コラム/沖縄発

沖縄に移住して最初の編集体験

ムダにならなかった組版・校正作業

出版舎Mugen代表 上間 常道

1972年、沖縄移住を決意したのは、主に政治的理由があってのことで、沖縄の出版編集について何かしようと考えてのことではなかった。

私の決意を知って、当時、『朝日ジャーナル』に在籍していた知り合いのベテラン記者から、「仕事は決まっているか」と聞かれ、首を横に振ると、「知り合いのいる新聞社を紹介するよ」と親身になってくれた。しかし、就職口の少ない地元の人にたいしてなにかアンフェアな感じがしたので、「自分で探します」と、お断りした。

73年3月、移住してさっそく、『沖縄タイムス』の新聞広告に目を通していると、数日後、予備校と自社の社員募集の広告が隣り合って掲載されていた。もし沖縄タイムスに入って失望したら、そのまま沖縄を離れざるを得ないと考えていたので、クッション代わりとでもいうのか、予備校の方を選んだ。

幸い即決で採用され、初めて出版編集以外の仕事を体験した。予備校講師の体験は思った以上に楽しく、生徒たちとの交流も新鮮だった。しかし夏休み講習の終わり近く、経営者が予定の最終日を1日また1日と延ばすやり方に堪忍袋の緒が切れて、退職を決意し、じっさい退職した。とはいえ、東京の出版社で得た退職金はそろそろ底をつき始めていたので、焦った。‟沖縄の自立“を目指すという政治的理由で移住したはずだのに、‟政治”どころではなかった。まず、自分自身の自立が先決であることを、いやというほど思い知らされた。

そんな折、「編集者募集」の新聞広告が出ていたので、さっそくO出版社を訪れた。履歴書を見せるとすぐに採用された。これが私の沖縄での最初の編集者としての職場だった。同社は少人数の零細出版社で、主に植物関係の復刻版を手掛けていたが、初給与をもらったときには驚いた。ただでも低賃金だのに、約束の額よりかなり少ない。すぐに社長にクレームをつけると、「ちょっと」と会社の入っているビルの屋上に呼び出され、そこでポケットマネーのように差額分の札を示されたが、こんなかたちでは受け取れないと断り、改めて専務から正式の賃金として受け取った。

私にあてがわれた最初の仕事は、真栄田義見著『蔡温 伝記と思想』の編集と太田朝敷著『沖縄県政五十年』の復刻版の製作だった。印刷会社はすでに台湾台北にある会社に決まっていた。そこで私は悩んだ。旧植民地・台湾へ、すんなりとは行けない。贖罪意識が立ち上がってきて、行くことにうしろめたさが伴う。しかし、「仕事だ、生活だ」と自分に言い聞かせて、会社が準備したスケジュールに従って、台北に向かった。

そのとき、私に同道してくれたのが会社との取引で沖縄に滞在中だった台湾の印刷会社社長だった。那覇空港で搭乗する間際、陳舜臣著『阿片戦争』全3巻(講談社)を、私のカバンに押し込んで、これを預かってほしいという。とっさにその意味を察したが、断わるわけにもいかず、言われるがままに預かった。

案の定、台北の空港税関で、カバンは丸裸にされ、中国歴史小説は没収された。ここまでは想定内だったが、さらに驚いたのは、仕事のために持ち込んだ『沖縄県政五十年』まで没収するという。なぜなのか理由がわからない。言葉が通じないまま押し問答を1時間以上もカウンターでつづけた末、別室へ連れて行かれ、結局、没収された。どうも「政」という字がいけなかったらしい。

こうして沖縄での最初の編集の仕事は最初からつまずいた。ホテルで印刷会社と連絡をとりながら『蔡温』の原稿を渡し、レイアウトや校正をしている間に、私は那覇の会社に電話を入れ、「開南通りの宮城書店に『沖縄県政五十年』2冊が棚に並んでいるから、すぐに手に入れて郵送してほしい」と依頼した。よく行く古書店なので、目の高さの位置の棚に並べられているのを記憶していたのである。2、3日後届いたので、早速、復刻作業に入ってもらった。

こうしていずれの本の編集作業もメドが立って那覇に戻った。

が、間もなく会社は行き詰まり、給料は遅配となり、社長は雲隠れし、沖縄で最初に手掛けた2冊は頓挫した。にもかかわらず、それほど落胆しなかった。東京の出版社ではけっして経験することのできない貴重な体験をしたし、沖縄での出版状況がある程度把握できたからである。

当時、沖縄の出版社は台湾とのつながりが深かった。早いところでは1965年に刊行され、その後も版を重ねた源武雄著『琉球歴史夜話』(月刊沖縄社、のち沖縄文教出版)、琉球料理本の嚆矢となった田島清郷著『琉球料理』(月刊沖縄社、1966)、饒平名浩太郎著『沖縄農民史』(沖縄文教出版、1970)など、いずれも台北で印刷されている。印刷・製本費が格安だったことが最大の理由だが、台湾側もしきりに沖縄の出版社に売り込んでいた。沖縄の台湾への視線は日本が台湾に向ける視線とは明らかに違っていた。戦争直後の密貿易時代、台湾と与那国島とは一衣帯水の関係にあったことはよく知られた事実である。

ところで、頓挫した2冊は組版をそのまま活かして、『蔡温 伝記と思想』は文教図書(那覇市久茂地)から、『沖縄県政五十年』はリューオン企画(那覇市前島)から、いずれも1976年に刊行され、私の作業がムダにならなかったのは幸いだった。いずれの出版社も今は存在しないのだが。

その後、いくつかの零細出版社を経て、私が沖縄タイムス社出版部に落ち着くのは、1978年11月のことであった。

うえま・つねみち

東京大学文学部卒。『現代の理論』編集部、河出書房などを経て沖縄タイムスに入る。沖縄タイムス発刊35周年記念で『沖縄大百科事典』(上中下の3巻別刊1巻、約17000項目を収録)の編集を担当、同社より83年5月刊行。06年より出版舎Mugenを主宰。

コラム

第7号 記事一覧

ページの
トップへ