特集●終わりなき戦後を問う

国民生活救済政権こそ問われている

7月参議院選挙の課題とは

日本女子大学教授・本誌代表編集委員 住沢 博紀

1月28日と29日のたった2日間で、日本政治の光景がすっかり変わってしまった。『週刊文春』の告発記事による甘利経済再生大臣の辞任と、日銀のマイナス金利の導入決定である。どちらも想定外の出来事であり、しかもその帰結を展望することもむつかしい。安倍政権は政権運営のコンパスを失いつつある。

1、橋下徹よりも劣化したポピュリズムに立つ安倍政治

過去3年間の安倍政治は、すべてが演出され計画されたものであった。菅官房長官の下、毎週、世論調査やメディアの論調が分析され、その対応策が練られていたといわれている。政権にとってのあらゆるリスクを想定し、むしろ先取りして危機の芽を摘んでいくやり方は、これまで成功裏に進行していた。2014年12月には、消費増税を1年半延期するという口実の下、衆議院の解散―総選挙に打って出た。その後、昨年の安保法案では予期せぬ大衆デモという抗議運動にぶつかったが、法案成立後は、「一億総活躍社会」という経済・社会政策重視に切り替え、中国・韓国との関係を改善し、TPPを「大筋で合意」に取り付け、宜野湾市選挙では勝利した。

TPP交渉の「立役者」と喧伝された甘利明経済再生相が、2月に調印のため出発し、補正予算や次年度予算でTPP対策や高齢者に向けバラマキ財政を行い、伊勢サミット開催から7月の衆参同時選挙へとなだれ込む戦略が立てられていたといわれる。もしこの選挙日程が本当なら、安倍政権は衆議院解散を党利党略で行うことを常態化することになる。その先には、憲法改正も視野に入れた2020年東京オリンピックまでの安倍長期政権が見込まれることになる。

この緻密で成功の可能性が高い計画も、たった二日間の出来事で微妙に狂いだした。安倍政権の官邸主導のシナリオ型政治は、計算できない「偶然」の出来事には弱い。二つの例が傍証となる。

第1は、昨年6月からの安保法制に対する「立憲主義」からの批判と国会前の大衆行動である。9条擁護や護憲運動に対する対応なら、安倍政権も難しくはなく想定済みであっただろう。それが「立憲主義」という近代国家の大原則に違反しているという、非常にわかりやすく、かつ保守・改憲派からリベラル・護憲派まで含んだ幅広い反対陣営が成立した段階で、安倍政権の作戦に狂いが生じた。またシールズという若い世代が、新しい政治スタイルで国会前抗議集会を組織し、18歳選挙権を得る若者にも浸透し始めたことも計算外だっただろう。

第2には、今回の甘利経済再生相辞任に至る「政治と金」の問題と週刊誌による告発である。テレビと大新聞に関しては、菅首相官邸がほぼ「制御化」に置いていることが、皮肉なことに今回の甘利辞任で明らかになった。テレビ報道は、甘利氏が秘書への監督責任をとってやめること、「大筋合意」に達したTPP調印に出席できないことが心残りであることをそのまま垂れ流した。経験豊富な2・3のコメンテーター(元新聞論説委員など)を例外として、現役の政治部部長による解説は、どの局も悲惨なものであった。

新聞は政治家としての甘利氏の責任にもう少し厳しい論調であったが、(1)なぜ告発記事の内容を新聞がもっと早く記事にできなかったのか、(2)そもそも「TPP大筋合意」の内容とは何で、それが「功績」と呼べるものであるのかどうかの議論が不足していた。甘利氏が安倍首相の最側近であり、アベノミクスの担い手であることを指摘することが大事なのではなく、アベノミクスの効果と失敗やTPP交渉の内容により、政治家としての甘利経済再生相の「功績」を検証することが、通信社ではない大新聞の本来の役割であろう。

こうした計画の狂いが、これからどのような結果を生み出すか興味があるところである。これまで安倍政権は、「問題のすり替え」という作戦で、計画の狂いを繕ってきた。

従軍慰安婦問題を例にとろう。安倍首相がとは言わないが、彼に近い人々は「軍が関与する従軍慰安婦」なるものは存在せず、そうした日本からの「自虐史観」は「左翼勢力」により作られたものであると繰り返し批判してきた。しかしアメリカの要請もあり、安倍首相は日韓関係の正常化のために昨年末には、「慰安婦問題」の存在を認め、新たに10億円の基金を日本側が拠出することで朴政権と合意した。ただしこれが「最終解決」であるという位置づけであり、さらに自民党は「ソウル日本大使館前の慰安婦像」の撤去が前提条件であると決議した。要するに、対外的には対話の推進をアピールし、国内的には不本意な妥協であることを演出し、和解を実行する責任は日本側ではなく韓国側にあると責任転嫁する形で「決着」をつけるに至った。しかし相互理解に立脚しない「和解」はいかにもろいものであるか、歴史が実証するだろう。

もう一つは、辺野古海兵隊基地建設をめぐる安倍政権と翁長沖縄知事との対立である。安倍政権は、普天間基地のある宜野湾市の市長選挙こそ「隠された沖縄の民意」を示すと位置づけ、地域への利益誘導も含め全力を挙げ、翁長知事がおす志村候補と戦い勝利した。しかし考えればすぐわかることだが、辺野古基地建設は沖縄全体の問題であり、「隠された沖縄の民意」を問うなら、沖縄県民の住民投票を行うことがもっとも明快であろう。橋下前大阪市長は、大阪都構想に関して、大阪市民の直接投票に訴えた。安倍政権も沖縄の民意を問うというなら、せめて橋下前市長程度の原則をもって臨むべきであろう。ここでも「問題のすり替え」が、メディアによる大々的な操作を通して実行されている。

しかし安倍政権のメディア操作やポピュリズムは橋下前市長よりもレベルが低い。橋下前市長が「争点単純化のポピュリズム」であるとすれば、安倍政権は「争点すり替え型のポピュリズム」であり、前者が「メディア自発的動員型ポピュリズム」であるとすれば、後者は「メディア管理型ポピュリズム」ということになる。リベラルな政治文化にとって真に脅威となるのは、もちろん橋下徹のポピュリズムである。

このように安倍政治のリスク管理作戦は、短期的には成功しているように見えても、少し時間がたてばメッキが剥げる代物である。しかし安倍政権の最大の武器は、この短期間しか有効でないことを自覚しており、それを織り込んだ新しい政策を次から次へと提出していることである。嘘や問題のすり替えが失敗しても、新しい政策やテーマを次から次へと提出していけば政権は維持できるという、政権維持を自己目的とする特異な保守政権である。

2.巧妙な戦略―多数派ではなく3分の2を目標にすることの効用

安倍政権が平気で嘘をつき、巧みに問題をすり替える政権であることはすでに多くの人に指摘されている。東京オリンピック招致の際に、福島原発事故は完全にコントロールされているという発言がその一つである。黒田日銀による「異次元の金融政策」が目標とした「2年間で2%のインフレ達成」を、平気で延期し続けていることもよく指摘される。もっといえば、そもそも安倍政権が成立した前提には、民・自・公明3党による「税と社会保障の一体改革」の合意があった。しかし10%税率の実施は1年半延期され、消費増税の根拠であった社会保障費の充実への配分額は、どんどん減額されてきている。しかしこの嘘と問題のすり替えによる政権の自転車操業はまだ機能しており、政権支持率は40%前後を維持している。

安倍政権のもう一つの武器は、小選挙区制を徹底的に知り尽くし活用していることが挙げられる。2014年の総選挙では、自民党291議席、公明党35議席であり、与党は68.6%の議席占有率となり3分の2を超えている。自民党の本来の支持者を測定できる比例代表区では1765、9万票であり、これは実は自民党が大敗し鳩山民主党政権ができた2009年8月の総選挙での比例区得票数、1881万票よりも少ない。これはしばしば政治学者が指摘することだが、安倍政権にとって何の問題もない。彼らにとって大事なことは、国民の多数の投票ではなく、一人区での勝利であり、野党を分裂させたままにしておくことである。

現在の選挙制度が実現した1993年の細川政権の下では、以下の2点が大きな前提となっていた。第1に自民党分裂の結果、政権交代可能な二大政党制が現実のものになる可能性が高まったこと、第2に公明党や共産党という組織政党が、競争型デモクラシーのもと相対的に自立して行動すること、という2点である。それから約20年を経て、自民党分裂の効果はほぼ消滅しつつあり、地方での小選挙区や一人区での自民党優位が構造化されつつある。さらに公明党が自民党との連立・選挙協力をこれまた固定化させ、小選挙区や参議院の一人区での自民・公明という与党連合が圧倒的に優位になる構造を作っている。

しかしここで指摘したいことは、安倍政権が単なる議席多数をめざすのではなく、改憲に必要な3分の2の多数を目標として掲げていることである。これは巧妙な戦略であるといわざるを得ない。

普通の小選挙区制度であれば、政党はそれぞれの基本政策をめぐり政策対立軸を提示し、多数獲得を目標とすればいい。日本でいえば、現在のTPP大筋合意に賛成か反対か、税と社会保障の一体改革をいかに実現するか、格差縮小に向け、「一億総活躍社会」などと曖昧な言葉を並べるのか、それとも派遣労働や不正規雇用の規制に向け具体的な政策を提示するのか、など多くの対立軸と選択肢がある。しかし安倍自民党が行っていることは、「同一労働同一賃金」など、限りなく民主党など野党との政策の違いを曖昧にする政策を提起することである。

これは何を意味するか。前号の『現代の理論』にも書いたが、要するに安倍政権はこうした本来の政治の課題である人々の生活を保障することや、日本の社会経済構造の長期的な展望に関心がないからである。またこうした重大な個別政策の争点化は、野党と与党の対立軸を明確化し、政府の責任が追及されるリスクのほうが高く、さらには野党勢力の結集の求心力となる恐れがあるからである。 

これに対して改憲に必要な3分の2の勝利を選挙目標とすることは、事情が異なる。改憲という争点では、橋下大阪維新の会はもちろん、松野維新の党も民主党内にも数多く賛同者がいる。その場合、本筋は憲法9条の改定であるが、それ以外にも天皇元首論や保守的な家族論から、緊急事態条項の新設を経て、よりリベラルな地方自治・環境権の明記など改憲派の幅は広い。自民党のほぼすべての議員と、2つの維新政党の議員のほとんどの議員、それに民主党の多くの議員などがこの路線のもとに結集するだろう。もし憲法9条の改定を後回しにするなら、公明党や民主党の多数も賛同するかもしれない。

この文脈では、悪名高い自民党の野党時代の「自民党憲法改正草案(2012年版)」すらも、安倍政権は変更する必要はないかもしれない。なぜなら、この時代錯誤の保守的な改憲論でも、賛同する野党議員は数多くいるだろうし(次世代の党など)、この草案を前提に与野党間の議論を始めるなら、どのような改憲論にまとめるかのヘゲモニーは、安倍政権の手に委ねられる可能性が高いからである。

安倍は「戦後レジームの克服(岸信介の唱えた改憲実行と読め)」に一歩近づけるし、野党を連合させず、内部から分解させることも不可能ではない。安倍政権にとって成功しても失敗しても損のない戦略なのである。他方で安保法案の廃止をめぐり、今も民主党は党内に多くの分裂要因を抱えている。

この日本政治の悲惨な現実をどのように理解すればいいのだろうか。1990年前後の政治改革の時代にさかのぼれば、現在に至る過程を構造的に把握することは難しいことではない。私は、『現代の理論』デジタル版第2号の「西欧世界の限界と戦後民主主義の国際的意義」というエセーにおいて、「1985-1995年日本の失敗」として整理しておいた。要するにバブル経済とその崩壊、冷戦の終焉とグローバル経済の時代に、日本は当時の大蔵省を中心とする行政官僚の劣化と、金権政治による「中枢腐敗」に陥っていた。90年代の「政治改革」とはその処方箋であり、もし政治が金権政治と派閥政治の弊害から脱却でき、政権交代のある民主主義を実現できるなら、劣化した官僚国家を政治主導のもと刷新することができるという55年体制の改革戦略であった。

しかし90年代以降、財務省は金融機関の財務危機の早期解決に失敗し、厚生労働省は「失われた年金問題」に埋没し、経産省はアメリカからの年次報告書による規制緩和の要求に追われ、外務省は冷戦後の世界に対応できず省益維持に終始し、国土交通省は過剰となった公共事業を継続し、ただひとつ改革の端緒あった地方分権も、その後の財政削減を目的とする平成の市町村合併により、改革のエネルギーを喪失していった。

他方で政治主導による改革も成果を挙げたわけではない。ネオリベラルな経済政策と郵政民営化に特化した小泉改革も、「日本の失われた10年」を克服できず、「失われた20年」を呼び起こしていった。2009年民主党への政権交代は、政治主導による55年体制改革の最大のチャンスであったが、民主党も個々の政治家も、それを実現するパワーと戦略に欠けていた。かくして残されたのは、劣化した官僚機構であり、時代の要請や国民の要望に答えることに失敗した政党政治であった。産業の構造転換の失敗も含めて、この「失われた日本の30年」については、金子勝・児玉龍彦『日本病 長期衰退のダイナミクス』(岩波新書 2016)に、具体的なデータも含めてわかりやすく整理されている。

それでは私たちに残された道は何であるのだろうか。

3.安部政権の弱点は各論―国民生活や地域生活を守るための連合を

もともとアベノミクスとは、インフレ率ではなくインフレ期待値を指標としたように、経済成長や好況への期待感を経済・金融政策の中心に設定するものであった。投資に関する経営者の意識が楽観的か悲観的は調査可能であるが、それが具体的な投資や成長に至るかは確実ではなく、政策と投資効果の時間的なズレも予測はむつかしい。結局、日経平均株価18,000円~20,000円、為替レート1ドル120円の円安がアベノミクスの成否の目安とされ、本来の目的である経済の成長戦略については具体策に欠けるままで3年が経過した。同じことは、「地方創成」政策や、最近の「一億総活躍社会」政策にも当てはまる。鳴り物入りで人々の関心を引く政策を大々的に打ち上げ、メディアもこうした政策を批判的な検証なしに垂れ流し、なんとなく政治が機能しているような印象を醸し出していた。

したがって安倍政権の弱みは、検証可能な各論にある。21世紀に入り、限界集落の増加にしろ、少子高齢化の進展にしろ(65歳以上がピーク時には40%に)、財政赤字の累積にしろ(1000兆円を超える)、非正規雇用の増加(40%の枠を突破)にしろ、生活保護給付の増加や生活できない年金受給者の増加や、奨学金返済が大きな負担となる新卒者の増加など、私たちは数えきれない困難な課題を抱え、どれ一つとして解決の糸口を見出していない。これに福島原発事故の処理が加わる。このまま放置されれば、人々の生活と地域の生活は破たんする。あるいは破綻しないまでも、人々や地域間の格差は耐え難いまでに拡大する。

今、私が関係する(社)生活経済政策研究所の「民主党再建プロジェクト」政策部門(主査:大沢真理東大教授)の報告書を参照しつつ、論点を整理しておきたい。かつて民主党の長妻衆議院議員が、記録から「消えた年金」問題に関して社会保険庁を厳しく追及し、これが2007年の自民党政府の参議院選挙敗北の一つの要因になったように、国民と地域の生活に密着する政策の検証と提起こそ、本来、選挙での最大の争点となるべきものである。政党を問わず、野党議員がそれぞれの重要な個別政策を担当し、長妻議員のように問題点と課題を抉り出し、そうした「実績を持つ」議員の連合体として野党がきたるべき参議院選挙に臨むことができれば、護憲のための3分の1議席の確保という最低線を、おのずから突破することができるだろう。逆に、こうした各論での徹底した対決なしには、かりに現在の野党が護憲の3分の一議席を確保できたとしても、選挙後の政党再編の動きにより帳消しにされる恐れは大いにある。

第1に議論されるべきは、「大筋合意」とされるTPP調印問題である。この問題ほど、政府サイドから情報操作が行われた案件はない。あたかも日本が環太平洋経済圏という将来性のある地域経済ブロックの一員となることができ、韓国や中国などが遅れて悪い条件で加入を迫られるか、排除される「経済交渉の敗者」というイメージで語られている。かつて明治憲法が制定された折に、その意義も内容も知らずに多くの人々が祝賀パレードに参加したエピソードが思い出される。多くの国は特例を承認されているし、アメリカ自体もヒラリー・クリントン候補の反対声明や共和党有力議員の批准反対論の台頭など、まだ未確定の部分が多い。

太平洋・アジア地域において多国間の地域経済協定が不可欠なことは明らかである。しかしそのことと、現在の「大筋合意」とは別問題である。民主党首脳部は、この「大筋合意」には反対すことを決めたと新聞は伝えている。農産物に対する関税の完全撤廃が問題なのではなく、農家への個別所得補償への転換、つまりEUやアメリカでも一般的である、農家・農村と地域農業の維持こそが本来の政策課題となる。また北海道の酪農、太平洋島嶼地域でのサトウキビ栽培など、農産物に関しても地域政策との関連で議論すべき課題は多い。

第2は「地域再生」を地域主権の目線で計画し、行うことである。安倍政権の政策は、観光立国や地域中核市の形成とコンパクト・シティなど、コミュニティの視点ではなく、サプライサイドに立つ産業政策や中央省庁からのモデル制度設計などに終始している。TPPの問題も、地域再生に関連させて交渉し、提起されなければならない。地域間格差を是正するために、中央省庁と自治体行政という縦の関係だけではなく、レベルの異なる自治体間の多様な協働関係という、マルチレベル・ガバナンスの発想と制度が必要とされる。

第3に、持続可能で公平な社会保障制度を設計することである。日本の社会保障支出比率(GDP比23.1%、2011年)は決して低くはない。前述した生活研報告書では、同じような支出のオランダ(同23.5%)と比較して、子供の貧困率では、オランダ5.9%に対して日本は14.9%、女性の貧困率は、それぞれ4.6%と12.6%、高齢者の貧困率は2.1%と22.0%と、大きな違いが生じている。また合計特殊出生率は、オランダが1.72で日本は1.41である。要するに、日本の社会保障費支出は、効率が悪く、公正な所得再分配の機能も果たしていないということになる。ここでは単なる給付の拡大ではなく、所得再分配に効果のある制度設計、方向の転換などが問われている。例えば、社会保険の保険料は消費税以上の逆進性があり、一度病気や介護を必要とするようになれば、その自己負担分も含めて逆進性は倍加してゆく。2012年の民主・自民・公明の「社会保障・税の一体改革」は、こうした問題も含めて総合的により公正で持続可能な社会保障制度を構築していくものであった。この3党による「社会契約」は履行されなければならない。

第4に、安倍政権の「一億総活躍社会」というまやかし政策や、「労働者派遣法改正案(2015年)」の採決という、実質的な派遣労働の拡大法案、常用雇用への代替法案の問題がある。安倍政権は、「介護離職ゼロ」や「女性の活躍促進―2020年までに管理職の30%女性化」、「同一労働同一賃金」など、口当たりのいいスローガンを唱えている。しかし確実に言えることは、安倍政権の下では、「介護離職ゼロ」は不可能な数値であり、非正規雇用は拡大し、雇用格差はより深刻になってゆくということである。

また日本におけるジェンダー格差の根は深い。日本女子大学の現代女性キャリア研究所がおこなった調査でも(岩田正美・大沢真知子編著『なぜ女性は仕事を辞めるのか:5155人の軌跡から読み解く』青弓社 2015、日本女子大現代女性キャリア研究所)、育児休業法や子育て支援制度があっても、高学歴女性の離職率が高止まりしている理由を分析している。要するに大学進学率50%の時代にあって、大卒女性にふさわしい職と職場環境がつくられていないという現実がある。

「一億総活躍社会」の委員を体験し障碍者の子を持つ女優、菊池桃子は興味ある提案をしている。つまり「一億総活躍社会」よりも、「ソーシャル・インクルージョン」(排除される人をつくらない社会)のほうが適切であり、必要であるという提起である。

こうした国民生活と地域生活に不可欠な各論を掘り下げてゆけば、菊池桃子が提唱するような、普遍的な価値観や新しい社会像が必要とされるようになる。民主党が掲げる「共生社会」や、その中に含まれる「個人の多様性」の尊重という価値観も、その一つである。こうした価値観や社会理念は、TPP交渉や安全保障政策にとっても重要となる。こうした共通基盤に立てば、7月に行われる参議院選挙においても、野党が共通に押す候補者を擁立することも、より容易になるのではないだろうか。

すみざわ・ひろき

1948年生まれ。京都大学法学部卒業の後、フランクフルト大学で博士号取得。現在、日本女子大学教授。本誌代表編集委員。専攻は社会民主主義論、地域政党論、生活公共論。主な著作に『グローバル化と政治のイノベーション』(編著、ミネルヴァ書房、2003)、『組合―その力を地域社会の資源へ』(編著、イマジン出版 2013年)など。

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