特集●戦後70年が問うもの Ⅱ

分散ネットワーク型の経済・社会へ

戦争への道に対抗するために

慶應大学教授 金子 勝さんに聞く

聞き手 本誌編集委員・大野 隆

――アベノミクスの破綻と政治の劣化という観点で概略をお聞きし、それをこえていくための産業構造の転換やそれに基づく社会の作り替えについてお伺いしたいと考えています。社会の積極的な将来像を具体的に語る人が少ないので、よろしくお願いいたします。

金子 勝下から社会を変えていくための制度やルールの共有――生産手段の国有とは違う――を考えていきたいと思います。これは『現代の理論』の考え方にもマッチするでしょう。

アベノミクスを正面から批判する

いま妙な政治の空白が生まれています。一方では原発の再稼働も、集団的自衛権の行使も、憲法改正も、いくつかの安倍の抱えている重要な個別政策は、世論調査すると、反対が非常に根強いのに、内閣支持率が4割以上もある。このような不思議な状況がなぜ生ずるのか。その鍵はアベノミクスに対する幻想にあります。

慶應大学教授・金子 勝 氏

他方、それに反対する側については、「安倍は成長主義で、財政金融政策を無理に使っている」という限りでは分かるんですが、「脱成長」とか「資本主義の終焉」というだけで、それなら未来はどういう社会をめざすのか、についてはあまりはっきりしたイメージを打ち出せていない。その結果、安倍政権は支持率がもっている間に、集団的自衛権や憲法改正など、できることをやってしまおうという戦略をとっています。

ここでひっくり返すには二つのことが必要です。一つは、安倍の経済・財政政策の危険性が本当にどこにあるのかということを、もっと煮詰めて見なくてはいけない。一般的に「資本主義は終焉する」と言ってもしょうがない。どういう政策なのかを詰めながら、他方で、それとは違う日本の経済や社会の再生の道とはどういう道なのか、を具体的に示していく。少なくとも輪郭、大きな共有できる枠組みを見つけていくことがとても大事です。

まず、安倍政権がやっているインフレターゲットが、完全に破綻したわけですよ。たとえば、その領袖の岩田規久男さんが日銀副総裁になるときに「2年後に物価上昇率が2%にならなかったら辞任する」と言ったのに、その気配はありません。しかも2014年度は成長率がマイナス0.9%なのに、企業が史上最高益という跛行的事態が示しているように、猛烈な格差社会が一方で進行していることが見えるわけですね。

民主党政権時代だったら、たぶんメディアは袋叩きにしたはずなのに、誰もこれを批判せずに、「道半ばでこれから景気が回復する」とのキャンペーンになっている。人々の中にある「政権交代したけれどろくなことはなかった。これしか選択肢はないので期待するしかない。とにかく経済をよくして欲しい」という気分が蔓延して、メディアもそれを煽るために、いまの空白状況が生まれてきているんだろう、と思うんです。

僕は、安倍政権自身もこの状況で経済政策がうまくいっているとは思っていないと思います。しかも、財政赤字も対策するつもりもないし、あとは野となれ山となれ、いくところまでいくという政策になっているところが非常に恐い。

異常な円安……この間、2年間で5割くらい円安になり、株価は倍以上になったわけです。これが異常であることは誰でも分かる。日銀がETF(上場投信)を買い、年金をつぎ込んで官製バブルをつくっているわけです。そして、大手企業を中心に、外国人株主が3分の1を超える「外資系企業」になるという状況が生まれています。結局、その中で問題なのは、グローバルスタンダードという名の国際会計基準が入ったことによって、ひたすらフリーキャッシュフローをため込む企業経営になっていることです。つまり短期で収益を上げて、どんどん内部にため込んでいく。内部にフリーキャッシュフローを持っていない企業の株は落ちる。

そうすると自ら技術開発をしたり設備投資をしたりして、経済を下からつくっていくのではなくて、膨大な利益剰余金、内部留保を背景にして、足りないところはM&Aで買ってくればいい、儲からないところは切り捨てればいいと、こういうアメリカ型経営になった。それは小泉時代も同じだったわけです。円安誘導で輸出系の大企業は儲かって内部留保をためるけれど、ためればためるほど株価は維持される。と同時に、金融自由化したので、外国人投資家も日本企業の株をどんどん持つ。そして株主還元が膨らんでいく。そうしないと自社の株価が落ちてしまうからです。

2014年の株主還元は13兆円、だいたい純利益の4割くらいですね。それに対して賃金支払総額はずーっと下落しています。で、この春闘でわずかに上がったわけです。でも大手企業中心で、2%程度の賃上げ率でした。しかし、実質賃金は、消費税増税分を除くと、ほぼ物価上昇がゼロの状況にもかかわらず、25ヶ月連続のマイナスです。

ですから、家計消費はずっと低迷状態が続いている状況なので、どう見てもインフレターゲットのシナリオが実現しない。ベースマネーを大量に増やせば、人々に物価上昇期待が起こって、そして消費が増えていくはずだ、というのがシナリオなわけです。ところが、実質賃金は増えないわけですから、消費は増えないわけです。企業の利益が上がって、それがやがて雇用や賃金に回ってくるというトリクルダウンも起きない。このグローバリズムのもとではね。

結局どうなるかというと、国内ではデフレ体質から抜け出せないまま輸入物価だけが上がる状況ですから、輸入原材料を頼って、国内販売している中小企業は非常に苦しくなってしまう。大手の企業もどんどん縮小する。国内マーケット向けに設備投資や技術開発投資をしない。消費も設備投資も伸びないわけです。

生保や損保でさえ、人口が減り始めているこの国に投資をしないで海外でのM&Aや投資に走るという状況です。国内で搾り取って海外に投資するというパターンで行動しているので、アベノミクスは永遠に実現しないんです。内閣府の中期経済見通しだと、2017年に物価上昇率は3%をこえ、18年には名目成長率4%をこえるはずです。でも、そんなことあり得ない。そうなってくると、結局、財政支出に依存せざるをえないわけです。

安倍は上げ潮派ですから、2017年4月に消費税をさらに上げると言いましたが、たぶんそれも再延期する可能性があります。物価上昇はほとんど輸入物価の上昇で、それで設備投資で伸びるものは、円安で輸出額が伸びる自動車産業とか、外国人観光客向けのサービス業務の設備投資だけで、それ以外は、ほとんど伸びない。そうすると、結局財政赤字に依存せざるを得ないという状況が続くことになります。

ところが、すでに1053兆円の財政赤字があり、GDPの2倍をこえている。しかも、異常な金融緩和の結果、日銀が抱えている国債は300兆円になろうとしています。これはGDPの3分の2の大きさですよ。これは異様です。つまり普通の中央銀行は、あれだけ金融緩和をしているFRBでさえGDPに対して割合が25%です。ECB(ヨーロッパ中央銀行)の場合だと22%ですよ。

つまり、歴史的に見たときGDPの10%~20%くらいが普通なので、日本はもう異常な状態に入っている。去年126兆円、借換えも含めて国債を発行していますが、日銀が買った国債額は110兆円、9割を日銀が引き受けているのと実質的に同じです。日銀法で直接引き受けは禁止されているけれど、もう、買おうにも買う国債のマーケットが市場になくなるくらいに買いまくっている。つまり日銀は、戦時中と同じ状況に入ってしまっていて、おそらくこれは出口がありません。

無責任・安倍に政治は任せられない

なぜそうなるか。日銀が金融緩和をやめた瞬間に、国債が暴落して金利が上がる。日銀は大量の国債を抱えているから猛烈な評価損が出る。さらにアベノミクスが万が一成功して景気が回復したら、金利も上がってきますからめちゃくちゃにボラティリティが高い状態に入ってしまう。為替市場も株式市場も、あるいは国債でさえ……アメリカ国債やドイツ国債含めて、大きく価格が上下するようになっている。こういう状況でマネーの量を増やせば当然、金融市場は不安定になる。

最悪のケースでは、たとえば尖閣で偶発的な衝突が起き、物資が止まって、ハイパーインフレになる。おそらくこれ以外には国債を返すシナリオがないのが現在です。しかし、すぐにこういうことが起きることはないので、タカをくくって、いけるところまでいっちゃえ、なんですよ。こんな無責任なやつに政治を任せておいていいのか、ということです。

安倍さんを支配しているのは、たぶんうまくいっていないという気分。バカでない限り、憲法改正も支持されていないことも知っていると思います。ある種のヒトラー的なニヒリズムなんだと思います。彼がやっていることは第一次安倍政権のときのある種のトラウマからきています。たとえば、福島原発の再稼働、つまり2002年のトラブル隠しで再稼働が始まったのは2005年からですが、それを正当化するために国会で2006年の12月に「全電源喪失はない」と答弁しています。でも結果的には全電源喪失が起きた。ですから、彼は福島第一原発事故の最高責任者の一人ですよね。

それから、イラク戦争でも、フセイン側に大量破壊兵器がないことを証明する責任があった。しかし彼はそれを果たさず、武力行使は正当で、日本政府が支持したのは合理的根拠があると、ずっと副官房長官、官房長官時代に言っていた。結局、大失敗だったわけです。大量破壊兵器は出てこないし、テロのリスクは減るどころか増えてしまった。それを正当化するために安保関連法案を出すというわけです。存立危機事態とか重要影響事態とかと定義もあいまいなことを言って、しかも、フセインのときと同じで、戦争・侵略に参加するときの理由は国家機密です。特定秘密保護法でバレないわけだから、なんでもOKの状態をつくりたいわけでしょう。

さらに、第一次安倍政権は「失われた年金問題」で追い込まれたわけですが、最後、とどめを刺したのは住宅バブルの崩壊の兆候が見え出したために起きた株価下落でした。だからいま、もうとにかく株価だけは支える、となっている。日銀のETF購入が3兆円を超え、そこに年金までを入れようとしている。おそらく年に数兆円の規模で入れようとしているわけです(もっと入れようとしているかもしれないが、データが不十分)。ということは、日銀の持っている国債が皆済されないともたないわけだし、株価引き上げのために国民の財産をすってしまうことにもなる。だから年金はもう将来の見通しはなくなると思います。

こんなことをやっているのに、アベノミクスの批判を正面からせずに、むしろこれがメディア最大のタブーになっているわけです。いや、もちろん古賀茂明とか浜矩子とかという人は勇敢にやっているけれど、みんなメディアから排除され始めている。私から見るとそこに触れない、あの「リベラル」とか「左派」とは一体何なんだ、ということです。だから「資本主義が終わるんだ」とだけ言ってもしょうがない。「脱成長」と言うだけでもしょうがない。

その危険性がどういうものかについて、しっかり見据えてアベノミクスの批判をしなくてはどうしようもないでしょう。このままいったら福祉ももたない。財政再建はまた社会保障の削減です。そうしたら、なんのための消費税増税だったか、ということになるでしょう。この破綻を明確に批判していくと、傍観者でいられなくなるわけです。では代わりに何するんだという話になってくる。そこが大きな問題です。

いまは産業構造の歴史的大転換の時代

安倍政権も含めて、とり得る正反対の政策は二つです。一つは所得再分配を強める。これは誰でも言う。つまり社会保障等を充実した方が公共事業より雇用創出効果も高いし、所得を再分配しない限り、消費マインドは変わらないのです。インフレターゲットで変わるんじゃない。将来不安が覆っているので、多少賃金が上がったくらいでは消費を増やさない構造になっている。その構造、雇用や社会保障を根本的に転換しながら再分配機能を強めていくことで底固い経済をつくっていくというのが一つです。

しかしいま起きている歴史的転換期に、その程度の昔からある政策の繰り返しでは乗り切れない。世界経済を見ると、ECB、FRB、日銀が全部ゼロ金利で、大量の金融緩和をしている。しかも、アメリカが金融緩和を脱しようとすると、起きてくるのは新興国のバブル潰しと厳しい経済衰退。インドは若干盛り返していますが、ブラジル、アルゼンチン、中国は大変。おまけに新興国の需要が減退しているので原油価格が下がって、ロシアが深刻。加えて世界経済で一番の不安要因はギリシャのデフォルト問題です。

そういう非常に厳しい状況というのは、僕はシュンペーターを使って「非線形的変化」と『資本主義の克服』の中で呼びましたけれども、50年なり100年に1度の大きな産業の波、産業構造の交替期、そういう転換期にぶち当たっていると思います。それに対応した政策をとらねばならないのです。

1870年代から第一次大戦、大恐慌から第二次大戦、ニクソンショックからオイルショック……1970年代ですね。そうした転換点をこえて、いま、2003年のイラク戦争から2008年のリーマンショック、2011年の福島原発事故という大きな事故で起きている、この大きな歴史の流れの底では、戦争に行き着く道か、新しい次の時代の経済や社会システムをつくっていくのか、そんな岐路に立たされているわけです。

過去何度か不幸にも戦争になったケースがある。つまり綿織物工業と蒸気機関を軸にして世界市場をつくったイギリスに対して、鉄鋼業や鉄道その他で台頭してきたアメリカ・ドイツの挑戦があり、群雄割拠になり、第一次大戦になった時代があった。それを帝国主義の時代と呼んだわけですが、その後大恐慌から第二次大戦というのも、ウォールストリートで株価が大暴落をして、アメリカの資金がドイツへ流れてドイツが賠償支払いするという資金循環が完全に断たれて、ドイツはナチスに追い込まれていき、戦争に行き着いたわけです。

もう一つ、戦後のIMFやドルと金の交換がニクソンショックからオイルショックで壊れて、変動相場、金融自由化路線、G7体制、それからOPECに対抗するIEA体制というのができて、とりあえずアメリカ一国ではない、多国間の協調体制で金融中心に対処していくとなった。

アメリカは金融やIT(情報産業)を中心にして復活したけれども、それがまた壁に当たって、対テロ戦争というある種の世界戦争が始まり、金融がいわゆる100年に1度の危機で壊れる中、バブル指向の政策が依然続けられているが、巨大なバブルをつくることはできない。その中での福島第一原発事故。これが示すのは、エネルギー転換、つまり大恐慌から第二次大戦の間に起きた石炭から石油への大転換と同じような大転換が始まろうとしていることです。

原発事故は分散ネットワーク型への転機

こういうふうに大きな歴史から産業の変動の波を考えたときに、僕はずっと集中メインフレーム型から分散ネットワーク型に産業構造が転換しようとしていると言っています。それはIT革命を踏まえながら、新しいエネルギー転換がどういう仕組みになっていくか、考えていくことだと思います。いわゆる集中メインフレーム型は、大量生産・大量消費の重化学工業時代で、核家族化が進み、ある種のライフスタイルまで変えるような一つの仕組み、システムをつくったわけです。ところが、これは、人口が増え、所得が増えて、なおかつ国際競争力がないともたない。どんどん拡大していくわけですから。いまはそれらの条件が全部失われている。

そういう状況で、ICTやクラウドコンピューティングをバックにすると、一つひとつは小さくても、分散ネットワーク型で、大量の情報を制御していけば、充分に安定的効率的になっていくということが分かってきた時代なわけです。

つまり末端でニーズをすぐつかめるような仕組みというのが、新しい時代の象徴で、大型スーパーの時代は終わり、小型スーパーやコンビニの時代になったりするのと同じ状況が、全世界的に進む。だから自動車は端末になり、スマートシティ化し――ということになっていく。建物でみれば、コンピュータであらゆる電気製品がつながり、LEDになり、壁に断熱材が入り、地中熱を使い、太陽光や風力で発電をし、ガスを使えばそれでできる電気を蓄電し、というように、建物の構造が全部変わっていく。

おそらく街もスマートシティ化して、さっき言ったように、自動車が端末になれば、天気から渋滞からCO2の状況まで全部分かるようになり、多くの市民が参加してスマホで投稿していけば、災害が起きたりしても瞬時に災害地図ができる、そういう新しい街のコンセプトもできます。当然のことながら、耐久消費財もそれに合わせて変わっていくわけです。

極端にいうと、ウォークマンがアイポッドに負けたのと同じで、ウォークマンが極めて優秀でメモリースティックで音楽を聴く機械をソニーが早くやっても、アイチューンという巨大な音楽ソフトを独占したアップルには勝てないわけです。そこから取り出せるデバイスが重要になってくる。もしかするとトヨタは、水素自動車や燃料電池車でうまくいくかもしれない。でも、ひょっとしたらグーグルがやっているように、車のコンセプトが変わってしまうかもしれない。つまり、自分が運転するよりは、ほとんどITで操作をして、衝突よけをし、セットすればGPSでコントロールしてくれるような車になってしまうかもしれないわけですよね。そういう時代がやってくるかもしれない。

福島第一原発事故はなんのサインだったのか。これは集中メイフレーム型の終わりのサインだったのです。われわれは、新しい未来を誰がつくるのか、と問われている。われわれ自身が、本当に参加者として地域デモクラシーをつくっていくとしたら、エネルギーを自分たちでつくって新しい経済の担い手になっていくという、そういう動きが少なくとも全国で始まり、「ご当地電力」などが大量にできてきている。この動きに自らコミットしていく。

地域にあるエネルギーを使ってどういうことをやるかというのは自分たちで決定していく。それに直接参加できない人でも、素朴な参加ができる。つまり銀行に預けているなら社会的に役に立つものにお金を預け、そしてわずかでもリターンをもらって、それで生活の足しにしていこうというような発想。それはいろんなレベルの参加をもたらしていく。

コーリン・クラークという経済学者が「経済は一次産業、二次産業、三次産業と進む」というふうに言ったけれど、新しい産業システムができるときは、たぶん一次産業から全部やり直すことになる。エネルギーとか農業がすごく重要になってくるわけです。農業ももしかしたら、直売所のネットワークみたいなものもできるかもしれないし、大都市を媒介しない仕入れの仕組みとか資材の共通の仕組みができるかもしれない。もちろん大都市に向かってネットを使ってさらに効率的な販売の仕組みができるかもしれない。

これは三次産業になるかもしれないですけれど、生活の質を高めていくところに一番関係している食や農や、それから教育や福祉、こういう領域で分散ネットワーク型が進むのではないでしょうか。地域でまず決定して参加し、地域にあるいろんな中核病院から訪問施設・訪問介護まで、全部がネットワーク化される。

それから地域の中で利用者・負担者・供給者が話し合って仕組みをつくり、一人一人の人間を大事にして、地域の福祉の供給システムの中で絶えずサポートして、効率的運用ができるような仕組み。そういう人のニーズに合ったことを瞬間的に調整することができる仕組みが、やはりICTとクラウドコンピューティングでできるようになってくるとすると、人の生活の質の向上とか豊かさとかいうのを追求していくことができるわけです。

直接参加の民主主義で下から社会を変える

それはたぶん20世紀的な耐久消費財を大量に消費するような豊かさとは違う。成長という言葉が嫌いだとしても、ともかくそこには雇用が生まれないといけない。そういう未来を語ることが大事だと、僕は思っています。つづめて、なんでそういう問題意識かというと、それは戦争の道に対抗するためなのです。

僕が思い出すのは、ナチス政権の前のドイツ・ブリューニング内閣です。ワークシェアリングを言ったりしながら、賠償交渉でもたもたしてナショナリズムで崩れていき、結局、少数与党で大統領令を連発しないと政権を維持できなかった、そのブリューニング内閣の弱さ。それに対して、ナチスが政権を取るとは皆思ってもいなかったけれど、彼らはアウトバーンで若者の雇用をつくり、そしてモータリゼーションの未来を語り、ポルシェ博士にフォルクスワーゲンを開発させて「一家に1台自家用車」のように、たぶん未来社会のある部分を明確に語っていたんだと思います。世界で最初のケインズ政策をやったわけです。

その皮肉というか、そこにある意味がすごく大事です。誰がいまの若者の4割近い非正規労働者と失業者を救い、未来にすべての人が生活を成り立たせ、新しい社会システムをつくっていくのか、というイメージを語ること、これはとてもオルタナティブとして重要だし、それは地域分散型なので誰もが地域で参加できる形態です。しかもデモや集会みたいにハードルが高いわけじゃない。ちょっとお金を出してみようとか、話し合いに出てみようとか、そういうことから始まっていく。もちろん引っ張っていく人はもっと大変ですが、決してハードルは高くない。ちょっとした参加の動きが社会を作り替えていく可能性を秘めている。

そのために未来社会のイメージをみんなが共有する。そのことによって既存の財界や古い産業の塊、既得権益の塊、それに対して自分たちが作り手としてこれに対抗していく。新しい企業のあり方や社会システムのあり方、経済システムのあり方について構想していくことが大事でしょう。そうすると地域民主主義をベースにして、そのために誰もが制度やルールを共有して自由に参加でき、多様性を保障し、そしてその中で最低限の平等を確保できる――そういう制度やルールの変革をみんなが政治的に求めていくということが大切です。

気がついてみると、自分としては結構、近代の批判をやっていたつもりですが、結局は、近代の普遍的原理――自由・平等・多様性・寛容、こういうものを実現できるような制度やルールの「共有」を積み上げていって、経済や社会システムを変えていくことに行き着いていったんですね。

これは、社会主義と勘違いする人もいます。でもそれは生産手段の共有で、集中メインフレーム型の話です。われわれ分散ネットワーク型の社会では、みんなが自由で多様性が保障できるような、たとえば電力の送配電網を共有するとか、年金を一元化するとか、あるいはスパコンをみんなで共有し個人情報を保護するというルールをきちんと確保するとか、そういうことになります。それが新しい社会のイメージではないかと、『資本主義の克服』で言ったのです。それはやっぱり資本主義じゃないかと言われればそうかもしれないのですが。

――そういう意味では「下から」社会の仕組みを作り替えていくということですが、われわれの悪い癖は、政治的な動きにならないと前進していないと考えるところでしょうか。いくつか具体的な芽がもう少し見えるとわかりやすいですね。

金子エネルギーはご当地電力がどんどん生まれてきているし、意外にいろんなところで動きはあります。福祉でも地域の包括ケアでも新しい動きが出てきている。農業でも結構高学歴の人たちがそういうことを始めて、ソーラーシェアリングを始めたりとか。新しい未来をつくる動きはいろんなところで始まっています。

ここでやはり当事者意識は大事だと思います。新しいタイプの社会事業や社会運動はたくさん生まれてきている。たぶん反ヘイトスピーチの人たちの言っていることを聞いていても、あれは新しい当事者意識ですね。上から目線の運動じゃない。「まちの群衆だ、われわれは」という。「新しい当事者主義」というのがこれからのキーワードになっていくんじゃないでしょうか。それはハーバーマス風に言うと、「生活世界」とかになるのかもしれませんが、要するに生活に根っこを持った当事者主権です。

――それこそ国会包囲デモみたいなものにならないから見えないと思っているだけで、実はあちこちにそういう動きがあるということですね。

金子そういう人たちがしたたかに生きているんです。障害者自身が障害者を雇用する事業をやり始めるとか、生活保護だった人が反貧困の社会事業をやっていたりとか。意外に新しいタイプの当事者はあちこちにいます。先程の反ヘイトスピーチもよく見ていると、まちの主人公意識です。反差別の論理ももちろんあるけれど、そういう頭から入っているんじゃない。この街にはこの街でみんなで共存したい、という当事者意識です。それが大事なキーワードではないかと思います。そこは強い根っこを持っていて、こういう時代だからこそそういうものを一つ一つ根付かせながら前に進んでいく、ということです。

だから僕はいつも結構、厳しいことを言ったり批判的なことを言いますが、基本はすごく明るいんです。楽天的です。坂本九の「明日があるさ」の気分。「上を向いて歩こう」はなんとなく東日本大震災に向いていますが、いまの安倍政権に対抗するには「明日があるさ」じゃないでしょうか。

みんな疲れて絶望しているんじゃないでしょうか。それで自分だけ上から目線で、偉そうに「どうせ社会は滅びるんだ」と理論武装して、傍観して「俺は孤高の人で、社会が滅びるのを密かに心痛めている知的エリートの端くれなんだ」というのが、いまの雰囲気でしょう。でも、新しい当事者意識に向かって、下から、地域やその他で変わっていくことが可能なんじゃないかと思います。

安倍の嫌がることをやって、世の中変える

――そういうことは、若い学生諸君にはどう説明されますか。

金子学生に説明するときは、囲碁と将棋ですね。革命の時代は、将棋。結局、中央司令室を握ったヤツが勝ちなんです。集中メインフレーム型だから。発展途上国のように後発の遅れた国の場合は、市場で勝てないので国が中央司令室を乗っ取って、先進国に対抗するというのが有効だった。それに対して、分散ネットワーク型は囲碁の時代です。一個一個はなんか飛び石のようでバラバラだけど、同じ色でつながっていくと地が囲われてあっという間に変わっていく、ひっくりかえって相手の地を取っていく。

変革のイメージが変わったんじゃないかと思います。静かな革命が一方で進んでいる。もちろん依然として民主主義としてデモや集会で声を上げることは大事だけれど、それだけだと昔の中央司令室を握ればいいという集中メインフレーム型の発想で、政治が変わらないとすべてが変わらない、となる。そうではなくて、たぶん気がついてみるとそういう人たちがネットワークに囲われて、言わざるをえなくなっていくように変わっていく、そういう社会なんじゃないでしょうか。それは文化的ヘゲモニーなのかもしれないのですが、たぶんそういう世界だと思います。

――そんなに広くない範囲で、身の丈にあったというか、地域にきちっと目配りしながら、したたかにやっている人たちがあちこちにいて、あるとき、それがつながるかもしれないし、つながらなくても将来にわたって基盤が積み上げられていくということですか。

金子そうそう。それはなぜかというと、この100年に1度の危機は、長期衰退です。すると自分の生活を守らなくてはならなくなってくる。老人が孤独死するとか、貧困で老後破産するとか、あるいは独居の老人が認知症になるとかいう事例があちこちで見え出すと、自分たちで自分の生活を守らざるをえない。そういう面もあるんです。それはエネルギーデモクラシーだったり、福祉における本当の意味での地域包括ケアであったり、食を通じたネットワークであったり、というところで、たぶん生活防衛的な面も持つ。質を変えていくというポジティブな面だけじゃなくて。そういうものは後退しないでしょう。

生協運動などの運動の中心の一つは食の安全でした。いまほとんどの人にとって、食の安全は当たり前になっています。その変わり方のスピードに焦ることは必要ない。プリウスなんて18年前は、環境オタクで、「音のしない車に乗ってるのなんか間抜け」だったんです。だけどいまプリウスは当たり前になった。

つまり環境や安全という社会的価値が定着することによって、消費するニーズがガラッと変わるんです。それが経済を動かすわけです、意図しない形で。僕らはそういう変化のプロセスの中にいて、まぁ、明治維新でたとえればいまは安政の大獄。よそ見していては、しょうがない。次の激動に参加できなくなってしまう。

――そういう意味では安倍政権などというのは、言ってみれば本当に古い。古いものが必死にあがいている。

金子あがいている。だからこんなめちゃくちゃなのです。そういう意味ではわれわれ、決して絶望することなんてないな、という感覚です。いまこそかっこよく殺されちゃう杉田玄白、高野長英、そういう人になりなさい。資本主義は終わったとか言って、高みの見物して、実は何にもしないことは歴史に何にもコミットしないことになる。

繰り返しますが、世論調査では安倍内閣の個別政策には6~7割は反対だけれど、内閣支持率は4割以上ある状態が続いています。メディアをコントロールしに入っているのは、本人たちも底が浅いと分かっているので、反対の議論をさせないようにしているんです。

それはものすごく恐い面でもあるんですけど、それだけ見て悲観的になったり、あるいは絶望したりというのは意味がない。やはり一番強いヤツの嫌がることをやるのが、基本的にはこういうことに関心を持っている人たちにとって一番のオアシスというか、一番元気の出るもとでしょう。もっとみんな嫌がることをやればいい。相手も困っているのに、そこで意気消沈している場合じゃない、という感じです。

かねこ・まさる

1952年東京都生まれ。東京大学大学院経済学研究科修了。現在慶應義塾大学経済学部教授。専門は、制度経済学、財政学、地方財政論。著書に『金子勝の食から立て直す旅』(岩波書店、2007年)『閉塞経済』(ちくま新書、08年)『新・反グローバリズム』(岩波現代文庫、10年)『新興衰退国ニッポン』(共著、現代プレミアブック、10年)『「脱原発」成長論』(筑摩書房、11年)『資本主義の克服 「共有論」で社会を変える』 (集英社新書、15年)など多数。

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