論壇

[増補版]明治以来の大学自治が崩壊の危機に

新自由主義的再編へ―学校教育法と国立大学法人法の改正

筑波大学教授 千本 秀樹

1.学校教育法と国立大学法人法の改正

2014年6月20日、参議院本会議において、「学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律案」が可決され、成立した。これは学長に独裁的な権力を与え、大学の自治と教育・研究の自由を奪うものと批判されているが、この法改正が実体化されると、自治の基盤である学部制さえも解体され、大学が徹底的に企業に奉仕する新自由主義的再編が急速に展開することになる。

すでに大学では競争主義・成果主義・企業支配がはびこっているが、独立行政法人では国立大学法人以上に事態は進行しており、理化学研究所の笹井芳樹CDB副センター長の自殺はその犠牲である。今回の法改正は、大学においても同様の事態をひきおこす危険性を強く持っている。

今回の問題は、学校教育法に定める教授会権限の限定、学長選考にあたっての学長選考会議の重視による学長独裁制ばかりが注目されているが、本質的な問題は国立大学法人法改正にある。同法第20条では経営協議会の設置が定められている。「国立大学法人に、国立大学法人の経営に関する重要事項を審議する機関として、経営協議会を置く。」とあり、委員は、学長・理事ほか、学長が任命する学外委員も含まれる。その学外委員について、現行では「総数の二分の一以上」とされているが、今回、「過半数」と改正された。

ほとんど変わらないではないかと思われるかもしれない。しかし現行では多くの大学で学外委員は二分の一であり、しかも多くの学外委員は学内委員の意向を尊重する場合が多いから、学外委員が強い主張をする場合、わたしが知る範囲では、たとえばハラスメント防止体制の強化など、プラスの意見も多い。もっとも後述するように、学長選考にあたっては、いくつもの大学で訴訟にも至る重大なトラブルが起きている。

ところが学長が任命する学外委員を過半数とすると、仮に学内委員が全員学長に反対したとしても、経営協議会で学長の意向を押し通すことができる。場合によっては、学長の意向に反しても、学外委員の主張によって大学を左右することができるのである。現在でも学外委員には少なくない大企業経営者が含まれている。学長への権限集中の目的は、起業に奉仕する新自由主義的再編であるとするゆえんである。

2.教授会権限の縮小と、学長選考における構成員の意志の無視

大学を学外から支配しようとした場合、最も抵抗しそうな組織は教授会と労働組合であるが、とりあえず法改正で手を付けられるのは教授会である。現行の学校教育法第93条では、「大学には、重要な事項を審議するため、教授会を置かなければならない。②教授会の組織には、准教授その他の職員を加えることができる。」と規定されているだけである。これを改正案では、教授会の権限を詳細に定め、決定権を奪って諮問機関におとしめようとしている。改正案は以下の通りであった。

第93条 大学に、教授会を置く。

②教授会は、学長が次に掲げる決定を行うに当たり意見を述べるものとする。

一 学生の入学、卒業及び課程の修了

二 学位の授与

三 前二号に掲げるもののほか、教育研究に関する重要な事項で、学長が教授会の意見を聴くことが必要であると認めるもの

③教授会は、前項に規定するもののほか、学長及び学部長その他の教授会が置かれる組織の長(以下この項において「学長等」という。)がつかさどる教育研究に関する事項について審議し、及び学長等の求めに応じ、意見を述べることができる。

④教授会の組織には、准教授その他の職員を加えることができる。

法人化以前、国立大学の大学自治の基礎は教授会にあり、その根幹は人事権と予算決定権であった。2004年の法人化によって、それはかなり揺らいでいった。学長権限が次第に強化されることによって人事権の一部が吸い上げられ、大学への予算配分、学内での予算配分の双方で競争的資金配分の手法によって、予算決定権も切り縮められてきた。慣行によってかろうじて残されてきた自治権も、今回の法改正で抹殺されようとしている。大学の自治は教授だけの自治であってはならないが、それさえも奪おうというのである。

学長・学部長等は、法人化以前、構成員の選挙によって選ばれてきた。法人化によって選挙は廃止され、「意向投票」が導入された。その結果を参考に、学内・学外同数の委員からなる学長選考会議が候補者を決定し、法人が申し出て文部科学大臣が任命することになった。選挙では、決選投票で2・3位連合が逆転することがあったが、法人化後はその可能性がなくなった。それだけではなく、意向投票第1位ではない人物、たとえば文科省官僚出身者を学長選考会議が文科相に申し出て任命され、その大学構成員たちから訴訟を起こされる例が相次いだ。

今回の法人法改正では、第12条7項に、括弧内の部分が挿入された。

七 第2項(筆者注、学内外同数の委員による学長選考会議)に規定する学長の選考は、人格が高潔で、学識が優れ、かつ、大学における教育研究活動を適切かつ効果的に運営することができる能力を有する者のうちから、〈学長選考会議が定める基準により、〉行わなければならない。

これは、学長の選考はあくまで学長選考会議が定める基準によって実施されるべきであり、意向投票に左右されてはならないというものである。文科省の説明によると、意向投票の結果通りに学長を選んでいては、学長選考会議を置いた意味がなく、学長選考会議が主体的に学長を選ぶべきだということである。今回の法改正が、徹底して大学構成員の意向を無視しようとする、民主主義を敵視しようとしているものとさえいえる。今回の法改正には盛り込まれなかったが、中央教育審議会では、学部長も学長による任命制に変えようとする意志を持っている。

3.国会における微修正

日教組に加盟する日本国公立大学高専教職員組合は、今回の法改正について、大学の新自由主義的再編を意図するもの、大学の自治と自由を奪うものであるという観点から、反対の意思表示をしてきた。民主党も当初は反対の意向であったが、現在の国会構成では、反対すると原案通り可決されてしまうので、修正提案と大学側に有利な答弁の引き出し、附帯決議によって、少しでも実を取ろうという戦術に転換した。衆議院に提出された修正案の趣旨説明を抜粋する。

(前略)このことにより、例えば、教育課程の編成等大学の教育研究において重要な事項について、教授会の意見が聴かれることになるのか懸念がありました。
 そこで、衆議院における修正により、「学生の入学、卒業及び課程の修了」と「学位の授与」の他に学長が教授会に意見を聴くことが必要な事項を学長があらかじめ定めることといたしました。これらの事項には教育課程の編成や教員の教育研究業績の審査等が入ることが想定されますが、そのような事項をあらかじめ定めることにより、教授会としっかり協力しながら大学運営を行うことができると考えます。(後略)

その結果、法人法第93条②の三は、「前二号に掲げるもののほか、教育研究に関する重要な事項で、教授会の意見を聴くことが必要なものとして学長が定めるもの」と修正された。この修正によって、学長が教授会の意見を聴くケースについて、学長の恣意に任されるのではなく、定められた場合には、必ず教授会の意見を聴くことが必要となる。しかしもちろんこれだけでは学長専決体制が防げるわけではない。

各派共同提案によって可決された附帯決議は以下の通りである。

学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律案に対する附帯決議

政府及び関係者は、本法の施行に当たり、次の事項について特段の配慮をすべきである。

一、学校教育法第九十三条第二項第三号の規定により、学長が教授会に意見を聴くことが必要な事項を定める際には、教授会の意見を聴いて参酌するよう努めること。

二、憲法で保障されている学問の自由や大学の自治の理念を踏まえ、国立大学法人については、学長のリーダーシップにより全学的な取組ができるよう、学長選考会議、経営協議会、教育研究評議会等をそれぞれ適切に機能させることによって、大学の自主的・自律的な運営の確保に努めること。

三、学長選考会議は、学長選考基準について、学内外の多様な意見に配慮しながら、主体性を持って策定すること。

四、監事の監査、学長選考組織による選考後の業務評価等学長の業務執行状況のチェック機能を確保すること。

五、国立大学法人の経営協議会の委員の選任や会議の運営に当たっては、学内外の委員の多様な意見を適切に反映し、学長による大学運営の適正性を確保する役割を十分に果たすことができるよう、万全を期すこと。

六、本法施行を受け、各大学等の学内規則の見直しと必要な改正が円滑に行われるよう、説明会の開催等関係者に改正の趣旨について周知に努めること。

七、私立大学の自主性・自律性・多様性、学問分野や経営規模など各大学の実態に即した改革がなされるよう配慮すること。

八、大学力を強化するため、若手研究者や女性の登用が積極的に行われ、若手研究者等の意欲を高める雇用形態が整備されるよう、その環境の整備に努めること。

九、国のGDPに比した高等教育への公的財政支出は、OECD諸国中、最低水準であることに留意し、高等教育に係る予算の拡充に努めること。

学長のリーダーシップを強化するための法改正だから、学長専決体制を阻止する附帯決議としてはさほど有効ではない。学問の自由と大学の自治に触れてはいるが、「学長が決めたのだから大学の自治は守られている」という言訳は充分に通用する。武器となるのは第1項くらいであろうか。国会の附帯決議というのは、守られたためしがないとさえ思える。国歌・国旗法の附帯決議は、日の丸・君が代を強制しないとしているし、国立大学法人法の附帯決議も空文化している。しかしボトムアップ型の大学にできるかどうかは現場の力関係である。

衆議院文部科学委員会、参議院文教科学委員会で議論の中心になったのは、学校教育法第93条である。下村文科相は否定的な現状として、教授会で「予算の配分など大学の経営に関する事項まで広範に審議されている」とか、教授会に「学内規則の制定、改廃に関することについて37%(の国公私立大学)が決定権限がある、それから、例えば、学部長、研究科長等の選任に関することについて37%決定権限がある」ことをあげている。学部内予算配分や学部長は学部教授会で決定するのは当然だが、下村文科相はどのような認識なのだろうか。また「キャンパス移転や組織再編等の事項も教育研究に関する重要な事項に含まれ得る」と答弁しているが、「教員をどのポストに配置するかは学長が全学的な視点から判断すべき」で、誰を選考するかは教員組織が審査して学長が決定するとしている。また今回の改正で、副学長の権限が強化されるが、教員でない運営のプロを選任することを、文科相が推奨していることは気がかりである。

4.大学で力を持つ企業

いま、大学では「外部資金」ということばが魔力的な力を持っている。外部資金、それはほとんどが企業から提供されるカネである。外部資金を導入できた教員は、それを理由に運営費交付金(政府から配分される大学予算)からの研究費も増額されるし、業績評価も高くなる。外部資金によって雇用されている大学事務職員もふえる一方である。

大学教員についても同じ傾向が強まっている。安倍内閣は、年俸制・有期制の教員をふやすよう、事実上強制している。有期制は教員の流動化を促し、優秀な教員を集めるためというのだが、それについては、実際そのようになるのかということについて強い疑問を持つけれども、小論では踏み込まない。問題は、年俸制とあいまって、ハイブリッド賃金制を導入しようとしていることである。わたしの知る範囲で、ハイブリッド賃金には2種類見受けられる。

ひとつは、外部資金によって給与を増額する方法である。これまで国立大学法人の教員の給与は政府から配分される運営費交付金から支給されていたが、教員が外部資金を獲得すれば、そこから給与に上乗せすることができる。

もうひとつは、大学と企業の双方から給与を受け取る方法である。大学と企業が詳細な協定を結んで、ひとりの人物が週3日は○○重工や××電力の専務として勤務し、週2日は△△大学の教授として勤めるという形である。これまでの特任教授には大学での発言権はなかったが、今回の場合は正規の教授として、教授会で企業や業界の利害を主張することができるようになる。

わたしのように、微かに残る大学の自治を守ろうとする者に対して、かつての仲間の一部からは冷笑が聞こえる。もはやとっくに大学の自治は解体されたのだと。「産学協同反対」というスローガンは、若い教員には変換さえできない死語であり、過去を知る教員からは、新しい時代に適応できない人間として憐れみさえいただけるかもしれないが、若い教職員のなかに共感を寄せてくれる、新しい仲間もいることが、運動の持続の醍醐味である。

5.知の、大学の商品化に抗して

資本主義はすべてのものを商品化する。まず労働を、そして大地を。性の商品化は資本主義によって急激に進行した。いま、焦点は知の商品化である。

この10年以上、人件費削減の名のもとに、大学の教職員の人数も給与も削減が続けられてきた。特に事務職員は、非常勤や派遣職員など不安定雇用の労働者が膨大な数に上っているが、教員の場合、退職者の後任が補充されず、カリキュラムが成立しない、学部・学科が教育組織として完結しない状況に陥っている。特にディシプリン型の分野、いわゆる基礎学問の系統については冷遇が極端である。根本には、高等教育予算の貧困がある。GDP比では、日本の高等教育予算はOECD28か国中常に最下位を争っており、OECD平均の半分でしかない。

その結果、各大学において、入学試験の出題能力の低下という現象が起きている。これについては、政府はすでに対策を準備している。大学入試改革の一環として、大学入試センター試験を廃止し、達成度テスト(発展レベル)を導入して、各大学の個別入試は面接・小論文に限定して学力試験は行なわないという構想である。

マークシート方式による大学入試センター試験の行き詰まりは甚だしく、達成度テスト(発展レベル)に転換してもマークシート方式であれば問題は解決しないし、国立大学協会からの抵抗も強いので、この構想も実現は簡単ではない。達成度テスト(基礎レベル)とあわせて、出題・採点を民間に委託しようとしても、ベネッセの情報漏出事件が壁となる。

学部・学科が教育組織として成り立たなくなる中で開始されているのが「学位プログラム」である。学際的教育といえば聞こえはいいが、たとえば文系・理系・芸術系の教員でチームを組んで、このカリキュラムを履修すれば学士の学位を認定しますよという制度である。未だ法的な裏付けはないが、すでに見切り発車でいくつもの大学で計画が進行している。それぞれの計画が成果を産むものかどうか、今後の展開にかかっているが、指摘したいのは、この制度こそが大学教育の商品化、知の商品化に直結していることである。

たとえば生命保険会社や観光業者の「商品」を思い浮かべてほしい。さまざまな保障、さまざまな企画を組み合わせて商品として売り出し、消費者が購入する。大学教育がそれと同じシステムで運用される。大学教育の商品化である。ここではその是非は論じないが、本稿の趣旨に沿っていえば、この制度では、学部・学科は教育組織ではなく、単なる教員のプールとなる。それはもはや自治を担う基礎組織ではない。学校教育法の改悪に先んじて、自治の解体は内部から進行しているのである。

6.「国立大学改革プラン」による大学改造計画

このような構想は、2013年11月に文部科学省が発表した「国立大学改革プラン」によって示された。これは産業競争力強化法に定める重点施策として位置づけられたものである。2004年に発足した各国立大学法人は、6年間を1期として、文科大臣が定めた中期目標にもとづいて中期計画を策定し、文科大臣の認可を得る。2015年度までが第2期中期目標期間である。第2期の後半は「改革加速期間」とされ、キーワードは「グローバル化、イノベーション機能強化、人事・給与システムの弾力化」があげられた。グローバル化とともに、イノベーションが特に強調されるようになっている。

文科省は「国立大学法人化の成果」として、「役員や経営協議会委員、学長選考の委員として学外者の経営参画を法定化し、法人の経営に参画」させたことによって、「学外の知見の活用と国の行政組織としての諸規制の緩和により、例えば民間企業等との共同研究が増加するなどの成果」があったとしている。具体的には「産学連携活動の伸び」として、2011年には2003年に比較して、6,411件、125.6億円から、12,793件、265,2億円にふえたことをあげている。 第2期後半に「改革を加速」させるための手段が「国立大学改革プラン」であるが、「社会の変化に対応できる教育研究組織づくり」として、「各大学と文部科学省が意見交換を行い、研究水準、教育成果、産学連携等の客観的データに基づき、各大学の強み・特色・社会的役割(ミッション)を本年(注、2013年)中に公表」し、ミッションを再定義して改革加速期間中に実施した大学には運営費交付金を優遇する。

また、「各大学が中期計画を見直し、国立大学法人評価委員会において改革の進捗状況を毎年度評価。その際、産業界等大学関係者以外からの委員を増やすなど国立大学法人評価委員会の体制を平成25年度中に強化するとともに、先進的な取組は積極的に発信」するともされている。

ともかく目立つのは「産学連携」であるが、理工系人材の戦略的育成を図り、今後10年で20の大学発ベンチャー、新産業を創出するとのことである。さらに世界大学ランキングでトップ100に入っているのは現在2大学だけであるが、10年後には10校をランクインさせるとも掲げている。欧米基準のランキングにこだわるのは意味がないという声も大学関係者には強い。

「ガバナンス機能の強化」「人事・給与システムの弾力化」については、学長権限の強化が必要となってくるが、その多くは今回の法改正でその条件が整えられた。ただ、2014年3月18日に文科省が作成した「『国立大学改革プラン』改革加速期間における取組参考資料」の「ガバナンス改革(2):中央教育審議会とりまとめ」には、「学長のビジョンを共有できる学部長の任命」「学長による学部長等の業績評価」という項目があり、これは今回の法改正には含まれなかったが、学内規則の変更だけで学部長の任命は可能であり、すでに学部長は選挙ではなく、意向投票に基づいて候補者を推薦し、学長が任命する大学は多い。わたしたちにとっての課題は、自治の実質をいかに確保するかということである。

7.現場で実質化させない闘いを

今回の法改正は、学長に権限を集中し、その学長を外部からコントロールしようとするものである。その抵抗勢力としての学部自治の解体がもくろまれている。

明治以降、大学の自治は営々として積み重ねられてきた。初の学長選挙は1907年の京都帝国大学法科大学長の選挙である。1913年、京都帝大沢柳政太郎総長が7教授を罷免して若手教官を起用したことに端を発した沢柳事件は、総長と教授団の抗争の後、総長が辞任し、後、総長公選制に至った。東京帝大でも1919年、初めて総長公選を実施している。

法人化によって選挙を意向投票に変更し、今回、さらに意向投票を軽視しようとするのは、明治以来積み重ねてきた大学の自治を一気になきものにしようとする暴挙である。

文科省は2014年8月11日、「学校教育法及び国立大学法人法の一部を改正する法律等の施行通知に盛り込む内容について(案)」を有識者らによる検討会議に示し、了承を取り付けた。そして9月2日、国公私立大学の理事・副学長・事務局長らを呼び、法改正に関する実務説明会を開催する。

「盛り込む内容について」の「今回の改正の基本的な考え方」に、文科省の基本的な姿勢が示されている。7月末段階の原案では、「大学の自治の尊重」が第一項目にあげられていたが、最終的には第4項に後退した。新設された第1項は「大学が果たすべき社会的責任」と題し、「公的な存在である大学のステイクホルダーは、学生やその保護者、教職員であるが、広くは地域社会や団体・企業、さらには国民一般に及ぶものである。大学は、社会からの付託に応える教育研究を展開し、こうした様々なステイクホルダーに対して、社会的責任を果たしていくことが求められる」として、大学が企業に対しても責任を果たしていくことを明記した。

 また、「学長と教授会の関係」では、「今回の法改正は、教授会が法律上の審議機関として位置づけられていることを明確化するものである。仮に、各大学において、大学の校務に最終的な責任を負う学長の決定が、教授会の判断によって拘束されるような仕組みとなっている場合には『権限と責任の不一致』が生じた状態であると考えられるため、責任を負う者が最終決定権を行使する仕組みに見直すべきであること」とした。教授会と学長の考えが一致しない場合には、現場ではなく、学長の判断が優先されるのである。なお、私立大学においては、理事会が最終決定権を持つことに変化はない。私立大学ではすでに教授会の権限は極度に切り縮められているが、この法改正によって、国立大学法人が私立大学同様の状況に追い込まれる危険性がある。

 実務説明会用の「大学における内部規則・運用見直しチェックリスト」も公表された。どのような法改正においても同様の作業は行なわれるのであろうが、ことが大学の自治にかかわるだけに生々しい。大学の内部規則にここまで介入するのかという思いである。学長選考についての留意事項は以下の通り。

 意向投票を実施するか否か、仮に実施する場合にその結果をどのように取り扱うかについては、学長選考会議の判断によるものであるが、学長選考会議が、学内だけでなく社会の意見を学長選考に反映させる仕組みとして設けられた法律の趣旨に鑑みると、投票結果をそのまま学長選考会議の選考結果に反映させるなど、過度に学内の意見に偏るような選考方法は、学長選考会議の主体的な選考という観点から適切なものとは言えない。

先にも述べたが、学内の意見を尊重してはならないと言わんばかりである。また、学内の意見を聴きたくないために、意向投票を実施しないことも学長選考会議で決められる。昨年から今年にかけて、京都大学で学外委員の安西祐一郎中教審会長が意向投票不実施を提案し、おおもめに揉めて、結果としては実施したが、自治重視派の山極壽一教授が当選したことは記憶に新しい。しかしすでにやはり安西会長が外部委員を務めていた東北大学では意向投票は実施されていない。

同じくチェックリストに、「学長が教授会の意見を聴くことが必要な事項を定める際には、教授会の意見を聴いて定めること。その際、教授会の意見を参酌するよう努めること」とあるのは、国会での修正の反映である。

文科省は常に「国立大学法人は独立行政法人とは異なっています」と強調する。異なっているとすれば、それは大学に自治が存在するからであろう。自治なき研究と競争主義・成果主義は研究の腐敗を生み出す。この10年で、研究不正は数倍にふえたという。笹井芳樹副センター長が神戸市と国を巻き込んで構築した産官学複合体は巨大なものであるが、それはどのように「廃炉」に至るのだろうか。大学から自治を奪えば、独立行政法人とは異ならなくなる。

安倍内閣は暴走を続けている。集団的自衛権行使容認という実質的改憲の陰に隠れて、大学をめぐる今回の法改正はさほど注目を集めていないが、平時であるならば内閣が倒れるほどの大問題である。そうならないのは、すでに大学の劣化が相当程度すすんでいるからであろう。国立大学協会が音なしであるのは、国大協が学長の集まりであって、自分たちへの権限集中を否としないからであろう。労働組合も弱体化しているが、今回の法改正を実質化させないためには、各大学の現場での闘いと、世論の喚起以外にはない。自治の解体、学部の解体にまで至る可能性がある歴史的転換点にわたしたちは立っている。

 本稿は、前号所載の拙稿に、第6節を加筆したものである。文科省は8月29日、各大学に「施行通知」を通知し、各大学の内部規則の改定を促しはじめた。さらに9月9日には、第3期中期目標にかかわる「事務連絡」として、国立大学法人評価委員会が取りまとめた「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点」を通知した。そこには次のような重大な箇所がある。

「ミッションの再定義」を踏まえた速やかな組織改革が必要ではないか。特に教員養成系学部・大学院、人文社会科学系学部・大学院については、18歳人口の減少や人材需要、教育研究水準の確保、国立大学としての役割等を踏まえた組織見直し計画を策定し、組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべきではないか。
国立大学に教員養成系、人文社会系はいらないといわんばかりである。残すとしてもすぐに企業で使える人材をということであろう。この文章は、8月8日の国立大学法人評価委員会に提出された案文を委員会が丸のみしたものである。評価委員会は、2003年に文科省内に設置された審議会である。第3期までは野依良治理研理事長、第4期は村松岐夫(みちお)京大名誉教授が委員長をつとめてきたが、第5期になって突然、それまで委員でもなかった北山禎介三井住友銀行取締役会長が委員長に就任した。すべての事態が企業による大学支配、大学の新自由主義的再編の進行を示している。ある卒業生のことばが心に残っている。「理系の暴走を止めるのが文系じゃないの。」

ちもと・ひでき

日本国公立大学高専教職員組合中央執行委員長、筑波大学教授、本誌代表編集委員

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