論壇

<橋下劇場>と若者/新自由主義

「大阪都構想」を巡る住民投票の結果からみえるもの

「橋下現象研究会」所属 水野 博達

5月17日、大阪市を廃止し、5つの特別区を設置することの可否を問う住民投票の結果は、投票率66.83%、賛成69万4844票、反対70万5585票、その差1万741票差で橋下・維新の会の「大阪都構想」は否定された。差は、有権者の0.77%という僅差であった。

投票日の10日後、5月27日に「橋下現象研究会」(以下「現象研」と略す)主催の「5.17住民投票の結果を踏まえて~それでどうする大阪」と銘打った公開討論会を大阪国労会館で開いた。

なぜ投票日の10日後に討論会を設定したのか。実を言えば、住民投票公示直前の現象研の内部検討会では、投票結果は、反対派が盛り返してはいるが、マスコミの支援を受け、資金力に勝る賛成派が僅差で勝つ可能性を考えた。その場合の対応策を検討する「公開の場」を用意しておこう。反対派が勝利すれば、それはそれで、闘う陣営の課題を明らかにしておくことが必要になると考えたからだ。

1)住民投票で問われたことは?

大阪を真二つに分けた住民投票の状況を振り返ってみる。

橋下・維新の会は、4月中旬から住民投票に向けて4~5億円を投入して大阪市民への洗脳工作=宣伝戦を展開し始めた。対する自民、民主、共産党などの活動資金は、投票公示前、雀の涙程度しかなかった。この点からだけ見れば、反対派は、圧倒的な物量の米軍に竹槍と「日本魂」で立ち向かおうとした、あの帝国日本の姿のようであった。

橋下・維新の会は、金に糸目をつけず、テレビ、インターネット、電話、新聞、チラシ、全国から議員秘書を大動員した街頭宣伝など、ありとあらゆる手段を動員して大阪市を解体することに「賛成」を組織しようとした。そもそも、出直し市長選挙で7億円。この選挙で、維新の会の統一地方選挙準備の地盤固めを果たした。そして、またまた府議会、市議会で一旦否決された「都構想」を何億円もの税金を使って住民投票で決めようとしたのだ。

大阪市主催の「大阪市を廃止し、5つの特別区を設置する」ことの説明会も、いわば「橋下市長独演会」とでも言えるもので、住民に公正な判断・検討を促すような形では行われなかった。その上、この住民投票のための活動に維新の会は政党資金を4~5億注ぎ込むという。政党資金の多くも税金から交付されたものである。「税のムダを省く」という彼らの主張が、どんなにおかしいかと率直に感じる市民の感性が問われた。

だから、この闘いの性格・意味は、以下の3点を特徴とするものであった。

第1に、金力と権力の装置として機能するマスメディアに対して、金力も権力も持たない市民が、大阪の未来を自らの手に握り返すための闘いだ。

第2に、「二重行政の無駄をなくす」という彼らの主張の本当の目的と狙いが何かを市民が自らの頭と心で考え感じ、未来の大阪の市民の生活、あるべき大阪の街のあり方を考え、広く議論を始めることに大きな意味がある。

第3に、以上から、原発や軍需産業とつながる大企業中心の首都圏の政治・経済・文化のあり方とは異なる中小企業・平和産業が中心の大阪・関西の明日を、つまり、アジアとの友好が大切な産業・文化のあり方を明らかにし、その先に日本の未来のあり方を市民が考えていく出発点を作ることである。

2)南北に2分した大阪市民の「民意」の構造

反対派は、We say no ! を合言葉に、自民、共産、民主の政党を軸に商店会連合、医師会などの業界団体、地域の地縁的な連合町会、労組、そして様々な市民や女性の運動団体が折り重なるように活動を始めた。活動が禁じられた創価学会をバックにした公明党は、この協同した動きに押されるように市会・府会議員を中心に独自の反対活動を展開した。橋下・維新対オール大阪の闘いとなった。

街角でもネット上でも自主的な市民の活動が、テレビ・新聞の広告や1日何万通の無差別電話などを駆使する橋下・維新の「金権活動」を徐々に凌駕していく。反対派は、昔から浪速の街に定着してきた住民層、あるいは、組織労働者を組織した。公明党・学会は、高度経済成長期に大阪に移住し公営住宅に集住してきた階層の1世、2・3世を反対の側に組織した。

投票の結果は、賛成多数は、市内北部、反対多数は、南部と西部・沿岸部であった。この結果を島和博(大阪市立大人権問題研究センター)が、5月27日の討論会で国政調査のデータ分析による住民の地域的な階層分布と重ねて詳しく報告を行った。

賛成の多い区は、これまで比較的裕福な階層の住む地域、あるいは、新しいマンションの立ち並ぶ地域を多く含むことが浮き上がった。投票結果に現象した大阪市の「南北対立」は、実は、富裕層と浮遊的な新住民(新中間層へ上昇志向の層)とこれに対する、組織労働者、ブルーカラー層及び経済成長の恩恵にあずかることの少なかった階層、中小工業・商店主などの「浪速定住民層」の対峙する「民意」の構造を掘り起こしたと言えそうである。

3)若者と高齢者の対立か?

4月27日、前日の日曜日に宣伝活動をしていたグループから以下のようなメールが入った。

若いご夫婦を中心に「もう決めてる?」「どっち?」とたずねたところ、驚くほど「賛成」が多い!「どうして?」と聞くと、答えは返ってきません。なかには「だって都になるんでしょ」というのがあって、二度驚き!!「賛成」の人のなかには、「ただなんとなく賛成」という人が圧倒的。でも、ちょっと話せば、チラシ「見てみます」「考えてみます」ということになる、と。

こうした30代~40代の世代に象徴される政治に対する意識・態度のベースにあるものは何か?

一部に言われる「シルバーデモクラシー」、つまり「既得権を守りたい高齢者、既得権に反対する若者」という住民投票の結果への評価は、やはり、一面的だ。有権者の50%近くが20~40代であり、70代以上は21.5%である。20代の若者が賛成に回ったという確かな根拠は出口調査の結果では論証されていない。しかし、同時に、30代と40代、また50代は、賛成が多く、70歳以上は、反対が多いのも事実である。

既得権を巡る対立、すなわち、社会的配分を巡る世代間の対立で、この投票の結果を見るのは正しいのか。「大阪市を廃止し、5つの特別区を設置する」(=大阪都構想)この提案を少し考えれば、これまで享受してきた「政令指定都市」の財政・権限が奪われ、市町村以下の権能しか持たない5つの特別区に分割されること。高齢者も若者も、ともに政令指定都市住民の『既得権』が奪われ、市民生活の様々な面において不自由と困難を被ることが理解できたはずであった。

投票日当日、「大阪維新の会」は、新聞の全面広告でこう訴えた。

「二重行政、莫大な借金、巨大プロジェクトの失敗、高い職員給与。多い職員数、野放しの天下り、特定団体への補助金・・・。大阪には数限りない問題がありました。(中略)72年前、東京府と東京市がひとつになり、今に至るまで街の繁栄を続けています。大阪都構想は、大阪市役所と市議会を解体し、一から新しい大阪をつくる究極の改革です。かつての大阪市役所を守ることにどれほどの価値があるのか。お金もなく、衰退の著しい今の大阪に、立ち止まっている余裕はありません。一歩でも前に進み、未来へと繋げていきましょう」

この呼びかけに賛同し、共感を寄せる有権者が「賛成」票を投じた。世代間の配分を巡る対立というよりも、大阪、広くは日本の社会に対する認識と将来の展望の描き方の違いが賛成、反対の態度決定を左右した。衰退する大阪市(社会)を一度ブチ壊し、成長軌道に乗せる「改革」をやってくれるリーダーとして橋下を支持・支援する層が賛成し、それは、少し危険だと感じた層は、若い層でも反対に回ったと考えるべきであろう。つまり、30代から50代の住民の多くは、新自由主義的考え方に共鳴する生活感覚が積み上がっていると見える。

①現在、50代は、1955年~65年に生まれ、将来の進路を意識する20歳を1975年~85年で迎えた。②40代は、1965年~1975年に生まれ、20歳を1985年~95年で迎えた。③30代は、1975年~1985年に生まれ、20歳を1995年~2005年で迎えた。

①の世代は、高度経済成長期に生育し、社会に出ようとした頃には経済成長は終わった。②の世代は、経済成長に陰りが見始めた時代に育ち、不況に突入していった。③の世代は、成長過程でバブルが弾け、就職氷河期へと突入した時代の世代である。こうした世代の変化を「結婚相手として理想の男性」で言い表すなら、「3高」(高収入、高身長、高学歴)から、「3平」(平均的収入、平穏な生活、平凡な容姿)、そして「4低」(低依存、低姿勢、低燃費、低リスク)へと変遷し、現在は、「3安」(安らぎ、安定、安心)「3手」(手を取り合う、手伝う、手をつなぐ)あるいは、「3強」(夫婦生活に強い、不況に強い、身体が強い)と多様化しているとも言われている。

就職氷河期以降、正規職員の席につける若者は、年々その数が減り、非正規・不安定雇用が50%に近づいている。この社会は、とりわけ若者にとっては、極めて流動性が高く安定感のない不安に満ちた社会だ。しかも、自らが社会を構成している主権者の一人だという実感は、持ち得ていない。公共性を喪失し、ただ、消費文化の中で限りなく個人的な欲望の充実に、日々駆り立てられ、先の見えない競争に追い立てられている。そして、正規の仕事にありついた若者の多くは、社会の底辺に追い込まれた多くの人びとの存在や社会の葛藤・対立・矛盾が渦巻くそうした社会の現実から眼を逸らし、生きながらえようとしている。

実は、若者に限らず、人々は、この社会に根を持たない浮遊する民として流れている。まさに、かつて石川啄木が、また、魯迅が述べた、握ればサラサラと指の間から流れ落ちる砂のような社会の現実である。しかも、その意識の基底には、戦後日本の長い高度経済成長とその後の国家の財政・投融資などによる景気浮揚政策によって作り上げられてきた「経済成長神話」があり、個人生活の深部にまで染み込んだ「生活保守主義」の感性がある。

人々は、それぞれに、社会の現実・実相から距離を置いて生きる術を身につけてこざるを得なかった。こうした人びとに、とりわけ若者に、現実社会の実相を思い知らせ、この現実の社会を否応なく考え、覚醒させ、共有できる方法を創造していくことが求められている。

4)「橋下劇場」は終焉していない!

紙面の関係で詳しく報告できないのが残念であるが、「若者と高齢者の対立か?」の問題に関して、杉村昌昭(「現象研」代表)と村澤真保呂(龍谷大社会学部)が具体例を出して丁寧に述べた。

問題は、やっとやりきって住民投票に勝利し、橋下に「政界引退」を決意させたのであるが、問題・課題が山積している。

第1に、その後のマスコミ界での報道・言論は、本当に問われたことから意図的に焦点をずらし、橋下の「政界引退」の潔さを褒めたたえ、本当に問われたことへ、人々の関心と議論が及ばないようにするための言論攻勢が始まっていること。

第2に、橋下市長は、任期一杯市長を務めるといって、新たな策動をはじめている。敗戦の「白旗」を掲げながら、「総合区制に賛成する」といって自民党にすり寄り、市営地下鉄・バスの民営化等の民営化路線に自民党を引き入れ、住民投票で出来上がった反維新・オール大阪の体制に楔を打ち込む策動が活発であること。

第3に、市民病院や大阪市営地下鉄・バスなどの民営化と福祉・教育などの住民サービスについては論点になったが、労組活動の排除・弾圧と「入れ墨調査」に見る人権無視、「慰安婦発言」などの性奴隷容認・女性蔑視、誤った歴史認識など数々の非道な言動に対する批判が人々の間で広く検討されることはなかったこと。つまり、労働者の権利や外国人を含めた住民の人権などを守り・拡充を求めてきた労組と各種人権団体は、その本来的な主張と役割・機能を十分発揮することができていない。

以上、要するに、「橋下現象」「橋下劇場」を終わらせる社会民主主義的なヘゲモニーが働いていないのである。

住民が投票で決めてくれたので、面倒な地方行政の「改革」から足抜けができ、喉から手の出るほど望んでいた「国政」への進出という次なる目標に向かって、大手を振って準備ができる。このことを橋下は、内心ではほくそ笑んでいるのであろう。「橋下現象」「橋下劇場」は終わっていない。

みずの・ひろみち

名古屋市出身。関西学院大学文学部退学、労組書記、団体職員、フリーランスのルポライター、部落解放同盟矢田支部書記などを経験しその後、社会福祉法人の 設立にかかわり、特別養護老人ホームの施設長など福祉事業に従事。また、大阪市立大学大学院創造都市研究科を1期生として修了。現在、同研究科の特任准教 授。大阪の小規模福祉施設や中国南京市の高齢者福祉事業との連携・交流事業を推進。また、2012年に「橋下現象」研究会を仲間と立ち上げた。近刊に『介護保険と階層化・格差化する高齢者──人は生きてきたようにしか死ねないのか』(明石書店)。

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