特集●戦後70年が問うもの Ⅱ

アジア地域統合と日本の生きる道

不戦共同体を東アジア地域統合の理念として

国際アジア共同体学会会長 進藤 榮一

Ⅰ 「アジア力の世紀」へ

今、21世紀情報革命の下で「アジア力の世紀」が登場しています。19世紀産業革命、「第一の産業革命」が大英帝国の世紀、パクス・ブリタニカを生み出したように、20世紀工業革命、「第二の産業革命」が、大米帝国の世紀、パクス・アメリカーナを生み出しました。しかし今、21世紀情報革命、「第三の産業革命」の波が、大米帝国の世紀を終焉させ、「アジア力の世紀」、パクス・アシアーナを生み出しているのです。

それは、中国やインドが単体として台頭して、世界を席巻するのではありません。中国やインドが、日本や韓国、ASEAN諸国と相互に連鎖し補完しながら、アジアの「地域力」を強めて、世界の主軸と化していくのです。その新しい世紀の到来する中で、国際関係の地軸は移動し続けます。

IMFの2014年のデータによるなら、中国やインド、ブラジル、ロシアなど、いわゆるBRICsと、トルコ、メキシコ、インドネシアを加えた新興7カ国のGDPは、37兆8千億ドル。米国や日本、EUなど先進7カ国のGDP、37兆5千億ドルを凌駕しました。北と南の位置の逆転、南北逆転です。

購買力平価で換算したとき、中国のGDPは、2014年に米国を凌ぎ、2019年に日本の5倍になります。世界経済への寄与度で、アメリカが15%であるのに対して、中国は28%を記録します。『フォーブス』の政治家人気度(2014年)で、プーチンが昨年に続き連続1位、オバマ2位、習近平3位、メルケル4位という数字が、変貌する世界の現況を示しています。ちなみに、金正雲が45位、安倍は48位です。

南北逆転と東西逆転が連動し、好むと好まざるとにかかわらず、日本を歴史の後景に追いやりながら、地軸が、北から南へ、西から東へ移動し続けているのです。それを、16世紀以来の「近代の終焉」と呼び換えることができましょう。

「近代の終焉」――それは、15世紀末、コロンブスの「アメリカ発見」(1492年)、フィリピンの植民地化(1565年)、ジャワ王国や台湾の制圧(1602年、1642年)から、アヘン戦争(1840、1874年)、セポイの反乱(1842年)、米メキシコ戦争(1848年)を経て、サイコスコピオ密約(1921年)による中東分断から、「ベルリンの壁」崩壊に至る、近代の終焉を意味します。西欧列強が、エマニュエル・ウオラシュタインのいう「長い16世紀」以来、5世紀にわたってアジア・アフリカ・ラテンアメリカを支配し続けてきた「近代の終焉」です。

それを、1648年成立のウエストファリア体制の終焉と言い換えることもできます。「主権国家」――それも西欧国家――の至上性を軸に、欧州諸国家間の軍事力の合従連衡によって、平和と繁栄がつくられるとする、欧米中心的な国際システム論の終焉です。

同時にそれは、植民地主義と軍事同盟や、武力による内政干渉と抑止力、「戦争」という名の国家暴力が、世界を取り仕切ってきた「近代」の終わりを意味しましょう。新しいポスト近代の始まりです。

その時なぜいま、「アジア力の世紀」が到来する中で、アジア地域統合が進展し、その進展が、東アジア共同体の構築を促していくのか、そしてなぜその構築が、バンドン会議60年の歴史と重なり合うのかが、見えてきましょう。

Ⅱ バンドン以後、春から夏へ

人が一人で生きて行くことができないように、国もまた、一国だけで生きていくことはできません。とりわけ、独立したばかりの若い国々の場合がそうです。

独立した国々は、絶えず、旧支配諸国からの介入と政権転覆の危機にさらされ続けます。巨大な力をなおも維持し続ける北の先進諸国が、南の途上国の内政に干渉して、内戦の危機と、内戦それ自体を惹起させます。

二つの世界大戦をへて独立を勝ち取ってまもない1955年4月――独立したばかりの若いアジア・アフリカ29か国の首脳たちが、インドネシアの古都バンドンに集いました。内政不干渉と領土保全、民族自決と武力不行使、国連体制下での紛争の平和的解決など、いわゆるバンドン平和十原則を謳い上げました。バンドンの精神です。

会議開催の歴史的意味は、会議開催前、中国代表、周恩来首相が乗るはずの、北京発、香港経由の飛行機カシミールプリンセス号が、香港南方300キロで落とされた爆破事件と、事件にCIAが関与していた事実に、象徴されます。

バンドン会議後、東南アジア新興5か国は、バンドンの精神を体現すべく、1967年に、地域協力の制度化に向けて協働体制を組みます。ASEAN共同体形成への動きです。そして90年代インドシナ内戦を収束させたあと、共同体の輪を、ASEAN10カ国へと広げます。

しかしASEAN10カ国は、この後、冷戦終結後のアメリカン・グローバリズムの脅威に襲われます。

1997年7月2日、香港返還の日に照準を当てるかのように、米国のヘッジファンドが、タイ通貨バーツを皮切りに、アジア通貨の売り買いに出て、巨万の富を稼ぎ出します。アジア通貨危機です。とりわけタイとインドネシア、韓国が、国境を超えたドルのグローバルな跳梁跋扈に塗炭の苦しみを舐めます。

その通貨危機の苦難の中でASEAN諸国は、日中韓3カ国を誘い込んで、ASEAN・プラス・スリー、13カ国首脳会議(サミット)の場をつくります。その果実が、2000年5月タイのチェンマイで結ばれたチェンマイ・イニシアティブ、アジア通貨融通措置です。地域統合推進に向けた金融共同体形成の始まりです。

東アジアの共同体形成の動きは、ここから始まります。東アジアの地域統合、春の季節の到来です。欧州統合とは違って、バンドン以来の小国主導による地域統合のプロセスです。以後、小国連合ASEANが「運転席」に座って、地域統合の車を運転していくといわれる所以です。

しかも、東アジア共同体形成の動きは、EU形成の歴史と違って、法制度的な、デユーレの形成過程ではありません。通商や生産、開発や文化など、夫々の領域における機能主義的な繋がりの連鎖として展開していきます。デファクトの形成過程です。その広がりによって、地域の平和と繁栄をつくるという、機能主義です。

それにしてもいったい、なぜ見も知らぬ人々が、山や川、海を超えて、国家という名前の「幻想の共同体」をつくるのでしょうか。ベネディクト・アンダーソンは、国家の形成過程を調べ上げ、形成の力学を明らかにしました。その研究に依拠しながら私たちもまた、村や町であれ、国や地域共同体であれ、人々が「幻想の共同体」をつくり上げる力学を、次のように要約できます。

すなわち人々は、共通のリスクまたは脅威と、共通の利益、そして共通の文化を手にした時、共同体形成へと動き始める、と。

21世紀情報革命は、新興アジアの成長と台頭をもたらしました。しかし同時にそれは、アメリカン・グローバリズムの脅威とリスクをも生み出しました。

第一に、金融カジノ資本主義による、国境を超えた金融グローバリズムのリスクです。第二に、グローバルな米国軍事覇権主義のリスクです。「第三の軍事革命(RMA)」下、巡航ミサイルからドローン兵器に至る、高度な非核殺傷兵器群が生み出す脅威です。

加えて情報革命は、人とモノとカネが瞬時に移動できるグローバル化された世界をつくります。その世界の中で、国境を超えた感染症や煙害による食糧危機、山火事や海賊の頻発を産み落とします。小国家連合ASEAN10カ国と、北東アジアの大国、日中韓3国は、それら一連の脅威とリスクに対処するため、感染症予防、緊急コメ支援システムや海賊共同対策をつくり上げていきます。

21世紀情報革命がつくる共通のリスクが、冷戦終結後の東アジア13か国を軸に、夫々の領域で地域協力の制度化、つまりは地域統合を促し続ける所以です。

Ⅲ 共通の利益へ

アジア通商生産共同体へ

今や「クルマ一台を一国内で生産する」時代は終わりました。いくつもの国々で、部品をつくり、それを組み立てて完成させる時代へと、変貌しています。モジュール化(組立部品化)とよばれる部品加工生産化による、新しい生産工程の時代へと突入しているのです。パソコンからクルマに至るまで、レゴの組み立て作業のように、いくつもの部品を組み合わせて、完成品へと仕上げていく、「生産大工程の時代」の展開です。

その展開が、国境を超えた付加価値連鎖、いわゆるサプライチェーンによる国際部品生産工程の構築を求めます。

生産大工程は、単に部品だけでなく、カネとヒトとモノ、情報とテクノロジーの国境を超えた移動を阻む壁を、可能な限り低めていくことを求めます。

一国だけで生産が完結する「一国生産の時代」も、一国繁栄主義の時代も終わりました。その時代の先に国々と企業は、貿易と投資を自由化し、そのためにFTA(自由貿易協定)の網の目をつくり、それを広げます。

2001年以来、形成され始めた、ASEANをハブとし、中、日、韓、豪洲、ニュージーランド、インドをスポークとする「ASEAN+6」からなる、東アジアFTAネットワークです。東アジアの通商共同体の形成です。EUやNAFTA(北米自由貿易協定)に続く、アジア地域統合に向けた、もう一つの動きです。それが、アジア生産共同体の形成と連動します。アジア地域大のサプライチェーンの形成です。

しかも、30億人以上もの安価で勤勉な労働力を要する東アジアは、80年代から90年代にかけて、情報革命の進展を契機に、「世界の工場」として勇躍します。

ヒトとカネ、モノと技術の国境を超えた相互交流と相互補完の波が、サプライチェーンの網の目を、いっそう密にし、加速度を高めながら、東アジアを「世界の工場」へと押し上げます。加えて、資本移動と技術移転が進展し、中国やASEAN諸国、インドのような途上国社会と、日本や韓国のような先進国社会の経済格差が縮まり続けます。

今、東アジアには分厚い中間層――クルマ一台を買うことのできる階層――が生まれています。その中間層人口は、2015年現在20億人に達すると算定されます。東アジアは、巨大な消費人口を抱えた「世界の市場」へとまた化しているのです。

かつて過剰な人口は、貧困と低開発の属性でした。いわゆる人口オーナスです。それが、情報革命の進展を契機に、豊かさと発展の条件へと化しました。人口ボーナスです。その人口ボーナスが、東アジアの通商共同体と生産共同体の形成を促していきます。

開発建設共同体へ

東京からバンコクまで、4500キロメートル、ニューヨークからロスアンゼルスまでの距離と同じです。その空間の広がりの中でアジアの国々は、相互補完と相互連鎖と相互依存のための線をつくり、線を面に変えていきます。点から線、線から面への動きです。地域大に広がる面の形成です。国々は、共通のリスクに対処しながら、共通の利益の最大化を図る協働作業を進めます。

その協働作業の中に、開発共同体と建設共同体への動きが組み込まれます。東アジアには、インフラ整備の遅れた広大な海洋や地域空間が広がっています。大メコン河流域共同開発計画(GMDP)から、包括的アジア総合開発(ACDP)への動きです。金融共同体から、通商共同体を経て、建設共同体に至る、東アジア共同体形成の展開です。

その延長上に、インドと豪州を加えた、ASEANプラス6による、東アジア地域包括的経済連携、RCEPのシナリオが描かれ、2012年に原則合意を見ます。東アジア共同体、夏の季節の到来です。

「ノーベル経済学賞に最も近い経済学者」と称された故・森嶋通夫ロンドン大学教授は、かつて、日本の没落を救う唯一の道は、東アジア共同体の構築であると説き、軸は建設共同体にあると説きました。中国西部地域などの広大な低開発地域に、日本の資本や技術を投資することによって、ウインウインの相互補完関係をつくり、地域共同体の核にしていく政策構想です。

その構想が今、規模を拡大させ、内実を深化させた形で現実性を強めています。それが、昨今メディアをにぎわしている、中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)設立構想に集約されます。

AIIBという選択

アジアに退蔵する膨大な資本と貯蓄を原資に、共同出資を募り、それをアジアのインフラ投資に融資する。中国主導の新たな国際金融機関構想です。それは、貧困や開発を融資対象とする、米欧主導のIMFや世界銀行とも、日米主導のアジア開発銀行とも違います。

その構想が、習近平政権が打ち出した新国家戦略、「一帯一路戦略」――海と陸のシルクロード構築戦略――と対になって打ち出されました。

構想は元々、アジア地域統合の基本戦略として打ち出された「連結性(コネクティビティ)」強化戦略を基礎としたものでした。そのことに、私たちは止目しなくてはなりません。

すなわち、アジアの平和と発展を強めるには、単にFTAや通貨融通システムなどをつくるだけではなく、生産や発展の基盤を整備し強化しなければならない。物流や人流、資本やエネルギー、情報の効率的な移動のため、相互の繋がりを強めていくことです。その強化を、連結性という概念で捉え、地域統合と発展戦略の基本にすえたのです。中国語でいう「連通連恵」です。

言葉をかえれば、山や海、砂漠や河川などで分断された空間を繋ぎ、連結性を強めることによって、地域大の発展と繁栄をつくり上げていく、平和的な発展戦略です。この戦略は、アジア固有の広大な空間の持つ従来の意味を逆転させる発想につながります。

これまでアジアの空間は、多くの海や河川、砂漠や山岳など事実上分断されているために、貧困と低開発を生む空間と捉えられてきました。空間オーナスです。

しかし情報革命下、先端建築技術工法の進展と、域内に退蔵する潤沢な資金によって、地理的に分断されたアジアの広大な空間は、連結性の強化を通じ、低開発空間から発展空間へと変じます。空間ボーナスへの逆転です。その逆転が、生産大工程下で展開される、アジア生産共同体への動きをいっそう強めます。

しかも今、空間ボーナスを生む領域が、狭義の東アジアから、東南アジア諸島やインド亜大陸、モンゴルや中央アジアから中東、トルコをへて、遠くヨーロッパ大陸へとつながっています。

だからこそAIIBの融資対象が、東アジアに止まらず、二つのシルクロードを通じて欧州にまで広がる、一体としてのユーラシア発展戦略として意味を持つのです。

その時、内需が縮小し続ける日本にとって、AIIBの持つ潜在的利益が、あまりにも巨大なものである現実に気付くでしょう。

共通の文化へ

「先生は、アラシが好きですか」、ジャカルタの国際会議で若い日本研究者が、そう問いかけてきました。今や、アラシやAKB、村上春樹や高倉健は、国境を超えてアジアの若者たちの人気の的です。21世紀情報革命が、東アジアの豊かな都市中間層に、共通の文化をつくり出しているのです。

その都市中間層の文化が、儒教や仏教など、アジア悠久の歴史の中で民衆に根付いている文化の基層と結び合います。しかもそれが、数千年の歴史とアジア特有の風土の中で培われた文化の古層――対立するものを包摂する「不二一元」の文化の古層――と重合します。

そのアジア共通の文化が、次のような形をとって、社会文化共同体の形成を促していきます。2010年に発足した「アジア文化都市」構想の実施、「キャンパス・アジア」(日中韓の拠点大学院間の単位相互乗り入れ制度)の実施、そしてソウルに開設された国際機関、日中韓三国協力事務局(TCS)による多様な文化活動です。

それが、アジアの海外旅行者数が年間2億人を超えて増加し、その7割が東アジア域内観光地を旅行先とする、観光産業のつくる、広義の「社会文化共同体」の形成と重なります。

だがこうした文化共同体形成の諸活動にもかかわらず、東アジア地域統合の動きを押し止める動きが、米軍アフガン撤退後のオバマ政権下で、同時進行することになります。大米帝国の側からする逆襲、アジア・リバランス戦略の動きです。

Ⅳ 歴史の不可逆性、または経路依存性

米国主導下でのTPP(環太平洋経済連携協定)推進への動きであり、日本市場取り込みへの動きです。あるいは対中軍事包囲網形成と対中牽制の動きです。

尖閣や竹島/独島、慰安婦問題を巡る、日本と中国や韓国との領土歴史問題が、米国リバランス戦略と重って、東アジア共同体形成の動きは、一挙に冬の季節へ突入しました。

ただ、冬の季節への突入にもかかわらず、情報革命の波は、大米帝国、パクス・アメリカーナの終焉を促しながら、地域力としての「アジア力」を興隆させ続けます。

大米帝国の終焉は一方で、いまだ着地点を見えないTPP交渉の現在に表出します。TPPは、08年交渉開始当時から、「難産か流産か」の命運を辿り続けます。覇権(ヘゲモニー)を支えるソフトパワーが衰微していることの帰結だと、言い換えてもよいでしょう。

その覇権の衰退の裏側で、「アジア力」が興隆します。アジア地域統合の動きは、冬の季節を突き抜け、春の季節へと向かわざるをえない構造要因を内包しています。

それを、アジア地域統合“再春”の季節の到来に向けた「歴史の不可逆性」と言えましょう。政治学でいう「経路依存性」の帰結だと言い換えることもできます。すなわち、人にしろ組織にしろ、ひとたびある経路(パス)をとった時、経路に依存しながら先を歩み続けることになるという、行動の構造的帰結です。

歴史の不可逆性、もしくは経路依存性は今日、アジア地域統合の動きを二様に進展させています。第一に、東アジアのサプライチェーンの深化と高度化による、生産共同体の進展です。第二に、すでに触れたAIIBによる建設共同体形成への潜在性です。

東アジアサプライチェーンの深化と変容について。

かつては、日本が資本財をつくり、韓国が中間財(部品や加工品)をつくり、中国とASEANが、消費財をつくり、「世界最大の消費大国」米国へ輸出するという、「太平洋成長トライアングル」が、アジア発展の構造でした。大米帝国依存型で、日本主導のアジア成長シナリオです。

しかし今やそれが変容しました。日、韓のみならず中国でもまた、三国が夫々、資本財と中間財を生産し、それを中国とASEANに輸出し完成品に仕上げ、その過半をアジア域内で消費していく、より自生的な発展構造へと変容しています。

その結果、アジア域内の貿易比率は、今やEU並みの60%に近似し、域内直接投資比率は7割に達します。

しかもEUの場合、80年から2013年まで、財別域内輸出構造にほとんど変化がありません。最終消費財の域内貿易が、80年25・4%から2013年28・6%と、一貫して高い比率を保ちながら、部品部門の域内輸出比率は、80年11・2%から2013年15・9%と低い比率を維持し続けます。

それに対して東アジアの場合、最終消費財の域内輸出比率は、80年14・1%から2013年11・6%へと低下し、域外輸出力を強化させながら、部品部門の輸出比率は、80年6・8%から、2013年30・1%へ急増し、域内加工品輸出比率も、80年37・9%から2013年35・2%と高い比率を維持し続けます。

つめていえば、EU経済圏と違って、東アジアの場合、工程間分業が深化し、サプライチェーンが高度化して、国際価値連鎖における連結性が強化されることによって、アジア経済圏としての自立性を高めて、事実上の経済統合を進展させ続けるのです。

しかもこの変容が、唱新教授が見事に実証したように、中国の科学技術力に支えられた経済構造の高度化によってもたらされた、新しい現実に目を向けておきたいと思います。

すなわち中国は、かつての世界最大の消費財輸出国から、今や世界最大の資本財輸出国へと変容しました。資本財輸出総額で、1990年84.1億ドルから2013年6.350.4億ドルへと、75倍に増加させ、世界資本財輸出市場の4分の1(25.3%)を占めるに至っているのです。

換言するなら、中国経済の高度化が、東アジア経済のより自生的な発展構造を生み、それを支え、より自生的なアジア地域統合への牽引役となっているのです。

Ⅴ バンドンを超えて

バンドン会議60年。かつて第三世界と位置付けられていた南の国々が、北の国々に追いつき追い越し始めています。同時に、かつて社会主義国として位置づけられていた東の国々が、多様な資本主義体制をとって、発展を進め、東西逆転が南北逆転と同時進行しています。21世紀情報革命下で進展する、国際関係の地殻変動です。

その時再びAIIBの持つ、歴史的意味が浮上してきましょう。それは第二次大戦終結とともに登場した米欧主導のブレトンウッズ体制の終焉を告げるものとなりましょう。長期的視点で見る、ドル基軸通貨制の終わりです。

たとえ遅ればせであっても日本が、AIIBに参加するなら、アジア諸国とだけでなく、独仏英などの欧州諸国とともに、アジア建設共同体のユーラシア大陸大の発展展開を推し進めることができましょう。併せて日本は、中国政策決定機関内で進行する「軍産官複合体」の台頭に対して、AIIB事業への共同参画によって、欧州各国とともに、内側からする歯止めをかけることができましょう。

巨龍中国の潜在的膨張主義に対して、外からする軍事的封じ込めへの加担ではなく、内からする共同事業への参画によって、日中間の多角的関係を構築する好機だといってよいでしょう。 バンドン会議60周年目の今日、私たちが想起すべきことは、60年前、バンドンで密かに行われていた日中外交の歴史です。

あの時、日本から高碕達之介や河野一郎らが、米国側の反対を押し切ってバンドンに駆け付け、周恩来らと日中貿易開始に向けて、秘密裡の会合を取り持っていました。68年に始まるLT貿易開始に向けた「水かき外交」です。対米従属外交からの自立を目指し、アジアとの共生に戦後日本の再生を賭けた、保守外交の最も早い動きです。

21世紀情報革命は、「アジア力の世紀」を生み、東アジア地域統合、つまりは東アジア共同体の構築を推し進めます。その波が、16世紀以来の欧米中心世界の終焉を促しながら、新しいアジアをつくり始めます。

であるなら、私たちが今なすべきは、新しいアジアの構築に向けて、かつて欧州共同体がそうであったように、不戦共同体を東アジア地域統合の理念として掲げることです。そして、中国脅威論と日米同盟基軸論の呪縛から自らを解き放って、アジアとの共生の中に生きる覚悟を、新たにすることです。

そこにこそ、「永続敗戦」から抜け出て、真の豊かさを取り戻すことのできる日本の道があるのです。それが、バンドンに立ち返ってバンドンを超える道です。

脱亜入欧から脱米入亜への道、もしくは連欧連亜への道といってよいでしょう。その意味で、問い直されているのは、明治維新以来のこの国の外交のかたちなのです。

註;本稿作成に当り、次の論稿に教示されました。記して謝意を表します。久保孝雄「同時進行する南北逆転・東西逆転への胎動」、メールマガジン『オルタ』2015年1月。唱新「AIIB以後の東アジア共同体」、2015年度国際アジア共同体学会国内学術大会報告。

しんどう・えいいち

1939年生まれ。京都大学法学部卒。筑波大学大学院名誉教授。法学博士(京都大)。鹿児島大助教授、ハーバード大学アメリカ研究所シニア・フェローなどを経て筑波大教授。現在、国際アジア共同体学会会長、東アジア共同体評議会副議長。著書に、『アメリカ―黄昏の帝国』(岩波新書)、『敗戦の逆説』(ちくま新書)、『戦後の原像―ヒロシマからオキナワへ』(岩波書店)、『分割された領土―もうひとつの戦後史』(岩波現代文庫)、『東アジア共同体をどうつくるか』(ちくま新書)、『アジア力の世紀―どう生き抜くのか』(岩波新書)、『芦田均日記』(編纂、岩波書店)など多数。

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