特集●戦後70年が問うもの Ⅱ

核廃絶へ、決め手は「核タブー」

「人道主義」が核保有国を包囲

ジャーナリスト 金子 敦郎

ロシアと米欧のウクライナをめぐる対立が昂じて、プーチン・ロシア大統領は「ロシア包囲網の強化」に対抗するとして冷戦時代に立ち戻ったかのような核威嚇を持ち出し、戦略核増強の構えに出ている。5年ごとに開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議も非核国の「誠意ある核削減・廃絶」要求に核保有国が頑なに抵抗して決裂に終わった。中東・アフリカ、南シナ海などに拡がる地域紛争も加わって、オバマ米大統領の「核なき世界」はますます遠のいた感がある。しかし、こうした危機的状況は一方で、核廃絶を求める国際世論を刺激している。人間と環境に破滅的破壊をもたらす核使用は「タブー」とする人道主義が高まり、核保有国包囲網はじわじわと狭まっている。

国際的な反核・廃絶運動には次の3つの大きな流れがあり、それぞれが支え合っている。⑴米政府・軍の中枢にいて核戦略の推進役を担ってきた元高官たちが引退後に核廃絶運動に転じた。⑵国際的な市民の反核運動。⑶NPT再検討会議や国連総会第1委員会(軍縮・安全保障)などで核の削減や廃絶を主張している非核保有国のグループ。

「引退症候群」

引退後に核廃絶運動側に身を移す政府・軍の高官は驚くほど多い。米核戦略のど真ん中にいただけに、その危うさを身に染みて分かったのだろう。引退すると黙っていられなくなるのだと思う。「引退症候群」と呼ばれている。順次、その名前を紹介していく。「え? あの人が・・・」と思う人ばかりだ。 「引退症候群」は冷戦終結とともに広まった。トピックはP・ニッツェの転身だった。ニッツェはソ連に対する政治、経済の穏健な封じ込めを提唱したG・ケナンにとって代わり、軍備増強による強硬な押さえ込み(NSC68路線)を提唱、トルーマン政権からレーガン政権に至る40年余りの全冷戦期をとおして米軍事戦略の立案、推進、対ソ軍縮交渉の立役者だった。そのニッツェが1994年突然、ワシントン・ポスト紙に寄稿し「核兵器を捨てるときか」と核廃絶を主張した。衝撃波が広がった。

米核戦略の中枢機関、戦略軍団のG・L・バトラー司令官も1994年退役して制服を脱ぐ間もないように核廃絶の声を上げた。ナショナル・プレスクラブ昼食会に招かれ、司令官としての日々、核戦争のボタンを押した場合の黙示録的破滅(終末戦争)が一瞬たりとも頭を離れたことはない、核兵器は最後の手段だというが、その考えは人間の残忍な本能を正当化するものだなどと語った。

アイゼンハワー大統領の軍事担当秘書官をつとめNATO軍司令官も経験したA・J・グッドパスター退役将軍がバトラーを支持、「核兵器は有用性を失ったのに、危険がそのままにされている」とする共同声明を発表。米国の元将軍・提督17人が賛同したほかロシア(旧ソ連)18、英国4人、フランス、カナダ、デンマーク、オランダ、日本などから1〜2人の元軍幹部が署名した。

彼らの「反乱」は元政府・軍高官の核廃絶運動に先鞭はつけたものの、政権の核戦略に影響を与えたり、国際世論を揺り動かすことはなかった。冷戦終結の安堵感で核戦争の危険があまり意識されなかった時期だった。だが、ブッシュ(息子)政権が復活のエネルギーとなる危機感を与えることになった。アフガニスタンとイラクの戦争を強行したブッシュ政権は、核兵器の役割を生物・化学兵器、通常兵器の戦争やテロ攻撃に対する抑止にまで広げ、さらに核先制攻撃も辞さずと、歴代政権が冷戦最盛時にも控えた核ドクトリンを打ち出した。ネオコン戦略である。世界は驚いた。

「ギャング・フォア」

2007年1月、米ウォールストリート・ジャーナル紙の意見・論評欄に「核兵器なき世界」と題する論文が載った。「核抑止戦略の時代は終わり、核拡散による危険、特に核テロが最大の危険という時代になったのだから、早急に核戦略を抜本的に転換し、究極的に核を廃絶しなければならない」とする内容。筆者は米国の外交・安全保障の長老と言われる次の4人。米外交・軍事そのものと言った顔ぶれだった。

G・シュルツ:ニクソン政権で労働長官、行政管理予算局長、財務長官を歴任、レーガン政権の1期半ばからの6年間、国務長官。冷戦への道をつけたジュネーブとレイキャビクでのレーガン・ゴルバチョフ首脳会談を取り仕切る役割を担った。1920年生まれの共和党穏健派の重鎮。

H・キッシンジャー:ニクソン大統領の片腕として大統領安全保障問題補佐官、のち国務長官を務め、共産中国との関係を開き、米ソ緊張緩和(デタント)を推進、戦略核制限条約(SALT)を成立させた。保守派ながら脱イデオロギーの現実主義に立つバランス・オブ・パワー外交を進め、反ソ派やリベラル派とはしばしば衝突した。1923 年生まれ。

W・ペリー:クリントン政権で3年間、国防長官。国防次官のとき真夜中に米戦略空軍の当直将校から200発のソ連ミサイルが米国に向けて飛来中と緊急電話を受けた。間もなくレーダーの誤作動と分かったが、その時の恐怖感を忘れられないという(2013年スピーチ)。1927年生まれ。

S・ナン:元民主党上院議員。70〜80年代に議会では軍事委員長を務めるなど軍事問題の専門家として大きな影響力を持っていた。引退後は大学やシンクタンクで核の脅威を減らし廃絶を目指す運動に加わり、米国ではしばしばノーベル平和賞候補に取沙汰されている。1938年生まれ。

この「4人組」を「ギャング・フォア」と呼ぶメディアもあった。「ギャング」たちはその後も毎年のように同紙に寄稿を続けるとともに「世界中の政府、政治指導者、一般の国民の間に広範な国際的支持を広げる」ための運動組織「核安全保障プロジェクト」(NSP)を立ち上げ、高齢を押して世界各地での講演に飛び回っている。NSPには1960年代からほぼ50年にわたる民主、共和両党政権の外交・安全保障の主要ポストを務めた14人がはせ参じた。よく知られた名前をあげる。

C・パウエル(ブッシュ<息子>政権国務長官、ブッシュ<父>政権統合参謀本部議長)A・レイク(クリントン大統領安保問題補佐官)、J・ベーカー(レーガン大統領首席補佐官、財務長官、ブッシュ(父)政権国務長官、大統領首席補佐官)、L・イーグルバーガー(同政権国務長官)、F・カールッチ(レーガン政権国防長官、大統領安保問題補佐官)、Z・ブレジンスキー(カーター大統領安保問題補佐官)、M・レアード(ニクソン政権国防長官)、R・マクナマラ(ケネディ・ジョンソン両政権国防長官)。

市民団体連合も結成

2008年12月パリに米国をはじめ世界各国の著名な政治・軍事の指導者を含む100人が集まって市民団体「グローバル・ゼロ」(核なき世界)を旗揚げし、年明けに就任するオバマ新大統領とメドベージェフ・ロシア大統領宛に、核廃絶に向けてさらに大幅核削減を進めるよう要請する決議を採択した。呼びかけたのは2人の米国人、軍事問題や米露関係に詳しい研究者・ジャーナリストのB・G・ブレアと若い市民運動家M・ブラウンだった。ここにも「引退症候群」の元米政府・軍高官が専門家として多数参加している。 

発足総会の決議は翌2009年4月ロンドンで初会談をした米露両大統領に届けられた。その使者はR・バートとC・ヘーゲルだった。バートはブッシュ(父)政権のもとで米ソ戦略核交渉(START)首席代表としてSTART1条約締結に当たった。ニューヨーク・タイムズ紙の外交・軍事記者をつとめたあと、レーガン政権で国務省政治軍事局長、欧州担当次官補として対ソ交渉に深くかかわり、ドイツ大使も務めた。ヘーゲルは保守派が圧倒的に支配する議会共和党の中で数少ない穏健派の上院議員。ベトナム戦争に弟とともに志願、沢山の勲章を受けた英雄。イラク戦争の開戦は支持したが、泥沼化するにつれてベトナム戦争に対比して批判を強めた。2008年大統領選挙では共和党員ながら民主党オバマ候補を支持、同政権2期目に国防長官に任命された(2015年2月辞任)。

ホームページなどによれば、「グローバル・ゼロ」は発足から2年余りで若者を中心に、会員は全世界で45万人、20カ国の150大学に組織が生まれ、運動への賛同あるいは支持を表明した世界各国のリーダーは400人に達した。「長老4人組」の賛同者のほとんどが加わっている。

大統領・首相ではカーター元米大統領、ゴルバチョフ元ロシア大統領、シュミット元独首相、M・ロカール元仏首相、ダレマ元イタリア首相、ゴンザレス元スペイン首相、ルベルス元オランダ首相、C・ビルト元スウェーデン首相、フレーザー元オーストラリア首相、ハヴェル元チェコ大統領、福田康夫元首相ら22人。そのほかの著名な元高官に、J・アタリ(元仏大統領特別補佐官、欧州復興開発銀行初代総裁)、M・ベケット(元英外相)、D・オーエン(元英外相)、D・ブラウン(元英国防相)、A・ベススメトニフ(元ソ連外相・駐米大使)、I・イワノフ(元ロシア外相)、H・D・ゲンシャー(元独外相)、W・モンデール(元米副大統領・駐日大使)、T・ピカリング(元米駐ソ大使・国務次官)、S・タルボット(米ジャーナリスト・元国防副長官)、M・ダグラス(俳優)らがいる。

「グローバル・ゼロ」は2012年5月、「なぜ核は要らないか」を分かり易く解説した報告書を発表した。執筆の中心になったのはバート、へーゲルと退役したばかりのJ・カートライト(元統合参謀本部副議長、軍ナンバー2)、T・ピカリング(キャリア外交官の元国務次官)、J・シーハン(元NATO軍司令官)。いずれも「引退症候群」の核問題専門家である。

「グローバル・ゼロ」旗揚げと前後して2007年「核戦争を防止するための国際医学者」(IPPNW)の呼びかけで、国際的な連合組織として「核兵器を廃絶するための国際運動」(ICAN)も結成された。IPPNWは冷戦さなかの1980年に敵対する米ソ両国の医学者が核兵器の使用が人間にもたらす結果を広く世界に知らせる目的で結成され、1985年にはノーベル平和賞を受賞した。

参加したのは93カ国から360組織・団体。その中には100カ国に上る国連協会の連合組織である世界国連協会連盟、第一次世界大戦中に生まれた「平和と自由のための国際女性連盟」、1950年代にB・ラッセルに率いられて英国の核武装に反対、1980年代には欧州における米ソの中距離核配備に反対する運動を展開した核軍縮運動(CND)などが名を連ねている。

「核兵器は非人道的」

5年ごとに開かれる核拡散防止条約(NPT)再検討会議は非核保有国が核保有国に核廃絶を直接迫る攻防の舞台になった。NPTは元々、核保有5カ国だけに核武装を認め、ほかの国には核保有を禁止する不平等条約。核保有国がさらに増える危険を抑えるためには止むを得ないとして非保有国が受け入れた。25年の条約期限が切れる1995年会議で激論の末、無期限延長が決まった。非保有国は見返りに保有国の誠意ある核削減の努力と非保有国を核攻撃しない約束を要求したが、冷戦終結後も抑止論に基づく核戦略をそのまま維持している保有国からは「口約束」以上のものは得られなかった。

核保有国不信を強めた非保有国は1998年、足並みをそろえて保有国に対抗するための幹事役として8カ国からなる「新アジェンダ連合」を結成した。ブラジル、エジプト、アイルランド、メキシコ、ニュージーランド、南アフリカ、スウェーデン、スロベニアと地域バランスをとった中進国がメンバーになった(スウェーデンとスロベニアは政権交代などでのちに脱退)。

「新アジェンダ連合」に率いられた非核保有国は核廃絶へ向けて「核兵器が人間にもたらす破滅的な被害」を前面に押し出した。オバマ米大統領の「核なき世界」演説(2009年4月)がヒントになったという。オバマ演説はこう述べている。「一発の核兵器が爆発すれば、それがニューヨークであろうとモスクワであろうと、イスラマバード、ムンバイであろうと、東京、テルアビブ、パリ、プラハであろうと、何十万人もの人々が犠牲になる可能性がある。そして核兵器がどこで爆発しても、世界の安全、安全保障、社会、経済、そして究極的には私たちの生存など、それがもたらす影響には終わりはない」。

核削減・廃絶の要求は、核保有国の抑止論(戦略)に阻まれてきた。広島・長崎の惨劇のあとも核兵器を手放さないことを正当化するための論理だ。あらゆる可能性を考え出し、組み立てる戦争ゲーム。そこでは核は要らないという答えはない。

どんな理由があれ、いかなる状況であれ、無差別に多数の人間に破滅的被害をもたらす核兵器は使ってはならない。それがヒロシマ・ナガサキの原点。再び核兵器が使われなかった最大の理由は「核タブー」にあった(ゲーム理論の権威T・シェリングのノーベル賞受賞演説)。その「核タブー」を前面に押し出したのだ。これが核廃絶運動に新しい潮流をつくった。

いかなる状況-非合法化

非保有国は2010年NPT再検討会議の最終文書に「核爆発は人間に破滅的被害をもたらす」と書き込ませることに成功、「核爆発が人間にもたらす影響」にテーマを絞った国際会議を開くことも決めた。国連の諸機関、国際赤十字、ICANも参加して3回開催した同会議、および5年ごとのNPT再検討会議準備のためにほぼ毎年開かれる準備会議、国連総会第1委員会(軍縮・安全保障)を通して、「非人道的な核兵器はいかなる状況においても使用してはならない」こと、そのために「核使用を禁じる法的枠組み(非合法化)」に取り組むという国際世論つくりが進んだ。

2012年のNPT再検討会議第1回準備会議で、スイスなどが「いかなる状況においても核兵器を再び使わないことが核兵器の完全な廃棄を実現する唯一の道であり、核兵器から自由な世界を実現するために核兵器を非合法化する努力を強める」との共同声明を提出、16カ国が賛成。同年10月の国連総会第1委員会でほぼ同文の共同声明を34カ国が支持。2013年のNPT再検討会議第2回準備会議では同様共同声明に参加する国が80カ国と支持国は急速に増えた。

2013年11月の国連総会第1委員会では、ニュージーランドなどが提案した同様共同声明に国連加盟国の65%にあたる125か国が賛成。2014年同委員会では出席178カ国のうち163カ国が賛成した。もう国際的コンセンサスになったといっていい。

「巻き添え」は許さない

2015年5月のNPT再検討会議は、孤立化し追いつめられた米国などの核保有国の巻き返しで最終文書の内容は薄められながらも、合意寸前まできていたとされる。決裂の直接の理由は、懸案の中東非核地帯化を具体的に推進する国際会議の日程設定を米国がイスラエルの反対を考慮して受け入れず、英、カナダが同調したことだった。米国とイスラエルの特別な関係が障害になった。6月末期限が迫っているイラン核問題の決着に悪影響が及ばないようにとのオバマ大統領のぎりぎりの判断だったとの見方もある。核保有国をさらに孤立させるだけだ。

「核なき世界遠のく」。日本の主要新聞はそろってこう報じた。非核国や国際世論も落胆しているかも知れない。しかしオバマ大統領自身、演説の中で「自分が生きているうちに核廃絶が実現するとは思っていない」と言っているように、元々、米大統領が呼び掛ければとんとんと進むという話ではない。核廃絶を掲げて高まった世論がこれで引き下がるとは思えない。

核廃絶を求める人道主義は核兵器という特別な兵器をなくそうというだけのものではない。民族、宗教、習慣、文化などの僅かな違いから起こる地域紛争(文明の衝突)が続発するなかで子どもや女性まで、多数の市民が巻き添えになって殺され、生活の場を奪われて難民化していることにも、国際社会はますます厳しい目を向けている。核兵器による犠牲に比べれば桁が違うかもしれないが、この人道主義と核廃絶を求める人道主義は別々のものではない。

オバマ米大統領は非人道的と強い批判を浴びた「ブッシュの戦争」への反省をこめて、「アラブの春」が暗転したリビアやシリアの内戦でも、「イスラム国」に対しても、またウクライナ紛争でも「戦争は紛争解決に役立たない」として軍事介入の抑制に努めている。アフガニスタン戦争で住民の巻き添え犠牲を避けるために採用したオバマ無人機作戦が、巻き添え犠牲はなくならないし、戦闘地域外の住民までいつどこから襲ってくるかわからない恐怖に怯えさせている、非人道的だ―と非難されるジレンマに立たされているが、軍事介入を当たり前のようにしてきた米国の外交・軍事戦略からの転換に取り組んでいることは評価されていい。

オバマ大統領は野党共和党など対外強硬派や米国の軍事力頼みに慣れきっていた「同盟国」からは「米国の責任放棄」と批判を浴びている。しかしブッシュ政権の軍事力優先がよかったとは誰もいえない。世論調査でオバマ大統領の支持率は高くはないが、軍事介入抑制は「戦争疲れ」の多くの国民の支持を得ている。米国も変わろうとしているのかもしれない。

対人地雷禁止条約やクラスター爆弾禁止条約は米国、中国、ロシア抜きに中小国やNGO主導で締結され、大国も無視できなくなっている。「新アジェンダ連合」の周りに集まっている非核保有国グループはこれに学んで、核保有国抜きに核兵器禁止条約つくりを進めるとの見方が出ている。その成り行きも含めて、核廃絶の決め手は国際世論が核は使えないという「核タブー」をさらに強めて、核抑止戦略を空洞化させることにあると思っている。

かねこ・あつお

東京大学文学部卒。共同通信サイゴン支局長、ワシントン支局長、国際局長、常務理事を歴任。大阪国際大学教授・学長を務める。専攻は米国外交、国際関係論、メディア論。著書に『国際報道最前線』(リベルタ出版)、『世界を不幸にする原爆カード』(明石書店)など。現在、カンボジア教育支援基金会長。

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