この一冊

『介護保険と階層化・格差化する高齢者』(水野博達 著 明石書店、2015.4)

介護保険制度の疲労・崩壊を救うものは

奈良女子大学名誉教授 澤井 勝

本書の著者は50歳を過ぎてから、特別養護老人ホームの建設の準備に関わり、設立後は施設長として運営の責任者となった。大阪市東住吉区の矢田地区にある(社)ふれあい共生会の「花嵐」(5階建て、定員150名)である。開所は1995年4月2日。その後、介護保険が2000年度から導入され、その制度の立ち上げと運営の渦中で施設長の仕事をしてきた。今年(2015年)は、介護保険制度が運用されて15年。本書は、その時期にあたって、介護保険制度の軌跡に迫ることを考えて、その時々に執筆してきた論考を集めて編まれたとされている。

その発想の基本は、「措置の時代」から「契約の時代」への転換点とされながら、介護保険制度と国の制度運用については、「疑問と悲観的な認識が徐々に膨らんでいった」ところにある。それは、時代としては、「介護の社会化」を求める大きな市民運動の流れを背景としながら<その人らしい生活を支える>ケアとは何かを追求するケア改革の運動の時代であった。「制度への批判をバネに、事業展開や地域の実践において、明るい展望を少しでも開こうと前向きに動いていたように記憶している」とも言う(「はじめに」から)。

一貫しているのは「ケア」の世界への「市場主義原理」の導入の違和感であり、それから演繹されてくる面もある「介護労働力確保の困難性への強い危惧」である。それは実務での苦闘によってよく練られた意見となっていて説得力に富む。これはまた度重なる制度改正や介護報酬改正によって、「国民・被保険者とケアの現場も制度への過度な依存と・”制度中毒”となっている」という堤修三氏(介護保険生みの親とも言われる)の批判も共有している。

たとえば岩間伸行(大阪市立大学大学院生活科学研究科教授)らの東住吉区の今川地区社協の分析を引用して、介護保険制度の導入によって、小地域福祉活動が衰退し、地域の地縁的組織と活動の衰退を招いていると指摘している。「要するに介護保険は、プライバタイゼーションに基づいて、疑似市場で介護サービスを『買う』という制度である。『契約』に基づく『市場での(サービス選択の)自由』という市場原理が組み込まれている結果、互酬的関係や相互扶助的機能は、サービス(商品)の売り買いに組みかえられるのである。」(「序章」から)

また介護労働力確保については、低賃金と労働の難しさから若者が介護の仕事を忌避していることや、中間階層の不安定化とやせ細りで、都市におけるヘルパー不足が深刻化していることを指摘し、それを政府が「日本再興戦略」で外国人介護労働者を「技能実習制度」の対象とすることを、抜本的解決策にならないとしている。

その解決策として著者は、介護保険制度を超える<政府セクター><市場セクター>、地域コミュニティー・協同組合・非営利・ボランティアの<協働セクター>、家庭など<私的セクター>という異質なセクター間の関係調整をベストミックスさせ、新たな公共性に基づく「新しい公共福祉」を創造するという目標を実現する取り組みを求めている(第9章など)。

問題は、介護保険制度が、小地域福祉活動を制限して居るとしたら、それを克服していく方策を、現実の取り組みの中に探ることにあるように思える。もともと「介護保険制度」は小地域福祉活動や、訪問診療や看護、地域リハビリ、ボランタリーな高齢世帯への声かけや配食サービスなど、柔軟なサービスの提供と、その利用者自身の参加によって成立するものだからである。多くの保険者はこのことに無頓着であったと言わざるを得ない。

改めてこれを保険者である市町村の立場から見ると、方向は二つある。一つは、地縁的組織の再編成の道である。市町村自治基本条例の制定の動きに合わせて、少なくない市町村で、旧来の自治会町内会と、自主防災組織、PTAなどの諸団体、およびNPOなど市民組織とを統合した「地域自治協議会」をつくる動きがある。その住民自治協議会には、下部組織として「福祉部会」が置かれる場合が多く、それと市や地区の社会福祉協議会との連携も試みられている。基本は小学校区単位で、先駆例としては宝塚市のまちづくり協議会、伊賀市(6市町村合併)の住民自治協議会、旧美山町の地域振興会、長野市住民自治協議会、地区公民館単位の鳥取市まちづくり協議会などがある。これらは、介護保険を支える住民組織として再構築できる可能性をもっている。

もう一つの方向は、地域社会の組織化(オーガニゼーション)という観点からの小地域福祉活動の人による組織化である。これは豊中市や箕面市で成果を上げていると(評者は見ている)コミュニティ・ソーシャルワーカーの配置とその活動展開の方向である。

本書でも第1章「『介護の社会化』とは、『市場』での自由のことか?」の3節「『家族・世帯』の問題と介護保険」で、家族・世帯の枠組みが介護保険の利用によって解体状況となったケースに出てくる、当事者(知的障害のある娘)を取り巻くネットワークを組織している例では、中心にネットワークをつないでいると想定される、特養(在宅介護支援センター)の主任相談員がコミュニティ・ソーシャルワーカーに当たる。

さらに付け加えると、保険者としての市町村と府県は、介護保険事業者のケアの内容について、幅広い見地から、研修や研究の仕組みを使って改善を図ることが求められる。それは、「良いケア」についての「経験交流」と可能な事業改善の道を共有することである。

たとえば奈良県の市民生協を母体とする、協同福祉会は大和郡山市、奈良市、生駒市、天理市で特養やグループホーム、デイサービス、ショートステイ、小規模多機能型ケア、定期巡回・随時対応型訪問介護事業所を15カ所で運営している(2015年5月現在)。1999年9月に最初の特養「あすならホーム」を開設して15年。これらのスタッフのうち、正規職員については、これまでほとんど他の事業所等への転職を目指した離職はないという。その定着度は高い。

そのケアの基本は2006年に確立した「10の基本ケア」を展開するところにある。それは、1,換気する、2,床に足をつけて座る、3,トイレに座る、4,あたたかい食事をする、5,家庭浴に入る、6,座って会話する、7,町内にお出かけする、8,夢中になれることをする、9,ケア会議をする、10,ターミナルケアをする、である。このようなケアを取り巻いて、職員がコーディネーターとなる「つながり連絡員制度」や地域に開かれた「あすならランチ」、買い物が困難な人向けの「買い物バス」(デイサービスの送迎バスを昼間に活用するもの)、訪問看護とテレビ電話の活用などが行われている。さらに生協組合員が「あすなら友の会」をつくり資金援助やボランティアを担う。このケアの基本は、個人の生活の確立から社会生活の復元までの拡がりを持っている。新しい協同のかたちを作りつつあるとも言える。私たちは、このような地域での実践にも目を配る必要がある。

本書の論じる論点は他にも介護保険によって「格差化する高齢者」(第3章「財政事情優先で進む制度の改変と入所判定基準」等)など多岐にわたる。ここではその一端を紹介するにとどまるが、よりよい社会の構築に向けた議論の一里塚として活用したい論考の一つである。

さわい・まさる

1942年生まれ。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。地方自治総合研究所、北九州大学教授を経て、1997年奈良女子大学教授。現在同名誉教授。大阪市政調査会会長。著書に『現代の地方財政』(有斐閣)、『自治体雇用・就労政策の新展開(公人社)、『自治体改革第二ステージ、合併新市計画の作り方』(ぎょうせい)など。

この一冊

第5号 記事一覧

ページの
トップへ