。

地殻変動を示す政治的な枠組みとしての大きな特徴は自民出身の翁長氏が保守・革新の枠組みを超えて、新県政が誕生したことで、稲嶺県政から続く16年の自公体制の県政が崩壊したことだ。これまで保守県政を支えてきた公明党県本は、辺野古の新基地建設に道を開く辺野古の埋め立て承認をしないよう求めてきたが、仲井真氏は事前の説明もなく、それを振り切り承認したことから、今回の知事選挙では「自主投票」としたのだ。

沖縄タイムスが投票日に実施した出口調査で公明支持層の60%は仲井真氏に投票する一方、翁長氏に投票した人も35%を占め、食い込んだ。自民支持層の68%が仲井真氏だったが、24%は翁長氏に流れた。翁長氏は無党派層の62%から支持を得た上に、社民党、沖縄社会大衆党、共産党など革新・中道政党の支持層も手堅くまとめた。

1月の名護市長選挙に続いて再び、「埋め立て承認・辺野古移設反対」の強固な民意が示されたのだ。それだけではない。同時に実施された移設先の名護市の県議補選でも、市長選挙で「移設賛成」を訴えて出馬し落選、返り咲きを狙った元職の末松文信氏(66)=自民=が、急きょ立候補した前共産市議の具志堅徹氏(75)に敗れた。賛成派の求心力の一層の低下は避けられない。新知事、名護市長、そして県議いずれも辺野古移設反対を訴え当選した。新たに示された名護市民の民意を含めて、「辺野古ノー」の選挙結果を、政府は重く受け止めるべきではないか。

翁長氏の知事選挙出馬に伴い、同時に実施された那覇市長選挙も、「オール沖縄」の旗を掲げ、翁長氏と完全セットで選挙戦を展開した前副市長の城間幹子氏(63)が、仲井真県政で副知事を務めた自民、公明推薦の与世田兼稔氏(64)に4万3千票余りの差をつけて、大勝した。

保革の枠を超えて集まった人々が、二大選挙の圧勝を勝ち取ったのだ。

沖縄タイムス社などが、知事選挙の告示前に実施した情勢調査と世論調査では昨年12月に仲井真知事の辺野古埋め立て承認に反対と答えた人が61・9%で、「賛成」の28・7%の倍以上を占めた。

得票する際、何を一番重視するかを尋ねる質問では「基地問題」が39・7%と最も多く、次いで「経済の活性化」が29%、「教育・子育て支援」13・2%と続いた。

過去4度の知事選の情勢調査では「経済振興」が「基地問題」を上回っていたが、今回は「基地問題」を重視する有権者が多くなっていた。

「基地か経済か」過去の議論に

翁長氏は「米軍基地は経済発展の最大の阻害要因」と繰り返し訴えた。基地を返還させ跡利用を図ることが、沖縄の自立につながる、との考え方が浸透していったのだ。

本土復帰前の沖縄の行政主席は、米国民政府により任命され、米軍基地の維持に理解のある保守系の政治家が担ってきた。県民の自治権拡大運動の成果として実施された1968年の「主席公選」以来、沖縄の知事選挙で常に問われてきたのが、「基地問題か経済振興か」をめぐる二者択一だった。

住民意識の変化を促した背景の一つに、沖縄経済における基地依存度の低下が挙げられる。県民所得に占める基地関連収入の割合は、復帰時(72年)の15%から現在は5%にまで低下している。

今回の選挙で最も象徴的だったのは、現職を支持してきた公明が離れた以上に、これまで移設容認の保守系候補を一貫して応援してきた経済界の一部も、新基地建設反対を訴えて、翁長氏支持にまわったことだ。

今年1月。新基地建設反対を掲げ、2期目の名護市長選挙を戦う稲嶺進氏の集会に、それまで自民を支持し、翁長氏とも距離が近い、ホテル業大手の「かりゆしグループ」CEOの平良朝敬氏の姿があった。辺野古の埋め立てを承認した仲井真氏を痛烈に批判し、普天間の移設先で、美しい海域が残るキャンプ・シュワブの返還による観光業への雇用拡大と経済効果を熱く、訴えていた。

「我々は今後、どんなに利益が大きくても新基地建設には一切タッチしない」。知事選の告示を控えた10月末、建設・小売り大手の金秀グループの呉屋守将会長が、350人の幹部を前に米軍基地との〝決別〟を宣言した。創業65周年を迎えた2012年、「県民に寄り添う100年企業」を目指すことを決めた。「県民に寄り添うとは県民と苦楽を共にすること。我々が腕組みして商売にいそしんではいけない」。長い間、保守系政治家を推してきた企業が、自ら退路を断つ決断だった。

これまで仲井真氏の集票マシーンとして機能してきた「六社会」と呼ばれる中核企業グループは崩れ、現職に義理立てしていた企業も、末端の従業員まで動かせるほど活発に活動できるところは多くはなく、選挙戦後半には翁長氏の応援にまわった企業も少なからずあった。

仲井真氏は選挙期間中、空席の那覇市を除く県内40市町村の首長のうち、27人が支持していると選挙ビラなどで支持を呼びかけた。だが、投票直前の沖縄タイムスのアンケートには、現職支持と答えた首長は19人にとどまった。仲井真陣営のビラで写真を載せて、支持を訴えていた首長の中には「政治的なアンケートには答えられない」などと、立場を表明しない首長もいた。各メディアの情勢調査は、翁長氏の優位を伝えていた。

翁長氏支持と答えたのは7人だった。

こうした中、選挙結果は41市町村中、仲井真氏がトップだった自治体は、人口規模の少ない離島を中心に13市町村にとどまり、翁長氏は大票田の那覇をはじめ、名護、宜野湾市など11市中9市で、全体では27市町村でトップに立ち、圧勝した。首長の〝支持表明〟が、有権者まで浸透しない構図が、データからも裏付けられた。

自民本部、仲井真氏への反発

翁長氏を押したのは普天間飛行場の県内移設断念を求める「建白書」共闘勢力だ。

昨年1月、「オール沖縄」の旗の下にオスプレイ配備撤回と普天間の県内移設断念を政府に突き付けたのが建白書だ。県議会各会派代表、全市町村長と議会議長が署名・押印し上京、安倍首相らに直接、抜本的な基地負担の軽減を直接、要請した。

2007年の沖縄戦の「集団自決(強制集団死)」をめぐって、日本軍の強制を削除した高校教科書検定撤回を求める県民大会も「オール沖縄」によるものだった。仲井真知事をはじめ全市町村長が行動し、保革で問題を広く共有した。

09年に「最低でも県外(移設)」を掲げる民主党政権が誕生する、仲井真氏の支持母体の自民県連まで「県外移設」の主張に転じ、前回知事選挙では選対本部長を務めた翁長氏の強い勧めで、「県外移設」を公約に盛り込んだ。革新統一候補の伊波洋一氏との間で基地問題をめぐる争点は薄れ、経済振興を訴えた仲井真氏は再選された。

しかし、12年の年末の衆院選挙で自民党が大勝し、政権に復帰すると「オール沖縄」に亀裂が走る。「県外・国外」を掲げて当選した4人の自民党の県関係国会議員は、総選挙から1年も経たない昨年11月26日、党本部で石破茂幹事長に説得され、辺野古移設容認に転じる。

石破幹事長との会談後、記者会見に同席させられ、うつむきがちな自民党国会議員の姿は、明治時代に「琉球人」として見世物にさせられた「人類館事件を想起する」「21世紀の琉球処分」などと言われた。政府自民党にひれ伏す国会議員の屈辱的な姿は、県民に今の沖縄の置かれた立場をリアルに感じさせ、大きな不満を買った。怒りの矛先は強権的に公約を変えさせた政府・自民党だけでなく、国会議員やその後、辺野古容認に転じた自民党県連にも向けられた。

自民党の国会議員、県連が辺野古容認へ公約をかなぐり捨てて、辺野古を容認する中でも、仲井真氏は定例記者会見や県議会で、「県外移設」を訴え続けていた。

12月13日には、公明県本部の代表が、仲井真氏に「県外移設を求め、埋め立て申請に対する知事意見は『不承認』とすることを求める」提言書を提出。仲井真知事は「公明の提言は、ほとんどの県民が賛成する内容だと思う」と述べるなど、不承認への期待を高める発言を自ら繰り返していた。

だが、辺野古埋め立てを認めるかが注目されていた年末の25日。官邸で安倍首相と会談した仲井真氏は、要望が満額受け入れられた3400億円超の振興予算を確保し、「驚くべき立派な内容を提示していただき、140万県民を代表して心から感謝申し上げる」などと発言した。県が求めた5年以内の普天間飛行場の5年以内の運用停止」に、安倍首相からの回答がなかったにもかかわらずだ。仲井真氏は会談後、「有史以来の予算。いい正月になる」とクリスマスプレゼントをもらった子どものように、上機嫌に笑い、その2日後に、埋め立てを承認する。

保守であれ革新であれ、沖縄県知事と政府の間で、普天間の移設問題をめぐっては海上ヘリポート、軍民共用、15年使用期限問題、沖合移動など譲れない一線をめぐって、緊張感があった。何の担保も示さない(示せない)政府に全面的な信頼を寄せ、「5年以内の普天間閉鎖」を丸投げして、苦渋の表情すら浮かべない仲井真氏の言動は多くの県民の目に、振興策と基地問題を取引したと映った。

こうした政府と知事の言動にいち早く批判したのが、当時の那覇市長、翁長氏だった。「日本国総動員で沖縄の団結を崩しにかかっている。建白書の提出でいったん実現した〝オール沖縄〟が、中央のそこまでやるかという圧力で少しずつ崩された」と政府を批判。 「正月」発言の当日、翁長氏は「それでも県民の7割は微動だにしない」と、自民党政府と共同歩調を取る仲井真氏と一線を画す姿勢を示していた。仲井真氏の言動は、翁長氏だけでなく、これまでの保守系の支持者を含む県民感情を刺激し、強い反発を招いた。

仲井真氏は今回の出馬表明にあたって「県民に誤解を招いた」と陳謝し、選挙中も文書を配って重ねて「いい正月」発言をわびた。 仲井真氏が、経済的な実績を強調すればするほど、県民は発言を忘れるどころか「基地との取引」として思い起こしたのではないか。

知事選挙で辺野古問題が最大の焦点となり、シュワブ・ゲート前では新基地建設に反対する市民と県警・海保との間で激しい攻防が繰り広げられる中、菅官房長官が「辺野古は過去の問題」と発言したことも反発を招いた。今回の知事選挙は仲井真政治に対する信任投票の性格を帯びると同時に、政府自民党、県連に対する「ノー」を突き付けたのだ。

大きかった代償

自民党政府の強権的な基地の押しつけとそれを受け入れた自民県連への反発、承認をめぐる知事の言動、そして与党公明県本の離反という3つの政治的な要因に加えて、米軍基地の重圧からの脱却を求める革新支持層の従来からの願いと、「基地は沖縄経済の発展を阻害している」という保守支持層の不安を取り除く認識を持つ初めての戦後産まれの知事の誕生は、県民意識の大きな変化の流れに沿ったもので、もはや後戻りすることはないだろう。

かつての米軍住宅地・基地から再開発に成功した新都市を抱える那覇市、国際色豊かなまちづくりに成功した美浜ハンビータウンのある北谷町、農業による雇用の増加が図られている読谷村は、翁長氏の主張する「基地に頼らなくても発展できる沖縄経済」を象徴し、翁長氏の県全体の得票率を上回っている。

政府自民党は、辺野古新基地の建設に着手することには成功したが、その代償は大きかった。辺野古新基地の是非を問う県民投票的な位置づけも可能な今回の選挙で、政府の沖縄政策の要となる県知事を大差で失った。

仲井真氏は従来通り、基地か経済化かの選択を求めたが、翁長氏は「沖縄の尊厳」を中心に据えた。仲井真氏の主張した「普天間基地の危険性除去を最優先」「流れを止めるな」はそれなりの説得力を持つ。保革対立型の選挙であれば、前者で基地問題の争点化を薄め、後者で票を掘り起こすことができただろう。しかし、普天間飛行場の県外移設は軍事上、可能であることを県民は民主党政権下で確信し、基地の負担を強要する政府に「オール沖縄」で対峙することを経験した。このような体験は「保守だが、沖縄の保守」「イデオロギーよりアイデンティティー」「誇りある豊かさ」を訴えた翁長氏に共鳴した。(仲地博沖縄大学学長、17日付沖縄タイムス)

選挙期間中、保革が支援する翁長氏に対して仲井真氏を支持する側からは「オール沖縄は共産党主導」という赤いポスターが貼られ、「尖閣が中国に侵略される」と国防上の危機感を煽る宣伝も多くなされた。しかし、空軍と海軍が初期戦闘を担う現代戦では、海兵隊の輸送機・オスプレイが尖閣での戦闘に直接加わることはなく、従来のCH46ヘリの4倍とされ空中給油機能も備え長い航続距離を持つことから、本土や海外に置くことでも、軍事機能上、支障がないことは県民に、広く認識されつつある。政府の言う海兵隊、オスプレイの「抑止力」は沖縄だけに押しつけられるべきものではでなく、本土全体で担うべきだという認識は、保革問わず、沖縄では、一般的な認識になっている。

安倍首相は、政権への沖縄県知事選挙のダメージを覆い隠そうとするかのように21日、「アベノミクスへの信任を問う」として衆議院を解散した。全国的には自民党が過半数を大きく上回る見通しとされている中で、沖縄では「県外移設」を訴え当選し、その後辺野古容認に転じた4人の自民党前職への審判が下る。「建白書」勢力はすべての4選挙区で辺野古新基地建設に反対する候補を支援することで一致した。知事選挙に続き衆院選挙で、県民がどのような民意を示すのか、今後の沖縄の政治潮流を決定づけるだろう。

翁長氏の当選後、防衛省は19日に辺野古の海上作業を再開していたが、20日にキャンプ・シュワブゲート前で抗議活動をしていた85歳の女性が県警の機動隊に排除される際に転倒して、軽傷を負い翌日には60代の男性が頭から血を流すけがを負った。

これに対して、米側は「好ましくない」との見解を示し、こうした懸念を日本側に伝えている可能性もあるという。  防衛省は22日に作業を中断。日本政府は12月14日投開票の衆院選後まで、見送る方針を固めている。米側の懸念を受けての中断なのか、選挙期間中に辺野古の反対運動の映像やニュースが流れ、選挙への悪影響を避けるためなのか、現時点では分からない。

一方で、沖縄の基地問題は本土で大きな課題とはなっていない。民主主義国家の日本で、これ以上、地元沖縄の声が黙殺されていいはずがない。

安全保障の負担を全国でどう担うのか、集団的自衛権、機密保護法のあり方など、埋もれさせてはいけない課題は数多い。

ちねん・きよはる

1998年沖縄タイムス入社、基地担当、北部支社編集部長、県政キャップを経て2014年3月から社会部デスク。

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