特集●次の時代 次の思考 Ⅲ

憲法改正は安倍の見果てぬ夢

アベノミクスで騙し戦後レジームからの脱却策す

明治大学兼任講師 飛矢﨑 雅也

1 解散総選挙の目的

2014年10月31日、日銀は追加の金融緩和策を決定した。これを知った時、わたしはこれで来年10月の消費再増税は決まったと思った。同日には年金積立金管理運用行政法人(GPIF)による保有資産の投資比率の比重も、国債から株式へと大きく変更され、併せてこれらは株価上昇を狙った政府・GPIF・日銀による協調行動だと考えたからである。株価を上げ、景気の浮揚感を増し、12月に安倍晋三総理大臣が消費再増税の判断をしやすい環境を整える。これは政権による出来レースだと思った。

しかし、11月に入って安倍総理による消費再増税先送りと衆議院解散総選挙の判断を知り、彼の政治目的について再度確認させられることになった。

安倍総理は消費税再増税先送りの理由を「デフレからの脱却」を掲げたアベノミクスへの悪影響に求めたが、それは表向きの理由に過ぎない。本当の目的は、来年の通常国会に予定されている安保法制の関連法案の処理に向けて権力基盤を再強化し、さらには将来的な改憲への足場作りを確保するため任期をあと4年確保することにあると考えられる。そのためには日本の財政に対する信認が揺らいでも構わない。アベノミクスを表看板に日銀をも利用して、自らの政治目的を遂げようというのだろう。

ちなみに報道の一部で、今度の解散総選挙に当たり総理が参考にしているのは、総理の大叔父でもある佐藤栄作元総理が相次ぐ閣僚の不祥事を受け1966年に行った「黒い霧解散」であるとの報道が一部でなされているが(『毎日新聞』2014年11月12日)、それは正しくない。確かに、衆院解散で国民の信任を得て局面の打開を図った黒い霧解散は、似たような状況にありながら同じく長期政権を目指す安倍総理にとって魅力的であるには違いない。しかし彼の宿願を考えるとき、恐らく念頭にあるのは、祖父・岸信介元総理が行おうとして行えなかった、幻に終わった1960年2月の解散総選挙であろう。

これは政治史において、岸内閣が倒れた伏線であるとされている。前年に安保改定阻止国民会議が結成されていたものの、当時世間は「岩戸景気」に湧き、国民的規模で安保反対の動きが盛り上がっているとはいえなかった。しかも野党は分裂し、政党レヴェルでは安保賛成派が反対派を圧倒できる状況にあった。もし解散総選挙に踏み切っていれば、恐らく自民党は多数を獲得し、それによって岸は、安保改定は国民に承認された、という大義名分を得て、その後の国会運営はスムーズなものになったはずだった。

事実、安倍総理のブレーンの一人でもある北岡伸一も、「もし総選挙が行われていたら、自民党は勝利し、新条約は比較的簡単に国会を通過し、アイゼンハワー大統領は来日し、岸内閣はさらに続いただろう」(北岡伸一「岸信介 ──野心と挫折──」『戦後日本の宰相たち』中公文庫、2001年)という見方を示している。にもかかわらず、岸は解散しなかった。それは側近の川島正次郎自民党幹事長の強い反対があったからとされているが、最近の米国の秘密文書公開から米国の批准審議の日程の都合による圧力があったことが明らかにされている(春名幹男『秘密のファイル』新潮文庫、2003年)。

後年、岸はこれを「大失敗だった」と認めている。孫として近い場所に過ごし、またいま安保条約批准ならぬ安保法制の関連法案の処理を控え、さらにはその先に同じく憲法改正を狙う安倍総理としては、この祖父の失敗を参考とするのは考えられないことではあるまい。

2 安倍晋三とは何者か ──憲法改正への執念

それにしても安倍総理のこの執念はどこからくるのか。安倍政権には主に二つの顔があるといわれる。一つは米国、財界待望の政権としての顔、もう一つは米国や財界の嫌がる政権としての顔である。

前者は、原発の再稼働や海外輸出の推進、集団的自衛権の行使容認、消費税の引き上げ、法人税の減税、TPPの推進といった、「世界で企業が一番活動しやすい国を目指す」(『毎日新聞』2014年5月23日)一連の施策である。これらは主に外務官僚、管義偉官房長官、谷内正太郎内閣官房国家安全保障局長、兼原信克国家安全保障局次長といった人びとによって担われている。

後者は、靖国神社参拝、慰安婦問題の否認、河野談話、村山談話見直しの意欲といった、一連の国家主義を表す行動である。この側面は、萩生田光一総裁特別補佐、衛籐晟一内閣総理大臣補佐官、稲田朋美自民党政調会長、高市早苗総務大臣といった人物たちによって支持されている。

これまで政権運用の中心は前者にあると見られてきた。「安全運転」という内閣発足時に使われた言葉がそれを代表していた。しかし、今度の消費税再増税先送り(財界、米国の嫌がる選択)によって、二つの関係は後者が主あるいは目的で、前者が従あるいは手段であるということが鮮明化した。これが消費税再増税先送りの意味である。それでは今度の解散総選挙の本当の大義とは何だろうか。

こうして日本が抱える課題を列挙してみると、拉致問題のみならず、領土問題、日米関係、あるいはTTPのような経済問題さえ、その根っこはひとつのように思えます。すなわち日本国民の生命と財産および日本の領土は、日本国政府が自らの手で守るという明確な意識のないまま、問題を先送りにし、経済的豊かさを享受してきたツケではないでしょうか?まさに「戦後レジームからの脱却」が日本にとって最大のテーマであることは、私が前回総理を務めていた5年前と何も変わっていないのです。今回の総選挙(2012年12月--引用者)で自民党は「日本を、取り戻す。」というスローガンを掲げています。これは単に民主党政権から日本を取り戻すという意味ではありません。敢えて言うなら、これは戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す戦いであります。(安倍晋三『新しい国へ』文春新書、2013年)

これは前回の衆院解散総選挙を前に書かれた文章であるが、安倍総理はここで問題は経済問題にあるのではなく、「戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す」ことにあるということを述べていた。解散をめぐる今回の経緯を見ても、この姿勢にいささかのぶれもないことは明らかであろう。「戦後レジームからの脱却」(=憲法改正)こそ、今回の解散の大義に他ならないのである。

3 繰り返し語られるトラウマ

20世紀米国を代表する政治学者にラスウェルがいるが、彼は権力追求者について興味深い仮説を述べている。それによると、「権力追求者は価値剥奪に対する補完の一手段として権力を追求する」(ラスウェル『権力と人間』東京創元社、1967年)というのである。すなわち、何らかの理由で周囲から低い評価を受けている人は、しばしばそれを克服するために権力を求めるというのだ。そういわれれば、安倍総理からは、「敗戦のくやしさ」「敗戦によって傷ついたナショナリズム」「戦後のトラウマ」(安倍、前掲)といった、価値剥奪を示すような言葉が頻繁に語られる。

国家間で何か問題が起きると、かつての戦争に対する負い目から、じっとこらえて、ひたすら嵐の過ぎ去るのを待つという姿勢を取ってきた。その結果、ともすると、あたかもこちらに非があるような印象を世界に与えてきたのである。(安倍、前掲)

ここに示されているのは、「敗戦」を屈辱と見る歴史観である。憲法も次のように評価されている。

憲法前文には、敗戦国としての連合国に対する“詫び証文”のような宣言がもうひとつある。《われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている社会において、名誉ある地位を占めたい》という箇所だ。……一見、力強い決意表明のように見えるが、じつは、これから自分たちは、そうした列強の国々から褒めてもらえるよう頑張ります、という妙にへりくだった、いじましい文言になっている。(安倍、前掲)

安倍総理にとって、日本国憲法も屈辱の憲法なのである。確かに彼の祖父のような人物たちにとってはそうであったかもしれない。しかし多くの民衆にとってそれは解放の祝福だったはずである。

ともあれ、安倍総理は自民党結党の理由として経済力の回復と独立の回復(自主憲法の制定)を挙げ、「まさに憲法改正こそが、『独立の回復』の象徴であり、具体的な手だてだったのである」(安倍、前掲)、と祖父の岸元総理が果たしたくて果たせなかった憲法改正を強く訴える。ここからも岸-安倍と続く一つの系譜を読み取ることは容易であろう。ならば、安倍総理にこれほどまでに影響を与えている岸の行ったことは何か、それを見なければなるまい。

4 岸信介の思想と政策

安倍総理のこだわりの中に靖国神社への参拝があることについては触れた。また敗戦を屈辱として取られていることについても先に見た通りである。 岸も東京裁判の正当性を批判し、かつ自らが指導した戦争が正当な自衛戦争であったことを主張する。

大東亜戦を以て日本の侵略戦争と云ふは許すべからざるところなり。……先進国の二世紀に亘る世界侵略に依る既得権益の確保を目指す世界政策が後進の興隆民族に課したる桎梏、之れを打破せんとする後進興隆民族の擡頭、之れ其の遠因たり。日米交渉に於ける日本の動きの取れぬ窮境、之れ其の近因たり。(「岸信介断想録」『岸信介の回想』文藝春秋、1981年)

岸にとって、大東亜戦争は自衛の戦争だったのであり、「自衛」とは中国大陸における満州国を始めとする諸権益、それをもとにして大東亜共栄圏を作り上げる計画遂行を、それに反対する英米から衛ることだった。つまり岸のいう「自衛」は、「後進興隆民族」(後発帝国主義国家)としての日本が、その諸権益を英米などの「先進国」(先発帝国主義国家)から自衛することだったのである。当然ながら、そこには、植民地にされたり権益として土地や資源を奪われたりしていた者にとってそれは侵略戦争であって、植民地と権益の奪い合いの戦争(植民地再分割戦争)に過ぎない、という視点はなかった。

こうした考え方と政策(=「大東亜共栄圏」構想)は戦後も受け継がれた。

アジアというものとね、日本がだ、本当に結合してですよ、そうしてその代表としてアメリカと手を握るということだよ。
あれはねえ、大東亜共栄圏なんていうのは、ずいぶんいろんな批判あったけど、根本の考え方間違ってませんよ。私は今でもそう思っているけどね。(岩見隆夫『昭和の妖怪 岸信介』朝日ソノラマ、1994年)

アジアの盟主となってアメリカと手を握ること。それが岸にとっての新しい大東亜共栄圏であり、そのための準備として自主憲法を制定し(9条改正)、アジアへの経済進出を進めていくというのであった。いわばアジアの盟主日本の大東亜共栄圏から、アメリカの力を背景にしたアジアの盟主日本の大東亜共栄圏へ、である。そこに、岸の構想における戦前戦後の連続性と変身があった。

そのために手法に変更が加えられた。まず、大陸進出ではなく、東南アジア進出を図り、その仕方もアジア開発基金構想など、アメリカと共同で、開発基金というオブラートにくるんだ資本進出を進めていくという形にした。

以上のような手法をとることにより、岸は大東亜共栄圏再興に向けて、当面は日本を盟主とした東南アジア反共国家群の統合を果たして日本の勢力圏とし、「中型帝国主義」を成立させることを目指したのである。

アメリカとケンカしちゃいかんしロシアともいかん、中国ともまあ出来るだけケンカせんようにして、東南アジア、インドネシアとかタイとかマレーとかを勢力圏の中に入れて、中型帝国主義になる以外にこの一億人を食わす方法はない。小型では駄目なんで……(岩見、前掲)

この発想に戦前の「満蒙生命線」論との違いはない。それは帝国主義思想そのものだったのである。

5 安保改定

戦後岸政治の原点は追放解除後の1952年に発表された日本再建同盟の諸政策に表れている。そこでは、1)共産主義の侵略の排除と自主外交の堅持、2)日米経済の提携とアジアとの通商、3)憲法改正と独立国家体制の整備といった、岸路線の基本が提唱された。

これを戦後日本の政治史に位置づけてみると、憲法第9条を盾に軍備を抑え、その分の予算を経済復興に回そうという軽武装、経済優先の路線が吉田路線。改憲を唱え、アメリカからの自立として「中ソとの国交回復」を追求し、「独立の完成」を目指したのが鳩山路線。それらに対し、自主憲法、自主防衛、アジアへの経済進出という路線を、反共・親米という枠と結びつけて展開したのが岸路線ということになる。そしてそのことによって、岸は日本と米国との関係を構造的に従属的な形の同盟関係に誘い込んだのである。

ところで、岸は、自らの政治目的を達成するためのやり方として、憲法第9条の明文改憲をしないで、安保条約を出来るだけ双務的な軍事同盟の方向にもっていって、逆にそれを梃子にして改憲を促進するという戦略を採った。すなわち、形式上双務的に見える同盟を実現し、それによって改憲を促進する条件を作り出し、目標である自主憲法制定へと進む、というスケジュールを採ったのである。

このことに関連して、安倍総理は次のように語っている。

祖父は改定によって日本の安全を確保し独立度を高めていかねばという気持ちから改定に臨んだんです。……その結果、新安保条約では……旧安保条約に比べれば辛うじて双務的な方向に一歩進んだといえる改定ではあったと思います。(福田和也との対談「岸信介の復活」『諸君!』2003年9月号)

確かに旧安保条約は片務的な条約であり、その代償として日本の主権が犠牲にされているところがあったことは否めない。しかしそれでは、双務的な軍事同盟に近づくことが主権を回復することであり、独立することである、ということになるのだろうか。祖父の道をなぞるように安倍総理は次のように述べている。

集団的自衛権の解釈を変更するべきだと私は考えます。……集団的自衛権の行使とは、米国に従属することではなく、対等となることです。それにより、日米同盟をより強固なものとし、結果として抑止力が強化され、自衛隊も米軍も一発の弾も撃つ必要はなくなる。(安倍晋三『新しい国へ』)

ここで安倍総理は、安保改定をめぐる問題の所在が条約の双務性であったかのように語っている。しかし当時問われていたのはそれではなく、主権回復・独立実現の方向性をめぐる歴史的選択肢であった。それは講和条約締結の際に争われた、西側諸国とだけの講和(片面講和)か、それとも第二次世界大戦における全ての交戦国との講和(全面講和)かという選択肢を引き継いだ問題であった。すなわち、日米安保条約が片務的か双務的かというような問題において独立が問われていたのではなく、これから日本はどのような「世界」で生きていこうとするのか、新生日本のあるべき姿が問われていたのである。

それは具体的には、帝国としての戦前の日本を反省して、西側陣営にも東側陣営にも与さない非同盟諸国の一員として、アジア・アフリカ地域と共同していくのか、それとも反共軍事同盟を結び米国と一体化していくのか、要するに帝国主義を新たな道において選ぶのか、という選択であった。その歴史的選択の問題が、岸内閣による安保改定の際に、安保破棄による日米同盟からの脱却(=非同盟中立)か、それとも安保改定による日米同盟の強化かという選択肢として、再浮上したのである。

そして岸は、この歴史的選択に当たって、日米同盟の強化の途を選択した。その結果、安倍総理の主張とは裏腹に、日米の双務性が高まった日米同盟において、日本の対米従属度は深まったのである。

憲法第9条の制約の下では、どんなことをしても相互に防衛義務を負う軍事同盟は締結できない。そのような制約の下で国の安全を保障するために出来ることは、同盟ではなく、非同盟中立である、というのが全面講和論の中で主張されていたことであった。一見非現実的に見えるかもしれないが、憲法の原則に基づくならば、これが現実的な安全保障なのである。そしてそこからは従属からの脱却という選択肢も出てくる。しかし形式的な対等性を整えた岸の安保改定は、その裏に、日米同盟を永続的なものにするという意図を秘めていたのである。米国の期待もそこにあった。

あらゆる兆候からみて、岸は戦後日本に出現したもっとも強力な政府指導者だ。……彼は米国と全面的なパートナーシップを築きたいと願っている。……日米関係を永続的なものにするために、現在の関係を再調整(安保改定――引用者)する時が来たと強く感じている。(ダレス「アイゼンハワー大統領宛秘密メモ」、傍点--引用者)

それではこの岸の安保改定を讃える安倍総理による集団的自衛権行使容認とはどのような性格のものなのであろうか。

6 集団的自衛権行使容認の問題点

ここでは、安倍総理の私的諮問機関である「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」(安保法制懇)の報告を受けてなされた、総理による記者会見冒頭発言(2014年5月15日)と、集団的自衛権閣議決定全文(2014年7月1日)から議論したい。

まず、集団的自衛権の行使を容認するに当たり、安倍総理によって頻繁に使われるキーワードに、「積極的平和主義」がある。たとえば集団的自衛権閣議決定の前文には次のように書かれている。

我が国自身の防衛力を適切に整備、維持、運用し、同盟国である米国との相互協力を強化するとともに、域内外のパートナーとの信頼及び協力関係を深めることが重要である。特に、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定のために、日米安全保障体制の実効性を一層高め、日米同盟の抑止力を向上させることにより、武力紛争を未然に回避し、我が国に脅威が及ぶことを防止することが必要不可欠である。その上で、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを断固として守り抜くとともに、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の下、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するためには、切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備しなければならない。

このように積極的平和主義は今回の決定のいわば原則として述べられている。だが説明がないため、確認しておく必要がある。これは安倍総理も参与・政策委員を務める日本国際フォーラムという公益財団法人が提唱している言葉である。政策委員の一人である神谷万丈防衛大学校教授はそれを次のように説明する。

それは、①軍事大国を志向せず、②自衛と、平和が脅かされた場合の国際的共同行動以外では、武力行使を慎むが、③自衛のために必要最小限の軍事力整備はタブー思考なく実施し、④平和を構築・維持するための国際的な共同行動に関しては、軍事面を含めて自国にふさわしい役割を積極的に果たそうとする国のことであると言ってよい。(神谷万丈「なぜ自衛隊をイラクに派遣するのか──『積極的平和国家として』」『外交フォーラム』2004年3月号)

神谷は、「冷戦後の日本が安全保障分野で目指してきたもの」は、「従来の『消極的平和主義』を『積極的平和主義』に転換することであった」とした。そして、「積極的平和国家たることが日本の国益にかなうと考えるのであれば」、「これこそが、現在のような危険な状況が存在するにもかかわらず、日本が自衛隊をイラクに派遣することが正当化され得る最も基本的な理由である」として、自衛隊員は国益のために死の危険性も引き受けるべきである、と述べている(神谷、前掲)。

それではこういう積極的平和主義の内実は何なのだろうか。初めて積極的平和主義を「政府に正式に採用を提言した」(『北海道新聞』2014年9月23日)という、「日本国際フォーラム第32政策提言 積極的平和主義と日米同盟のあり方」には次のように書かれている。

(「自国だけが平和であれば、それでよい」という)「一国平和主義」は、結局は米国依存の平和主義にならざるを得ず、(「どこの国にも依存したくない」という)「一国防衛主義」は、結局は時代錯誤の国防国家論に出さざるを得ません。今日の日本の平和と安全は、日本もまた「民主主義圏」諸国を中核とする世界的な「不戦共同体」の一部であることを自覚し、その中核的な存在である米国との同盟関係を強化することによって、初めて主体性をもって日米同盟に対処することが可能になるのです。(「日本国際フォーラム第32政策提言 積極的平和主義と日米同盟のあり方」日本国際フォーラム政策委員会、2009年10月)

一読すれば何のことはない、自由主義圏が民主主義圏に、軍事同盟が不戦共同体に巧みに言い換えられているが、積極的平和主義とは「米国依存の平和主義」ではない、米国に積極的に協力するという意味での、米国との同盟関係の強化なのである。 ここで基本になっている考え方は勢力均衡であり、強調されているのが抑止力である。

勢力均衡とは、政策や利害を同じくする国と同盟関係を結ぶことで軍事力のバランスを取り、仮想敵国に対抗して攻撃を未然に防ごうとする方式である。反面、パワー(武力)の均衡が取りにくく、その不均衡を理由に軍備拡張競争・同盟国獲得競争になりやすいため、第一次、第二次世界大戦のような大規模な戦争が起きてしまう。同盟方式は敵対する国家間で軍事ブロックを形成し、軍事力によって対抗することを本質とする。

これに対して集団安全保障とは、対立関係にある国家を含めて、関係国すべてが加盟する国際機構を組織し、相互に武力によって攻撃しないことを約束し(戦争の違法化)、紛争が起きそうな場合は話し合いで解決することを定め、もしこのルールに違反する国が出た場合は集団で対処して、平和のために相互に安全を保障する方式である。国際連盟、国際連合はこれを基本原理とする。したがって、仮想敵国を前提とする同盟方式は集団安全保障体制の対立物であり、国際連合が否定した方式と考えられる。

ところが、同盟方式について安倍総理は次のように述べている。

軍事同盟とは、ひとことでいえば必要最小限の武力で自国の安全を確保しようとする知恵だ。(安倍、前掲)

これを読むと、「安全保障についての思考」を「国家にとってもっとも大切」(安倍、前掲)と強調する安倍総理自身が、同盟について基本的な理解ができていないのではないかと疑ってしまう。

勢力均衡の陥穽については、「安全保障のジレンマ」と呼ばれる説明が有名である。アナーキー(一元的な権力及び一元的な価値体系が存在しない状況)な国際関係において、国家が自国の安全保障を高めようとして行う防衛力の増強は、他国の安全保障を低下させ、軍備拡張競争を激化するため、国家は、自国の安全保障を高めるには防衛力を増強すべきかすべきでないかというジレンマに陥ることを指す。この最も極端な例が、自国の安全をより多くの核兵器を持つことによって高めようとして、米ソ両超大国が両国間の勢力均衡を核兵器によって維持しようとした核抑止政策である。勢力均衡は「必要最小限の武力で自国の安全を確保しようとする知恵」ではないのである。

加えて、「積極的平和主義」という言葉には大変な違和を覚える。それは、この言葉が平和学の重要概念と同名だからである。ノルウェーの政治学者ヨハン・ガルトゥングは平和を考える概念として、暴力を行為主体が存在する個人的暴力と行為主体が存在しない構造的暴力に区別し、両者それぞれに対応する平和の概念として、消極的平和と積極的平和を唱えた。消極的平和は個人的暴力の不在を、積極的平和は構造的暴力の不在を意味する。したがってガルトゥングは後者を社会正義とも呼ぶ。これが、集団的自衛権の行使容認を推奨し、武力措置を伴う国連の集団安全保障への参加を提唱して、さらには武器輸出三原則の見直しを求める積極的平和主義と根本的に異なるものであることはいうまでもない。政策委員たちがそのことを分かってこの言葉を使っているのかどうか知らないが、「積極的平和」概念に対する冒涜と感じてしまうのはわたしだけではないだろう。

さて、2014年5月15日の記者会見では、安倍総理が冒頭、邦人輸送中の米輸送艦の防護を例に、パネルを使い国民に集団的自衛権を行使する必要性を訴えた。しかし1997年に定められた「日米ガイドライン」では、「非戦闘員を退避させるための行動」の項において「日本国民又は米国国民である非戦闘員を第三国から安全な地域に待避させる必要が生じる場合には、日米両国政府は、自国の国民の退避及び現地当局との関係について各々責任を有する」と書いてあり、日本国民である非戦闘員を米輸送艦が輸送することは想定されていない。事実、1999年3月18日の衆議院日米防衛協力指針委員会で、中谷元議員が朝鮮有事に際し韓国の在留邦人の救出について、「当初ガイドラインにも、米軍による邦人の救出を入れて、米国が実施する項目ということでお願いをしていたが、最終的にはアメリカから断られました」と述べている。

また、そもそも戦時に軍艦で民間人を運ぶような危険なことはしないわけであって、安倍総理はほとんどあり得ない前提から憲法第9条を解釈しようとしており、これは国民を欺く姑息なやり口といわざるを得ない。しかし、総理はこのパネルを指さして、国民に向かい次のように語ったのである。

皆さんが、あるいは皆さんのお子さんやお孫さんたちがその場所にいるかもしれない。……こうした事態は机上の空論ではありません。……南シナ海では、この瞬間も力を背景とした一方的な行為によって国家間の対立が続いています。これは人ごとではありません。東シナ海でも日本の領海への侵入が相次ぎ、海上保安庁や自衛隊の諸君が高い緊張感を持って24時間体制で警備を続けています。北朝鮮のミサイルは、日本の大部分を射程に入れています。東京も、大阪も、皆さんの町も例外ではありません。そして、核兵器の開発を続けています。(安倍総理大臣記者会見・冒頭発言、2014年5月15日)

このように、安倍総理は国民の不安を煽って、中国や北朝鮮の脅威を強調したのである。

ところで、安倍総理の私的諮問機関である安保法制懇はその報告書で、集団的自衛権の行使、軍事的措置を伴う国連の集団安全保障措置の両方ともに、憲法上の制約はないと解釈すべき、と報告した。これを受けた記者会見で総理は、後者については許されないとしつつ、一方で「限定的に集団的自衛権を行使することは許されるとの考え方」について、検討する、と表明した。要するに集団的自衛権について憲法解釈を検討すると表明したわけであるが、これは総理自身の言葉を裏切っている。

憲法第九条第二項には、「交戦権は、これを認めない」という条文がある。……たとえば日本を攻撃するために、東京湾に、大量破壊兵器を積んだテロリストの工作船がやってきても、向こうから何らかの攻撃がないかぎり、こちらから武力を行使して、相手を排除することはできないのだ。わが国の安全と憲法との乖離を解釈でしのぐのは、もはや限界にあることがおわかりだろう。(安倍晋三『新しい国へ』)

「わが国の安全と憲法との乖離を解釈でしのぐのは、もはや限界にある」と言いながら、「憲法との乖離を解釈でしのぐ」安倍総理の言葉と行動の乖離が分かるだろう。以上から知られるのは、真正面から問題を国民に問うのではなく、いわば裏口から問題をすり替えていく安倍内閣の常套手段である。これが憲法第96条の先行改正を図った時に麻生副総理が言った「あの手口」なのだろうか。しかしこれが立憲主義の掘り崩しであることはいうまでもない。

そして、安倍総理は「1972年の自衛権に関する政府見解」の見解を結論だけ変え、集団的自衛権の行使を容認した。その理由とされたのが、安全保障環境の変化、具体的には中国の台頭であった。それでは、こうした安全保障環境の変化を踏まえて取って代わるべき日本の安全保障政策は何なのか。それに関しては紙幅の都合から稿を改め論ずることとしたいが、最後に今度の解散総選挙について再度述べて終わりとしたい。

7 なめられ始めた主権者

安倍政権の戦略を今一度確認すると、それはアベノミクスで政権の人気を維持し、その裏で真の目的である「[日本国憲法に象徴される]戦後レジームからの脱却」を図るというものである。

わたしが政治家を志したのは、ほかでもない、わたしがこうありたいと願う国をつくるためにこの道を選んだのだ。政治家は実現したいと思う政策と実行力がすべてである。確たる信念に裏打ちされているなら、批判はもとより覚悟のうえだ。(安倍、前掲)

日本国憲法が拠って立つ国民主権原理では、主権は国民に存し、政治家は国民の信託に基づいて政治を行う公務員にすぎない。主権者である国民と議員の関係はいわば本人と代理人の関係である。したがって、日本国憲法下において主権者の代理人に過ぎない政治家が主権者の声を無視して「わたしがこうありたいと願う国をつくる」ことは、民主主義(=主権在民)と憲法秩序の破壊である。また「憲法尊重擁護義務」(憲法第99条)を負う公務員として、憲法違反である。  確かに戦前の大日本帝国憲法の下においては、天皇という超越的な強力支配人格を戴く、岸に代表されるような権威主義的テクノクラートが、主権者である天皇の名代(代理人)として、統治行為を行い、国民は統治され動員された。

しかし戦後の日本国憲法の下においては、主権者である「日本国民は、……ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する」(日本国憲法前文)。

だからわたしたちが選んだ代表が暴走するなら、わたしたちは起って、これを倒す。このようにして、54年前、岸政権は国民の反対運動によって倒された。このように発現された権利意識は、権力の座にある者に永く恐れられてきた。しかし、わたしたちはいつの間にか、その遺産の上に眠る者となっていったのではないだろうか。民主主義が自己統治だということが忘れられ、そしてそれに伴って、わたしたちはなめられ始めたのである。

今回の解散総選挙は急なことでもあり、低投票率が予想されている。そうすれば当然、固定票を持つ与党に有利に働くだろう。そして、総選挙に勝利したとすれば、来年の通常国会に予定されている安保法制の関連法案の審議の席の上で、安倍総理はこう言うのだろう。「われわれは先の総選挙で国民の皆さんから信任をいただいている」と。

わたしたちは安倍政権でこれまで行われてきたことを振り返り、さらに安倍総理が今後進めようとしている政治課題を考えて、審判しなければならない。安倍政権のトリックに騙されてはいけないのである。

ひやざき・まさや

1974年、長野県生まれ。明治大学兼任講師。昨年末に『現代に甦る大杉榮 自由の覚醒から生の拡充へ』(東信堂)を刊行。

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